表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一章完結】名もなき森の後砦   作者: フリィ
第二章 籠中の小鳥、夢眠る居城
46/69

046 「最強」のメイド

昼食を終え、男子たちは各々、ベッドや椅子に腰かけていた。クラージュはクッションを背にあぐらをかき、アンドリューは窓辺に立って遠くの山並みを眺めている。ジャスティンは食後の余韻に浸るように、ベッドの上で大の字になっていた。しかしフィデルの姿は、この部屋にはなかった。カリタスと同じように、食後にすぐさま、図書室へ向かったためであった。


「しかしまあ……すげぇ食事だったな……夢かと思ったぜ……」


「ぼく、昨日夢を見たんだ……鶏がバターの上で泳いでて……」


などと、食卓の記憶を反芻して笑い合っていると、突然、扉をノックする音が響いた。


「失礼するよ。」


落ち着いた声とともに扉が開き、ヴェルメイン先生が現れた。その後ろには、年の頃二十代半ばほど、茶色い髪を低く一つに結んだ、控えめな雰囲気の女性が立っていた。


「皆、食後に申し訳ないが、少しだけ時間をもらえるかな。」


先生がそう言うと、クラージュたちは背筋を伸ばした。


「紹介しよう。こちらは、シルヴィア。ヴェルメイン家護衛団の副団長であり、同時にメイドも務めている。」


「護衛団……副団長……?」クラージュが首をかしげる。


一歩前に出た女性──シルヴィアは、両手を前でそっと重ね、小さく一礼した。


「シ、シルヴィアと申します……よ、よろしくお願い、いたします……」


その声はか細く、どこか蚊の鳴くようなもじもじとした調子だった。クラージュは思わず、アンドリューの腕を肘でつついた。


(え、マジでこの人が……副団長?)


先生は続けて、飄々とした調子で言った。


「見た目で判断してはいけないよ。彼女は以前にも言った通り、王都の騎士団にいてもおかしくないほどの腕前の持ち主だ。今回は、君たちの鍛錬を手伝ってくれることになった。」


「えええ……でも……なんか、剣よりほうきのほうが似合いそうな……」とジャスティンが口を滑らせた瞬間、アンドリューが無言で肘鉄を食らわせた。


「お、仰る通りでございます……わ、わたしなど……しがない裏方で……」とシルヴィアはさらにうつむき、指先をもじもじといじっていた。


クラージュは戸惑いながらも、逆にますます興味をそそられていた。


(ほんとにこの人、強いのか?でも、先生が言うなら……)


「ま、まあ、やってみりゃわかるよな。よろしく頼むぜ、シルヴィアさん!」


元気よく手を上げるクラージュに、シルヴィアはぺこぺこと頭を下げながら、「は、はいっ……が、頑張ります……」と小さな声で答えた。


「では、しばらく時間を置いて、中庭へ来なさい。剣術の心得がある者も、そうでない者も、基礎から始めるつもりだから安心してくれ。」


そう言い残し、ヴェルメイン先生とシルヴィアは部屋を後にした。


部屋には、まだほんのりと信じきれない空気が漂っていた──が、それはすぐに、興味とわくわくの入り混じった空気に変わっていくのだった。


──中庭には、春の陽気と、地面にしみ込んだ朝露の名残がまだ残っていた。クラージュ、ジャスティン、アンドリューの三人は、やる気に満ちた顔で立っていた。目の前には、日陰にひっそりと立つ、ヴェルメイン先生とシルヴィアがいる。シルヴィアは相変わらず、どこか自信なさげに指をもじもじといじっていた。


「おや、早かったじゃないか。食後なのだから、少し時間を空けると言ったというのに、もう始めるつもりかい?」


クラージュは一歩前へ出て、自信満々に宣言した。


「ああ。基礎的な練習くらい、食後でも余裕だって、見せつけてやろうと思ったんだ。」


「フフ……そうか。大いに結構。シルヴィア、始めてくれ。」


そう言い残し、ヴェルメイン先生はどこかへ立ち去っていった。


「皆様!そ、それでは……体術の基礎から……始めたいと思います……。まずは準備運動から……はい、腕をぐるぐる回してくださ……あっ、そ、そんなに勢いよくしなくても……」


もじもじした言葉に戸惑いつつも、三人は体をほぐしていく。肩を回し、屈伸し、軽くジャンプを繰り返す。最初は余裕しゃくしゃく。クラージュが笑いながら言った。


「ハハッ、これなら楽勝で──」

「では……続けて……二人一組で、反復横跳びとダッシュを交互にお願いします……」


クラージュとジャスティン、アンドリューとシルヴィアのペアに分かれ、練習が始まる。ジャスティンは最初こそ快調に走っていたが、5セットを過ぎたあたりで息が荒くなってきた。


「ちょっと……待って……ハァ、ハァ……思ったより……キツいっ……!」


「おいおいジャスティン、もう音を上げてんのかよ?」とクラージュが笑う。アンドリューは、冷静に隣の様子を見ていた。反復横跳びをしているシルヴィアは……。


(息が……全く切れていない?)


