002 屈辱と諦め
「ヘへッ、そうかそうか。よし、すぐにそこから出してやるからな。」
そう言うと男は窓から牛舎に入る。左手には、大きな鋏のようなものが握られていた。入るやいなや、男は始めから分かっていたかのように、少女に嵌められている足枷の鎖に鋭い刃を当てた。
「え?どうしてそんなもの… 分かっていたの、ですか?足枷があるって…」
「あ?ああ… まあ、一応持ってきただけだ。」
男は鎖を断ち切り、少女を素早く抱きかかえ、侵入した窓から外に出る。
「あ、ありがとう、ございます… 助けて、いただいて…」
「ハッ、いいって。最近毎日のように泣き声が聞こえてたから、気になっただけさ。さ、今日は俺の家に泊まっていくがいい。ちゃんと食事も出すぞ?」
「そ、そんな… あ、あの… 何も、持っていません、よ?お礼、できません…」
「お礼なんていいんだよ~。ほら、着いたぞ。」
男の家は本当にすぐ近くにあった。その家は質素ではあるが、牛舎よりは寒さを凌げそうだった。
「よし、すぐに食事を用意してやるから、待ってろよ?」
男はそう言うと、家の奥の方へ姿を消す。少女は男を疑う由もなく、ただ待つことにした。そして、束の間の安らぎはすぐに終わりを迎える。
「え… えぇ?これは… なん、ですか?」
男は奥から戻ってくると、床の上に何かを置いた。目の前の床に置かれた、小さな金属製のボウル。そこには、異臭を放つ野菜や生肉が盛られていた。
「あ、あの… これが、食事… ですか?」
男は当然であるかのように、不思議そうな顔で訊き返す。
「ああ、そうだが?ほら、腹減ってるだろ?たくさん食え。」
少女は困惑したまま男の顔を見つめる。その顔は、あくまで優しい表情を崩さない。しかし、明らかな狂気が見てとれた。
「その… こ、これ… 食べられるものなの… ですか?」
男は貼り付けられたような笑顔のまま、答える。
「当然だ。犬が食えるんだから… お前も食えるだろ?」
「え… いぬ?」
少女の胸の内に、一気に不安の波が押し寄せる。
「あの… い、いぬが食べられるからといって… ヒトがたべていいとは… お、思いません… よ?」
その言葉を聞いた男は、ついに笑顔を崩す。黙って近づいてきた男は、ゴミを見るような目で少女を見下ろした。
「食べるんだよ。ほら、食え。これくらいどうってことないだろう。お前が一番嫌がることは知ってるぞ?何せ毎日、『痛いのは嫌だ』って叫ぶ声が聞こえてくるんだからな。」
確かに痛みを与えられているわけではない。しかし、目の前に突きつけられたものは、屈辱そのものであった。
「お前は今日から、俺のペットだ。ハハッ、ハハハッ…」
男は笑う。そして、少女も肩を振るわせ、声にならない声で笑っていた。男を見上げたまま、片手で腐った野菜の欠片を掴み、口に入れる。咀嚼する度に、息をする度に、酸味と腐敗臭が鼻を突き抜ける。思わず涙が溢れ出す。それでも少女は、笑い続けた。笑うのをやめたら、手を止めたら、自分が最も嫌うことをされるのは分かっていた。
「ハハ… ハァッ… お、おいしい… ですっ… グスッ… うっ… ハハッ…」
「そうかそうか。泣くほど美味いか。よし、全部食っとけよ。」
男はそう言うと、奥の方へ再び姿を消した。