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夢は見るもの叶えるもの  作者: タケヒロ
第二章  闇の恐怖
4/13

1 身に覚えのない罪

「起立!」

「「おはようございまーす!」」

「おはよう」

 校長先生の長いお言葉に耐えた始業式を終え、僕たちは教室に戻って担任の先生を前にしていた。

「今日から二学期が始まった。いいか、中学三年生の二学期というのは進路が決定付けられる時期であり、君たちの将来に大きく関わる時期だ。学校生活だけじゃなく私生活も含めて、何事にも心して行動するように!」

「「はーい」」

 時間の流れに矛盾を感じ、美奈子ちゃんと一緒に僕の頭脳のパワーアップについやした夏休みは終わった。

 そして今日は、高校受験に向けてこれからの取り組み方について説明を受ける日らしい。

「いいか、次に配るプリントは受験に向けての取り組みを、時系列的に表したものだ。一つの目安ではあるが自分に当てはめて計画を立ててみなさい」

「「はぁい」」

 授業開始時間に合わせて先生がやって来ては、沢山の教材やプリントを配りながら説明してくれる。優しくもしっかりと発せられるその言葉は、僕たちに高校受験という現実を突き付けていた。

「よーし、これで最後だ。資料が多いけど、何度も目を通してしっかり頭にインプットするように…………」

「「はーい」」

 まだ先生が話をしているにも関わらず、あからさまに黒板の上のデジタル時計を気にするクラスメイトたち。学校指定のダークグレーのリュックに渡されたプリントをしまい込むなど、みんなそれぞれに帰りのタイミングを計りながら心浮かれていた。

「いいか、今日は午前中で終わりだが、夏休みの延長気分で遊んでばかりいないで、真っすぐ家に帰って、さっそく資料に目を通すように!」

「「はーい」」

「今日はこれまで。気をつけて帰れよ」

「「はい、さよーならー!」」

 帰りはみんな一斉に動き始める。そして僕も負けじと、ダークグレーのリュックを手にしながら席を立った瞬間だった。


「海藤、帰りの仕度ができたら職員室に来なさい」


 教室を出る間際の先生の言葉は、ガヤ付いた教室内の全視線を僕に注がせた。

「えっ? あっ、はい……」

 すでに帰り支度はできていた。クラスメイトたちと同じように帰る気満々だった僕は、リュックを手にしたまま固まるしかなかった。これぞ、出鼻をくじかれたということだ。

「慎司、呼び出しなんてどうかしたのか?」

 ガヤついた中から飛び出してきたのはやっぱり篤人だ。僕は、戸惑いを覚えながらも現状を理解しようと、頭を無理に回転させてそれに見合う答えを探してみた。

「いや、一学期末の試験があまりにも酷かったからさ……、多分それだよ」

「そういえば、試験勉強してるときってさ、俺たち走り回ってたもんな」

 笑いを取ろうとしているのか真面目に言ってるのか、篤人の表情は微妙でよくわからなかったけれど、その言葉の内容を理解できるはずのないクラスメイトたちは、訳のわからない方向に話が進んだと解釈したのかすぐに僕から意識を外した。

「帰り、どうする? 早く終わるなら待ってるし……」

「たぶん説教でしょ。そんなにはかからないと思うけど……」

「じゃ待ってるよ」

 学校が終わって帰る足はみんな一様に早い。篤人との会話はそれだけなのに、僕から気が離れたクラスメイトたちの姿はこの教室にはなかった。


「失礼します」

 日直当番のとき以外に職員室に入ることのない僕は、緊張しながら担任の先生が座るディスクまで近付いた。

「おお、来たか海藤。こっちだ」

 周りの先生方の視線はずっと僕に向けられている。そのなかを職員室奥に隣接してある個室に入った。

 どうして個室?

