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夢は見るもの叶えるもの  作者: タケヒロ
第一章  夢騒動
1/13

1 僕の夢は特異な夢

「美奈子ちゃん!」

「あっ、慎ちゃん」

「こんなとこで何してんの?」

「慎ちゃん、わたしやったよ!」

「えっ……、何を?」

「何だと思う?」

「んーー、何だろう? 想像つかないなぁ……」

「ついに取ったよ、わたし。学年で一番!」

「えっ、そうなんだ!」

「うん!」

「学年トップ、美奈子ちゃんの目標だったもんね」

「うん!」

「おめでとう!」

「ありがとう!」


 これって、人には言えない僕の特異な夢だ。この夢を見るときは普段の夢を見るときとは違って、僕の脳は起きているときのように働いて、映像としても展開としてもしっかりと記憶に残るんだ。


「慎ちゃん、そろそろ起きないと。学校、遅れちゃうよ」

「えっ、何言ってんの? だって今、美奈子ちゃんの夢を…………」


 話があいまいになってるぞ。何んだこれは……、普通の夢に変わったのか?


「慎ちゃん!」

 えっ……?

「慎じゃ!」

 はっ……?

「慎司!」

 ん……?

「早く起きなさい。もう出かける時間よ!」

「え? あっ、お母さん……、何?」

「何? じゃなくて、もう出かけないと学校、遅刻するわよ!」


 そうか、なるほどわかったぞ、特異な夢が終わって眠りから覚めようとしていたんだ……。

 ようやく状況を理解した僕は、寝ぼけ眼をこすりながら中学校の制服に着替え、時計にせかされながら玄関へと向かった。

「お母さん、ごめん。寝坊しちゃった……」

「何度も起こしたのよ。すぐに起きないから朝ご飯を食べる時間もないじゃない……。とにかく早くしなさい!」

「はぁーい」


 特徴として、特異な夢を見ている間はいくら起こされても目を覚ますことはない。夢を見ているのは短時間ではあるけれど、最後まで見てからでないと目が覚めないのだ。

 そして今朝は、起きる時間になっていたにもかかわらず、その夢を見ていた、ということだ。


「忘れ物、ない?」

「うん」

「歩きながらでも食べなさい」

 そう言うと、母は僕に一斤の食パンを渡してくれた。

「ありがと……」

 それを受け取った僕は早速ひと口頬張り、学校指定の外履きを履きながら玄関ドアを開けた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

「うん」

 玄関を出た僕は人目につく前に食パンを食べ切ろうと、まるでリスのように頬一杯にパンを詰め込んでモグモグしながら歩き、今朝見た特異な夢を思い出していた。

 学年トップかぁ……。トップは無理としても、いつか僕も五本の指には入りたいよな……。

 そして住宅街を歩き、正面に見える一時停止の標識のある大通りを右に出た。いつもならば一時停止の標識のところに美奈子ちゃんの姿が見れるのに、今日は僕一人で大通りを歩く。

 そして、少し行くと屋根のかかったバス停と小学生の頃によく通った駄菓子屋がある。待ち合わせる目印としては最適だ。

 その駄菓子屋の脇に立つ電柱、そこに身を隠しながらチラチラと視線を送ってくる人影がある。

「おはよー、篤人」

「おはよ……、慎司」

「どうした篤人、元気ないな?」

「来週は期末試験だよ……。あと一週間しかないんだぜ、元気なんか出ないでしょ、普通」

 定期試験が近付いてくると必ず元気がなくなるのが僕の親友、篤人だ。

「ところで慎司、今日は美奈子ちゃん、一緒じゃないの?」

「美奈子ちゃんはもう行っちゃったみたい。今週は早勉するって言ってたから」

「そうなんだ。さすが美奈子ちゃん、学年で三本の指に入る成績の人だけあるよ」

「だね」

「慎司だって十番くらいでしょ……。どうして俺の脳みそはこんなに出来が悪いんだろう?」


 僕と篤人、それに美奈子ちゃんも含めて三人は幼稚園からの幼馴染。

 そのせいだろうか、篤人は何かにつけて僕や美奈子ちゃんと比較する癖がある。特に試験の成績ともなると神経質なくらいにだ。

「篤人だってやればできるよ」

「やってもやっても文字記号が並んでるようにしか見えないんだよっ、俺の目には!」

「そんなことないでしょ?」

「そんなことあるの……、できる人にはわかんないんだよ!」

「わかんなくないよ、僕にだって」

「いや、わかんないって!」

 篤人は一学期末試験の勉強に本腰を入れ始めたのだろう。毎度のことながら定期試験が近付き、勉強に追い込まれて憂鬱になってくると僕に愚痴を言い出すのだ。でもそれは、三日もすれば落ち着くことを僕は知っている。

