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【第一章完結】名もなき森の後砦   作者: フリィ
第一章 白蝶、夢を紡ぐ庭
33/69

033 始まりの日

その後しばらく、リリィは抱きしめられたままでいた。リーベルは一向に腕の力を緩めようとはしない。


「リ、リーベル……?そろそろ……寝ようか?」


リリィがそう声をかけると、リーベルはハッとしたように顔を上げ、リリィから手を離した。


「あっ、ごっ、ごめんリリィ!苦しかった!?」


「ううん、大丈夫だよ。じゃあ……寝ようか?リーベル。」


リリィがそう言うと、リーベルは少し迷っているような表情をした。


「……どうしたの?」


「……その……寝る前に、ちょっとだけ……やりたいことがあるの。」


そう言って歩き始めると、リーベルは部屋の本棚に向かい、慎重に一冊の本を取り出す。


薄いピンク色の布張りに、金色の刺繍が施された、どこか特別な雰囲気を持つ冊子……


「日記帳……?」


リリィが小さく首をかしげると、リーベルは笑いながらこくりと頷いた。


「うん。……今日から、書いてみようかなって思って。」


「え…?じゃあ、今までの日記は……?」


リリィが問いかけると、リーベルはふと視線を落とし、ほんの少し照れたように肩をすくめた。


「……書いたこと、なかったの。この日記帳は、随分前にメリー先生から貰ったんだけど……書く気に、なれなくて。ずっと気になってはいたんだけど……」


そしてリーベルは、しっかりとリリィを見つめて言う。


「一番最初のページには、どうしても……『本当に嬉しかったこと』を書きたかったの」


リリィが目を見開くと、リーベルはそっと笑って言葉を続けた。


「今日ね……親友ができたんだよ?ねえ、これって、十分すぎるくらい『本当に嬉しいこと』でしょ?」


そう言って、リーベルは椅子に腰を下ろし、日記帳を机に置いて、丁寧にページを開いた。白く整ったその紙面に、彼女はペンを走らせる。


「今日、私は『リリィ』と親友になりました。」


それは、少し揺れた文字で、それでも真っ直ぐな気持ちが詰まった一文だった。


「初めての親友。おめでとう、わたし。」


そして、ペンを止めたリーベルは、そっとリリィを見上げた。


「ねえ、リリィ……。わたしの、いちばん最初のページに……リリィも何か、書いてくれない?」


その声は、どこまでも純粋で、あたたかく、胸に染み入るような響きだった。


リリィは一瞬戸惑いながらも、笑顔で頷くと、リーベルからペンを受け取り──リーベルの文字の下に、丁寧に記した。


「わたしの、初めての親友、リーベル。ずっとずっと、一緒だよ。」


リーベルはそれを見て、胸いっぱいの笑顔をこぼした。


その笑顔が、今日という一日を、真新しい日記帳の1ページ目を、さらにかけがえのないものにした。


リリィはそっとペンを置くと、リーベルは両手で日記帳の表紙をそっと閉じた。パタンと鳴ったその小さな音に続いて、彼女は顔を上げ、リリィの手をぎゅっと握った。


「……ありがとう、リリィ。わたし、本当に嬉しいの。初めてのページが、こんなに素敵な日になるなんて……思ってなかった。」


その瞳は少し潤んでいて、けれど溢れることはなく、言葉以上にまっすぐな気持ちがそこに宿っていた。


リリィも、リーベルの手を握り返して、そっと微笑んだ。


「わたしのほうこそ……ありがとう。こんな大切なページに、わたしの言葉を書かせてくれて……すごく嬉しかった。」


二人はしばらくそのまま見つめ合い、そして、自然と笑い合った。


やがて、リーベルは灯りをそっと消し、二人は並んでベッドに入った。


リリィは、てっきりリーベルがまた勢いよく抱きついてくるのでは、とほんの少しだけ身構えていた。けれど──


リーベルは何も言わず、静かにリリィに背を向けて横になった。


(……あれ?)