 この部屋の存在は噂で知っていだけれど、実際に中に入ったのは初めてだ。それは「職員室奥の部屋は、悪いことをした人だけが呼ばれる部屋だ」とみんなが言うように、僕には縁のない部屋だからだ。

「入れ」

「はい……」

 六畳間くらいの広さで飾りっ気もなく、まるで刑事ドラマの取調べ室を思わせるような部屋。もちろん鉄格子などはないけれど、好まざる空気感をギンギンに放っているのを感じた。

「座れっ」

「はい……」

 部屋の中央には使い古されたグレーのスチール机、それを挟んで先生は肘掛けのある回転椅子に、そして僕は年季とサビの入ったパイプ椅子に腰を掛けた。

 そして、何となく僕の目に入ったのは先生の背中越しに見える小窓。そこから見える中庭の花は、以前、美奈子ちゃんの後光のように咲き誇っていた花たちだ。

 でもどうしてだろう、今日の花はそっぽを向いているように見える……。

「海藤、先生に何か言わないといけないことはないか?」

 先生の声のトーンが低い……。

「あのぉ、成績のことですか?」

「ああーー、成績もかなりダウンしてたな。でも、今日呼んだのはそのことじゃない」

 じゃない?

 他に思い当たることがあるとすれば眞山翔のこと。一学期末試験の問題を夢で見させようとしたことがカンニング行為に当たるから、頼まれた僕も共犯だとか?

 でもそれは未遂に終わってるし……。


「ぼ、僕が何か、しましたか?」

 逆に質問をした僕の言葉に、足を組み表情を強張らせる先生。何だか、嫌な予感……。

「海藤……。夏休み中、駅前の本屋に行ったな?」

「本屋? はい、何度か行きました」

「そこで何かなかったか?」

「何か、ですか……? 特に、何もなかったと思います」

 刑事ドラマならここで目の前の机を思い切り叩くのだろう……。でも先生は態度を荒立てることなく、ただ低いトーンの声のまま話を続けた。

「正直に言いなさい、海藤」

「えっとぉ……、やっぱり、何もないです」

 先生の目が怖い。こんな先生、今まで見たことがない。

「…………と思います。」

 居心地の悪い時間が長い……。


「海藤慎司、参考書を万引きして店員さんに捕まっただろ!」


「えっ……? はっ……? 万引き……?」

 覚えがないどこからか降って湧いたような話だ。状況が飲み込めないまま知らぬ存ぜぬを連呼する僕。しかし、先生の怒りを殺した声は続いた。

「参考書はそれなりの値段がする。だからって万引きはダメだろ!」

「だから知りません! 僕は万引きなんてやっていません!」


 先生の話によると、万引きをしたことになっている僕は店員さんに生徒手帳を見せて「お金がなくてつい……。どうか親には言わないで下さい」と言いながら何度も謝ったという。本屋としても、二度とこのようなことはしないと約束をし「反省しているようだし今回は学校にだけ連絡する」ということで終わったとのこと。

 学校としても、元々そのようなことをする生徒ではないし、暫らくの間はその本屋に行かないということで済ませることにした、ということだった。


「いいな、こんなこと二度とやるなよ」

 机を叩くこともなく言葉を荒立てることもなく少しだけ強張った表情だったけれど、最後の言葉はいつもの先生らしい声だった。

「よし、今日は帰っていい」

 僕じゃない、僕はやってない!

 と言いたかったけれど、先生は始めから僕がやったことを前提に話しをしていた。さらに、この部屋に入ったときから、僕の言い分が通るような空気感はなかった気がする。

「ス、スミマセン、でした…………」

 立ち上がる先生の背中越しに中庭の花壇が見えている。花は見る人の心の有りようで華やいだり、くすんだりするものだということを知った。そして僕は、くすんだ花を横目に見ながら個室を出た。


 ウウッ、そうだった!


 ここは職員室から出入りする部屋。勢ぞろいした先生方の視線を一斉に浴びたものだから、僕の身体は一瞬にして固まってしまった。同時に、何故この個室が職員室の奥に作られているかを知らされた気がする。

 昔の罪人は市中引回しをさせられたというが、今の僕のような心境だったのだろうか……。


 途中の記憶すら飛んでしまうほどのショックを感じ、大きなため息を付きながら正門を右に出た。そして、いつもの眞山翔避難ルートを歩く途中、何かが気になってダークグレーのリュックからスマホを取り出した。

 えっ、もう二時過ぎてる。ということは、僕はあの個室で二時間近くも尋問を受けていたことになるのか……。

 その間、篤人はどうしてたんだろう……?