「ところで、いつから勉強を始めたの?」

「きのう!」


 中学校へと向かうこのメインストリートは、古くからあるこの町を再開発したときに作られたとても広い道路だ。綺麗に飾った沢山の商店やいろいろな施設も隣接しているため、いつも多くの人たちが賑わいを見せる大動脈なのだ。

 ちなみに、都会感をかもし出すためだろうか、駅前限定ではあるけれどスクランブル交差点まである田舎町だ。


「どんな勉強をすれば美奈子ちゃんや慎司みたいに、いい成績が取れるんだよ?」

「僕の場合は学習塾の先生にこまごまと教えてもらうときもあるけど……、やっぱり予習復習でしょ!」

「俺だって塾行ってるし、予習復習だってやってんだけどなぁ!」

 定期試験が近付いてくると、自信と不安をかいま見る話題が増えてくる。ある生徒は参考書を片手に黙読。またある生徒はイヤホンを耳にしながら口は微妙に動いている……、おそらく英語や記憶系だろう。そして僕の隣を歩く篤人の場合は、愚痴。

 そうやって、それぞれが試験に向けて気持の切り替えと知識力のアップを図るのだ。


「そういえばさぁ!」

「何だよ慎司、突然!」

「僕、夢見たよ。あの夢」

「おっ、慎司の口からその言葉を聞くのって久しぶりだな。んで、どんな?」

「今度の期末試験でさ、美奈子ちゃんが学年トップになるっていう夢」

「スッゲェーー。美奈子ちゃん、ついにトップ取るんだ!」

「美奈子ちゃんの目標だったからね、学年トップ」

「そうだった、そうだった。しかもさ、三年生で一番ってことはさ、学校で一番ってことだよな!」

「ってことになるね」

 篤人のかぶり付きは身体ごとこちらに向き、ほぼ横歩き状態で僕の右側を歩く。その姿勢、いつも思うけれど歩きづらくはないのだろうか?

「ところでそれ、美奈子ちゃんに言ったの?」

「言ってない言ってない。変に気負わせてもいけないと思ってさ。だから篤人も黙ってて」

「オッケー! でも美奈子ちゃんってさ、学習塾とか通ってないでしょ? それで学年トップって……、やっぱ、すげーな!」

「モノが違うんだよ。僕たちと美奈子ちゃんとじゃ」

「確かに!」


 僕の見る夢は多分、普通に誰もが見る夢と同じように朝起きたら忘れていたり、ストーリーが目まぐるしく変化したり、とても曖昧だったりと、いずれにしても目が覚めれば夢だったと気付くもの。

 でもたまに、いつもの夢を見る感覚とは明らかに違う視点で見るときがある。

 それは、登場人物も街並みや生活環境も現実の世界そのもの。そして起こりう得る出来事もリアルに展開していくものであり、都合のいい作り話やあり得ない物語とは全く異なる。しかも、目が覚めた後も実際の出来事のようにしっかりと記憶している。

 うまく説明ができないけれど、これは特異な夢だ、と認識しながら見ている。


 それが近い将来現実に起きる、予知夢なのだ!


「ところで慎司、その夢ってどういうシチュエーションだった?」

「中学校の中庭に花壇があるでしょ、そこで美奈子ちゃんが僕に成績表を見せてさ『ついに取ったよ、学年で一番!』って言ってるんだ。そんで花壇の花が満開でさ、美奈子ちゃんは花に囲まて満面の笑顔で喜んでるんだ!」

 夢で見た光景を話していたら、思わず可愛いかったって言いそうになったけれど、それはギリギリのところで飲み込めた。

「俺はいた?」

「いや、美奈子ちゃんと僕だけ。気を使ったんじゃない、篤人の成績に……」

「あっそっ!」

「冗談だよ」


 そのような特異な能力とでも言えばいいのか、人に話しても絶対に信じてもらえない不思議な力が僕にはある。

 そもそもこの能力、僕にとっては物心が付いたときから当たり前のものだった。例えば、誰もが朝になると目が覚め、お腹が空けば食事をとり、夜になると眠りにつき、そして予知夢を見れば現実化する。というものだと思っていた。

