3 逃走劇演出
ついに来た、魔の金曜日!
たぶん何千回も何万回も願ったけれど、結局というか、ヤッパリというか、試験問題の夢など見ることのないまま紙を返す日がきたのだ。
そして、その紙を眞山翔に見せたらどうなるのだろう?
篤人は?
美奈子ちゃんは?
そして僕は?
今、僕の目に映るこの世の中の全てが別世界。以前感じた自分だけが異空間にいるという感覚。それがまたもや僕を覆ってきた。
そして一人で無言のまま登校し、無言のまま教室に入り、無言のまま机とニラメッコをしている篤人をチラッとだけ見て、無言のまま自分の席に着いた。
「例の紙、持ってきた?」
ヒィッッ!
バネが弾け飛んだように身体ごとビックリした僕。それでも、気持ちを落ち着かせようと息を整えながら声の方へ顔を向けると、まるで操り人形かCGのロボットのような話し方の篤人が立っていた。
「いつの間に……、いや、ゴメン。夢は見れなかった」
意思を持たないような篤人ではあるけれど、その顔を見たら申し訳ない気持ちが込み上げてきた。そして、上着のポケットから取り出した白紙の紙を、四つ折りのまま篤人に差し出した。
「わかってるよ」
篤人はこの紙を受取る瞬間、僕の耳にやっと届くくらいのトーンで言葉を発した。顔は動かさず目だけを合わせて、しかもちょっとだけ笑みを浮かべた……、ような気がする。それはそれは人間らしく、そして久々に篤人の感情が見れた瞬間だった。やっぱり篤人は篤人だ。
しかし、またすぐにCGのように戻ったと思ったら僕に背を向けて、まるで何かに操られているように教室から出て行った。
無力…………
そのひと言を痛感した。
そんな自分が嫌になってきた。
そして自然に涙が流れてきた。
いや、感傷的になってる場合じゃないぞ僕。夢を見てこなかった腹いせに、またヤツラは僕に仕返しをしてくる可能性がある!
それは今日の昼休み……、授業が終わったら……、それとも帰り道……。
んっ……、帰り道?
篤人についての葛藤が、僕ともう一人の僕とでぶつかり始めた。
「そうだ、篤人はヤツラ側にいるんじゃないか。ということは、眞山翔避難ルートのこともバレている可能性がある」
「いや、ちょっとだけ見せる篤人の人としての表情。あれが篤人の本当なんだ。親友を売るようなことはしない」
「いやいや……、だとしても篤人の今の立場は眞山翔の手下。瞬間的に見せる表情は篤人らしいけど、それだけで信用していいのだろうか……?」
「立場的な態度はしかたないよ。篤人の中身を見なきゃ!」
「だって……、もともと眞山翔に僕を売ったのは、篤人だったし!」
いくら自問自答を繰り返しても最善な答えが選べない。眞山翔避難ルートを帰るか、それとも、篤人も予想できない新たなルートを考えるべきか……。
篤人……、信じてもいいかい?
優柔不断のせいか、それとも小心からくるものなのか、多分両方だと思うけれど、帰り道をどのようにするかを決めあぐねていた……。
そうだ、考えることに時間がかかる問題は後回し。できるところから作業を始めるのが効率の良い試験問題の解き方だ。
この原則に基づいて僕は授業中も休憩時間中も、今日を眞山翔から逃げるための方法を考えて、そして整理しながら順番にまとめる作業を始めた。
逃げるためのその一 昼休みの時間
授業が終わり先生が教室から出るタイミングに合わせて、僕もピタリと先生に付きながら職員室の隣にある保健室まで行く。そこまで行くためには魔のピロティホールを通って行くことにはなるけれど、例え眞山翔たちがいたとしても先生の目の前で僕を呼び止めたりはしないだろうし、万が一のときには僕が先生に声をかければ大丈夫。という計算だ。
そして、保健室で昼休み時間が終わるギリギリまで粘ってから教室に戻る。ということで、今日のお弁当は食べないことになるけれど、まぁ、しょうがない。
逃げるためのその二 掃除の時間
ドサクサに紛れて下駄箱から外履きを隠し持ってくる。内履きは白色で外履きは紺色だから、さすがに外履きを校舎内で履いているのはマズイ。背に腹は代えられない、今履いている白の靴下のまま教室に戻ってくる。
逃げるためのその三 終礼が終わったら
まともに昇降口から帰るのは危険だ。なので、またもや先生の後ろにへばり付いて職員室近くまで行く。そして、職員用玄関から校舎を出るのだ。本当は生徒が職員用玄関を出入りしてはいけないことになっているが、緊急事態発生中の今日だけは勘弁してもらおう。
逃げるためのその四 問題の帰り道
正門を右に出ていつもの眞山翔避難ルートを帰るか、それとも違うルートを考えるか。
んーー…………。
考えごとをしているときの時間の進み具合というものには矛盾がある。一番迷いに迷って時間が欲しい眞山翔避難ルートについて、まだ何も考えていないのにもかかわらず、先生の言葉とともに午前中の授業が終わった。
「よーし、この時間はここまでだ。しっかり昼食を取って、体を休めるように。いいな」
「「はーい」」
そう言い終えると、さっさと教室を出ようとする先生。よく、昼食後に二十分間程度の昼寝をすると脳の活性に繋がるという。しかしそんなことを言ってる場合ではない。今日の僕にはお弁当も昼寝もない。とにかく逃げ隠れするのみ!
