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3 黄昏に咲く①

 翌日の放課後。

 メイは校舎裏手のテニスコートでぼんやりと、アナスタシアを待っていた。

 テニス部は、さっきまで練習していたがもう帰った。

 空は、ゆうべの雨がウソのようにからりと明るく晴れあがり、夕焼けがまぶしい。


「…………」

 つい空を飛ぶ影を探してしまっている自分に気づいて、メイは思わず目を伏せた。

 眼鏡をはずし、のろのろとふく。昨夜、大泣きしすぎたせいでまだ目がはれぼったい。


 ──「熱でもあるの?」

 タクトは、遅刻して昼から登校したメイを見るなり、心配そうに言った。

 ──「それにそのバンソーコー、どしたん?」

 ──「えっと、あの……こ、転んじゃって……」


 ウソではないのに、やましいことみたいに口ごもった自分を思いだし、メイは思わずため息をつく。てのひらとひざに貼られたばんそうこうの下で、すり傷がまだズキズキしていた。

(わたし……なんでここにいるのかな……)

 きれいにふいた眼鏡をかけ直し、メイはまた無意識に夕焼け空を仰ぐ──。


 昨夜、雨の屋上から部屋に戻ったのが夜中の三時ごろ。濡れたセーラー服を干して着替え、それでもまだ泣いていたが、泣き疲れて知らないうちに少し眠った。

 なにか悲しい夢を見て飛び起きた時には、空が白んでいた。目覚ましをかけて寝直そうとしたが今度は眠れない。あきらめて寝不足の顔を洗い、もつれた髪をとかして編み直し、生乾きの制服を着て登校しようとしたところへ、携帯が鳴ったのだった。


 ──「起きてるわね」

 零課からだった。

 通報処理係の千里眼女性は、なにしろ千里眼なのだから、メイがどういう状況にあるかぐらいお見通しだったはずだ。しかしよけいなことは言わなかった。


 ──「副作用のある媚薬(びやく)を売ったバカがいてね、早急に中止勧告が必要なの。あなたが一番近くにいるのよ。メールで住所送るから、悪いけど学校休んで午前中に勧告に行って」

 メイは「はい」と答えた。


 強くなりたかった。

 破壊神がなぜしんらを殺してしまったのかは、ひと晩考えてもよくわからなかったが、自分が見捨てられたわけなら、見当がつく気がしたからだ。


(きっと、わたしがあんまり……ダメだから……)

 ほんとうは違うのかもしれない。でも、もし自分の弱さのせいなら、がんばってうんと、目立つほど強くなれば一生のうちにもう一度ぐらいは破壊神に会えるかも、と思ったのである。


