063 問題児と天才児
──カンッ!乾いた木と木の衝突音が、空気を震わせた。
シルヴィアとジェラルドは、開始の合図と同時に一歩も譲らぬ勢いで踏み込み、木刀同士を強烈に打ち合わせた。互いの顔が間近に迫るほどの鍔迫り合いだ。
ジェラルドの額に汗が滲み、歯を食いしばる。
「ぐっ……お、おいおい、嘘だろ……」
小柄なはずのシルヴィアの腕から伝わる重圧は、まるで獣の顎に押さえ込まれているかのようだった。
彼女は一言も発さず、無表情のまま木刀に力を込める。
その瞬間、ジェラルドの足がわずかに後ろへと滑った。
「チッ!」
体勢を崩す前に後方へ跳ね退り、距離を取るジェラルド。
ギャラリーの騎士たちがざわめき、声を上げた。
「ジェラルドが押されてるぞ!」「あの怪力……やっぱ本物だ!」
呼吸を整えながら木刀を構え直したジェラルドの視線が、ふと自らの武器へと落ちる。
──真ん中に、大きなヒビ。
「へぇ……あの一撃でここまでっスか。なら──」
彼は口角を吊り上げると、両手で木刀をぐっと力任せにへし折った。
「おらぁっ!」
バキッ、と響く乾いた音。二つに分かれた木刀を、それぞれ逆手と順手に握る。
「ハハッ、やっぱこっちの方が性に合うな……!」
煽るように双剣を軽快に回し、軽やかなステップで間合いを詰める。
観衆がどっと湧いた。
「ジェラルドがマジだぞ!」「二刀流か!」
シルヴィアは表情を変えぬまま低く構え直す。
重い踏み込みと同時に、鋭い突進。
ジェラルドは横へと滑り、双剣で彼女の木刀を受け流す。
「オラアッ!」
掛け声と共に、二つの木刀が稲妻のようなスピードでシルヴィアの死角を狙う。
しかし、シルヴィアは瞬時に片足を踏み込み、体ごと半回転。木刀の腹で、二撃をあっさりと弾き返す。火花のような木片が宙に散った。
観衆が再び息を呑む。
「速ぇ……!」「受けたぞ今のを!」
ジェラルドは攻撃を弾き返された反動で、そのまま床を転がりながら後退していく。顔を上げると、もはや殺意さえ感じるような怒りのオーラを纏ったシルヴィアが、深く息を吸いながら一歩づつ近づいてくる。
「ジェラルド……あなたは確かに強いです。しかし、あなたの立ち振る舞いは、騎士の精神とあまりにもかけ離れています!」
ジェラルドはゆっくりと立ち上がりながら、構えを取り直す。
「ハハ……戦いの真っ最中に、説教されるなんてな。調子に乗るなあっ!!」
──ヒュオォッ!
鋭い木刀の軌跡が空気を裂き、残響のように観衆の耳に残った。
ジェラルドは二本の木刀を縦横無尽に振るい、次々とシルヴィアへ斬りかかる。
足運びはまるで獲物を追い詰める狼のように素早く、左右から繰り出される攻撃は連撃の嵐だった。
「どうだ!この速さにはついてこれねぇだろっ!」
彼の叫びと共に、双剣が閃光のように走る。
しかしシルヴィアは、動じない。
ほんのわずかに上体を傾け、あるいは木刀の一閃を寸分違わず合わせ、全ての攻撃を最小限の動きで受け止めていく。
「……ッ、クソッ……!」
ジェラルドの息が荒くなり始める。確かに彼の刃は速い。だがその一撃ごとに体力を消耗し、反動を受けているのは彼自身だ。
対するシルヴィアは、一見防御に徹しているだけに見えて、時折凄まじい反撃を放つ。さらに、疲労をほとんど表に出さない。
──カンッ、カンッ、ガギィンッ!
連撃を繰り出すたび、ジェラルドの腕は痺れ、胸が上下に荒ぶる。
「ぐぅっ……はぁっ……!」
膝に力を込めても、思うように動かない。先ほどまでのキレが、既になくなっているのを自覚していた。
観衆が声を潜め始める。
「……おい、ジェラルドの動き、重くなってきたぞ?」
「いや、シルヴィアが……受けながら押してるんだ……」
次の瞬間──
シルヴィアの横薙ぎが、鋭い雷鳴のような音を立ててジェラルドの双剣を強打する。
「──ッ!?」
両腕に走る衝撃。二刀のうち片方が弾き飛ばされ、床を転がった。
ジェラルドの顔が歪む。
「まだ……終わっちゃいねぇ!」
残った一本で必死に打ち込むが、シルヴィアは静かに踏み込み、まるで大地ごと押し潰すかのような一撃を叩き込む。
──ドンッ!