僕は、逃げるためのその一の計画通りに、教室を出る先生を追って廊下に出た。なるべく息を殺して、先生にも気付かれないように足音も立てずにコッソリと……。
しかし、先生の歩くスピードが早い。もしかしたら、先生も早く職員室に戻って食後の昼寝をするのだろうか?
途中ピロティーホールを通ったけれど、幸いにも眞山翔や手下たちは誰もいなかったと思う。いや、いなかった。そう決めつけて、僕自身を安心させているのだ。
そして階段を降り、職員室の前を通り抜け、何とか先生に気付かれることなく保健室にたどり着くことができた。ドキドキだったけれどホッとした……。
「し、失礼します」
「どうしたの?」
「ちょ、ちょっと、頭痛がして……」
今のパフォーマンスで緊張しまくっている僕の言葉に、保健師さんは熱を測ったり脈を取ったり、口を大きく開けさせられて喉の奥を診察してくれた。
「脈が早いようだけど、特に異常はなさそうだね」
「……」
「少し横になっていく?」
「は、はい」
眞山翔から逃れるための仮病……。にもかかわらず、保健師さんは僕に窓際のベッドを準備してくれた。清潔感のある白一色で統一されたベッドとシーツに枕、そして世間と遮断するカーテン。まるで病室をイメージさせる空間……。保健室なのだから当たり前のことだけれど。
「それじゃ、ここで休んでね」
「あ、ありがとうございます……」
僕が横になるのを見届けた保健師さんは、白いカーテンで僕だけの空間を作ってくれた。
ごめんなさい保健師さん、昼休みが終わるまでここに隠れさせてください……
カーテンで仕切られた狭い空間がなぜだろう、とても居心地が良い。たまに保健室にこもる生徒がいると耳にするけれど、今の僕にはその気持ちがとても良く分かる。ここならば嫌なことや変なしがらみから現実逃避できる気がするのだ。
「お腹減ったなぁ……」
ポソッと漏れた言葉。こんなときにでもお腹は減るものだと、我ながらに呆れている。今頃、篤人は一人でお弁当を食べてるんだろうなぁ。どこからかの見張りを気にしながら……、でもいつものようにセカセカと。
しかし、具合など悪くないのにベッドに横になっているものだから、当然のように退屈感が襲ってくる。休憩時間が終わるまでにはまだまだ時間があるし、暇つぶし窓のカーテンに隙間を作り外を覗いてみた。
「スゴっ! ここからだとこんなふうに見えるんだ」
始めて見るここからの景色に感動すら覚える。僕たちの教室の廊下からも見えるけれど、角度が違う一階の保健室から見た景色は、また違う貫禄のようなものを感じさせている。でも、どこから見ても杜野神社の木々は、堂々としていて太くてデカイ!