 朝食もそこそこに、触法薬剤販売中止勧告文を丁寧に暗記し、スマホで住所も調べた。

 アパートを出る時、ちょっとためらったが初めて、零課支給の「武器」を鞄に忍ばせた。


 零課の武器は変わっている。

 というか、どう見てもちっとも武器らしくない。

 ──「ンン、どっちでもね、気に入った方を持ってけば、いいよ」

 実地研修の初日。最年長の課員だというしわくちゃのおじいさん霊能者が、入れ歯の口をもぐもぐさせながらゆっくり説明してくれたのが印象に残っている。


 ──「祈るには、こっちが便利」

 と、台の上からきれいな緑色の、勾玉のペンダントを持ち上げて見せ、

 ──「戦いたければ、そっちがいいね」

 あごで示したのはなんと、ひと目でプラスチック製とわかるオモチャの銃だった。


 お年寄りが大真面目に「あんたなら、ン、たぶんかなりの破壊力が出るよ。使うなら、あつかいにはじゅうぶん、気をつけて」と念を押さなければ絶対、冗談だと思っただろう。

 弾は要らない、霊力を物理的な力に変えるだけのものだから、という説明を聞きながら、しかしメイはどちらにすればいいかどうしても決断できず、思わずたずねた。


 ──「か、課長はどちらをお持ちなんですか?」

 ──「課長はどっちも、持ってない。あの人、武器とかいらない人だから」

 ──「そ……そうなんですか……」

 ──「ン、このふたつはまあ、ほんとの初心者用だしね」

 高齢の課員はちょっとおかしそうに笑った。


 ──「こういうもんは、ンン、実はね、なんだっていいんです。牧師の課員は十字架持つし、坊主は数珠、自転車修理工だった私はね、愛用の工具がお守りだ。零課には伝統的に、ほうきとかはたきとか、掃除用具を浄化に使う班もあるぐらい」

 ──「えええー」

 ──「術をかけたり、念をこめたりはするけどね、要は、あんたがその道具を、信じられればなんでもいいの」


 最初は両方持ってもいいよ、とあっさり言われ、メイは結局、両方受け取ったのだった。

 もっとも、よく考えるとどちらの「武器」も、子どものごっこ遊びのようでとてつもなく気恥ずかしい。使うどころか持ち歩くのも気が引けて、実地研修の間はもちろん、今日まで荷物の奥にしまいっぱなしだった。


 だが、今日は研修と違って先輩課員と一緒ではないし、破壊神としんらもいない。

「かなりの破壊力」というのが、妖怪を殺すほどのものだったらどうしよう、と気にはなったが、たよれる物をなにも持たずに現場に行く勇気はやはりなかった。

 けれど──。


(やっぱり……武器なんか持ってかなければ良かった……!)

 メイは思わず、鞄を持つ手にぎゅうっと力をこめる。


 指示された住所は、朝だというのに人の出入りもない、廃ビルの一角だった。

 フェンスの破れ目をくぐって敷地に入ると、不法投棄の廃材やゴミだらけ。〈テナント募集中〉の紙が貼られた裏口ドアも半分はずれ、風にぎいぎい揺れていた。


 ビルの中はひるむほど暗く、長年の汚れで曇った窓から射しこむ朝日に、内装のはがれ落ちたものすごい室内が浮かびあがっていた。

 回れ右して帰ってしまいたかった。

 でも実際に逃げ出す勇気もなく、メイは鞄のふたを開け、すぐ武器を取り出せるようにだけしておいて、そろそろと中へ入った。


 ──「あの、お……おはようございます。ぜ、零課から勧告にき、来ました」

 蚊の鳴くような声でなんとか言ったとたん、暗い天井のあたりでキヒヒッと笑い声がし、

 ──「!!」

 メイは見えない手に背中を突き飛ばされ、転んだ。


 ガラスの破片だらけの床でてのひらとひざをひどくすりむいてしまい、痛みと恐怖に涙ぐむと、あちこちから辛辣な笑い声が降ってきた。

 ──「バァァーカ!」

 ──「キィッヒヒヒ、おめえみてぇのが零課だぁぁ? ウソつけぇぇ!」

 ──「出てけえぇっ!! 出てかねぇと、食っちまぅぞうぅ!」


 金属質のわめき声とともに、オレンジにぎらつく大きな目が何対も薄闇に浮かび出、メイを取り囲んだ。噛みつくぞ! と言わんばかりに次々虚空に開いた口は、メイの頭がすっぽり入るぐらい大きく、出刃包丁みたいな歯がずらりと生えていた。


 息が詰まるほど熱い息を吹きかけられ、気圧(けお)されたメイは床の上にへたりこんだまま後ずさった。その時、指先になにかが触れた。

 鞄からこぼれ落ちた、零課支給のプラスチックの銃だった。


 こんなオモチャを使うなんて恥ずかしい、とか、ホントに役に立つの? と思う余裕さえなかった。反射的にオモチャの銃をつかみ、メイは夢中で銃口を妖怪たちに向けた。

 ──「う、うう、撃ちますよっ! お、お、おとなしく勧告聞いてくださいっ!」

 うわずった声で叫んだ時点では、まだ引き金に指がかかっていなかった。


 肉食の大口の持ち主たちにふふん、と鼻で笑われてやっと気づき、あせって引き金に指をかけた。しかし今度は銃を手にした実感にパニックを起こし、腕が震えてねらいが定まらない。