「ゴメン、時間がかかるみたいだから先に帰るね」

 だよね……。

 僕はスマホをズボンのポケットにしまいながら、頭の中で篤人の行動をイメージしてみた。

 まずは誰もいなくなった教室で待ち、廊下で待ち、階段で待ち、下駄箱で待ち、昇降口を出たところで待ち、やっぱり帰ろうと学校から離れたところで僕にメールを送ってきたのだろう。それが篤人だ。

「こっちこそゴメン、そしていつもありがとう。今頃だけど……」

「何が?」

 最悪となった僕の二学期初日は、篤人の温情への感謝という形で閉じた。そしてメールのやり取りも、やっぱり篤人だと思った。

 モヤモヤしながら家に着いた僕は、身に覚えのない先生からの話を頭の中で何度も繰り返し、そのたびに悔しい思いをするしかなかった。そして、今日が昨日になる頃、やっと眠りについた。


 眞山翔のことはそこまで気にしなくなってはいたけれど、一応気を配りながら登校し、帰りも篤人に連れ添ってもらいながら眞山翔避難ルートで帰宅、というスタイルは続けている。

 万引きの濡衣を被せられたことについては僕が犯人のまま時間が過ぎ、僕自身も眞山翔を避ける行動が当たり前になっていたある日の終礼後……。

「海藤、ちょっと来い」

 先日の好まざる空気感の個室、グレーのスチール机に古びたパイプ椅子、そして先生の背中越しに見える中庭の花。前回と同じシチュエーションだからか、花たちは初めからくすんでいる。

「お前何やってんだ!」

「えぇ?」

「ゲームセンターに行ってはいけないことになってるだろう!」

 狭い個室に先生の尖った声が響く。

「ゲームセンター? 僕、ゲームセンターになんて行ってません!」

「嘘をつくな!」

 いくら本当のことを言っても、今日もまた僕の話は始めから聞いてはもらえないようだ。


 先生の話によると、ゲームセンターに行ったことになっている僕は、ゲームの内容に満足のいかない成績だったのだろう、一つのゲームが修了するたびにゲーム機を叩いたり蹴飛ばしたりしていたという。それを見た店員が注意をしたら生徒手帳を見せて「学校の成績でイライラしてつい、親には言わないで下さい」と何度も謝ったらしく、ゲームセンターとしても、周りの人に迷惑のかからないように遊ぶことを約束し「反省しているようだし今回は学校にだけ連絡する」ということで終わったとのこと。


「万引きを反省したと思っていたのに今度はゲームセンター騒ぎ。いくら成績が下ったからといって、やってはいけないことだろう!」

 僕じゃない、僕はやってない!

 変だ、何かが変だ、絶対に変だ!

 そう思いながら僕は反省文を書いた。












 何が何だかわからないまま数日が過ぎたある日の終礼後、僕はまたまた先生に呼び止められた。そして先生に連れられて行った先は、校長室だった。

「失礼します」

 郊外活動で際立った活躍をしたことも、世の中のために奉仕活動をした覚えも、ましてや部活動で優秀な成績を収めたこともない僕は、当然のごとく校長先生に褒められたことなどない。それゆえ、校長室に入るのは入学以来始めてだ。

「し、失礼します」

 先生に続いて部屋に入ると、正面奥に見える重厚感と光沢のある木製の机。そこに、微動だにすることなくこちらを向いて座る校長先生の姿があった。体育館の壇上で見る優しい笑顔とは違い、苦虫を噛み潰したような渋い表情をした顔がそこにある。

「校長先生、この生徒が海藤慎司君です」

「君が、海藤慎司君か。座りなさい」

 急に僕の胸の奥がギュッとするのを覚えた。何なんだこの感情……。ところで、苦虫ってどんな……、イヤ、今はそれどころではない。


 グレーの机もパイプ椅子もないけれど、嫌な雰囲気を感じて立ち止まったままの僕は、担任の先生に促されて黒革の来客者用ソファーに座った。そしてテーブルを挟み、向かい合って先生も腰を掛ける。

「海藤、校長先生の前で全てを素直に話しなさい」

「えっ? あっ、は、はい」

 僕と先生の間にある木製のテーブルには、ガラス製と思われる一輪挿しがポツンと置いてある。そしてそこには中庭の花壇から摘んできたであろう、オレンジ色の花が綺麗に咲いていた。

