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夢は見るもの叶えるもの  作者: タケヒロ
第四章  夢への決意
12/13

2 一高受験

 緊張と不安で迎えた受験当日。


 昨日のうちに、念入りに準備していた美奈子式メモと筆記用具。もちろん、その中にはクリスマスプレゼントでもらった必勝祈願の鉛筆も入れてある。さらに、神様からのご利益を得られますようにという家族みんなの期待も込めて、制服の内ポケットには初詣のときに姉ちゃんから買ってもらった、合格祈願の御守をしっかりと忍ばせておいた。

 そして今日は受験のためにいつもよりも早く出かけるけれど、バスを乗り継いで大学まで行く姉ちゃんはすでに出かけていなかった。お父さんとお母さんはまだ家にいて、戦場に向う僕を見送ってくれた。

「御守り持った?」

 そこ?

「頑張ってこいよ。げんを担いで、お父さんの打った年越し蕎麦も食ったし」

「うん」

「そうよ慎司、全力で頑張ってきてね」

「うん、頑張ってくる!」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます!」

 いつもの朝とは違い、まだ通勤通学の人で混み合う前の時間帯。朝日の位置も低く寒さも厳しいなかを、いつもとは違う顔ぶれが口元から白い息を吐きながら歩道を歩き、車の往来も今のところスムーズに流れている。

 この光景が、これから僕の人生を決めることになる大切な一日であることをヒシヒシと実感させていた……。


 あれ?

 美奈子ちゃんだ……。

 僕の前を歩く見慣れた後ろ姿。しかも学校指定のダークグレーの地味なリュックを背負っている。そして、その両脇には何かのキャラクターが美奈子ちゃんの歩調に合わせて揺れていた。

 今日は、受験のない生徒は午前中授業ということになってはいるけれど、登校時間にしては全然早過ぎる。

 推薦入試の人は既に合格内定が来ているはず……。

 ということは美奈子ちゃん、ダメだったってこと……?


「美奈子ちゃん!」

 急に心配と焦りが心の奥から湧いてきた僕は、美奈子ちゃんが僕を避けていることも忘れて声をかけていた。

「あっ、慎ちゃん」

「美奈子ちゃん、どうしてここにいるの?」

「受験だからに決まってるじゃない」

 美奈子ちゃんは立ち止まり、僕が近付くのを待っていてくれた。そして僕の左側に並んで歩き出したけれど、何かを思い出したかのようにすぐに目を反らして前方に目線を置いた。

 やっぱり僕のことを避けている……?

 いや、今はそれよりも聞かなきゃ……。

 なんでこの時間に登校しているのか?

「えっと、とっても訊きづらいんだけど、あの〜…………、推薦入試は?」

「推薦入試? わたしは一般入試で受験するのよ」

「一般入試……、どうして? 推薦入試じゃなかったの?」

「どうしてそう決めつけるの? どこの高校であろうと、わたしは実力で入学したいの」

 どこまでストイックなんだ!

 どこまで高みを目指すんだ!

 でも、それが美奈子ちゃんなんだ!


 同時にホッとしたのも事実。もし、美奈子ちゃんが推薦入試に落ちたのであれば、今の僕の実力では不合格確定、という心の壁が消えたのだ。

「だから美奈子ちゃんも強化授業にも出てたんだ」

 しまった!

 安心して余計なことを口走った!

 「そういえば慎ちゃんも強化授業に出てたね」

「えっ、バレてた?」

「バレバレだよ。時間ギリギリに教室に入ってきて、授業が終わるとすぐに出て行って……。わたしに気を使ったつもり?」

「い、いや、そのぉ…………」

「あっ! 先生が呼んでる!」

 気付くともう僕たちは杜野神社の近くまで来ていた。

 そうだ……。一応、手だけでも合わせておこう。

 御守りのご利益がありますように!


 急いで正門を入ると、そこにはそれぞれの受験会場に向かうためのバスが並んでいた。まるで修学旅行にでも行くような雰囲気にも見えたけれど、待っている生徒たちはそれとは真逆で、裁判所にでも行くかのように暗い表情で黙りこくっていた。

 確かに、このバスは合否を裁く場所へと行くためのものであり、結果次第でその人の人生を決めるもの、ということで納得の表情だ。


「佐倉、海藤、一高行きはこっちだ」

「「おはようございます」」

「よし、順番に乗り込め」

 先生の言葉でバスに乗り込むと、そこにはダークグレーのリュックから教科書やノートを取り出して、必死で目を通している受験生たちが真顔で座っていた。

 でも僕は違う。

 ノートに目を通すのは受験会場の席に着いてからだ。

 しかも各教科の試験時間前の少しの時間だけでいい。

 それが僕のルーティンなのだ!