 しかし、小学校に入学した頃には「また始まったぞ、慎司君の作り話!」と言われるようになり、まるでウソつき呼ばわりされているような感覚が僕の心を締め付けた。そしてそれが切っかけで、この夢の話はしない方がいいのかも知れない……。そう幼心に悟ったことを覚えている。


「じゃあさ、今度は俺の成績が上がる夢を見てくれよ!」

「知ってるでしょ? 見ようとして見れるもんじゃないんだよ、この夢は……」

「知ってるよ。でもさ、慎司のその予知夢、自分の思いのままにコントロールできるようになったら、凄いことになるぜ!」

「何言ってんの?」

「テストだって満点取れるしさ、高校も大学も思のまま。人生バラ色ってことだよな。羨ましいぜ!」

「だから、そんなことはできないって!」

「わかってる、わかってる。タラレバの話だよ。ガ、ン、ボ、ウ」

「願望というよりは欲望でしょ、篤人の場合」


 それでも、当時からどんなことも隠さずに話をしていた美奈子ちゃんと篤人の二人は、僕の見る夢の話もきちんと聞いてくれた。それは予知夢に興味があったのか、はたまた面白い妄想話だと思って聞いていたのかはわからないけれど、それでも二人は真剣に聞いてくれた。

 そして、それが現実に起きるという現象を何度も目の当たりにしたことによって、二人は僕の予知夢を信じてくれる理解者になってくれたのだ。


「僕の夢に頼るんじゃなくてさ、例えばどこの高校に行きたいとか、将来どんな職業に就きたいとか、具体的な目標を決めるといいよ」

「目標かぁ〜……」

「そう。そうすると、今やるべきことが見えてくるからさ」

「なるほど……。じゃあ、慎司の目標は?」

 篤人にはわかった風なことを言っておきながら、実は僕自身も将来に向けてのビジョンなどはなかった。

「んーー僕は……、将来どんな方向にでも行けるように、今はとりあえず成績を上げることかな」

「ほほう。それじゃ俺の目標も慎司と同じにするか」

「まぁ……、それでもいいし」


 変な言い方だけど、篤人に対しては余裕があった。篤人も成績が悪いわけではない。三年生一八五人中、三十番前後をキープしている。だからもう少し頑張ればもっと上位にあがれるはずなのだ。

 そんな篤人が、僕や美奈子ちゃんのことを羨む気持ちはよくわかる。それは僕も美奈子ちゃんのことを羨ましく思い、勉強や行動力などを目標にしている人だからだ。

 その美奈子ちゃんが「慎ちゃんも、もう少し頑張ればもっと上位になれるよ」と励ましてくれる。実は、それを篤人に言ってるだけなのだ。


「それじゃ、本腰入れて試験勉強をやるか!」

「その意気だよ篤人。お互いに頑張ろう!」

 あと一週間と迫っていた一学期末試験。僕は、篤人のような短期集中で試験勉強をする一気詰め込み型ではなく、早い時期から黙々と予習復習を繰り返すじっくりコツコツ努力型だ。なのでみんなが焦り始める頃には、僕の中では結構仕上がっているのだ……。なんて、少し余裕ぶってみた。


 そうこうしているうちに、この街の名前の由来となった杜野神社を脇目にし、その隣に建つ杜野中学校へとたどり着いた。僕と篤人は同じクラスのため、四階にある教室まで一緒に登校するのが日課だ。

「今日も始まるなぁ。しょーがねー、寝ないで授業受けるか……」

「テストも近いからさ、先生も試験問題のヒント、チラつかせてくるかもよ」

「なるほど、それじゃ試験用アンテナをビンビンに張り巡らせるぞ!」

 篤人の試験用アンテナはどれほどの感度かは知らないけれど、なんだかんだいっても授業態度は真面目な篤人。先生の話に耳を傾け、しっかりとノートを取っていたであろう午前中の授業は終わった。

 そして息抜きのお昼休み、やる気になっている篤人を誘って図書室へ行って勉強を……。と思ってみたけれど、さっさとお弁当を済ませた篤人の姿はすでに消えていた。しょうがないというよりはいつものことだし、僕は一人で図書室へとやってきた。

 が、なんと、図書室は勉強一夜漬けの一気詰め込み型の生徒たちでごった返している。椅子に半ケツで二人がけしている生徒や床に直に座り込んで参考書を開く生徒など、この時期ならではの即席ガリ勉たちで占領されていたのだ。

 しかし、この状況であっても僕の目に入ったのは奥の席に座る美奈子ちゃんの姿。定期試験が近いからということではなく、美奈子ちゃんが誰かに勉強を教えている姿はよく見かける。

 それだけ余裕のある人だから学年トップになれるんだ。いや、これはまだ僕の夢の中だけの話だった。

 美奈子ちゃん、学年トップおめでとう!

