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【第一章完結】名もなき森の後砦   作者: フリィ
第二章 籠中の小鳥、夢眠る居城
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045 メイド見習いの第一歩

食事を終え、部屋に戻ったリリィたちは、ふかふかのベッドに腰をかけながら、ランチの余韻と屋敷の広さに胸を躍らせていた。


「さて、この後はどうしましょうか?」とアルメリアが問いかけると、カリタスは弱々しくも、すぐさま手を挙げた。


「わ、わたし、図書室行きたいな……?ここの本、ずっと気になってて……ご、ごめんね、先に行ってもいい?」


その目は期待でキラキラと輝いており、とても引き留められる雰囲気ではなかった。リリィとアルメリアは笑って頷くと、カリタスは「ありがとう!」とぴょんと立ち上がり、軽やかに部屋を出ていった。


「さて……私たちはどうする?」とアルメリアが言う。リリィはしばらく悩んだ。しかし、アルメリアは最初から答えが決まっていたかのように、意気揚々と立ち上がった。


「ふふっ、決まっているじゃない、リリィ!メイドさんたちの働く姿、見にいくわよ!」


その目には炎が宿っていた。まるで戦場へ向かう騎士のような気迫である。


「さすがアルメリア……」


リリィが感心していると、不意に──


バン!


勢いよく扉が開いた。リリィたちは驚いて飛び上がる。開けたのは他でもない、メイド長・ロザーナだった。その後ろには、きちんと列を成した数名のメイドたちが控えていた。


「お二人とも、食後のお時間にお邪魔してしまい申し訳ありませんが……少し、お時間をいただけますか?」


ロザーナは優雅に一礼しながらも、目は鋭く光っていた。その眼光からは、有無を言わせない気迫さえ感じる。何かが始まる気配に、部屋の空気が一変した。


「もちろんですっ!!」

間髪を入れず、そして大声で返事したのは、アルメリアだった。


ロザーナは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ……そう仰っていただけて光栄です。お二人とも、メイドを目指したいとのことですので……急ではございますが、只今より、屋敷内の作業見学をされては如何でしょう?──ご希望があれば、実技指導もいたします。」


「じ、実技!?」

リリィの目がまん丸になる。


「はい。心得のない方でも、道具の持ち方からお教えしますわ。ヴェルメイン家のメイドの心得、お見せしましょう。」


それを聞いたアルメリアの目が、さらに燃え上がる。リリィはひとつ大きく息をついた。


(ついていけるかな……いや、やってみよう。……旦那様の力になりたい。)


こうして、リリィとアルメリアの「メイド見習い奮闘記」が、ついに幕を開けた。


ロザーナに案内され、屋敷の廊下を歩くリリィとアルメリア。二人の足元からは、緊張と期待が入り混じった静かな足音が響く。


「こちらが、メイドたちの仕事場のひとつ──クリーニングルームです。洗濯物の管理や仕分け、補修などを行っております。」


ロザーナはそう言って扉を開ける。すると、大きな木棚に整然と並べられたたくさんのリネン、そして、無駄のない動きで作業をしている数人のメイドが目に入った。繊細なレースの端を直す人、白い布をアイロンがけする人、それぞれがまるで舞台のダンサーのように配置され、秩序だっていた。


「す、すごい……っ」


リリィはそっと息を呑んだ。足元までピシッと決まったメイド服の動きも、指先の繊細な作業も、すべてが目を奪うほど美しい。


「これ……全部完璧に揃っているわ!」


アルメリアは食い入るように棚を見つめると、一歩前へ出てロザーナに訊いた。


「この畳み方、独特ですね……でも、すぐに使えるようになっていて……ヴェルメイン家独自の方式があるのですか?」


ロザーナは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。


「ええ。畳み方一つにも、家ごとの流儀があります。ヴェルメイン家では、美観と機能性の両立を重視しておりますわ。」


「やっぱり!あ、す、すみません、先走ってしまって……!」


「あら、いいのですよ。よくご存知ですね。」


ロザーナの微笑みに、アルメリアは頬を赤らめた。


その隣で、リリィはおずおずと口を開く。


「あの……その……わたし、こういう……メイドさんの仕事を、ちゃんと見るの、初めてで……。どれも、綺麗で……すごいなって……」


「ふふっ、それでいいのです。丁寧な観察こそが、すべての基本ですわ。焦らず、ひとつずつ見ていきましょうね。」


ロザーナの言葉に、リリィは「は、はいっ」と緊張しながらも頷いた。


次に案内されたのは、屋敷の厨房だった。シェフと助手の料理人たちが次の食事に向けて準備しており、スープの大鍋からは良い香りが漂っている。壁には、丁寧に磨かれた鍋や調理器具が規則的に掛けられていて、どれも手入れが行き届いていた。