夏の時期に見た青々とした葉っぱは枝先でしっかりと支えられていたけれど、この季節になると全体的に黄色やオレンジ色が目立ち、木々の隙間から青い空や流れる雲が見えるようになっていた。それでも、見上げた僕の目に映る幹の太さや張り巡らされた枝は、とても力強くて勇ましい。そしてこの光景を見ていた僕は、変なことをイメージしてしまった。
微動だにせずにどっしりと構えた大木は眞山翔。張り巡らされた枝々は手下たち。僕は眞山翔や手下たちの手のひらで右へ左へ泳がされ、最後は放り出されて風に飛ばされる木の葉のように、行先も分からず、無視され、踏みにじられ、忘れ去られ、存在すらも無くなっていくようなもの。
僕って一体、何なんだろう…………。
「午後からの授業、受けられる?」
ハッ!
眠ってしまっていた……。毎晩呪文じみた言葉を唱え過ぎて睡眠不足になっていたからだろう。
「頭痛、まだ治まらない?」
「あっ、いえ、もう大丈夫です。治りました!」
心地良かった空間の白いカーテンを開けて時計を見ると、午後の授業の開始時間が迫っていた。
「具合悪くなったらまたおいで」
「はい、ありがとうございました。失礼します」
僕は四階までの階段を急いで駆け上がり、その勢いのまま小走りでピロティホールを通り抜けたけれど、眞山翔たちどころか誰もいない……。そりゃそうだろう、午後の授業開始まであと数十秒しかないんだ、急がなきゃ!
教室に戻り自分の席に着いた途端チャイムがなり、直後、教科の先生がやって来た。
そして僕にとっては、終礼が終わったあとの正門までの逃げ方の復習と、その後の家までの非難ルートを考える時間が始まったということだ。
しかし……。
「はい、今日の授業はここまで。いつものように…………」
時間の進み方の矛盾は僕を慌てさせ、あれよあれよで掃除の時間になってしまった。
「眞山翔避難ルートはまだ全く決まっていないのに……。でも、逃げるためのその二の計画通りに動かなきゃ!」
自分で自分を奮い立たせ、僕は予定通りに掃除をしているふりをして、オドオドしながら上履きを下駄箱にしまい、ビクビクしながら外履きをほうきで隠し持ちながら教室へと戻った。僕の足は内履きをカモフラージュした白い靴下一枚だ。
心臓がドキドキしている。これまでの人生の中で、これほどまでに危険な行動をしたことなどない僕なのだ、当然だ。
例えば、学芸会のときもセリフのある役すらやったことがない。いつも道具係くらいのものだ。それが今日はどうだ、脚本も主役も全て僕がやっているのだから緊張もするさ!
そして、僕の心境などお構いなしに時間は進み、先生がそれを仕切っていく。
「よし、掃除も終わったな。今日はここまでだ。来週は中間テストがあるから、明日と明後日を無駄に過ごすなよ」
「「ハーイ、サヨーナラー!」」
来た、サヨーナラが僕にとってゴーサイン!
掃除のときからドキドキだった心臓は終礼中の先生の言葉も聞き入れないくらいドクドクになり、そしてアクションを起こす今、人間の心臓の脈はどれだけ早く打てるのかというくらいにバクバクの連打が止まらない!
僕は席を立ちながらダークグレーのリュックを不器用に背負い、昼休みのときのように教室を出ようと、歩き出した先生の後ろに急いだ。
ウゥ~……、体が固い!
全身がプルプルと小刻みに震えている!
お願いだ、動いてくれ、僕の体!
先生に追い付くために廊下に出ると、すでに終礼を終えた他のクラスの生徒たちがあちらこちらに見受けられた。僕は靴下のまま必死で先生を追い、何とかピロティーホールの手前で追いついた。
そのとき、先生越しに僕の視界に入ってきたのは、ピロティーホールの壁際に立つ一人のシルエット……。
いた!
ホントにいた!
眞山翔の手下だ!
やっぱり待ち伏せている!
全身の血の気が引くのが分かる。そして僕の心臓はバクバクの度合いを上げてバコバコに。さらに呼吸も荒くなったと思ったら手足がガクガクと震えだした……。
僕はこの手下に気付かなかったことにして、逆側の窓の方へ顔を向けながら必死で先生の後を歩いた。窓の向こうは杜野神社だ……。というのはいつも見えているからという記憶の話であって、今の僕の目には何も入ってこない。ただ気を紛らわそうとしているだけにしか過ぎない。
落ち着け、落ち着くんだ自分!