 それは余裕とかではなく、このときのために今まで頑張ってきたのだから勉強は足りているはず。あとは自分の頭の中の引出しをスムーズに出し入れすること、そして今はそのためにリラックスをする時間、という考え方だ。

 これは、美奈子ちゃんも同じスタイルだ。夏休みの勉強会のときに「わたしたち同じタイプだね」と言って笑顔を見せてくれたから間違いない。

 どうやら、爪の垢は貰わなくて済みそうだ。


「みんな乗ったな。それじゃ、一高行き、出発するぞ」

 生徒たちが沈黙を守るなか、バスは静かに出発した。そろそろ混雑の兆しが見える大動脈を流れのままに走ること約五十分、杜野の隣街のさらに隣の大きな街にある公立第一高校に着いた。

 そして僕たちは、辺りをキョロキョロしながら係の先生の誘導に従い、それぞれ割り当てられた教室に入った。

 突然緊張が高まってきた……。

 見慣れない制服や顔ぶれ、そして見慣れない校舎や教室に入り、受験という現実を実感してきたからだろう……。

 心臓がドックンドックンしている。手の指先が冷たい。思わず僕は、学生服の内ポケットにしまっていた御守りを取り出し、両手で軽く握った。

 どうか平常心を!


 係の先生が今日の試験日程を説明している。

「それでは、一時限目担当の者が来るまで少しお待ち下さい」

 いつもの自分たちの中学校で行うテスト前とは違い、シーンとした教室内。

 僕だけではなくみんなが緊張しているんだ。

 そう思ったら少し気が楽になった……、ような気がする。

 ところで、美奈子ちゃんも緊張してるのかな?

 そしていよいよ試験開始だ。僕は、試験担当の先生が来るまでの少しの時間、ルーティン通り美奈子式メモに目を通し、頭の中で一時限目に行われる教科の引き出しを準備していた。


「おはようございます。それでは、机の上の物をしまってください」

 来たぁ……、本物の高校受験だ!

 僕は御守りを上着の内ポケットにしまいながら、受験モード用に気持ちを高める。もちろん、使用する鉛筆はクリスマスのときに家族から貰った、必勝祈願の鉛筆だ!

 係の人たちが、僕たちの座る机に問題用紙と答案用紙を裏返しに配っていく。僕は両手を膝の上に置き、ジーッと問題用紙を透視するが、やっぱり僕には透視能力はないようだ。

 全員の席に試験用紙が配られる間の静まり返った教室……。

 シタッシタッと係の人たちの歩く足音……。

 僕は試験前のこの瞬間が、好きだ!


 先生の合図とともに始まった高校受験。一教科が終わる毎に苦笑いとため息と筆記用具を置く音が、バラバラに混じって教室を飛び交う。

 お昼を挟み五教科全ての試験が終ったときには、本日一番のドヨメキが漏れ、途端に教室中にガヤ付きが起きた。

 けれども少しの息抜きも与えてもらえないようで、係の先生がやって来たと思ったら僕たちにさらなる緊張を与えた。


「続いて面接を行います。受験番号…………」

 教室内がソワソワとザワツキに覆われ、順番に呼び出される受験生たちがこの教室から消えていく。前にテレビドラマで見た、個々の裁断を下されるためにどこかに連れさらわれていくような、そんな気さえしていた。

「お待たせしました、次は受験番号…………」

 来た、僕の番だ!

 僕たちの中学校で面接の練習をしてきてはいるけれど、三年間も見慣れた顔の面接官役の先生と初めて見る作り笑顔の面接官では、会場に入ったときから雰囲気が全く違っていた。

