022 賑やかな午後には静かな追想を
──前にここを訪れたのは、もう1ヶ月前のことだろうか。ここ最近は足を運ぶことができていなかった。1ヶ月前の記憶の中よりも、子どもたちの笑い声がずっと大きく、そして数も増えたように感じられる。
「…ずいぶんと賑やかになったものだ。」
思わず呟いた。かつて自分が過ごした部屋、食堂、図書室、そして裏庭。それぞれの場所で、子どもたちが楽しそうに遊んだり、学んだりしている。その姿は、自分がここに入り浸っていた頃には見られなかった、活気に満ちたものだった。
窓から差し込む陽光が、子どもたちの笑顔を輝かしく照らしている。私はその光景に目を細めた。私の過去は、いつも不安と孤独が隣り合わせだった。しかし、今の子どもたちからは、そんな影は見られない。
「ヴェルメイン先生!」
突然、後ろから元気な声が私を呼んだ。振り返ると、一人の女の子が駆け寄ってくる。
「先生、一緒に遊びましょう!」
女の子は、私の袖を引く。確かこの子の名前は……ああ、思い出せない。数が多くなるとこういったことも起こるか。また名簿を見直さなければ。
私は少し戸惑いながらも、その手に引かれるまま、広間で遊んでいる子どもたちの輪の中へと入っていった。
子どもたちの笑い声、熱気、そして窓から差し込む温かい陽光。子どもたちと触れ合う中で、自分の昔の記憶を少しずつ思い出す。それは、楽しい記憶よりも、暗く辛いものの方が多かった。しかし、今の子どもたちの笑顔を見ていると、過去の記憶も、少しずつ優しいものに変わっていくような気がした。
「…私も、こんな風に笑えていたのだろうか。」
私は、ふとそんなことを思った。しかし、すぐにその考えを打ち消した。大切なのは過去ではなく、今、そして未来だ。私は子どもたちの未来が、明るく希望に満ちたものであることを、心から願った。
しばらく子どもたちと遊んでいると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。そちらを見ると、ヴィオレッタ先生が私を呼んでいる。
「どうしました?」
「あっ、い、院長先生が、お呼びです!」
「ああ… 分かりました。すぐにお伺いします。」
私がそう言うと、ヴィオレッタ先生はその場から逃げ出したかったかのように、素早く礼をして立ち去ろうとした。
「お待ちください。」
「あっ、えっ… な、何か?」
「先程は、本当にありがとうございました。リリィの案内を、急にお願いしてしまって。」
「いっ、いえいえ!わ、わたしなんかがお役に立てて、いやっ、立てたかどうか分かりませんが…」
「フフッ、大丈夫ですよ。あの子はあの部屋を気に入っているように見えましたよ。」
「そっ、そうですか… まあ、角部屋、ですもの……わたしは、関係ないですよ。」
「そう思いますか?私は… リリィがあなたに会った後は、表情がかなり明るくなったように感じましたよ。」
「……ありがとう、ございます……」
ヴィオレッタ先生は、ここの先生になって二年目であり、一番若い。まだ自信がないのだろうか。……いや、もっと根本的なものがあった。
「……まだ子どもは、苦手ですか?」
ヴィオレッタ先生は息を呑んで悲しそうな表情をした後、ゆっくりと俯いた。
「……苦手じゃなくなったとは……まだ言えません。」
「…そうですか。大丈夫ですよ。あなたの、この孤児院への愛は、私……いや、院長先生にも劣らないと思っています。」
そう言うと、ヴィオレッタ先生は一瞬顔を上げ、また俯く。
「っ!そんな、こと……」
「いいえ。ここの『子』としては、あなたは私の先輩でしょう。まあ、私は正式な子ではありませんが……そんな私を、家族の一員のように、大切に扱ってくださったのは……あなたと、院長先生だけですよ。」
「……それは……」
「フフッ、理由がなんであれ、私と仲良くしてくださったのは事実でしょう。そしてあなたからは、ここへの想いを何度も聞かされましたよ。そのお話が何度あったか、覚えておけなくなる程にね。」
「……」
ヴィオレッタ先生は俯きながらも、両手を強く握りしめている。
