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【第一章完結】名もなき森の後砦   作者: フリィ
第二章 籠中の小鳥、夢眠る居城
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048 湯気の向こうの恋心

テーブルの上には彩り豊かな料理がずらりと並べられ、鼻をくすぐる芳醇な香りが、ダイニングホールいっぱいに広がっていた。


「これ……本当に、二人で作ったの……?」

ジャスティンが、信じられないものを見るような目でテーブルの上を見つめる。そこには、見たこともないほど美しいオムレツや、きれいにグレービーソースのかかったローストチキンなどが鎮座していた。


「もちろんよ!」

アルメリアは自信満々に腰に手を当て、もう一方の手で大きな銀のスプーンをクルッと回す。


「ロザーナ様に直接仕込まれた結果ですわ!何度失敗しても立ち上がり、手を洗い、鍋を磨き、包丁を研ぎ直して作り直しましたの!」


「ハハ……なんだか、とても元気そうだね。口調まで変わってないかい?」


普段は粛々とした雰囲気のアルメリア。しかし、彼女との付き合いが長いフィデルでさえ、ここまでテンションが高まっているアルメリアは初めて見るのだった。


「あら、そうかしら?……でも、その通りかもしれませんわね。わたくしは今……本当に、満ち足りた気分ですわ!!」


憧れの存在だったメイド長・ロザーナに直接指導してもらえたのが、本当に嬉しかったのだろう。その嬉しさは、彼女の口調にも表れているようだった。……アルメリアの言葉遣いは今日一日で、ロザーナのそれに近づきつつあった。


ただ、自信満々なアルメリアとは反対に、リリィは自信がなさそうに、怯えた様子で立ちすくんでいた。


「ご、ごめんなさい、アルメリア……失敗したの、ほとんどわたしで……」


「フフッ、気にしないの、リリィ!ちゃんとした料理は初めてだって言ってたのに、最後にはこんなに綺麗に作れるようになったじゃない!」


リリィにとって、「料理」と言えるものを作ったのは、これが初めてだった。調理器具の持ち方や、野菜の皮の剥き方、基本的な食材の扱い方まで、全て一から教わった。しかしロザーナは、妥協は一切許さなかった。リリィはオムレツと野菜スープを担当したが、卵の膜が破れている、具材の大きさがバラバラ、味付けが濃い、薄い……様々な理由で作り直しをさせられた。ある程度の経験があるアルメリアでさえ、一筋縄ではいかないようだった。


「さあ皆様!冷めないうちに、どうぞ、お召し上がりくださいませ!」


アルメリアはみんなの方に向き直り、大袈裟に礼をする。まるで熟練の料理人のような、堂々とした振る舞いだった。全員が「いただきます」と声を揃え、ディナーが始まる。そして、腹を空かせていた男子たちは、間髪入れずに手を伸ばした。


「う、うまっ……!」

最初に料理を口に入れたのはジャスティンだった。驚きと感動が溢れ出したような表情で、次々と料理に手を伸ばしていく。ただ、あまり食べ慣れない料理を食べているうちに、少し上品ぶりたくなったのか、妙な感想を呟いた。


「こ、これは……素晴らしい出来だ!えっと……味に、芯がある?」


アンドリューもゆっくりと頷きながら、スープを一口。

「……フッ、お前の言いたいことは分かるぞ。ただな、こういう時はお前は、夢中で喰らいついとけばいいんだ。」


クラージュはというと、最初は勢いよく食べ進んでいたが、次第にアルメリアの動きの方が気になって仕方なくなっていたようだった。


料理のサーブに回ったアルメリアは完璧な笑顔で、男子たちとカリタスの空いた皿に、丁寧に料理を盛っていく。


「まあクラージュ様!たくさんお食べになられますわね!少し多めにいたしましょうか?先ほどはかなり、グッタリとされていらっしゃいましたが……お腹を空かせておられましたのね!……その、たくさん食べてもらえたら、わたくし……本当に、嬉しいですわ。」


「……ッ!」

最後一言に、クラージュの顔がみるみる真っ赤になる。


「え、えっと……ありがとう……ございます……!」

口調がぎこちなくなるのをごまかすように、クラージュは一気にフォークを手に取り、ローストチキンにかぶりついた。


「お、おいしい……!これ、マジでアルメリアが作ったのか……!? あ、いや、疑ってたわけじゃなくてだな!」

動揺して言葉が渋滞するクラージュを見て、アンドリューはクスクスと小さく笑う。


「おかわりもございますわよ。皆様のお腹が満たされますまで、しっかりお給仕いたしますわ。」

誇らしげなアルメリアの宣言に、男子たちの表情がさらに和らぐ。


それを数歩下がって見守っていたロザーナは、満足げに頷いた。

「ああ……素晴らしい働きぶりです……」


メイド見習いとしての成長を感じ、思わず微笑がこぼれる。


静かで、穏やかで、それでいて胸の奥がじんわり温かくなるようなディナーのひととき。そんな中クラージュは、フォークを握ったまま──もう一度アルメリアの後ろ姿を見つめる。