少し意外に思ったリリィは、その背中を見つめる。

リーベルの肩は小さく揺れていて、どこか力が入っているようだった。


(……さっきのこと、気にしてるんだ。夢中で抱きしめちゃったこと……)


そう思うと、リリィの胸にあたたかい何かが広がっていく。


リリィは静かに手を伸ばし、リーベルの背中にそっと触れる。驚かせないように、やさしく、ゆっくりと腕を回し込む。


「……っ」


リーベルの身体がぴくんと震えた。


「リリィ……!」


小さな声がこぼれたかと思うと、リーベルは勢いよく振り返り、リリィにしがみつく。


その腕には、迷いも、遠慮もなかった。


「ありがとう……」


リーベルの声が、リリィの頭の上でそっと響いた。


リリィは黙って、リーベルの腕の中に収まったまま、優しく背を撫でる。すると不意に、か弱い、寂しげな声が聞こえてきた。


「……ねぇ、リリィ……」


「…なに?」


「リリィが、先生のお屋敷に行ったら……わたし……」


リーベルはそこまで言って口を噤む(つぐむ)。リリィはしばらく考えた後、そっと囁きかけた。


「……リーベル、わたし……手紙を書くよ。毎日、届けてもらえるかは、分からないけど……でも、リーベルのこと、絶対忘れないよ。」


リリィがそう言うと、リーベルはさらに身体を寄せ、リリィを抱きしめた。


「だいすき……リリィ……」


そうして二人は、互いのあたたかさを感じながら、ゆっくりと眠りの中へと沈んでいった。


──


リリィがリーベルの部屋に入る少し前、集会が終わった後のこと。院長室には、子どもたちの賑やかな声が消えた後の静けさが広がっていた。月明かりが窓の外に降り、部屋の中は暖かなキャンドルの明かりに包まれている。


ヴェルメイン先生は、絨毯の上に座ったまま動かない少女にそっと視線を送った。


──フリーシア。


他の子どもたちがすでに部屋を後にしていく最中、ただ一人、その場に留まり続けていた。


(……どうしたものか。)


しばらく黙って様子を見ていたヴェルメイン先生は、子どもたちを見送っていた院長先生に目を配る。院長先生は、その視線に気づいたようだ。


「……旦那様。後は……」


「はい……。大丈夫です。」


「…承知致しました。おやすみなさいませ。」


そう言うと、院長先生は礼をして、そのまま部屋を出て行った。


ヴェルメイン先生は、少女に静かに歩み寄る。やがて、フリーシアの傍で膝をつき、優しく声をかけた。


「……もう、集会は終わったよ。」


フリーシアは応えない。けれど、わずかに睫毛が揺れた。


「大丈夫かい? 具合でも悪いのかと思ってしまったよ。」


その言葉に、ようやくフリーシアが唇を開いた。


小さく、けれど確かに──


「……褒めて。」


ヴェルメイン先生の表情がやわらぎ、ふっと微笑みが浮かぶ。


「……よく頑張った。」


それを聞いたフリーシアは、ゆっくりと顔を上げ、伏せていた瞳をまっすぐに向けた。


「もっと……もっと、褒めて。」


その声には、かすかな震えと、儚い願いが滲んでいた。


ヴェルメイン先生はそっと手を伸ばし、フリーシアの柔らかな髪に指を絡めるようにして撫でる。指先には、少女のかすかな熱が伝わってきた。


「本当に……よく頑張ったよ、フリーシア。ここに集まってくれたこと、心から感謝するよ。」


フリーシアは微かに笑みを浮かべ、そのまま目を閉じた。フリーシアは、アルメリアやアンドリューと同じ年頃であった。しかし、その横顔には、ほんの一瞬だけ、年相応ではない幼さが垣間見えた。


ヴェルメイン先生は、優しく撫でる手を止めずに、そっと言葉を落とす。


「……ただ、ひとつだけ。嘘は、良くないんじゃないかい?」


沈黙が落ちた。


フリーシアは、目を閉じたまま、小さく呟いた。


「……どうして?その方が、いいでしょう?……先生にとっては。」


その囁きは、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。ヴェルメイン先生はその言葉に、すぐには返さず、ただ、フリーシアの頭をそっと抱き寄せながら、静かに瞳を伏せた。


「……いいんだよ、フリーシア。……ただ、君がそうしたいならば……尊重しよう。」


部屋には再び、深い静けさが訪れていた。

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