 でも今の僕には、一生懸命に生きているこの花がとても切なく見える。もう、良くないことでここに連れてこられたことは十分察知できていた。


「海藤、昨日の夕方、杜野駅前の交差点で何があった?」

「駅前の交差点ですか……、そこは塾が終わって帰るために通りましたけど、何もありませんでした」

「んーー……。海藤、またシラを切るつもりか?」

「い、いえ、シラなんて切っていません。本当です!」

 僕の横目から入る校長先生のレーザービームのような視線が怖い。その威圧感にあおられるように先生の言葉が続く。

「昨日、駅前の交差点を信号無視で渡ろうとして周りの自動車を急停止させた。そして、駆けつけたお巡りさんに保護されただろ!」

「えっ?」

 僕は思わず、奥に座る校長先生に目が向いた。重厚感のある机に乗せた右の手は拳状に、左手はそれを隠すように覆っている。そして、僕を真っ直ぐ見るその表情は無表情。つまり……、怒り!


 先生の話によると、この街で一番賑わう杜野駅前の交差点を渡ったとされる僕は、信号を無視して横断を始めたことにより周りの交通を混乱させて事故に繋がった。異常を察した駅前交番のお巡りさんがすぐに駆けつけ、僕とされる人物を保護した。

 始めにお巡りさんは自殺なのかと疑ったらしいが、生徒手帳を見せて「信号を勘違いしてしまってつい、親には言わないで下さい」と、何度も謝ったらしく、自殺ではないことを確認したお巡りさんも、改めて交通ルールの意味とスクランブル交差点での従い方を説明。今後は交通ルールを守ることを約束し、今回は厳重注意で済ませることにしたとのこと。


「海藤、二学期が始まって一ヶ月もたたないうちに次から次へと、何をやっているんだ!」

「い、いや、それは……」

「信号の勘違いは犯罪とは言えないけど、事故を誘発してしまったことは事実だ。万引きやゲームセンター騒ぎも含めると、ただ事では済まないぞ!」

「いや、それは、僕じゃないです!」

「お巡りさんに生徒手帳まで見せておいて何を言ってるんだ。校長先生の前で、今後はこういうことをしないと約束をしなさい!」


 僕じゃない!

 万引きも、ゲームセンター騒ぎも、信号無視も、全部僕じゃないのに!


「海藤君。一、二年生のときは成績も優秀で欠席や遅刻早退もない。さらに、授業態度や提出物なども全く問題なく、模範になる生徒だと評価していた。それが三年生になって、突然このようなことをするなんて、非常に残念だ」

 校長先生には僕という存在はどう見えているのだろう。花壇に咲く名前も知らないオレンジ色の花と同じで、目に付けば校長室に飾られて、見映えが悪くなれば捨てられてしまう。


「今後、こういうことはいたしません……」


 眞山翔避難ルートを帰っては来たけれど、三階建の四角柱の家も、芝生の綺麗な庭の家も、ヨーロッパ風の幼稚園も、途中の状況など全く覚えていないまま家に着いた僕は、お母さんに促されて夕ご飯を食べ、お風呂に入り、無気力なままベッドに横たわった。

 それでもしっかりと時間は進んている、僕にとっては無情なくらいにだ。ほとんど眠れないまま夜が明け、カーテンからこぼれる朝日が僕を学校へと急かす。

「行ってきます」

「元気なさそうね、気を付けて行ってきなさいよ」

「……」


 最近の美奈子ちゃんは「新学期も始まったし、高校受験に向けて早勉をして頑張るんだ」と言って毎日早く登校している。そして、夕方も居残りで勉強を頑張っているようで、何時頃帰宅しているのかはわからない。

 そして篤人も「パソコン部の人たちがさ、俺の想像を超えてオタクかっていうくらいに詳しいんだ。そいつらからプログラミングのことを教えてもらっててさ。ITのことに没頭してる俺は今、ホント充実してるって感じだよ」と言って、やっぱり早く登校するようになっていた。でも帰りは僕と一緒だけど。

 しかし、二人のような意欲など持てない今の僕は、昨日の校長室での憂鬱さを引きずったまま今日も一人で登校した。


 ところで万引きやゲームセンター、それに信号無視のことって学校中の噂になっているのだろうか……?