「……ひとまずこの話は置いておきましょうか。子どもたちが待ちくたびれております。…どうです?私の代わりに、子どもたちと遊んでみては?」
「……だんっ……先生が、そう言うなら……」
「フフ… はい。よろしくお願いしますね。」
そう言って私は礼をし、広間から出た。廊下を歩きながら、窓から様子を見る。ヴィオレッタ先生はしばらく躊躇っていたが、決意を固めたかのように顔を上げ、子ども達の輪の中に入っていった。
この様子なら大丈夫だろう。
──私はしばらく薄暗い廊下を歩き、院長室の扉をノックした。
「どうぞ。」
院長先生の低く落ち着いた声が返ってくる。扉を開けると、室内は暖炉の暖かさに包まれていた。春とはいえ、院長先生にとってはまだ冷えるからだろう。書類の山が机の上に広がり、院長先生はその束のひとつを手にしていたが、私が入るとすぐにそれを脇へ置いた。
「来てくれてありがとう。……まずは、礼を言わせてほしい。」
院長先生は立ち上がり、深々と頭を下げる。
「お怪我をされているのにも関わらず、こうして子どもたちの世話をしてくださること……本当に感謝しています。旦那様。」
私はそんな言葉に、緊張を和らげる。
「お気になさらず。子どもたちとオルフェのおかげで、大した負担にはなっていません。それと……そろそろその呼び方はおやめになってください。リリィが真似をしてしまったではありませんか。」
私がそう言うと、院長先生は気にしていないかのように穏やかに微笑んでからゆっくりと座り、机の上に肘をついた。
「……早速ですまないが……実は、君に意見を聞きたいことがある。」
「…孤児院の増設についてですね?」
院長先生が少し驚いたように瞬きをする。私は目を細めた。
「……前にも、増築や新設について相談をされたじゃありませんか。それに先ほど、書類に目を通されていた時の表情で、何となく察しました。」
「相変わらず鋭いな……」院長先生は苦笑した。
「その通りだ。遠方からも孤児を受け入れるためには、増築、もしくは棟の新設が必要だ。しかし、どうにも決断しきれなくてね。」
「…もう何か、考えがあるのですね?」
院長先生は少し躊躇った後、深く息をついた。
「……裏庭に、新しく建てようと考えている。しかしどちらにせよ……池は埋め立てる他ないだろう。」
私はしばし沈黙し、指先で顎を撫でる。
「——わざわざ私を呼んだということは、迷っているか……もしくは、その考えが気に食わないのでは?」
院長先生は小さく笑い、肩をすくめた。
「ハハ……その通りだ。」
しばらく視線を落とし、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。
「この孤児院は、もともと私の家を有り金で拡張したものだ。……あの裏庭……特に池は、かつて私が幼い頃、家族と過ごした思い出の遊び場だった。」
その話は前にも聞いている。だからこそ、院長先生が決めかねていることも分かっていた。
「……ならば、裏庭を完全に潰さずに、『中庭』として囲うようにしてはいかがでしょう?」
院長先生はわずかに目を見開いた。しかしすぐに首を横に振る。
「それも考えたが、敷地が足りないだろう?」
私にとっても、院長先生にとっても、あの池には思い出深いものがある。だが今の子どもたちは、裏庭に赴く機会が少なく、池の存在すら知らない子もいる。そう考えた時、池を埋め立てるという案は妥当なものになる。しかし…
私は院長先生の表情を伺う。その視線は目の前の書類の束から離れず、泳ぐことはない。しかし、どこか虚ろだ。
──私は以前に思いついた、漠然とした案を伝えることにした。
「本当にそうでしょうか?私は建築に関しましては本当に素人ですが、このように……」
そう言いながら、机の上にある紙を一枚取り、院長先生の許しを得て簡単な設計図を描き始めた。院長先生はその様子をじっと見つめ、ゆっくりと考えを巡らせる。
暖炉の火が、パチパチと音を立てて燃えていた。
「ハハッ……それはまた大掛かりだ。しかし、面白いですな。」