「(……好きだ、やっぱり……)」

告白するにはまだ勇気が要る。アルメリアは、孤児院の男子の誰もが、一度は憧れる存在だ。しかし彼女は、皆の前では全く隙を見せない、言わば高嶺の花のようだった。ただ、普段とは違うテンションの彼女を見て、確かな恋心が、また少しだけ育った気がした。


──


ダイニングホールの賑わいから少し離れた場所で、ロザーナは静かにリリィを呼び寄せた。

「リリィさん、お願いしたいことがあるのです。」


リリィは反射的に背筋を伸ばした。自分に何か任されるというのは、まだ慣れないことだった。

「は、はいっ……!なんでしょう……!」


ロザーナは、そっと微笑んだ。

「実は、ご主人様が今も、お部屋でお仕事をされていて。ディナーを取る時間も惜しんでいらっしゃるの。これはよくあることなのだけれど……そこで、あなたにお食事をお届けしてもらいたいの。いいかしら?」


「わ、わたしが……旦那様に……ですか?」

リリィは目を丸くしながらも、すぐに頬がほんのり赤くなった。旦那様に給仕したいという願いが、思いがけず叶うのだった。


ロザーナはそっと、木のトレーをリリィに差し出した。上には、温かいスープとパン、彩り豊かな前菜、そして、心のこもったメインディッシュが乗っていた。

「あなたがご主人様に、敬意と愛情を持って接していることは、よく分かりましたわ。だからこそ、この役目はあなたにお願いしたいと思いましたの。……そう、このスープ、あなたが作ったものよ。よくできたわね。」


リリィはおそるおそる両手でトレーを受け取り、小さく深呼吸をした。

「……ありがとうございますっ。……が、頑張って、お届けして参ります……!」


ロザーナは「アルメリアさん、この場は頼みましたわ。」と一言だけ言い、ダイニングホールを出るとリリィを先導して、屋敷の奥へと進んでいく。廊下は静かで、遠くの笑い声がかすかに響いていた。


ほどなくして、二人は執務室の前に辿り着いた。ドアの前でロザーナは立ち止まり、振り返る。


「ここから先は、あなた一人で行きなさい。ここで見守っているから、大丈夫よ。ご主人様は……きっと、あなたの気持ちを受け止めてくださるわ。」


リリィは小さく頷いた。胸の中が、不安と期待でいっぱいになる。


ロザーナは軽やかにノックをし、「ご主人様、失礼いたします。」と一声かけて、ドアを静かに開ける。そして、リリィの背中を優しく押すように、そっと微笑みかけた。


リリィは、温かい料理が並ぶ木のトレーをしっかりと持ち直し、一歩、また一歩と部屋の中へと足を踏み出していく。足音が絨毯に吸い込まれ、空間は静寂に包まれていた。


高く積まれた本と書類の山の向こうに、忙しなくペンを動かす旦那様の姿が見える。


リリィの鼓動は早まりながらも、顔を上げて──ゆっくりと、部屋の奥へと進んでいった。机に向かっていたヴェルメイン先生はリリィに気づき、ふと顔を上げた。


「おや、今日は君が運んできてくれたのか。」

旦那様は口元をほころばせた。少し疲れているのか、眼差しはやや鋭いが、その声にはどこか柔らかさがあった。


「リリィ……いや、新人さん。この仕事は、どうだい?」


リリィは一瞬立ち止まり、俯きかける。実は先ほど床掃除をしていた時、先生が様子を見に来ていた。その時、髪型を褒められたことで気が動転し、足を滑らせて転んでしまった──あの恥ずかしい瞬間を思い出して、顔が赤くなる。


「……た、楽しいです……っ」


そう言いながら、リリィはトレーを持ち直し、先生の前にそっと料理を置いた。小さな音ひとつ立てないように、丁寧に。


「どうぞ、お召し上がりください……」


旦那様は手を止めて、目の前に置かれた料理をしばらく見つめた。整えられたナプキン、まだ湯気の立つスープ。ローストチキンに添えられたハーブとソースの香りが、かすかに漂っていた。