 流されるままに自分の席につき、無気力に授業を受け、時間の流れもわからないまま今日の授業が終わった。

「慎司、帰ろう」

「う、ん」

 眞山翔たちを避けるための回り道、今では僕と篤人の当たり前の帰り道になっていた。しかし、その見慣れた景色も目に入らないほど気がめいっている僕は、ただ肩を落としてトボトボと歩くだけだった……。

「慎司、大丈夫か?」

「う、ん……」

 そして、三階建ての四角柱の家や芝生の綺麗な庭の家を通り過ぎ、ヨーロッパ風の幼稚園が近付くのが目に映ってきた。

「今日さ……、俺ん家の前の中央公園あるでしょ。そこで美奈子ちゃんと待ち合わせしてるんだ」

「そうなんだ……」

「二学期が始まった途端に慎司が何度も呼び出されてるからさ、美奈子ちゃんも心配してさ……」

「はぁ〜……。ほんと、訳がわかんないよ」


 篤人の家はこの街で一番の高さを誇る十五階建てのマンションの十階。そこからの眺めは杜野の街全体を見渡せるし、はるか遠くの山々までも。もちろん、僕の家も美奈子ちゃんの家も、さらに杜野神社や中学校も見える。

 そしてマンションの前にはこの街で一番大きな公園があり、子供から高齢者の方までいつも誰かしらが利用している、憩いの場所だ。

「美奈子ちゃんには話してたんだ、慎司のこと」

「そうだったんだ……。それで美奈子ちゃんは、何か言ってた?」

「いや、特には。でも、それで今日会おうってなったってこと。直接、慎司の口から事情を聞きたいんじゃない?」

「そうなんだ……」


 そうこうしながら公園に着くと、広場に設置してある遊具という遊具は子供たちに占領されていてとても賑やかだった。だからだろう、美奈子ちゃんは人気を避けて木々の植込みが静寂を誘い、しんみりと話をするにはうってつけの場所を選んでいた。

「美奈子ちゃん!」

 篤人の呼ぶ声に、軽く手を上げて応える美奈子ちゃん。

「お帰り、お二人さん」

「美奈子ちゃん。何だか、ゴメン。僕のせいで心配かけちゃって……」

 小さな池のほとりに設置してあるベンチ、そこに腰をかけて待っていてくれた美奈子ちゃん。あたりには木漏れ日が降り注ぎ、制服姿の美奈子ちゃんをキラキラと輝かせていた。

「遅くなっちゃったね、待った?」

 そう言いながら、篤人はさりげなく美奈子ちゃんの左隣り腰を掛けた。その様子はとても自然で違和感のない流れだ。うまいことやったなと羨ましくも……、いや、今はそれではない、僕の話題だった。