 僕の身体はガタガタと震えているうえに、声までもがかすれて出づらい。それでも練習してきた言葉は、一応並べることはできたと思う。

「面接はこれで終了します。海藤慎司くん、お疲れ様でした」

「あ、ありがとう、ございました。失礼します」


 教室に戻ったときには、無気力の面々が固まったまま椅子に座る姿が印象的だったけれど、十分にその理由を理解できる僕もすぐに席についてその仲間入りをした。

 そして、いつの間にか教室には全ての受験生が揃い、係りの先生も姿を見せた。

「お疲れ様でした。これで本日の日程を終了致します。合格発表につきましては…………」


 ドキドキの高校受験が終った……。

 時間の矛盾を感じるほどアッという間の気がした……。

 僕は全ての教科がうまくいったとは言えないけれど、それでも今の僕ができることは十分に発揮できたと思う。

 ところで美奈子ちゃんはどうだったんだろう。この会場に着いてからは全く目を合わせていないうえに話もしていない。

 気まずさもあるし……。


 精神的に疲れ切った僕たちはとりあえずバスに乗り、今朝来たときと同じ席に座ったと思ったら、早速今日の感想がバス全体に飛び交っていた。

「ダメだった……」

「面接、アウトだな。緊張しすぎちゃって、うまくしゃべれなかった……」

「レベル高すぎ、見たこともない問題も結構あったし……」

「それが一高レベルってことでしょ……」

 そのなかで、みんなが揃って口にしたのは「滑り止め受けといてよかった」だった。

 その言葉は、滑り止めを受けてはいない僕にとっては正直引っかかるものがあるけれど、それでも僕には後悔などはなく、結果に従うのみだ。

 公立第一高校を背にバスも走り出し、少しの間はガヤガヤしていた車内だったけれど、いつの間にか静かになったバスは予定通り杜野中学校へと向った。そのバスの揺れ具合が何とも心地良くて僕はすぐにウトウト……。車内の静けさに加わった。


「着いたぞ、起きろ!」

 えっ……、今、一高を出たばかりなのに? 

 という感覚のまま周りを見渡すと、先生の言葉通りに見慣れた校舎が目の前にある。途中ワープでもしてきたんじゃないかと思うくらい、あっという間に杜野中学校へと帰っていた。

 現実についてこれてない生徒たちに、先生も少し声のボリュームを上げて生徒たちをあおる。

「ほら、早く目を覚ましてバスを降りなさい。忘れ物のないように確認をしっかり!」

「「はぁ〜い」」

 眠い目をこすりながらダークグレーのリュックを持ち、僕もみんなの流れのままにバスを降りた。バスの出口では改めて先生が人数を確かめ、全員降りたところで本日最後の一言。

「明日は休みじゃないぞ、いつも通りに登校しろよ」

「「はぁ〜い」」

「まだ眠むりから覚めていない人もいるようだが、気を付けて帰れよ」

「「はぁ〜い」」

「よし今日はこれで解散!」

「「さよう〜なら」」

 フワァ〜〜……。

 あくびなのかため息なのか、中途半端な息を吐き、僕たちの高校受験という一大イベントを終了した。


「どうだった?」

 その声に振り向くと、硬い表情の美奈子ちゃんがいた。それは受験という大きな戦いに挑んだ後の顔ではなく、今朝の僕との会話に続きがある、と言わんばかりの表情だと感じた。

 でも僕は、そのような美奈子ちゃんに構えることもなく、今の気持ちをすなおに答えることができる。

「うん……。まぁ、何とか答えることは答えたけど……」

 僕は、試験問題そのものに対しての自信はイマイチだったけれど、成し遂げ感はとても大きく、それを爽やかな笑顔に乗せて答えた。

「まあ何とか? カンペキ! じゃないの? 予知夢でどんな問題が出るのか知ってたんでしょ!」

 美奈子ちゃん、やっぱりそう思っていたんだ……。

「僕は、どんな問題が出るのかなんて知らないで受験したよ」

 僕に荒ぶる心はなく、また嫌なことを突っ込まれたという感覚でもなく、さらに平然を装ったのでもなく、自然に、そして穏やかに答えられている。

「だって、前に慎ちゃんが予知夢で行きたい高校や大学にも行けるし、なりたい仕事にも就けるって言ってたじゃない!」

「うん。でも、それを非人道的だって否定したのは美奈子ちゃんでしょ。篤人も同じだって」

 僕たちは正門を左に出て杜野神社の前を歩いていた。

「そうだけど……」

 トボトボと歩く僕と美奈子ちゃんを追い越す生徒はいない。みんな受験で力を使い果したのだろう、僕も同じだからとてもよくわかる。


 僕は改めて自分のことを話そうと思う。それは今、とても清々しく、さわやかで、気持ちが落ち着いているうえに、高校受験も終わったという、大きな区切りを感じたからだ。

「ねぇ、美奈子ちゃん」

「何よ!」

「僕は予知夢をコントロールできるようになって調子に乗ってた」

「……」

「でも、美奈子ちゃんが、必死になって人としてのあるべき姿を教えてくれたから、僕は人としての道を……、ちょっと外しかけたけど、修正することができた。時間がかかっちゃったけど」