何かのときは先生に声をかけるんだ、そのために先生の後ろをついて行くんじゃないか!
自分で考えた方法に不備はないことを自分に言い聞かせ、必死で先生の後ろを歩いた。
そして、ピロティホールを通過すると次は階段だ。ガクガクする脚の震えに耐え、手摺に捕まりながら階段を降りるとすぐに職員室が見える。
僕は階段を下りきる手前で立ち止まり恐る恐る周りを確認した……。幸いにも手下の姿はない。なので先生に頼る時間は終わったと判断した僕は、先生が職員室に入るのを見届けて職員用玄関に向かった。そして、外履きにムリヤリ足を突っ込み、誰にも見つかることなく外に出る!
急げ、急げ、急げ自分!
でも、足の感覚が変でとても歩きづらい……。
気にするな!
今はこのまま歩くんだ。立ち止まることは眞山翔に捕まることと心得るんだ!
職員用玄関から出た僕に違和感を持った生徒がチラ見してくるけれど、目立たない僕のことなど知らない様子ですぐに視線を戻し、何ごともなかったかのように正門めがけて歩いて行く。
それでいい。それでいいのです皆さん。今の僕は目立ってはいけない立場だから、それでいいのです。
押しつぶされそうな弱い心を体を動かすことでコントロールするけれど、呼吸はゼイゼイ、体もガチガチ、気持ちもビクビク。それでも何食わぬ顔をして流れに合わせようとするけれど、体の感覚が麻痺して足腰に力が入らない……。どうしたんだ僕の脚……。
これを膝が笑うというのか?
僕は窮地に追い込まれるとわけのわからないことに神経が働く癖がある……、いつもそうだ。
もっとまともに考えろよ自分!
膝に力が入らなくなってガクガクするのは膝が笑う、ではなく膝が崩れるとか腰が抜ける、と言うんだ。
そうだ、まずは足の違和感は放っといて、みんなの流れに合わせて歩くんだ。
「イチ、ニイ、イチ、ニイ…………」
ところで、ピロティホールにいた眞山翔の手下は何をしてたのだろう。一人だけだったと思うけれど、やはり僕を見張っていたのだろうか?
そして僕は流れに合わせながら正門を右に出て、途中で予定通り住宅街に入った。
「フゥ〜〜…………」
僕だってやればできる。自分自身に暗示をかけて自分をコントロールするれば、何だってできるんだ!
いや、自分をコントロールすることができなかったから、美奈子ちゃんや篤人を助けられないんだ……。二人を助ける夢を見れなかったんだ……。
いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。やるべきことをやらなければ!
ストーリーにハプニングは付きもの。と誰かがテレビて言ってたような気がする。確かに思うようにいかないことも沢山あるけれど、僕の描いた演出が成功へと向かっている。そう信じて避難ルートを家まで帰るのみだ!
住宅街を歩く僕は少し気が楽になり、改めて両足の違和感に気付いた。見てみると外履きの左右を逆に履いていたという単純なミスだった。
そんなことかと思いながら外履きを履き直そうとしたときに、僕はもう一つ気になったことがある。両外履きのかかとが潰れていることだ。
そういえば、眞山翔もかかとを潰して履いていたなぁ……
しかしヤツの場合は、何かに急いでいたり焦っていたのではなく、単にダラシがないだけのパフォーマンスだ!
それならば今の僕の格好はどうだろう……。事情を知らない周りの人たちから見ればダラシなく映っているのだろうか……。
見映えは心の表れという。息を整え、外履きをしっかりと履き直して深呼吸一つ。
スーーッ、フーーーー…………。
僕は、授業の時間を利用して考えに考え、迷いに迷った逃げるためのその四、避難ルートをただひたすらに歩き続けた。恐怖心は消えてはいないけれど、外履きをしっかりと履き直したことで歩きやすくなった僕は、目標に向かってスタスタと突き進む。
今僕は、自分で作った計画の通りにヤツらの魔の手から逃げている。気持ち的にもだいぶ落ち着いてきたし、あとは、このままゴールに向けて帰るだけだ。そのために、遠回りしても確実に逃げ切れる眞山翔避難ルートを選んだのだから。
おっ、美奈子ちゃんの家だ!