「そうね、少し時間が経ったけど……、この公園に来るのは久しぶりだったから、そんなに待ったっていう感じじゃないかな」

「そそ、そう言ってもらうと、助かるよ」

 一応会話の流れに見合った言葉を見つけた僕は、篤人を真似て言葉をねじ込みながら美奈子ちゃんの右隣りに腰を掛けた。それだけなのに結構緊張した……。

「僕もこの場所は久しぶりに来るな」

「ここ、懐かしいよね。わたしたち小学生の頃、ここでよく鬼ごっこをして遊んだよね」

「そうだった、そうだった。美奈子ちゃんはすばしっこくてさ、俺たち全然捕まえられないんだよね」

「この木たちがさ、鬼をかわすポイントだったんだよね」

「そのうち近所の子供たちがドンドン集まって来てさ、誰が鬼なのかわからなくなったこともあったよね」

「そのときだったっけ? 僕が鬼だと勘違いした篤人がさ、慌てて逃げようとしてこの池にハマったんだよな」

「そうそう、でも篤人ん家ってそこのマンションでしょ、だからすぐに着替えて来て鬼ごっこにいたんだよね、わたしはそれが一番面白かった!」

「そうだったかな?」

「そうだったよ」

「そんなこともあったような……」

「篤人は篤人だな……」

「…………」

「…………」

「…………」


「ところでさ、いったい慎ちゃんの身に何が起きてるの?」

「やっぱり、噂になってる?」

「ううん、慎ちゃんのことは何にも噂になってないよ。わたしも、篤人に聞いてビックリだったんだもの」

 目立ちたくない僕は、噂になっていないと聞いてホッとした。同時に、ため息をつきながら目の前の池に視線を移したていた。

 話したくないわけではない。それよりも思い出したくないというか、この話題から、この現状から逃げたいというのが本心だった。

「えっとぉ…………」

 煮え切らないようにモゴモゴる僕。その間も二人は僕の言葉を待っている。その視線を感じながら僕の目は水面を見ていた。

 魚の動きに合せてゆっくりと揺らぐ水。

 憩いという空間の中をゆっくりと流れる時間。

 キラキラと木洩れ日に光る池。

 もしかしたら美奈子ちゃんは、僕をリラックスさせるために小学生の頃の楽しかった話をしたのかな……?

 深呼吸を一つ、少し気持ちを落ち着かせた僕は、先生から言われたことをそのまま話した。


「嘘でしょ、慎ちゃんがそんなことするはずないじゃないね!」

「そうだよ、何でそんな目にあわなきゃなんないんだよ!」

 美奈子ちゃんも篤人も僕のことを信じてくれている。昔、僕の予知夢を信じてくれたときのように。特に最近は、先生を含めて周りが嘘にしか見えなくなっていた僕だったから、今の二人の心根が素直に嬉しい。

「もしかして!」

 二重まぶたのクリっとした大きい目をさらに丸くして、まっすぐに僕をマジマジと見る美奈子ちゃん。その表情は何かに気付いたというよりも、何かに驚いたようにも見えた……。

「どうしたの?」

「もしかして……、それって……、眞山翔の陰謀じゃないでしょうね!」

「えっ!」

 眞山翔の名前が出た瞬間、遠巻きに聞こえていた子供たちのはしゃぐ声が消えた。そして穏やかにキラキラと光る水面の揺らぎも、木立の中を楽しげに散歩する高齢夫婦も、憩いの公園も杜野の街も、この世界の何もかもが僕の前から消えてなくなった!

 同時に、一重瞼の冷たい眼で薄ら笑いを浮べる、黒くてデカい岩のような眞山翔の姿が僕の脳裏に映し出され、あの恐怖が蘇ってきた。


 眞山翔の復習は終ってはいなかった。というよりも、今始まったんだ!

 怖い!

 怖い!

 とにかく怖い!


「・・ちゃん!」

「・んじ!」

「しんちゃん!」

「慎司!大丈夫か?」

「えっ? う、あ、うんっ、いやっ……」

「慎ちゃん、顔……、真青だよ、どうしたの? わたしが眞山翔の陰謀って言ったから?」

「ヤ、ヤツの仕返し、って思ったら、と、とにかく怖く、なっちゃって……」

 まだそうと決まったわけではないけれど、実際のところ僕は油断をしていた。夏休み中に何もなかったから、このことはもう終わったことのように思っている自分がいた。

「慎ちゃん、ここは先生に相談したほうがいいんじゃない?」

「だって学校は眞山翔側だよ。しかも、今の慎司の立場を考えても俺たちの話なんか聞いてもらえないどころか、うやむやにされてなくなるだけだよ……」

 足早な夕暮れというけれど、一番星が輝いてからはあっという間に暗さが増した。結局これからどうすればいいのかなんて何も浮かばないまま、僕たちはすでに誰もいなくなった公園を後にした。

「じゃまた明日」

「う、ん」

「気をつけて帰れよ」

「う、ん」

 家に帰った僕は、何も手につかず何も考えることもできず、恐怖の夜をほとんど寝れないまま過ごした……。


 リリリリッ!

 リリリリリリッ!