 突然の話題に、美奈子ちゃんはとても不思議そうな顔をして僕を見ている。でも僕は、落ち着いた気持ちのまま話を続けた。

「僕は、予知夢をコントロールできる能力で、予知夢を見る能力を無くすための予知夢を見たんだ!」

「えっ?」

 美奈子ちゃんの驚く声が周囲に響き、まばらにいる同じ制服姿の生徒たちが一斉にこちらを見た。しかしほんの少しの時間が何もなかった空気感をアピールし、みんなの視線は僕たちから外れた。

「美奈子ちゃんの心からの言葉だったんだよね。僕もいろいろと経験して、そして感じて、美奈子ちゃんの言うことがわかってきたんだ。今頃だけど……」

 美奈子ちゃんは顔を前方に戻したけれど、その表情は明るく微笑んでいるようにも伺える。


 今、美奈子ちゃんは何を思い何を考えているのだろう。まるで、トボトボと歩く足音が聞こえるくらいに二人の静寂の時が続いた。それがなんだか、とても心地良い。

「そうなんだ」

 静かに、そしてつぶやくように出た美奈子ちゃんの言葉は、優しくて穏やかに僕を包んでくれる。

「わかってくれたんだね、慎ちゃん」

「うん。僕は、多賀橋拓にはなりたくなかったからね」

「でも、それで良かったの? 人にはない特別な能力だったでしょ?」

「うん。確かに、予知夢を全く見れなくなるのはちょっと寂しい気もするけど、もったいないとかはないよ」

「へぇーー……。慎ちゃんの言葉とは思えない」

「えぇ……、なにそれ?」

「ごめんごめん。それで?」

「うん。実は、小さい頃から見れていた予知夢もさ、歳を重ねるにつれて見る頻度が段々少なくなっていたんだ。だから、いつかは見れなくなるんだろうって思ってた。それが今、っていうだけのことだよ」

「そうなんだ…………」 

 そう言いながら美奈子ちゃんの唇が、慎ちゃんの言葉とは思えない。って言いそうに見えたけれど、それを出すのは耐えてくれたようだ。なので僕も少し調子に乗って話してみる。

「確かに、予知夢をコントロールできるようになってから、アイツらに仕返ししていたけど……、でも、使い方を間違えているというか……」

「うん」

「本当は、自分でも心の奥のどこかに罪悪感的なものがあって……、それを責める自分がいて……」

「うん」

 美奈子ちゃんが聞き役に徹していたので、僕はこれまで溜まっていた言葉をどんどん吐き出すように話した。

 そして気が付くと、登校のときにいつも篤人が待っていたバス停と駄菓子屋のところまで来ていた。

 つまり、今日の話はこれまで、ということだ。

「美奈子ちゃん……、歩道橋が目の前に近付いてきちゃっ…………」

「もう少し話そう?」


 エエエエエエーーーーーー!

 美奈子ちゃんが、そんなことを言ってくれるなんて!

 驚いて!

 ビックリして!

 気が動転して!

 現実逃避してしまいそう!


 でも、美奈子ちゃんからそう言ってもらったということは、僕のことを許してくれたということでいいんだよね? ね?

 まさか美奈子ちゃんの口からそのような言葉が出るとは予想もしていなかった僕は、真冬の寒さを全く感じないくらいに身体がほてり、心臓はバクバク音を立てて鼓動を打ち、体がガチガチなくらいに固まった。