 ──「ギィッヒヒヒ、ヒヨッコがあ! そぉんなザマで当たるもんかよぉ!」

 妖怪たちはゲラゲラ笑い、メイもまったく同感だったので涙ぐんだ。そこへ、

 ──「食うってやるうぅぅぅっ!!」

 一匹が襲いかかってきた。


 落ちついて判断すればすぐ、脅しだと気づいたはずだ。

 薬の密売と人食いとでは罪の重さがぜんぜん違うし、そもそもそんな危険な事件を初心者のメイにふるはずがない。

 しかしメイは思わず目をつぶり、プラスチックの引き金を引いてしまった。


 まぶたごしに落雷のような閃光がひらめき、ドンッ! と大砲のような発射音がした。

 それとも衝突音か破壊音だったのかも。

 手に反動がなかったので「撃った」という実感がわかず、ぱらぱらとなにか破片がこぼれ落ちる音に、メイは恐る恐る薄目を開いて様子をうかがった。


 ──「!」

 正面のコンクリート壁に、人がくぐれそうな穴がぽっかり開いていた。

 大口の妖怪たちも、よほど驚いたのだろう。みな、目と口だけでなく丸っこい全身をあらわにし、ぼうぜんと、その場に浮かんでいた。

 しまった、誰かにケガでもさせたかも、とメイが青くなりかけた瞬間、


 ──「うぎゃあああああん、おがーちゃあああん!!」

 ものすごい牙を持つ妖怪たちは大きな口をなお大きく開け、そろってぎゃあぎゃあ、耳が割れるほどの大声で泣きわめき始めた。

 必死であやし、なだめていると、年長のきょうだいだという妖怪があたふたと駆けつけてきて、手伝ってくれた。


 彼(彼女?)の話によると、彼らは去年生まれたばかりの七つ子で、幼いため、いたずらが過ぎるのだという。もちろん人を食う度胸も力もあるわけがなく、あとでさわらせてもらったところ、出刃包丁のような牙もこけおどしでゴムのように柔らかかった。まだ離乳食──なんなのかはきかなかったが──を食べているのだそうだ。彼らとしては、やけに弱そうな霊能者がやってきたので、おどかせば追い払えると思っただけだったらしい。


(なのに勝手に怖がって……あ……赤ちゃん相手に……銃を撃っちゃうなんて!)


 メイは平謝りに謝って、帰ったのだった。

 どうして妖怪の力のレベルぐらいきちんと感じ取れないのか、自分でも嫌になってしまう。

 せめて──


「わたしが堂々としてればそれで……すんだのに」


 つい口からこぼれた言葉に、メイは思わずくちびるを噛んだ。

 堂々とした自分なんて、どうやっても想像できない。

 また泣けてきそうになってあわてて気を取り直し、あたりを見まわす。

 アナスタシアはまだ、あらわれる様子がなかった。校舎にはもうひとけがない。


(もう……帰っちゃおうかな……)

 なんとなく、ぶらぶらと花壇に近づきながら、思う。

 アナスタシアもきっと、メイの力などこれっぽっちも当てにしていないに違いなかった。

 形式上のお目付役というか接待役というか、求められている役割はきっとそれだけなのだ。

「…………」


 メイはかがみこんで花を見ようとしたが、すりむいたひざが痛むのでやめた。

 なんだかもうなにもかも情けなくて泣けてきて、きれいに咲きそろった花壇が涙でうるむ。

(わたし、やっぱりぜんぜん……零課なんて向いてない……)