 僕は心の中で美奈子ちゃんを祝福し、図書室を後にした。


「おい、おまえ!」


 僕たち三年生教室に戻る途中、四階のピロティホールを通ったときだ。静かに喋っても一文字一文字がハッキリと伝わる太い声。けれども、絶対に関わりたくない声が僕の耳に届いた……。

「ぼ、く……?」

 知らん振りを決めてこのまま歩き続けようと思う自分がいる。しかし、その思いとは裏腹に足は止まり、肩はすくみ、呼吸も荒くなってきた。そして、条件反射的に壁際にたむろする集団へと僕の目が向いてしまった。すると、その中の一人が僕を手招きしている。

「おーーい」

 その仕草に僕の体は縛り付けられ、綺麗にデザインされたピロティーホールの壁も、数台分設置してあるテーブルや椅子も視界から消えた。

 僕は何が起きているのか意識がはっきりしないまま、いつの間にか悪の吹き溜まりの中へと吸い込まれ、周りからの罵声に包まれていた。

「こいつが、海藤慎司ってやつか!」

「さっきのやつと似てるなぁ。小っこくてヒョロヒョロしいてしていて白いところがよ!」

「はははっ、ほんとだぜ!」

「ほら、こっち向けよ、ヒョロヒョロメガネ!」

 待ってましたとばかりに、たちまち七、八人のヤツらが僕を囲い、その勢いで壁を背に立たされていた。

 僕は、このような雰囲気の中であっても必死で考え事をしていた。それは、この状況でこの場を逃れることなどできないことは重々わかっていること。それでも何とか逃げる方法はないかと、探しても見つからない答えを必死に模索しているのだ。もちろんコイツらを振り切って力任せに走って逃げるのではない。僕に関わることなど無意味だ、と思わせるための言い訳だ。

「ほらヒョロヒョロ、こっち向けってば!」

 体を揺さぶられた気がした……。気付くと、僕の目の前にはガタイのいいシルエットがそびえ立っている。僕は、そのシルエットから視線を反らそうと必死で顔ごと左下に向けたが、その途端またもや周りからの声が僕に刺さる。

「オイ、顔を上げろよ!」

「ちゃんと前を向けっつてんだろ、ヒョロヒョロ小僧!」

「自分の立場がわかってねーのか、オイ!」

 僕はコイツらの言葉を無視したわけではないけれど、あまりの怖さに顔を上げられないまま立ち尽くすしかないのだ……。

 そしてその僕の視線の先に映ったのは、これまで気にすることのなかったピロティホールの床だった。こげ茶色のフロアタイルは、薄いコントラストで木目調にデザインされていることに気付いた。そして壁は淡い若草色、テーブルや椅子は緑や茶色。ここは、本来であれば憩いの空間として設けてある場所なのだ。

 そのようなことを変に想像している僕。どうやら、この状況から逃げたい気持ちが大きくなり過ぎて、頭の中では全く違うことを考え始めたのだろう。冷静に分析しているのか完全に思考が麻痺しているのか、自分でもわからなくなっている……。


「おまえ、予言者なんだってな」


 僕にまとわりつく異様な雰囲気の正面から、さきほどの太い声が発せられて現実に戻された。そして、またもやゆっくりと話すその声に引き寄せられるかのように、僕の瞳だけが正面下へと動いていた。

「答えろよヒョロヒョロメガネ! 翔君が訊いてんだろ!」

 誰かのあおる声などお構えなしに、僕の視界に入るデカイ足。かかとを潰した学校指定の白い上履きに素足のまま突っ込んだダラシのないソイツが、僕の正面に仁王立ちになって太い声で言葉をぶつけてくるのだ。