「中央公園に行こうよ。もっと慎ちゃんの話、聞きたいから」

「ハ、ハイ!」

 薄暗くなってきた中央公園を歩く僕と美奈子ちゃん。そして、僕たちは池のほとりにある、いつものベンチに腰をおろした。     


「慎ちゃんに改めて聞きます」

「ハイ!」

 美奈子ちゃんの急な問いかけに、まるで条件反射のように背筋を伸ばして返事が出る僕。小さい頃から変わらない関係だと思った。

「今日の受験はどうでしたか?」

「まあ何とか、かな」

「まあ何とか。それは自分的には合格ライン、ということでいいのかな?」

「んー、微妙。正直なところ、自信はイマイチかな……」

 興味を示す美奈子ちゃんの微笑み、その表情に改めて照れくささを感じた僕は、返事をしながら思わず目の前の池に視線を向けていた。

 ここからでは木々に隠れて夕日は見えないけれど、自然の景色のように木立に囲まれた池はもう薄暗くなり、ほのかに街灯の明かりを映し出していた。

「大丈夫だよ。今の慎ちゃんなら」

 そっと寄り添ってくれるような美奈子ちゃんの思いやり。僕は、時折揺れる街灯の明かりなどは全く目に入ることなく、全神経が美奈子ちゃんに向いている。いつもの優しい美奈子ちゃんに。

 あれっ、会話が止まったぞ……。

 何か話さなきゃ、いや、美奈子ちゃん、何か言って……。

 でも、この時間を悪くないかも。


「寒いね」

「うっ、うん」

 ウソ。僕はこの状況に寒さなんか感じていないくせに、美奈子ちゃんに合わせて答えてみただけだ。

 あっ、また会話が止まった。今度は僕が何か言わなきゃ……。

「寒いね」

「それ、今、わたしが言った」

「そ、そうだったね」

 何を動揺してるんだ僕は……。


「ところでさ」

 緊張しすぎて何の話題も出てこない僕を気遣ったのか、美奈子ちゃんから話を再開してくれた。

 助かったぁ……。

「慎ちゃん、なんで一高受験にしたの?」

「その疑問ってさ、もしかしたら三者面談のときから気になってたことでしょ?」

「当然だよ。進路のことになると何も決められなかった慎ちゃんがさ、突然、一高って言い出すんだもん。何があったの……、って思うでしょ」

「だよね……」

「うん。それで?」

「えーっと…………。美奈子ちゃんはさ、小さい頃から医者になるって言ってたでしょ?」

「うん」

「それで、篤人もITに興味を持ち始めたし、多分そういう方向に進むと思うんだ」

 恥ずかしくて池の水面から目を動かすことができなくなってる僕。そのすぐ隣で、美奈子ちゃんは僕を直視している……、と感じる。

 肩がぶつかるくらいに近いというほどではないけれど、それでも美奈子ちゃんの目から僕の横顔までは六十センチメートルも離れていない左側から視線を送っているのだ。

「そうだね、篤人は私立も公立も工業高校を受験だもんね」

 どうしてだろう、不思議なくらいに美奈子ちゃんのことを意識している僕……。

 以前のように仲良しに戻っただけのはずなのに……。

「それで?」

「そ、それで僕は、今まで具体的な将来のビジョンってなかったんだけど、やっと見つけたんだ。というか、そうしないといけないって思ったんだ」

「そうしないといけないって……、義務感?」

「義務感というよりも、決意ってことかな」

「へー、そうなんだ……。慎ちゃんがねぇー。それで?」

 美奈子ちゃんの興味はマックスになったようで、自分の右腕をつっかえ棒にして体ごと僕の方を向いてきた。その表情がとてもカワイイ!

 しかしヤバイ、その距離、約四十センチメートル!

「え、えぇーっとぉー……」


 このカワイイ美奈子ちゃんが、もし動画なら連続再生でエンドレスに見るし、画像ならば穴が開くくらいに喰い付いて見入るのに……。現実では恥ずかし過ぎて美奈子ちゃんの方を向くことすらできない。だって、もし目を合わせるようなことがあったら顔から火を吹いてしまうだろう……。ところで顔から火だの穴が開くくらいだのって……。

 いやいや、また余計なことを考えて現実逃避しようとしている。

 しっかりしろ、自分!


「ねーねー早く教えてよ、慎ちゃんの将来の夢」

「うん。ちょっと恥ずかしいなぁ……」

 どっちが?

 自分の将来を話すことが?  

 それとも、こんなに近くにいる美奈子ちゃんのことが?


「んで?」

「イ、イ、イシャ!」

 このシチュエーションにドキドキし過ぎた僕は、唐突に、そしてぶっきらぼうに単語だけを発した。

「えっ……、医者?」

「うん……」

「慎ちゃんも医者を目指すの?」

「うん。ビ、ビックリしたでしょ?」

「そりゃもちろんでしょ!」

 半分笑顔、半分驚きの表情を見せる美奈子ちゃん。

 あれっ?

