044 銀のスプーンと眩い時間
リリィたちは、ロザーナに案内されながら一階へと降り、ダイニングホールの扉を開けた瞬間──
「わぁ……!」「すごい……」「まぁ……!」
思わず、全員の口から感嘆の声が漏れた。
目の前には、ずらりと並んだ色とりどりの料理。香ばしい匂いや、異国の香辛料の匂いなどがふわりと鼻先をくすぐる。銀の皿に盛られた肉料理、宝石のように飾られたサラダ、琥珀色のスープ……リリィはおろか、誰もが見たこともないようなご馳走が、ぎっしりと並んでいた。
さらに、広々としたダイニングホールの真ん中には、一本の巨大な長テーブル。その周りを囲む椅子も、足元から背もたれまで精緻な彫刻が施されていて、どれもこれも「高級品」だと一目でわかった。
「すごい……こんな場所でご飯を食べるなんて……」
リリィが思わず呟くと、隣のカリタスも大きく頷いた。
すでにアンドリュー、クラージュ、ジャスティン、フィデルの四人は席に着いていて、女子たちを手招きしている。クラージュは、こちらに向かって首を傾げた。
「あれ?女子、三人しかいないじゃん。フリーシアは?」
その問いに、ロザーナはピタリと足を止めた。一瞬、言葉を選ぶように間を置き──
「フリーシア様は、別室にいらっしゃいます。……しばらく、お待ちください。」
少しばかり弱々しい口調でそう答えた。
リリィたちは用意された席に着き、目の前に並ぶ料理にゴクリと喉を鳴らす。しかし、フリーシアが来るまで食べられない。全員、じっと我慢していた。
……が、数分も経たないうちに、耐えきれない者が出始める。
「ねぇ、まだかな……?」
ジャスティンが小声で、隣のフィデルに囁く。
フィデルも「ハハ、僕もちょっとお腹減ったな。」と苦笑して、鳴ってしまいそうな腹をこっそり押さえていた。
ロザーナは、そんな男子たちの様子に小さくため息をつき、席の端から優雅に一礼すると、こう宣言した。
「皆様、長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。……いただきましょうか。」
しかし、その瞬間──
ガチャリ。
ダイニングホールの扉が、音を立てて開かれた。
皆が一斉に振り返る。
その扉の向こうには、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたヴェルメイン先生がいた。しかし、皆の視線は──その背後に立っていた、フリーシアへと釘付けになった。
彼女は薄い水色のドレスをまとい、長い銀髪を背に流していた。まるで、この世のものとは思えないほど繊細で、儚い光をまとった少女。
リリィは、ごくりと唾を飲み込んだ。
フリーシアは俯き加減に歩きながら、ヴェルメイン先生の背中を頼りに、一歩、また一歩と前へ進んでくる。
彼女の存在が、この豪奢なホールの空気を、不思議な静けさで包み込んでいた。
フリーシアとヴェルメイン先生は、テーブルの中央の席に、並んで静かに席に着いた。フリーシアは終始無言のまま、誰とも目を合わせない。
微かな緊張が空気を満たしている中、ヴェルメイン先生がふっと優しく口を開いた。
「……皆、気になることがあるかもしれないが……今は、ランチを楽しもうじゃないか。我が家のメイドたちが、皆への歓迎の意を込めて用意してくれたんだ。さあ、頂こう。」
その言葉で、場の空気が少し和らいだ。皆の視線がだんだんと、目の前の豪勢な料理へと戻っていく。最初に料理に手を伸ばしたのは、ジャスティンだった。
「わあぁ……!このお肉すごいやわらかそう!」
ジャスティンの声がテーブルに活気をもたらす。
「このパン……お菓子みたいにいい匂いする!」
「このスープ、香りが格段に違うわ……」
そんな声が次々に上がる中リリィも、スープがなみなみと注がれた皿を引き寄せ、スプーンですくって一口。
──その瞬間、目が丸くなった。
思わず、心の中で小さな歓声をあげる。味の深さ、ほんのり甘さを含んだ香り、爽やかな後味……孤児院の優しい味わいのスープとはまた違う、複雑で豊かな味わいだった。
(すごい……なんて美味しいんだろう……)
パンも、サクッと軽やかな音を立てて裂け、口の中でほろりとほどけた。焼き上げられた白身魚、羊肉の煮込み、彩り豊かなサラダに至るまで、どれもが初めて出会う味だった。
(あれもこれも……誰かが一生懸命作ってくれたんだ。)
そう思うと、リリィの胸の中に、ふわりとあたたかい感謝の気持ちが湧いてきた。
孤児院のご飯は、目の前のものに比べてしまえば質素だったけれど、いつも丁寧に作られていた。温かく美味しい食事、みんなで同じ食卓を囲む喜び、友達と語り合うひととき。全てが初めてだった。昔は、時には苦痛を伴い、ただ生きるためだけに行なっていた「食事」。しかし今では、その時間が大好きになった。そして、食事の本当の「ありがたさ」を感じられるようになった。この目の前の食事も、たくさんの手がかけられて、自分たちを迎えるために作られたのだとわかる。
(なんだか……夢みたい。でも、これが本当に今、わたしの目の前にある……)
目の前にあるすべてが特別で、目を閉じたら消えてしまいそうで、リリィは大切そうに一口ずつ、味わいながら食べた。
──食事が進んでしばらくした時、リリィは不意に、フリーシアの方に目を向けた。すると、彼女の動作一つ一つが、思わず目に留まった。
指先の角度、食器の持ち方、パンをちぎる仕草、スープをすくう動線……それらすべてが、まるで流れる水のように滑らかで、美しかった。
(……すごい。まるで……お姫様みたい。)
アルメリアや旦那様の丁寧な所作はいつ見ても美しいと思っていた。しかし、フリーシアの所作は、誰のものよりも洗練されているように見えた。それはまるで、長い年月をかけて自然に身につき、磨かれてきたような動き。
リリィはしばらくフリーシアに、目が釘付けだった。すると、フリーシアがふと、リリィの方を見上げる。しかしリリィは、目が合った瞬間に、目を逸らしてしまった。フリーシアは何もなかったかのように、再び食事へと向き直る。
焦燥や罪悪感などが、目まぐるしく頭の中を駆け巡るが、リリィはそっと視線を落とし、自分も食事に集中する。
──今は、食事の時間。邪魔しちゃいけない……ちゃんと、美味しく食べよう。
そう思って、また一口。再び幸せが、ふわりと口の中に広がった。