それどころか、彼女は顔色一つ変えていない。頬にうっすら汗は浮かんでいるが、それすら控えめに輝いて見えるほどだった。横跳びのフォームも完璧で、無駄のない動き。相変わらず自信無さげなその表情が嘘かのように、平然とこなしている。


「アンドリュー様、そろそろ交代でございます……ご無理はなさらず……」


「え?あ、ああ……ありがとう……」


(なんだこの人……バケモンだ……)


さらに訓練は続いた。腹筋、スクワット、腕立て伏せ、シャドウボクシング──


ジャスティンは、もはや訓練というより拷問に近い表情でうめいていた。アンドリューは一足先にシルヴィアと鍛錬を終え、燃え尽きたかのように地面に倒れていた。


「助けて……だれかぁ……」

「し……しぬ……だれか……水を……」


一方、クラージュは──


「ま、まだ……余裕……」


言葉とは裏腹に、例外なく、苦悶の表情を浮かべていた。


「お、お二人とも、あと少しですね……がんばってください……!」


目の光が失われつつある三人とは引き替え、シルヴィアは苦しそうな声も出さず、息切れさえせず、むしろ笑顔だった。


クラージュはフラフラと拳を突きながら、ジャスティンに話しかける。


「……おい……この人……本当に、副団長だったな……」


ジャスティンはもはや、腕を上げることすらままならないようだった。彼は青ざめた表情のまま、頷く。


「……疑ってごめんなさい……シルヴィアさん……」


その後、二人はなんとか、定められたセットを終えることができた。そのとき、再び聞こえてきた優しい声。その内容は──声の優しさとは裏腹に、恐ろしいものだった。


「よくできましたね!では、少しだけ休憩をはさんで……ええと、次は……素手での組み手の基礎を……」


「えっ……?」


クラージュとジャスティンの口から、ほぼ同時に声が漏れた。そして、ガクンと膝から崩れ落ちる。


シルヴィアはにこりと笑って、桶に水を汲んで戻ってきたヴェルメイン先生の元へ歩いていった。……一切のフラつきも無く。


「ご、ご主人様……こんな感じで……よろしかったでしょうか?」


「ハハ、まあ……流石といったところだな。この子たちは体力がある方なんだが……君にはやはり、敵わないか。」


「お、お褒めに預かり光栄でございます……」


「ああ。この調子で頼んだよ、シルヴィア。まあ……今日は、少し強度を落としてやってくれ。かなり限界を迎えているようだからね。」


ヴェルメイン先生は、芝生の上で倒れ込んでいる三人へ目を向けながら言う。そして、虚ろな目で天を仰ぎながら倒れ込んでいるクラージュに近づき、声をかけた。


「ハハ……大丈夫かい?君のこんな姿を見るなんて、初めてだな。」


「ああ……先生……ちょっと……話が違うんじゃないですか……剣術の鍛錬に、こんな……必要ないんじゃ……」


「フフ……いいや、必要だと思うぞ?本物の剣は重い。君なら、分かるだろう?木刀とは違って、鉄の塊だからな。まずは、あれを振るい続けるための、スタミナを身に付けなければ。」


「クッソ……だったら、先生も……どうですか?自分の身を、自分で守れるように……」


「おやおや、私のことを心配してくれるのかい?そうだね……折角だが、遠慮しておくよ。いつか君は、私たちを守ってくれるのだろう?自信満々に語っていたではないか。こんなにも頼もしい子がいるというのに、私も鍛錬を積む必要があるのかい?フフフ……クラージュ、期待しているよ。……さあみんな、水を汲んできたから、飲むといい。この後も、頑張ってね。」


そう言って先生は、地面に桶を置き、再びシルヴィアの元へ戻った。


「アアーーーッ!!!」


その背後で、叫び声が上がる。クラージュが悔しそうに、ジタバタと地面を叩きながら叫んでいた。


「フフ……なんだ。まだ元気そうじゃないか。シルヴィア、あの叫んでいる子……クラージュは、悔しさをバネに成長するタイプだ。とことん鍛えてやるといい。」


「はいっ!ご主人様!」


「私は、ロザーナの様子を見てくるとしよう。後は、頼んだよ。」


そう言い残し、ヴェルメイン先生は屋敷の中へと戻っていった。シルヴィアは深々と礼をした後、桶に這い寄っていく三人に向き直り、応援を送る。


「み、皆さん……この後も、張り切って参りましょうね!」


その激励に、応えられる者はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