 今僕は、普通に美奈子ちゃんの目を見ながら話してる。

 ヤバイヤバイ…………。

「へー、そーなんだぁ」

「うん」

「慎ちゃんも医者かぁ」

「に、似合わない?」

「そんなことないよ。似合うとか似合わないとかって、また変なこと言ってるし」

「じゃあ、合う、合わない?」

「そうじゃいでしょ。そういう人になるための、努力をするかしないか、でしょ」

「そ、そうだね」

「そうだよ」

「はい」

 いつもの美奈子ちゃんの声、聞き慣れたフレーズが僕の耳に入ってくる。

「頑張れば必ず結果が出る。それがいい結果になるか、悪い結果になるかはわからないけど、その……」

「その結果から次の目標が生まれて、それに向かってまた努力をする。そして高みを目指す。ということだよね」

「そうそう。わかってきたじゃない、慎ちゃん」

 会話の流れに乗って、またもや美奈子ちゃんの満面の笑顔に目が向いていた。でも、恥ずかしがらずに頑張って見てよう、美奈子ちゃんの最高の表情を!

 …………、ヤッパリ、ダメだ!


 結局、美奈子ちゃんの笑顔に圧倒された僕は、ぎこちなく水面に視線を戻してしまった。それでも、自然を装って必死で話を続けた。

「だから、僕には予知夢なんて必要ない。でも、また弱虫に戻っちゃったけどね」

「弱虫なんかじゃないよ。人としての道をしっかりと歩く強さを身に付けたんじゃない。それが慎ちゃんの本当の力だよ」

 とても優し声に包まれている。それは、僕が人としての自分を取り戻し、それを美奈子ちゃんが認めてくれたからだ。

 人に認めてもらうということが、こんなにも心地良いものだということを、僕は初めて知った。


「と、ところで、美奈子ちゃんはどうだったの、試験?」

「私? んーー……、まあ何とか、かな」

「えぇっ、それ、僕の真似?」

「フフフッ」

 丸い目を細長くしながら、とてもかわいい笑顔を僕に向けた。それはもう、眞山翔に言い寄られたときよりも、今日の一高受験のときよりも、これまで生きてきたどんなときよりも、何十倍も何百倍も、ドキッ、とした瞬間だった。

 そして僕の心はキュンキュンとウズウズとワクワクが止まらない。

 もしかしてこれが、トキメキっていうものだろうか?


「暗くなっちゃったね」

「ほ、本当だ。いつの間に……」

 西の空を見ると一番星がキラキラと輝いていた。それはそれはとても澄んでいて、とてもはっきりと綺麗な輝きだ。

「久しぶりに慎ちゃんと話ができて楽しかったから、時間が過ぎるのが早いな」


 エエエエエエーーーーーー!

 美奈子ちゃんが僕と同じように、時間の矛盾を感じてくれている!

 嬉しい!

 素直に嬉しい!

 

 まるで、仲の良かった幼馴染に数年ぶりに会ったかのように話が止まらず、ここが別れ道だというところまで来てもまだ話をしていた。

「もう誰もいないね」

「そ、そうだね」

「こんなに暗くなっちゃったから、当然だけどね」

「こんなに、暗いもんね」

「…………」

「…………」

「切りがないね」

「そ、そうだね」

「明日も学校だし、歩道橋の所で待ってるよ」

「うん、じゃあ明日、歩道橋の所で」


 会わなくなった時間があったからだろうか、美奈子ちゃんをこれまで以上により深く感じている僕は、以前よりもずっとずっと仲良くなったような気がする。あくまでも僕の感覚であり、美奈子ちゃんもそうだったらいいな、という期待だけど……。今回のようなことを、雨降って地固まると言うのだろう。さらに、名残惜しいとは、まさに今の僕の心境だとも思った。

 でも明日になればまた会えるわけだし、とりあえず今日は帰ろう。そう自分に言い聞かせて僕は手を振った。

「バイバイ美奈子ちゃん、また明日」

「うん、また明日ね、バイバイ」

 美奈子ちゃんも軽く手を振って、すぐに背中を向けた。


 この公園から僕の家へは裏道を通って帰ることになる、そして美奈子ちゃんは一度大通りに戻り、歩道橋を渡って帰ることになる。僕は自分の家の方へ向かって歩きながら、何度も何度も振り向いて美奈子ちゃんの姿を見送った。