「来週の期末テストの問題、どんなのが出るか教えろ」


 僕は、答えないと何をされるかわからないという恐怖心から、か細く震える声を必死で振り絞った。

「そ、そん、そんな、こと、言われ、ても……」

「何をボソボソ言ってんだ。おまえは、翔君の質問に答えればいいんだって言ってんだろ、ヒョロヒョロメガネ!」

「テ、テスト、問題な、なんかわか、らないよ、よ。ぼ僕、には、そんな力、なん、なんてない、し……」

 オドオドする視線の定まらない僕の目に入るのは、いつ洗ったのかもわからないほど汚れた足、足、足。コイツらは汚い足で憩いの空間を荒らし、自分のことしか考えずに人の気持ちを踏みにじる、そのような人種なのだ!

「海藤慎司く〜ん、しらを切っても無駄だぞぉ。おまえがぁ、これから起きることをぉ、夢で見れるってことはわかってんだぞぉ」

 嫌みったらしくかん高い声で話してくる手下の一人。確かコイツ……、そうだ、飯坂尚史だ。

「だからぁ、翔君の頼みを聞けないかなぁ?」

 僕が目の前から視線をそらすために下を向いている顔を、更に下から覗き込むように睨みつけてくる!

「なな、何でもかんでも、夢で見れる、わけじゃじゃ、な、ないし、夢、で見たから、必ずそ、そうなるって、ことで、もなな、ない……」

 まとわりつく飯坂尚史と目を合わせないために、僕は右方向へ顔ごと視線を反らそうとしたそのとき……、僕の視界に入ってきた正面に立つガタイのいいシルエット!


 コイツが……、マヤマ、ショウ!


 眞山翔、こんな近くで見るのは始めてだ……。当然と言えば当然。こんな卑劣なヤツとは関わりを持ちたくない僕は、今の今までその存在に近付かないように避けてきたのだ。それほど眞山翔は学校中、いや世界中から嫌われているヤツなのだ!

「そんなことは訊いてないんだぁ海藤慎司く〜ん。おまえはぁ、翔君の言うことを聞く、それ一択なんだぞぉ」

「そそ、そんなこ、と、言われ、れても……」

 僕の視界に入る眞山翔はとても背が高く、学生ズボンの上からでもわかる筋肉質な太もも。学校指定の紺色の半袖ポロシャツのボタンはかけられてはいないけれど、それでもわかる胸の張り。さらに袖口から伸びるくっきりと筋肉の線が入った丸太のような腕。そして、そのイカツイ体全体が日焼けして黒光りしてる。ひとことで言えば岩だ、鉛色のデカイ岩だ!

「いいかぁ、翔君はなぁ、今度の夏休みのぉ、中学硬式野球大会でぇ、高校推薦が決まるんだぞぉ。わかるだろぉ?」

「なな、何を、何度言、われて、も……」


 僕の耳に入るヤツの情報は、スポーツ万能でどんな競技でも難なくこなしては天狗になっている。特に野球では沢山の高校から注目されていて、甲子園出場常連校からも声をかけられていると聞く。

 おそらく本当だろう、素直にそう感じさせるオーラが凄い。


 しまった、僕の視線が眞山翔に釘付けだ!


 気付いたときにはすでに遅かった……。僕はヤツの体を舐めるように見たあげく、イカツイ顔の奥に隠れた瞳を、眼鏡越しの僕の目がガン見していた!

 それでも、デカくてゴツゴツしたその体は微動だにひとつせず、顔は無表情のまま前を向いてはいるけれど、腫れぼったい一重まぶたの奥から覗く黒い瞳は、冷たく僕を見下ろしていた。

 そして眞山翔を代弁するように、しつこくまとわりつく飯塚尚文。

「海藤慎司く〜ん、つべこべ言わずにぃ、翔君の言うことに従えばいいんだよぉ。いい加減にぃ、理解しろってぇ!」


 昼休みの時間、さきほどから何人もの生徒がこのピロティホールを行き交っている。僕が絡まれている姿はみんなの目にも写っているはず。それなのに、誰もが見て見ぬふりをして通り過ぎて行く。