 そして、憂うつな今日が始まった。

「……行ってきます」

「元気なさそうだけど、大丈夫?」

「……」

 僕はいつものように学校へと出かけた。お父さんは満員電車で通勤するために僕よりも早く家を出る。姉ちゃんはバスを乗り継いで大学まで行くために、もっと早くに出かけている。

「気を付けてね、行ってらっしゃい」

 キッチンで洗い物をしながら僕を見送るお母さんは、何だかんだで家を出るのが一番最後。それでもイソイソと洗い物や後片付けを終わすと、すぐ仕事に出かけるのだ。


 家から少し離れたところでその姿を見届けた僕は、そのまま家に戻った……。


 今日は金曜日なので、家族が家に帰って来たときに僕がいても何ら不思議はない。もちろん、明日と明後日は学校が休みだという計算もある。義務感と罪悪感はあるけれど、恐怖心が勝ってしまった僕は誰にも会いたくなかった。真面目しか取り柄のない僕なのに、こんなことをしたのは……、初めてだ。


 ブルルル ブルルル ブルルル


「もしもし、今日どうした?」

 篤人からの電話だ。学校のどこに隠れて電話をしているのかはわからないけれど、ヒソヒソ声はとても聴き取りづらく、スマホから聞こえる雰囲気で言葉を想像した。ついでに僕の声もヒソヒソ声になっていた。

「あー、もう昼休みの時間か。ちょっと体調が悪くて休んじゃった」

「っていうか、もしかして眞山翔のことが原因?」

 篤人にはお見通しのようだ……、昨日の今日じゃ想像が付くか。

「来週からは学校に行くよ……」

 とにかく現実から逃げたかった今日。恐怖に包まれながらではあるけれど、とりあえず何事もなく一日が過ぎた。

 ソファーに横になってダラダラ過ごした僕の体は、深夜になっても眠くならない。それでも今日を含めて三日間は現実から逃げられる。


 つもりでいた……。


「慎司、起きなさい。学校から電話よ」

 いつの間にか寝ていた僕は、お母さんの声にというよりも、学校からというフレーズに驚いてベッドから出た。

「ハイ、もしもし……」

 嫌な予感は的中した。たったの三日間も逃げることができないのか……。

「ちょっと学校に行ってくる」

「土曜日なのに学校からって、どうかしたの?」

「何でもないよ、ちょっと進路のことで」

 嘘をついた……。

 僕は親に嘘をついたのだ。この歳まで一度も嘘をついたことがない、といってしまえばそれこそ嘘になるけれど、心配をかけないようにというよりは、眞山翔に陥れられて、先生方も眞山翔側で……、なんてことは言えなかった。

 そして僕は、重たい気持ちのまま学校を往復した。

「ただいま……」

 学校から帰って真っ直ぐ自分の部屋にこもった。


 まただ…………。


 先生が言うには昨日の夕方、つまり僕が体調不良ということにして休んだ日の夕方、隣街から杜野駅前までバスに乗ってきたとされる僕が、降りるときに料金を支払わずに逃げるように降りたらしい。すぐに周りの人や運転手に捕らえられたけれど、生徒手帳を見せて「払えるだけのお金がなくて、つい。どうか親には言わないで下さい」と言いながら謝ったという。バスの運転手も、後でバス営業所に料金を持って行くことを約束し「反省しているようだし今回は学校にだけ連絡する」ということで終わったとのこと。


 自分の部屋に入っても着替えるという意識すらなくした僕は、制服のまま崩れるようにベッドに横たわった。そして、やってもいない無賃乗車のシチュエーションを先生の言葉に沿って想像していた。さらに本屋での万引き、ゲームセンター騒ぎ、信号無視の横断と、これまでのことも次々と脳裏に浮かぶ……。

 理解も納得もできない出来事に、いつまでもいつまでも思い返しては「眞山翔の陰謀?」と真顔で発した美奈子ちゃんの言葉そのものだと思った。

 だからといって「僕じゃありません、眞山翔の陰謀なんです!」と学校に相談しても信用してもらえないだろう。第一、学校に言ったことが眞山翔にバレたら、それこそ何をされるか分からない。それ以前に眞山翔だという証拠が何も無い。それが眞山翔なんだ……。

 そんなことを考えている僕の目尻からは勝手に涙がこぼれていた。

 悔しかった。


 これから僕はどうすればいいんだろう……?

 いっそのこと転校してしまえば眞山翔の呪縛から逃れられる!

 そうだ、転校だ!

 …………?

 何を考えているんだ。今の僕は、まともじゃない……。


 いや、まともじゃないのは、眞山翔だ!


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