佐倉医院の看板が僕を出迎えてくれている、そんな気がした。同時に、もう少しで僕の演出したストーリーの幕が下りる、ということだ。
大通りにかかる自転車も通れる歩道橋を渡り、そのまま住宅街を真っすぐ歩く。そして、目に馴染みのある景色に心の落ち着きを感じながら、僕の家の玄関ポーチの三段の階段を、一段一段しっかり上って玄関チャイムを鳴らした。
ゴール!
まるでサバイバルから帰還したときのような感動を覚え、思わず目頭が熱くなった。
「ただいま」
かなり遠回りしながら避難ルートを帰って来た僕は、部屋着に着替えるとすぐにリビングに入った。そして、用意してある夕ご飯を口にし、食べ終わった食器をキッチンに運んだその足でお風呂を済ませ、自分の部屋に入ってベッドに横たわった。
ここまでが一つの動作のようにテキパキとこなし、試験問題の夢を見ようと、いつもの呪文を唱え始めていた。
試験問題の夢を見れますように…………
試験問題の夢を見れますように?
毎夜毎夜やってきたことが癖になっていたのだろう。
もう、終わったんだ…………。
夕ご飯も味わいながら食べて、体の疲れを取るためにもゆっくりと風呂に浸かってよかったんだ。
自分に呆れてベッドから起きあがり、布団の上にアグラをかいた。
何やってんだ僕は……。
ハァーー…………。
ブッブッ ブッブッ ブッブッ
「んっ?」
ため息と同じタイミングで、枕元に置いたスマホのバイブが鳴った。美奈子ちゃん家からの電話だ。
「もしもし慎ちゃん? やっと出た!」
「えっ? どうしたの?」
「何度も電話したのよ!」
「あっ、そうだったんだ。ごめん、帰り道、時間がかかっちゃって」
「眞山翔避難ルート?」
「うん」
「まぁいいけど、要点だけ話すから聞いて……、また途中で切るかもしれないけど」
美奈子ちゃんが電話をかけてくるときは、家の人が近くにいないときを狙ってのことだ。そして、人の気配がすると会話途中でも電話を切る、というスタイルだ。
「篤人がヤツらに迫られてる!」
「えっ、篤人が? み、美奈子ちゃんは?」
「わたしは大丈夫。それよりちょっと前に、ヤツらは何も怪しげなことはないって言ったでしょ。それは、やっぱりわたしの前じゃ見せなかっただけなの」
「どういうこと?」
「まずね、篤人を使って慎ちゃんから試験問題を聞こうとしているのは間違いないんだけど、篤人がね……」
「篤人が、何?」
「あのね…………」
眞山翔たちは昼休みや放課後、杜野神社の境内や中学校の体育館裏に集まる。
昼休み時間はヤツらの雑談に付き合わされるくらいで、美奈子ちゃんは途中で帰らせられる。なので、その後は何の話をしているのかは分からない。
そして、放課後も集合すると美奈子ちゃんはお金を渡され、眞山翔の腹ごしらえのためのパンやおにぎりを買ってくるように命令される。でも買物から戻ると美奈子ちゃんの役割は終わり、あとは強制的に帰ることになるとのことだ。もちろん美奈子ちゃんがいる間は何も怪しげな話はしない。
「だけど、篤人はそうはいかないの……」
「美奈子ちゃんがいなくなった後が問題、ということなんだね」
「そうだったの」
ある日の放課後、美奈子ちゃんの役割が終わったときに篤人も一緒に帰るように声をかけると「篤人はまだ俺たちとやることがあるから一人で帰れ」と手下の一人が篤人を引き止めた。これは絶対怪しいと感じた美奈子ちゃんは、それ以来帰るフリをして少し離れた所からヤツらを観察をするようになった。
「今日までは、試験問題の内容を教えてもらうために……、ということで慎ちゃんには何もしなかったみたい。わたしたちも人質みたいになっているから、慎ちゃんは必ず教えるだろうって」
「やっぱりね。そんな気がしてたんだ」
「そして今日のお昼も集合だったんだけどね……」
僕が保健室に隠れているときだ……
「わたしは集合と同時に帰っていいって言われたんだけど、いつものように残された篤人は慎ちゃんからの紙をよこせって言われてて……」