 ──「結局さ、本人がそーゆーことに興味持たないのが一番みたいだよ」

 昼休み、タクトが言った言葉が耳の中によみがえってくる。

 唐突な発言についていけないメイに、タクトは居心地悪そうに説明した。


 ──「やっぱしさあ、神納さんには悪いかなって思ったんだけど、原因不明のままじゃスッキリしねーから、あの缶、あれから物理のセンセのとこに持ってったんだ」

 ──「えっ……」

 ──「そしたら普通の刃物じゃああは切れねーって。切断面が違うんだってよ。んでぇ」

 購買の紙袋をがさごそと開け、いきなり机の上でさかさまにした。どさっとぶちまけられたのは、色とりどりのお守り。わけがわからないメイに、タクトは明るく続けた。


 ──「うちにあった古いの持って来たんだ! オレ実はガキん時大病してさ、助からねーって言われてたのに奇跡的に治っちまって、うちじゃこのお守りのどれかが効いたってことになってんだよ。ホラ、魔除けもあるし、御利益あるかもしんないだろ? 良かったらあげる」

 ──「そっ、そ、そんな大事なもの……い、いただけません!」


 魔除けもなにも、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を追い払える魔除けなどあるわけがないし、あってもいらない。

 メイはあわてて古びたお守りを紙袋に集めて返し、するとタクトは冗談めかして笑った。


 ──「ま、オレ霊感とかぜんぜんねーし、オカルトなんてそもそも興味もないってゆーか」

 ──「そ……そうですよね……」

 ──「けどさ! 昨日、ネットでいろいろ調べてみた感じじゃ、なんか見えても、見ちゃいけないらしーんだ。おもしろいよな。きれいさっぱり無視しちゃえば、忘れたころには消えてるんだってさ! とゆーわけで気にしない、気にしない! って……神納さん?」


 けげんそうな顔をされて初めて、メイは自分がぼろぼろ泣いているの気づいた。

 止まらなかった。

 タクトのせいではない。自分がまさに、タクトの言うようにしていたと気づいたからだ。


(わ、わたしが見ないふりなんかしたから! め、目立たずやって行くことばかり大事にして、スサノオのこと、いないみたいに無視しようとしたから、だから……きっと……)

 それも憶測に過ぎないし、破壊神がしんらを殺した理由としては意味をなさない。とはいえ無視されないために、存在を主張しようとして缶を斬ったという考えは説得力があった。

 しかもその行為すらとがめられたら……


 それは、妖怪でなくても腹を立てるに違いない。

 だが謝ろうにももう、相手はいない──と考えるといくら泣いても足りなかった。

 おかげでタクトは「ああっ、タクトのヤツ、転校生泣かしたー」とみなにからかわれ、言い訳に四苦八苦するはめになった。

 しかしそれでも、メイをオバケ現象から遠ざけようという意志は揺るがなかったらしい。


 五時限めのホームルームで学園祭の出し物が議題にのぼった際、オバケ屋敷をやろう、という意見が出るやいなや、果敢にこれに挑戦。「オレはたこ焼き屋がやりたいでーす」「たこ焼きがダメならお好み焼き屋でもうどん焼き屋でもいいっ」それを言うなら焼きそばだろ? という誰かのつっこみにもめげず「とにかくオレぁ食いもんが食いたいのだーっ、クラス委員の独断で食い物屋をやることを要求するっ!」と明るく駄々をこねて全員を爆笑させ、みごと、お好み焼き屋をやる方向へ全員を誘導してしまった。


 決定後も次々に変なアイデアを出し、みなにも出させ、全員を楽しませることを忘れない。

 メイはそんなタクトの、見かけによらずおとなびた気配りを思い出し、つい、

(タクト君ってちょっと……しんらさんみたい)

 考えてしまったとたん、またもやぶり返す悲しみに目をうるませる。が寸前で、


()()()()()()!)