「わあ……これ、全部使っているのですか……?どうやって使うのか分からないものまで……」


リリィが感心して呟くと、ロザーナが答える。


「ええ。用途に応じて器具を使い分けます。スピードと味、どちらも欠かせませんもの。……食事は、屋敷の『顔』でもありますから。」


アルメリアは思わず前のめりになる。


「ああ、羨ましいですっ!私、たまに調理をお手伝いしているのですが……孤児院は、あまり道具が揃っていなくて……」


「ふふっ、ありがとうございます。ご主人様のご覧になる物、手にされる物、口にされる物……全てにおいて、妥協は一切致しませんわ!」


「ああっ……!」


ロザーナの言葉に、アルメリアの瞳がきらりと輝く。


その後も二人は、煌びやかな食器棚や備品庫、メイドたちの控室などを次々と見学した。アルメリアは夢中になって質問を重ね、ロザーナもまんざらではない様子でひとつひとつに答えていく。


そして見学の終わり、ロザーナはふたりの前で立ち止まると、静かに言った。


「さて……ご覧いただいた通り、メイドの仕事は多岐にわたります。ここで、もし『実践』を希望されるなら──わたくしが責任をもって、ご指導いたしますわ。」


「はいっ!!」


アルメリアは迷わず手を挙げた。


「あっ、えっと……わ、わたしも……もし、少しでもお役に立てるのなら……」


リリィもおずおずと続ける。


ロザーナはそんな二人を優しく見つめる。


(ああ……若いっていいわね!二人のことを考えると居ても立ってもいられなくて、食後の時間に突撃してしまったけれど……やっぱり最高だわ!こんなに可愛い、キラキラとした子たちを、わたくしが直接育てられるなんて……!)


「で、では……覚悟なさいませ。ヴェルメイン家の『誇り』、見せて差し上げましょう。」


そう言って、ロザーナはくるりと踵を返す。その背に投影するように、二人の少女の心が、静かに燃え始めていた。


──


カリタスは、胸に抱えたノートをしっかりと抱きしめながら、静かに廊下を進んでいた。目的地は図書室──この屋敷で最も興味深い場所。それはまるで、宝物の眠る洞窟のような響きだった。まだ知らない知識、まだ知らない世界。すべてがそこに詰まっているように思えた。しかし、案内も地図もないままでは、この広い屋敷の中から、ただ一つの部屋を見つけ出すことは至難の業だった。何度も同じ絵画の前を通り過ぎた気がするし、途中で出会った使用人には、声をかける勇気が出なかった。


「……きっと、この角を曲がれば……」


そう小さくつぶやいて曲がった先は、薄暗く、誰もいない長い廊下だった。しかし突き当たりに、陽の光が差し込む、小さなバルコニーがあるのが目に入った。好奇心が勝ったカリタスは、そっと扉を開けて外に出た。


バルコニーから見えるのは、春の花々が咲き乱れる静かな裏庭。風に揺れるチューリップやスミレの香りがほんのり漂ってきて、どこか孤児院の裏庭を思い出させる。自然と、顔がほころんだ。


「……素敵な場所……」


思わずぽつりと漏らしたそのとき、左の方から声がした。


「……どうしたの?」


カリタスは驚いて振り向いた。そこには、水色のドレスを纏ったフリーシアがいた。バルコニーの隅にあるティーテーブルで、静かに紅茶を飲んでいる。声をかけられるまで、気配すら感じなかった。


「あ……あの、ごめんなさい……。わたし、迷って……図書室に行こうとしてて……その、」


うつむき加減で、手にしたノートをぎゅっと握りしめながら説明するカリタスに、フリーシアは真顔のまま答える。


「……図書室なら、この廊下を戻って、右に曲がって、一番奥の部屋。」


カリタスは戸惑いながらも、その言葉に少し心を和らげた。フリーシアの存在はどこか神秘的で、孤児院でたまに見かけた時も、遠い存在のように思っていた。でも今は、同じ空気の中で、同じ春の花の香りを共に味わっている。


「ありがとう……あの、ここ……すごく素敵。き、きれいだね?」


「……そう。わたしも好きよ。……誰も来ないから。」


フリーシアはそう言って、一口紅茶を飲む。


「あっ……え、えっと……ごめんなさい!一人の時間を邪魔しちゃって……」


「……いいの。わたしももうすぐ中に戻るから。……外に出ること自体は、あんまり好きじゃないの。」


フリーシアはカップに手を添えたまま、淡々と話す。しかし、彼女の声はあまりにも小さく、春の優しい風でさえ、その声をかき消してしまえそうなほどだった。


「じゃ、じゃあ……どうして、ここに?」


「……食後のティータイムよ。本当はわたしの部屋で過ごしたかったけど……先生が、『たまには陽の光を浴びながら、ゆっくり過ごしてみなさい。』と、仰るから。」


「そ、そうなんだ……」


カリタスの心の内には、フリーシアの部屋について聞きたい気持ちが湧き起こっていたが、そこに踏み込むことはできなかった。踏み込んではいけない気がしたのだ。


「フリーシアは……この屋敷に詳しいんだね?」


「……そうかもね。」


フリーシアはもう、あまり話をしたくないように見えた。カリタスはもはや、一切目を合わせず、裏庭を静かに見下ろしながら呟くだけだった。


「あっ……じゃあ、わたし、もう行くね!ありがとう、図書室の場所、教えてくれて……」


「ええ。」


カリタスはバルコニーを出る。最後にもう一度振り返って、フリーシアを見た。彼女は立ち上がらず、春の風に髪をなびかせながら、ただ静かに紅茶を嗜んでいた。

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