 でも美奈子ちゃんは一度も僕の方を向いてはくれなかったようだ。

 何を期待しているんだ、僕は……。


「ただいまぁー」

 元気な声で言ったものの、いつものように僕の家には誰もいない。久しぶりの美奈子ちゃんとの時間が僕をハイテンションにさせているようだ。

 なので家の中は真っ暗で寒かったけれどウキウキが止まらない僕は、人には絶対に見せられないキレの悪いダンスを、下手くそなハミング混じりで舞いながらリビングの照明を付け、その流れでエアコンのスイッチを入れ、そのままのノリでお風呂にお湯を溜めながら、自分の部屋に入って明日の準備を終わらせた。


 お風呂から上がると、お母さんが夕ご飯の準備をしているのがわかった。僕の嗅覚がとても好きないい匂いを察知したのだ。美奈子ちゃんとの余韻がまだまだあったけれど、ダンスもハミングも封印した僕は、平然を装ってリビングに入った。

「お風呂に入ってたのね」

「うん」

「ところでどうだったの、受験?」

「うん、何とも言えないけど、最近のテストも含めて一番的確に答えられたとは思う」

「それは頼もしいわねぇ」

「夕ご飯、お母さん特製の味噌ラーメンでしょ?」

「そう。今日は頑張ってきたでしょう、だから慎司の好物にしたのよ」

「うん。さっきからお腹の虫が鳴りっぱなしだったんだ」

「そうなのね。何かお菓子でも食べてればよかったのに」

「僕もさっき帰ってきたばかりだったし、すぐにお風呂に入ったから」

「そう」

「うん。何となくユックリしたくなってね、そんなときはお風呂が一番かなって」

「そう」

「帰ってきたら家の中が寒かった。エアコンのタイマーをセットして出かけるようにするといいんじゃない?」

「そうね」

「明日は普通に学校だから、弁当お願いね」

「……、慎司くん」

「なに?」

「随分お喋りね!」

 僕の腹の中を探るように、興味津々のニヤけた顔で覗き込んでくるお母さん。

「そ、そんなことないよ……」

 言われてみれば確かに今の僕はお喋りだ。間違いなく美奈子ちゃんとの仲直りがそうさせているということは容易に想像が付く。

「いつもの、僕だよ……」

 僕は照れを隠すためにラーメンを口に押し込んだ。できたてのラーメンはとても熱かったけれど、いつも通りを見せなければと思い、ラーメンで口を塞いだのだ。

「受験で緊張してたから、その反動で慎司の口の緊張も解けてたんでしょうね」

「こっちは受験で疲れてるの!」

「疲れてるなら口数が減るもんでしょ」

 墓穴を掘った……。

「いくらお腹が減ってるからって、慌てないで食べなさい。熱いでしょう?」

 お察しの通り口の中が灼熱地獄だ。水で冷やしながら押込み、麺を口にしては水で冷やし、大好きな味を堪能するどころではなかったけれど、それでも何とか完食。

「ごちそうさま。おやすみなさい」

「もう寝るの?」

「だから、疲れてるの!」

「そうね、それじゃ今日はゆっくり寝なさい。おやすみ」


 自分の部屋に戻った僕はすぐにベッドに入った。冷えた布団がお風呂と味噌ラーメンでほてった体にちょうど良い。そのお陰からか、さっきの余韻がよみがえってきた。

 もう少し話そう。

 美奈子ちゃんが言ってくれたその言葉は最高に嬉しくて、そこからの僕はドキドキしっぱなしだった。やっぱり美奈子ちゃんの笑顔は僕をハッピーにしてくれる。明日もあの笑顔が見れるんだ、と思う頃にはもう眠りの中にいた。


 リリリリリリ…………

 リリリリリリ…………


「あー、よく寝た」

 爽快な朝を迎えた僕は、足取り軽やかルンルン気分で学校へと出かけた。

「おはよー」

 昨日の約束通り、美奈子ちゃんは大通りの歩道橋のある交差点の所にいる。まるで止まれの道路標識が、美奈子ちゃんはここで待っていますよ、と教えているように思えた。

「おはよー」

 久々に二人並んでの登校に、僕はやっぱり緊張している。いつものように左隣りを歩く美奈子ちゃんに何か話さなきゃ、と焦りさえ覚えた。

「僕、昨日、夕ご飯を食べたらすぐに寝ちゃってた」

 つまらない、つまらな過ぎる!

 何だこの話題は!

 もっと何かあるだろ、自分!