 なんとか涙をくい止め、せいいっぱい顔をひきしめた。

(泣いてばっかりだとますます……スサノオに嫌われちゃう)


 自分を食うと明言している神に嫌われるのはむしろ歓迎すべき事態のはずだが、メイの頭にはそんな考えは、浮かびもしなかった。まして、相手に嫌われたくないというその気持ちが、一般的な失恋の気持ちにかぎりなく近いことになど、気づくはずもない。


「できることぐらい……がんばらなくちゃ」

 つぶやいてなんとか気持ちを奮い立たせ、ふり返る。そのとたん、

「!」

 メイは立ちすくんだ。


 ついさっきまで無人だったテニスコートから、威圧的な大男が足音もなく、大股に近づいてくる。真っ黒なスーツに黒いネクタイ、硬そうな金髪を短く刈りつめ、黒いサングラスをかけていた。アナスタシアの獣人従者だとわかっていたが、


(お……落ちついて、わたし!)

 指先がつめたくなり、どうしようもなく膝が震え始める。


 ()()


 廃ビルで出くわしたこけおどしの赤ちゃん妖怪でも、じゅうぶん怖かった。

 しかし外見も中身も重量(ヘビー)級の獣人従者の怖さは、けた違いだった。

 歩くにつれてゆっくりふられるその腕が、巨木をへし折り、人体などひとたまりもなく押しつぶす超常のパワーを秘めているのが肌でわかる。


 突進してくる十トントラックを待ち受けるにひとしい恐怖に、メイは息をのみ目をそらす。

 もちろん相手はぶつかって来たりはせず、ほどよい距離で足を止めた。


「殿下は今日は単独で調査に出られた。貴殿には明日の放課後、またここで待つよう求めておられる。なお、予告なく予定を変更したことを心から謝罪する、との仰せであった。以上」

 ぶっきらぼうに伝え終え、礼ぐらい言え! と言わんばかりに不機嫌に沈黙する。

 メイはあわてて目をあげたが、サングラスごしにもあらわな殺気に、ついまた顔を伏せた。


「ど……どうも、あの……で、伝言……あ、あ、ありがとう……ございました」

 しりつぼみに小さくなるメイの声に、獣人従者はふん、と力いっぱいバカにしたように鼻を鳴らした。きびすを返し、大柄なくせに、猫のように足音もなく立ち去る。


 その圧迫感がじゅうぶん遠ざかってから、メイはようやくホッと息をついた。

(ど、どうして? この前会った時は……ここまで怖くなかったのに……)

 ()()()()

 安全な相手だと知っているはずなのに、どうして……と考えかけて、メイはふと、あることに気づいて青ざめた。


(あれ? わたし、今まさか……アナスタシアさんが来なかったことに……ホッとした?)

 心臓が罪悪感にどきん、と跳びあがり、メイは思わず胸の前で両手を握りしめる。


 もし今、アナスタシアがここにあらわれたら──と、想像しただけで鳥肌が立った。

 見かけは華奢(きやしや)でお茶目でも、アナスタシアは獣人従者の、少なくとも百倍は強く、怖い。

 なんとなく、それだけは実感としてわかっていた。


 そんな彼女と……こんな人目のないところで、()()()()()()()()()()()()()()()


(そんな……どっ、どうして!?)

 昨日までは全然怖くなかった。

 それどころか、彼女と友だちになりたいとさえ思った。もちろん心から、だ。

 なのに今になってこんなに怖くなるなんて、どうして──。


「……!」

 原因に思い当たったとたん、メイは涙も出ないほどの絶望に、血の気がひくのをおぼえた。

(昨日の夕方にはまだ……スサノオとしんらさんが……帰ってくると思ってた……から?)