 でも、それは今までの僕の姿だったことに気付かされた……。それはそうだろう、みんなはいつものように学校生活を送っているだけで、何も特別なことなどないのだ。


 そしてついに、僕の思考回路はフリーズして身体全体の神経を停止させた……。

「おーーい、聞いてるかぁーー?」

 僕の顔に自分の顔を近付けて言葉を放った次の瞬間、飯坂尚史は眞山翔のために僕の前のスペースを開けた。

 そして直後、デカイ岩がゆっくりと身をかがめながら、僕の目線の高さに自分の目を合わせるように顔を近付けてきた。思わずおののく僕の視界に映るヤツの黒い瞳は、やっぱり冷たく無表情だ。


「国語と社会、今週末までにだ」


 太い声で要件だけの言葉を残し、眞山翔はゆっくりと体を起こしたかと思うとそのまま反転させ、鉛色のデカイ岩は手下たちを引き連れながら去って行った。

 くつろぎという概念とは全く異なり、眞山翔とその手下たちの後ろ姿を見送る僕には、今いるはずのこの空間がまるで違う世界に感じられている。むりやり例えてみるならば、行ったことはないけれど四次元の世界に飛ばされてしまったというか、体験したことはないけれどパラレルワールドに迷い込んてしまったというか……。とにかく、今までに感じたことのない恐怖のベールに包まれた感覚だ。

 そして同時に僕のこれからの人生が、眞山翔に操られ続けるという呪縛から逃れられないような気がしていた……。

 そしてすでに眞山翔と手下たちの姿は見えなくなっていたけれど、絡まれたという現実に全身の震えが止まらず心臓はバッコンバッコン、そして頭脳はまだフリーズ中だ。しかし、こんな絶望の渦に飲み込まれた僕の頭でも疑問に思うことがある。

 なぜ、僕の予知夢のことが眞山翔の耳に……?


 僕の通う杜野中学校。この街のほぼ中央に位置し、歴史は古いけれど数年前に建て替えられたお陰でとても綺麗な学校だ。

 今、改めて知ったこととして、このピロティホールの床や壁、そして置かれたテーブルや椅子は、生徒たちがくつろげる空間としてデザインされているようだ。そしてこの空間から窓越しに見ると、まさに森のように緑が生茂って見える杜野神社。

 ところで、杜野神社からも見えているのだろうか……、いつも誰かが絡まてれいるピロティホール。


 今日の犠牲者は、僕だった。


 グッグッグッグッ!


 眞山翔たちが立去るのを見届けたかのように、僕のスマホにメールが届いた。

 スマホの持込みは校則上禁止されているけれど、成績を少しでも上げたいがために僕が通っている学習塾では、メールによる質問が可能なのだ。そのため、僕はいつもスマホを持ち歩いてフル活用している。

 もちろん学校側に対しての細心の注意は怠らない。なので周りに人影がないことを確かめてから、ズボンのポケットに潜ませているスマホをこっそりと見てみた。


「ゴメン……(汗)」


 案の定、篤人からだった……。同時に、フリーズしていた僕の思考回路は少しずつ稼働を再開し始めたようで、スマホを持つ指先の感触もしっかりと伝わっている。ちなみに、篤人は何のためにスマホを持ってきているのかはわからないけれど「寄り道して帰ろう」くらいのメールはくる。

 でも、今回はタイミング的にみても、今僕に起きた出来事についてだろうということは容易に想像がつく。僕は、四次元の世界かパラレルワールドに迷い込んだ感覚のまま教室に戻った。辺りを見れば、さきほどピロティホールを行き交っていた面々が、何ごともなかったかのように授業前の時間を過ごしている。

 いつもの四階の教室、いつもの窓から見える杜野の街、いつものクラスメイト、いつもの休憩時間。そして誰かが眞山翔に絡まれた後は、尋常でないほどの神経という名のアンテナがビンビンに伸び、微弱な電波までも完全に受信するために張り巡らされる。

 これが、この学校の日常なのだ。


 クラスメイトたちの見て見ぬ振りをする視線に包まれながら、僕は窓際後方にある自分の席に腰をかけた。すると、張り巡らされたアンテナを気に留めることもなくスタスタと篤人がやって来た。

「ゴメン。俺もさっき眞山翔たちに絡まれたんだ……。何を言ってるのかはわかんなかったけど、知らん振りしたらそれこそ何されるかわかんないし……、それで慎司のこと……。ホンット、ゴメン!」

 僕に言い訳をするために早口に言葉を並べる篤人。その必死さは僕にも伝わってはきた。それに、まぶたにしわを寄せながら片目をつむり、両手を合わせて肩をすくませながら必死に謝る篤人の姿が、何とも言えない複雑な僕の心境を少しだけ和らげた気がした。篤人も必死だったんだろうなぁって……。