「慎ちゃんも? わたしもすぐに寝ちゃった。きっと、受験で気疲れしたんだよ。同じだね」

「そ、そうだね、同じだね。受験だもんね、労力使うよね」

 ニコッと笑う美奈子ちゃんはやっぱりかわいい。しかもこんなにつまらない僕の話題にも乗ってくれて、やっぱり美奈子ちゃんは優しい人だ。

 それに対して何だこのブッキラボウな僕の喋りは……。


「ところでさ、慎ちゃんが予知夢を見れないようにしたってこと、篤人には話したの?」

「いや、まだ……。というより、篤人も僕を近付けない空気感を出しているからさ、話しづらいっていうのが本当のところなんだ……」

 見ると目の前にはバス停と電柱……、篤人の話題はあれがキッカケだろうと思った。

「だろうね、想像がつくよ」

「うん…………」

「わたしが言っといてあげよっか?」

「えっ……、そうしてもらうと助かるよ。お気遣いありがとう!」

 両手を合わせてお願いポーズをする僕は、どこかで美奈子ちゃんに期待していたのかもしれない。


 そして僕たちは、登校時間を気にしながらスタスタと歩き、他愛もない話で浮かれているうちに杜野神社を過ぎ、そして学校の正門を通り抜けていた。四階の廊下で美奈子ちゃんと別れて自分の教室に入ると、すでに登校していた篤人は周りのクラスメイトたちと楽しげに話をしている。

 今日か明日には美奈子ちゃんが僕のことを話してくれる……。

 今はその時を待って僕からは話しかけないようにしよう……。

 そして、僕は自分の席に腰を下ろした。

 しかし、篤人に神経を注き続けた今日が終ったけれど、篤人からのアクションは何もないままだった。

 そりゃそうだろ……。いくら美奈子ちゃんでも、よっぽどタイミングが良くないと今日の今日とはいかないだろう……。

 焦らないで明日に期待だ!

 そう自分に言い聞かせて今日を終えた。


「忘れ物ない?」

「うん、大丈夫」

「気を付けて行ってらっしゃい」

「行ってきます!」

 今朝もすこぶる元気よく出かけ、気付くと早足で大通りを目指していた。

「おはよー慎ちゃん」

「おはよー、美奈子ちゃん」

 昨日に続き、大通りの止まれの道路標識のところで笑顔を見せる美奈子ちゃん。

「昨日、篤人に話したよ」

「そ、そうなんだ。即日決行だね、さすが美奈子ちゃん。でも、篤人からは何も言ってこなかったなぁ……」

「うん……。それでね、篤人がね、慎ちゃんのことはわかったって。でも、眞山翔君の人生を奪った行為については簡単には割り切れないって……」

 左隣を歩く美奈子ちゃんの視線は何かに注視するものではなく、何となく先に置いているだけのようだ……。言いづらそうにしているのがわかる。

「そ、そう……なんだ」

「眞山翔君のケガに繋がる原因となった夢は見ようとして見たものではなかったことも、眞山翔君の目が元に戻る夢を見ようとしたけど見れなかったことも伝えた」

「うん……」


 正直言って辛い……。美奈子ちゃんにはわかってもらえたから、篤人もすぐにわかってくれるものだと思っていた。言葉を探せない僕は、視線を少し前に落としてちょっと沈黙……。篤人に「自分に都合の良い勝手な言葉だ!」と言われている気がした。

 僕は、大きなため息が出そうになったけれど、美奈子ちゃんに落胆しているところを見られたくなかったものだから、そのまま息を吸って大きな深呼吸っぽく、空に向かって長めに吐いた。

 でも、美奈子ちゃんにはバレバレだった。

「ショック?」

「うん、ちょっと……」

「大丈夫だよ、篤人だもん。わたしたちの仲はこんなことでは壊れないよ!」

「そ、そうだよね……」

「篤人の気持ちが治まるまで待とう」

「うん……」


 篤人は眞山翔グループと一緒にいた時間が長かったこともあり、眞山翔の本当の姿をジックリ観察できていた。

 それに対して、僕のやった行為は……。

 親友の夢が知り合いになった人の夢を壊したという現実、それはもう受け止めきれないほどの衝撃を受けたことだろう……。

 せめて、仲が戻ってから卒業式を迎えたい。と喉元まで出ていたけれど、それもまた自分の都合の良い話だと篤人に言われそうだから、禁句にして登校した。


 早く篤人の気持ちが治まってくれますように。


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