「フム……君のおすすめは、どれだい?」


その問いに、リリィは一瞬目を見開き、迷ったように料理を見下ろす。ローストチキン、と言いかけて、ほんの少しだけ視線が揺れる。このローストチキンは、ロザーナが個別に一つだけ、特別に作っていたものだった。それは、完璧のさらに上を行くような、芸術性さえ感じられるような出来栄えのメインディッシュだった。味、匂い、見た目……全てにおいて洗練されていて、「おすすめ」と言う他ない。しかし……


「……この、スープが……おすすめです。」


限界まで迷った末にリリィは、自分の作ったスープをおすすめした。


「フフ、そうか。そうだね……このスープ、君が作ったのだろう?」


リリィの目がまた驚きに見開かれる。

「……ど、どうして、分かったのですか?」


先生はスプーンを手に取りながら、少し微笑んだ。

「いつもと具材が違うからね。君が選んだのかい?」


リリィは、少し戸惑いながらも、正直に答える。

「……はい。でも……何も分からなくて……孤児院のスープと、ほとんど同じ具材を入れただけです……」


その言葉に、旦那様は静かに頷いた。その頷きには、料理の出来への評価だけでなく、リリィの選択と想いを認めるような、温かい肯定がこもっていた。


「そうか。きっと、温かい味がするんだろうな。」

そう呟いて、彼はスプーンの銀の縁を揺らしながら一口、スープを口に含んだ。そして、味を確かめるようにゆっくりと目を閉じる。


リリィは固唾を飲んでその様子を見守っていた。まるで審判を受ける罪人のように、緊張で背中がこわばっている。


(どうしよう……やっぱり、ロザーナさんにいつもの具材を聞けば良かったかも……)


そんな思いが胸の中を駆け巡る中、ヴェルメイン先生の口元がふっと緩んだ。


「……美味しいよ。すごいじゃないか。」


その一言に、リリィの肩からすうっと力が抜ける。


「よ、良かったです……!」


ほっとした表情で小さく笑い、リリィは給仕を再開しようとテーブルの上に手を伸ばした。だがそのとき、不意に先生が顔を上げ、意外そうに首を傾げた。


「おや……?そういえば、君の分の食事は、持ってきていないのかい?」


「えっ……?」


リリィはぽかんと目を見開く。


「わ、わたしの分……ですか?」


聞き返したリリィの声は、どこか上ずっていた。すると、ヴェルメイン先生は軽く目を細め、ゆったりとした口調で言った。


「ロザーナ、まだそこにいるのは分かっているぞ。わざと隠していたな?用意しているのなら、早く出して差し上げたまえ。」


すると、扉の陰からくすくすと笑い声が漏れ、ロザーナがニヤニヤとしながら入ってきた。手にはもう一枚のトレーが載っている。


「お見通しですね、ご主人様。フフ……失礼致しました。このことを事前に伝えてしまうと、リリィが緊張のあまり倒れてしまいそうだったので……あえて、驚かせる形を取らせていただきましたの。」


「え、ええっ……あ、あの……わたし、本当に、ここでいただくのですか……?」


リリィの視線は、そっとテーブルの上に置かれたもう一つの食事に吸い寄せられていた。それは、自分が今運んできたものと同じ、焼きたてのパンと前菜、メインのローストチキン、そして例のスープ。どれも温かい湯気を立て、まるで自分を誘うように甘く香っている。


ヴェルメイン先生はそんなリリィに、いつもの穏やかな笑みを向けながら言った。


「すまなかったね、リリィ……これはね、私の昔からの習慣なんだ。ここで食事をする時は、食事を運んできてくれた者と、一緒に話をしながら食べるようにしている。そうでもしないと、こうして一対一で、静かに話をする時間なんて、なかなか取れないからね。」


リリィは目をぱちくりとさせ、ぎこちなく頷いた。心臓が、胸の内でひときわ強く脈打っている。


「そ、そんな……わ、わたしなんかが……えと、旦那様と、二人で……わたし、まだ……見習い、ですよ?」


呆然と呟くリリィの頬は、完全に朱に染まっていた。ロザーナはそんな彼女の背中を軽く押しながら、くすっと微笑む。


「さぁ、リリィ。冷めてしまいますよ?」


リリィはまるで夢の中にいるような気持ちで、そっと椅子に腰を下ろした。目の前に座っているのは、尊敬してやまない、そして密かに想いを募らせているヴェルメイン先生。そして今から、この人と一緒に、食事をするのだという現実が──静かに、しかし確実に、リリィの心の奥に熱を灯していくのだった。

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