「だ、だろうと思ったよ。だって、ぼぼ、僕の夢のことを、しっ、知ってるの、は篤人と、美奈子ちゃんしかいないし、美奈子ちゃ、んは、ひ、人には、しゃべ、らないから……」

「そ、そうだよね……」

 内心では、余計なことを言ってくれたな。という思いはあったけれど、その言葉を出すのはやめて、長い付き合いのよしみで友達らしく恩を売ることにした。

「し、仕方、ないよ。あの、あの状況の中でまともには、いられな、ないよ」

「そう言ってもらうと助かるよ」

 しかし、篤人に対して余裕振ってはみたものの、僕の頭の中は恐怖でいっぱいなのは変わらない。

「眞山翔のヤツ、野球推薦で高校に行けるというのにさ、あまりの勉強のできなさに『せめて二教科は基準点の三十点を取らないと、高校からの推薦に応えることはできない』って先生に言われてるらしいよ。何せ眞山翔は、全ての教科が基準点に達していないんだから、あり得ないよ」

「に、二教科か……。国語としゃ、社会って、言ってた、な」

 まだ言葉も普通に出てこないくらいに緊張が続いている。僕がこんな精神状態ながらも友達だと思って売った恩を、全く察知していないかのように普通に話し出す篤人。喉元過ぎれば何とやら、かい?

 切り替えが早いのかお調子者だからなのか、良くも悪くも篤人らしい一面だ。


 眞山翔の話はそれだけではない。中学校生活での素行の悪さが目立っている。ただし、威圧的な態度で人を脅しても暴力は振るわないし警察のお世話にもなってはいないという……。というか、そういうものは手下の役目という噂もあるけれど……、いずれにしても眞山翔の手は汚れてはいないことになっている。

 それをいいことに、学校としても問題を伏せたまま眞山翔を卒業させて、あとは何もなかったことにしようという魂胆は見え見えだ。

 そして、そんな学校側の考えを逆手に取って、好き勝手にうまいことをやっている眞山翔も眞山翔だ。でも高校野球はやりたいらしく、高校進学という言葉には従っているようだ。


「だからぼ、僕に頼ってきた、ってこと、だった、んだ」

「ゴ、ゴメン、それを言われると……」

「でも、眞山、翔に目をつけられて、てしまったわけ、だよね」

「そう、なっちゃうね」

「僕は、これから、とう、なるん、だろう……」

 僕の身に降りかかる恐怖とは無関係に、今日の授業が時間割通りに行われている。先生の言葉とともに文字や数字が並べられいく黒板も、必死に自分の能力を上げようとノートに写し書きするクラスメイトたちも……、黒板の上に取り付けてあるデジタル時計が刻むように、世の中の全てが時間に乗って過ぎて行く。

 そして同時に、クラスメイトたちの張り巡らされたアンテナも、いつの間にか閉じられたようで僕への意識が感じられなくなっていた。


 だからといって問題がなくなったわけではない。平和な教室に戻ったなかで僕は一人、これからのことに恐怖心を抱いていた。それを察してか、休憩時間になると篤人が来てくれる。

「気分はどう?」

「試験は、来週か。週末には、また眞山翔たちに、絡まれるのかな。学校、休んじゃおう、かなぁ……」

 独り言なのか、それとも篤人に甘えているからなのか自分でも定かではないけれど、少しは落ち着きを取り戻した口調で出た言葉。

「学校休むの?」

「……」

 当然そんな理由で学校を休めるものでないことはわかっている。それでも誰かに「休んでもいいよ」と言って欲しいという、同情を求める僕の心の奥からの言葉だった。

「確認だけど、試験の問題って、夢、見れたりする?」

「見れるわけ、ない、でしょ!」

「だ、だよね……」

 内容が内容だけに、誰かに聞かれることを恐れて教室から廊下へと移動していた僕と篤人。窓ガラスの方を向いて二人肩を並べながらヒソヒソと話をしている。

「でも実際、どうすればいいんだろう? 慎司を助ける方法……。残念ながらIQの低い俺の頭じゃ、考えつかないよ」

「IQなんて関係、ないよ……。何とか眞山翔から相手にされなく、なる方法って篤人、何か思いつかない? 篤人は突拍子もないことを思いつく、天才じゃない」

「んーー、相手にされなくなる方法か……」

 廊下の窓から見える杜野神社の大きな木々は、何事にも動じず堂々と立っている。しかし、今の僕たちにはその木々の雄大さを感じる余裕などはなく、進展のない現実を話す言葉しか存在しない気がした。