篤人はポケットから取り出したその紙を差し出した。それを手下の中でも格上っぽいヤツが引ったくるように取り上げて「何ぃ? また何も書いてないじゃないか!」と、篤人を睨みつけながら言葉をぶつけた「だ、だから、慎司は、じ、自分の意志で、夢、夢を見ることなんて、でき、ないんだよ」と、篤人も必死で答えていたけれど「そんなことは聞いてない! ふざけやがって、今すぐアイツを呼び出せ!」と、凄い剣幕で怒鳴った。
しかし篤人はスマホを取り出すと、手を滑らせたふりをしてわざと地面に落とし、さらに拾おうとしたときにスマホを強く踏みつけた。グギジャ! 「何やってんだオマエ!」「スマホ、こ、壊れ、ちゃっ、った……」
「篤人たちの会話はハッキリとは聞き取れなかったけど大体こんな感じ。でも篤人、わざとスマホを壊したのは間違いない。慎ちゃんに連絡できないようにするためにね!」
「そ、そんなぁ〜……」
「だから今日こそは篤人と一緒に帰ろうとしたんだけど、ピロティホールにすでに手下が待っていて篤人にピッタリと付いていたの。たぶんわたしと接触しないようにだと思う。あくまでも、わたしは何も知らないことになっているから」
あのときの手下だ。篤人をマークする役目だったのか。
でも僕は、その手下を見たときに僕を待ち伏せしているのだと思って、それで怖くなって……、篤人を信用し切れなくなってしまったんだ……。
僕はバカだ、とんでもない大バカだ!
「篤人と連絡取りたいんだけど、篤人ん家って家電ないでしょ。だから家族皆がスマホ持ってる、って言ってたから……」
「僕、明日にでも篤人ん家に行ってみるよ」
「ダメだよ! 例の紙のことで一番に狙われているのは慎ちゃんなんだから。この週末は家から出ないようにして、おとなしくしてた方がいいよ。じゃないと篤人のやったことが全部ムダになっちゃう!」
「そ、そうだね。ごめん……」
美奈子ちゃんも必死で情報を集めてくれる。そして家の事情だってあるのにその情報を僕に伝えてくれる。
「そういうことなの。じゃ、切るね」
「うん……。ごめん……。ありがとう……」
そんなこととは知らなかった僕は、結局……、篤人の知らない眞山翔非難ルートを帰ってきたのだ。
僕の全身を罪悪感が包む……。
篤人への申し訳ない気持ちが僕をなじる……。
そして、今聞いた美奈子ちゃんとの会話が、頭の中で何度も何度も繰り返される。
僕は…………、僕一人で逃走劇の脚本を考え、恐怖と緊張に押し潰されながら演者もこなした。誰の助けもない状態で全てを一人でやり遂げることができた。と、自分一人で逃げ切れたことに満足し、やり切ったという爽快な疲労感さえも味わっていた……。
僕の一人芝居だったんだ!
こういうことを、図に乗るというのだろうと思った。同時に、眞山翔の呪縛だとも思った。
電話を切った後の僕の心はグチャグチャになり、美奈子ちゃんの話にあった眞山翔たちと篤人とのやり取りを想像したシーンが、何度も何度も僕の頭の中を巡る。
篤人…………。
情けない自分に虚脱感が襲いかかる。全身の力は抜けて、そのままベッドに身体を預けるとすぐにウトウトし始めた。
今まで日課のようにやってきた、夢を見なければというプレッシャーから開放されたからだろうか、それとも身体ごと現実逃避を始めたからなのだろうか。
眠い……、とても眠い……。
美奈子ちゃん、篤人、ゴメン。今日だけはゆっくり眠むらせて欲しい。必ず、必ず眞山翔から救う手立てを考えるから、僕なりにだけど……。
自然に目をつむり、ウトウトしながらも自分の呼吸はまだわかる。半分眠っている状態なのに、またもや試験問題の夢を見ないと……、なんて頭のどっかで考えている……。もういいんだって。
全ては眞山翔のせいだ!
美奈子ちゃんも、篤人も、そして僕も、僕たちの関係性も、メチャクチャになったのは、全部、全部オマエのせいなんだ!
オマエんか!
オマエんか!
そして眠りに付くまで、イメージのなかで眞山翔に嫌がらせをしてやった!