 まさかこれからずっとひとりになるなんて、想像もしていなかった。

 だから気持ちの上ではまだ支えてもらっていたのだ。


 だが今日はもう、ひとりになったことを知ってしまった。

 後ろ盾抜きの、正味の、取るに足りないちっぽけな自分に戻ってしまった。

 ()()()()()()()


 急に世界が真っ暗になった心地がし、メイはぼうっと校門へ向かって歩きだす。

(できないわ。わたし、み、みんながいてくれてやっと……半人前だったのに……なのに……ひとりでなんて、とても……こ、こんな怖い仕事、続けられっこ……ない……)


「できないなんて思っちゃいけません」

「!?」

 聞き覚えのある声に仰天して顔をあげたメイは、なんと零課の大谷野課長が、すぐそこに立っているのに気づいて目を丸くした。


 くたびれた背広姿で角ぶち眼鏡をかけ、いつもながら子猫にすごまれても道をゆずってしまいそうなほどしょぼくれて見える。しかしその(しん)に、ひかえめだが決して揺るがない、春の陽射しのような存在感をたたえた希代(きたい)の霊能者は、にぱ、と気さくに笑った。


「今、できないって思ってたでしょ? そういう顔、してましたよ」

「す、す、すみませ……」

 遠隔移動(テレポーテーション)を使い、どこにでも妖怪顔負けに突然あらわれる上司だが、顔を合わせるのは数ヶ月ぶりだ。

 降って湧いた貴重な機会に、メイは夢中でことの次第を訴えようとする。しかし、


「事情はわかってます。契約した人ほっぽって行っちゃうなんて困った守護神さんですねえ」

 死ぬほど多忙で、せっかちなところのある零課課長は、ため息まじりに話を先取りした。

「とはいえ愚痴を言ってもしかたありませんし、ご要望があれば聞きましょう」

「よ、要望……ですか?」

 不意を()かれてメイは息をのんだ。


(し、しばらくお仕事休ませて……もらってもなんにも解決しないし、だ、誰か先輩とお仕事させてください……ってそれじゃ実地研修の続きでちっとも独り立ちできてないし……)

 どうしよう、なにをたのめば、と数秒必死で頭をしぼり、メイは思いつきに目を輝かせる。


「あっ、あの! もう少し勇敢になれるようなその……お、お守りとかあったらください!」

 口走ってしまったとたん、恥ずかしさに頬が熱くなった。

(そ……そんな都合のいいものあるわけないじゃない! 子どもみたい、恥ずかしい……)

 思わず目をそらすメイに、課長はあっさり答えた。


「ありますよ」

「えっ……あっ……あるんですか?」

 目を丸くするメイに、

「たとえばこれです」


 遠隔移動(テレポーテーション)能力のおかげで物品取り寄せ(アポーツ)も得意な大谷野課長は、まるで当たり前のことみたいに、虚空からなにか小さいものをつまみ取った。

 夕陽にきらりと、金色にきらめく。

 銃弾だ。


 でも零課で支給された銃と同じく、プラスチック製なのが一目瞭然だった。

 どう反応していいかわからないメイに、大谷野課長は大真面目に続ける。

「秘密兵器です」

「えっ……」


「見てのとおり零課で新人さん用に採用してる銃と同じ素材です。ただし、これは霊力をただ撃ち出すだけでなく極大まで増幅します。はっきり申しあげて、かなり危険です」

「!」

「ただしお守りとしてなら、あなたの守護神に匹敵する効力が見こめます。持ってみますか」


 メイはごくり、と固唾をのんだ。

「……はい、ちょ……ちょっとだけ……」

 おそるおそる手をさし出し、プラスチック製の銃弾を受け取る。


 瞬間。


 手のひらに山でも落ちてきたような、とてつもなく重たい感触に、メイはたじろいだ。

 飛べ、と念じたら太陽系の果てまででもまっすぐ飛んで行きそうだ。

 まして破壊を目的とする念などこめたら、街が丸ごと消えてしまうかもしれない。


 けたはずれの威力を体感し、どっと冷や汗をかくメイに、

「怖いとわかっていれば大丈夫です」

 大谷野課長はこともなげに保証した。


「安全装置がかかっていますので、本気で使おうとしないかぎり、絶対に暴発の心配はありません。とはいえあくまで目的は抑止力! あなたの精神的後ろ盾にすることです。神納さんは慎重ですから心配はしていませんが、実際の使用は極力避けてください。約束できますか?」