「何の話、期末試験?」

「美奈子ちゃん!」

「美奈子ちゃん……」


 佐倉美奈子ちゃん。僕たち三人の中では誰よりも男勝りで頼れる女子。そして僕たち二人は揃って気が弱くて優柔不断、いつも美奈子ちゃんに喝を入れられる情けない男子だ。


「二人で固まって背中向けて、何だか怪しいぞ」

「いや、そんな、ことでは、ないよ」

「……」

「二人して来週の期末試験、何か良からぬことを企んでいるんじゃないでしょうね?」

「まさか、そんなこと」

「いや、眞山翔に言われて……」

 僕の言葉と同時に篤人も答えていた。それはもしかしたら、僕に対する罪滅ぼしを探していたのかもしれない。

「眞山翔って……、あの眞山翔?」

「うん、あの眞山翔」

「アイツに何かされたの?」

 篤人の思いが通じたのか、眞山翔の名前に食らいついてきた美奈子ちゃん。篤人は自分の思いを、まるで陰口でも叩くようにぶつけ始めた。しかし……。

「また余計なこと言って!」

 篤人の必死な言葉を遮るように、身を乗り出し眉をひそめながら篤人にグッと近付いた美奈子ちゃん。結局、篤人の思いは届くことなく、雷のような説教が始まることを予感させた。

 それでも僕は、篤人には少し反省して欲しいという思いと、僕の恩を感じなさいという願いを込めて、この状況を見守ることにした。

「慎ちゃんのことはわたしたちだけの秘密って言ったでしょ! 予知夢なんて誰も信用しないんだから。もしそんなことが知られたら、慎ちゃんがどんな目に合うかわからないからって!」

「う……、うん、そ、そうなんだけど、俺も眞山翔たちに突然言い寄られて、何をするにも俺じゃ力にならないってことを伝えて……」

 篤人の得意な口八丁手八丁とでもいおうか何といおうか……、身振り手振りを添えて言い訳がましく美奈子ちゃんに言葉を並べたてる。その篤人をジッと睨みながら聞いている美奈子ちゃん……。

 くるぞ!

「いつも言ってるけど、文字を並べる言葉より、本当の心を伝えることが大切なんでしょ!」

「俺にも色々と事情がありまして……」

「事情があるならその事情をしっかり…………」


 美奈子ちゃんに言い寄られるというのもなかなかのプレッシャーだ。眞山翔のような憎悪的な雰囲気はもちろんないものの、弁論大会のように淡々と、そしてハリケーンのように勢いを増した強い口調から繰り出される威圧感。圧倒的に、そして一方的に責め立てられて逃げ場を失い、ついには自分が悪いんだと感じてしまうくらいの圧力なのだ。


「わかるでしょ篤人? 篤人はいつもそう。そのときだけをどうにかしようとして、思い付きの言葉を並べるだけで………………」

 僕は少しの間、美奈子ちゃんの説教に気を取られていたけれど、篤人の背中越しに見える杜野神社の茂った木々が初夏のそよ風……、いや実際には熱風に揺らぐ様子が僕の目に入った。


 スゥーー、フゥーー……


 自然に深呼吸が出た。

 今、何もかもが眞山翔に押し潰されている。これからどうすればいいのかという肝心なことに気が回っていない。まずは冷静になって、きちんと状況を整理しなければいけないときなのだ。

 心に余裕ができたのかは自分でもわからないけれど、美奈子ちゃんの説教を第三者的に聞いていたら、少しずつではあるけれど現状を捉えることができてきた。

 だから、そろそろ篤人のことを助けることにしよう。


「そ、それよりも、週末、ど、どうしよう?」


 美奈子ちゃんの、マシンガンのように急き立てる言葉の切れ目を見つけて、僕はむりやり言葉を割り込ませることができがた。

「おっとそうだね、まずはそっちを考えないといけないんだよね」

 僕はホッとした……。飛び火してこないようだ。

 そして、現実視してくれた美奈子ちゃんは説教をやめ、篤人は僕の方を向いてサンキューの表情を見せた。


 ところでその日、僕、学校休んでも、いいかな?


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