木と木が激突した瞬間、ジェラルドの体が後ろへ弾き飛ばされ、床に膝をついた。
額から滴る汗が地に落ちる。
呼吸は荒く、肩が大きく上下していた。
シルヴィアは木刀を構えたまま、変わらぬ表情で彼を見下ろす。
「……ジェラルド。速さのみに溺れた剣は、長くは続きません。あなたは力を誇る以前に、その心を律するべきです。」
ジェラルドは唇を噛み、震える腕でまだ立ち上がろうとする。
「クソ……説教は……勝ってからにしてくれよ……ッ!」
観衆の緊張が最高潮に高まる中、決闘はなお続こうとしていた。
──
……俺は、子どもの頃からケンカばっかりしてた。
誰彼構わず挑んで、勝ったら笑い、負けたら次の日に倍返しして……まるでそれしか能がないみたいに過ごしてた。当然、周りの大人も子どもも手を焼いてさ。そんな俺を見かねた親父が、ある日俺を、いきなり騎士団の訓練隊に放り込んじまった。罰のつもりだったんだろう。『堅苦しい教えを受ければ、頭を冷やすだろう』ってな。
でも、俺にとっちゃそこは楽園だった。
毎日思う存分、剣を振れる。思いきり身体を鍛えられる。しかも周りには、同じように強さを求めて汗を流す仲間が大勢いたんだ。訓練隊の連中と切磋琢磨しながら過ごす日々は、俺にとって最高に楽しかった。『騎士の精神』だとか『高潔な生き方』だとか、そういうお堅い教えは正直、耳に入っちゃいなかった。けど、仲間と拳をぶつけ合い、剣を交えて笑い合う時間だけは、俺の全部だったんだ。
「俺は負けねえ……!仲間を、戦いを、ここを失うわけにはいかねえんだッ!」
決意を宿した瞳で、彼はボロボロになった木刀の片割れを構える。
血走った視線の先に立つのは、鋭い眼差しで待ち構えるシルヴィア。
ジェラルドは全身の筋肉を振り絞り、地面を蹴った。
大きく床が軋み、怒号のような踏み込みが食堂に響き渡る。
「うおおおッ!!」
シルヴィアも負けじと木刀を振り下ろした。鋭い気迫が空気を裂く。
──しかし、その一瞬。
両者の刃は、ガチリと硬い音を立てて、宙で止まった。
二人の間に立っていたのは、灰色の髪をひとつに束ねた老人。しなびた体に見えるのに、両手で軽々と木刀を受け止めている。
「そこまでじゃ。」
低くもよく通る声。
騎士団長──ローウェンが、食堂に現れていた。
「まったく……ここをなんだと思っとるんじゃ?」
老人の声に、静まり返った食堂の空気がさらに張りつめた。ローウェン団長は、振り下ろされたシルヴィアの木刀と、突き出されたジェラルドの木刀を、それぞれ片手ずつで軽々と受け止めていた。二人が驚いて引き戻そうとしても、団長の掌はびくともしない。まるで岩に剣を突き立てたかのように動かないのだ。
「ふん」
団長は鼻を鳴らすと、両方の木刀をあっさりと取り上げ、後ろへ投げ捨てた。硬い床に乾いた音が響き、食堂を囲む騎士たちは息を呑む。
「ボーッと突っ立っておるでない!片付けんかぁっ!!」
怒声が轟く。途端に騎士たちは蜘蛛の子を散らしたように慌てふためき、転げる椅子や机を拾い上げ、料理の皿をかき集め始めた。さっきまでの熱狂は跡形もなく消え、誰もが団長の目を恐れて動き回っている。
机に伏していたはずのリリィは、完全に身を起こして呆然としていた。眠ったふりなど、すっかり忘れていたのだ。胸がドキドキして、何が起きているのか理解できない。ただ、凄まじい戦いと、それをいとも容易く止めてしまった老人の姿に圧倒され、固まるしかなかった。
そのとき、食堂の扉が再び開いた。
「おやおや……これは何か、争いが起きた後のようですね?」
落ち着いた声音とともに現れたのは、ヴェルメイン先生だった。ゆっくりと歩を進め、騎士たちが散らかした食堂を見渡すと、まっすぐローウェンのもとへ向かう。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんなぁ、坊ちゃん……ほれ、二人とも頭を下げんかい!」
団長はシルヴィアとジェラルドの背中をどん、と叩いた。
「誠に申し訳ありませんでしたっ!!」
シルヴィアは即座に床へ両手をつき、声を張り上げて土下座する。
「も、申し訳ありませんでした……」
ジェラルドは悔しさをにじませながら、しぶしぶ頭を下げ、片付けに加わるため騎士たちの中へと消えていった。
「だっ、旦那様!」
我に返ったリリィは慌てて駆け寄り、ヴェルメイン先生の前に立つ。
「ああ、リリィ。ここにいたんだね。手紙は無事に書けたかな?」
穏やかにそう言われ、リリィが小さく頷いたその瞬間だった。
「……!!」
シルヴィアが風のように駆け去ったかと思うと、一瞬のうちに戻ってきた。手には丁寧に折り畳まれた封筒を握りしめ、床に額がつくほど深く頭を下げて差し出す。
「お願いします!!」
ヴェルメイン先生は微笑み、彼女の手からそれを受け取る。
「ハハ、ありがとうシルヴィア。ではリリィ、この手紙も送っておくからね。」
そう言って懐のポケットに大切そうに仕舞った。
次に先生は、まだ片付けに奔走している騎士たちへと向き直ると、パンパンと手を打ち鳴らした。
「みんな、聞いてくれ。突然で申し訳ないが……今度のパーティは、一般に公開することとなった。これは私が知る限り、ヴェルメイン家初の試みだ。パーティの警護に当たる者は、普段よりも気合を入れて臨んでほしい。それと……」
先生は手に持っていた大量の白紙を取り出して掲げる。
「突然の変更のため、王都に広く、早急に知らせねばならない。そのための貼り紙の作成を手伝ってくれる者を募集する。執筆に自信があるという者は、一階に来てくれ。追加報酬も出すから、是非よろしく。」
そう言い残し、彼は颯爽と食堂を後にした。リリィはその背中を追うように、慌てて騎士たちへペコリと頭を下げてから、足早に食堂を後にするのだった。