「も、もちろんです!」


 力いっぱいうなずいたものの、メイはまだどこかで不安を感じている自分に戸惑った。

 いつもなら課長が「大丈夫」と言えば、どんな大惨事を前にしていても確かに大丈夫、と思える。なのに、今回はなんとなく違う──と思うより早く、


「武器や道具を持つか持たないかは、自分で決めなければいけません」

 大谷野課長が、メイの考えを読んだかのように、物静かに言った。

「でないとどんなにすばらしい性能があっても、きちんと生かせないからです。ですから零課では、初心者であろうとベテランであろうと、常にその意向を優先します。それも……」

 と、メイの手の中にある銃弾を指してにっこりする。


「いらないと思えば、いつでも返却してくださってかまいませんよ」

「そ……そうですか……それじゃ……」

 メイはやっと少し気が楽になって、恐ろしい銃弾をあらためて見つめた。

 止められるまでもなく使う気はまったくなかったが、それでも不思議と、さっきまでのやみくもに妖怪を恐れる気持ちはウソのように薄らいでいる。


 確かに心丈夫だ。


 せっかく課長がくれるのだし、試してみようと心を決め、顔をあげる。

「じゃああの、す……少しだけ、おあずかりさせていただきます」

「どうぞ」


 夕陽の光の加減のせいだろうか。


 課長が笑顔で答えたその一瞬、メイはわけもなくぞくっとした。まるで課長の、今まで知らなかった別の顔をかいま見た心地だった。それどころか急に、ひとけのないあたりに迫る夕闇の濃さがひしひしと重く感じられてきて、思わず顔を赤らめる。


(わ、わたしったら……! 妖怪だけじゃなく霊能者の人まで怖がっちゃうなんて……!)


 夕焼けのおかげで顔色を読まれずにすむことを心から願った。しかし課長の顔にたちまち広がったとぼけた苦笑いからして、メイがなにを感じたかは筒抜けだったようだ。

「すっ、すみませ……あっ、あの今日は……ほっ、ほんとうにありがとうございました!」

 メイはぴょこんと頭をさげ、ばつの悪さに浮き足立ってその場をあとにする。


 大谷野課長はメイが、テニスコートのはずれでもう一度深々と一礼し、そそくさと校舎の陰へ消えるのをにこやかに見送って、

「思ったより勘のいい子ですねえ、ふふふ、でも、おあずかりします、か……」


 少し、らしくない笑い方をした。


 その顔と姿がみるみるうちに黒く小さい生き物の群れと化してざわりと崩れ、声ばかりが低く、きららかに、宝石の輝きを帯びていく。


「本気で使わないつもりらしいが、人の()よ、ならば()()()()()()()()()()()()()()()。人間は持っていると使いたくなる。そして、なまじ普通人にない力を持つゆえにこそ、あらゆる力を出し尽くしてなお役に立たないと悟った時の、霊能者の恐怖と絶望の味ときたら……!」


 地上でもっとも古い神ロキは、大谷野課長と交わした約束にのっとり、おのが美をさらすことなく、獲物の自発的要求を待って、まんまと()()()をしてのけたのであった。


 しかも辛辣にも、みずからに制限を課した、当の霊能者の姿を借りて。


 期待と嘲笑にきらめく麗しい笑い声をあげ、定まった姿を持たぬヒルコ神、無数の悪魔の名を持つ神はおびただしい蝿の群れと化し、血のように赤い夕焼け空へ消えた。


 3 黄昏に咲く②へ続く





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