第5話 場所の記憶を見る魔法
幸いにして、王城内の間取りはある程度分かっている。
ただ、カミラが来ているとするならどこに滞在しているのか。
客室か、それとも──噂通り王子の部屋か。
入城の許可は不要だが、流石に王族の居住スペースへの出入りは制限されている。
勝手に入れば罪に問われるだろう。
ただ、先ほどの兵士たちの話だと、夜な夜な王子の部屋から⋯⋯という話だった。
考えたくもないが、もしカミラが裏切っているなら⋯⋯俺はどうするのか。
決めかねているが、事実だけはどうしても確認したい。
城内には何人か手練れもいる。
俺の隠密を看破できそうな人間にも何人かは心あたりがある。
そのうち二人は、もちろんアルベルトとカミラだ。
アルベルトは魔法こそ使えないが一流の剣士だし、カミラも俺の魔力を感知するくらいは簡単だろう。
ただ当の二人は現役を離れているし、何より城内で敵地さながらの警戒をしたりはしないだろう。
よし、王子の私室に向かおう。
家族なら、夫婦なら、まずは相手の潔白を信じるべきだろう。
その為の裏を取りたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆
城内を進み、何とか誰にも発見されずアルベルトの部屋へと辿り着いた。
「よし、ここまで来れば安心だ」
部屋の外から気配を探る。
どうやら今は誰もいないみたいだ。
『解錠』の魔法を使い、改めて周囲を確認してから中に入る。
端から見て、ひとりでに扉が開いていたらおかしいからな。
中に入ると、部屋は片付いていた。
メイドが掃除したのだろう。
仮にここで痴態が行われていたとしても、その痕跡は無い。
だが、俺には関係が無い。
脳内に直接映像化されるので第三者への証言には使えないが、俺にはバーンズ老直伝の『場所の記憶を覗く魔法』がある。
アルベルトの部屋で何が起きたのかを確認すればそれで済む。
この魔法の良いところは、情報を確認するのは一瞬で済む所だ。
この場所で、何が起きたかがすぐにわかる。
魔法を使う瞬間ってのは無防備だが、一時間の出来事を見るのに一時間かかってしまう、みたいなリスクも無い。
取りあえず、昨晩ここで何があったのか。
それを確認しよう。
──しかし。
本当に、それでいいのだろうか。
俺は今日まで、一切疑っていなかった。
家族に対しての不満や戸惑いはあれど、俺が多少我慢すれば表面上はうまく回っていた。
別にウチに限らず、そうなのではないか?
夫婦なんて、多少の秘密があって。
それぞれが、少しずつ我慢する。
そうやって成り立っているのではないだろうか?
もう疑念は消せないが、それでも知らずに済めば、この先もカミラと、エミリアと、家族三人で過ごせるのでは?
カミラが一時的にアルベルトへ執心しているとしても、今後の俺の行動を改めれば、再び彼女の気持ちを取り戻せるかも知れない。
ここまで来て情けないが、俺はまだ迷っている。
もしカミラの裏切りが本当だとしても、俺たち、今からでもやり直せるのではないか。
──と。
部屋の外から人の気配がした。
警戒を怠ってしまった。
しかも足音から考えても、手練れだ。
おそらく隠蔽は機能しない、なんならもう俺が部屋に入っている事もバレている。
バレてしまえば、もう、こんな機会は無いかも知れない。
背中を押されるように『場所の記憶を覗く魔法』を使用した。
覗く範囲は指定された1日。
今回は今から、1日前まで──。
魔法の発動と同時に、扉が開いた。
入って来たのは、アルベルトと──カミラ。
二人を視界に入れながら、脳内に『場所の記憶』が流れ込んで来た。
「ヴァン、お前ここで何を!」
アルベルトの言葉に、返事はできなかった。
彼らが来たこと以上の衝撃が俺を襲っていた。
流れて来た記憶のせいで、立っているのもムリだ。
足に力が入らず、崩れるようにその場で膝立ちし──俺は盛大に吐いた。
甘かった。
無理だ。
やり直すなんて、俺には、無理だ。
あんなものを見てしまったら、もう、無理だ。
アルベルトから与えられる刺激に、過剰に反応し。
アルベルトのそれに、懸命に奉仕し。
俺を悪し様に罵り、二人で笑う。
そんな姿を見せられてはしまっては、もう──。
「ヴァン、こんなに早く帰って来るなんて、私に、嘘をついたの!? 答えなさい、ヴァン!」
開き直ったとしか表現しようがないカミラの声が、遠くに聞こえる。
だが、それに答える事も、反論する事もできない。
俺は膝立ちを維持するのすら難しくなり──自ら吐いた汚物の中に顔を突っ伏し、視界が暗転した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
確か、八歳になってすぐの頃だった。
あの日、俺は勇気を総動員してバーンズ老に言った。
魔法の実技をこなし、褒められ、頭を撫でられ。
その勢いで、言ったのだ。
「お⋯⋯お父さんの、教え方が、上手だから⋯⋯」
『師匠』。
それがバーンズ老の呼び方だった。
だが、捨て子だった俺を育ててくれた二人、バーンズ老と元帝国騎士カルナックを、父のように慕っていた。
バーンズ老は俺の言葉に一瞬驚いた様子だったが、気を取り直したように真顔に戻り、言った。
「ヴァン、私は君の父じゃない。そんな呼び方をしてはいけない」
「⋯⋯はい、すみません、師匠」
「カルナックにもだ。いいね?」
「⋯⋯はい」
声を荒げた訳ではない。
だが、キッパリとした拒絶だった。
変な呼び方をして、もしかしたらガッカリさせてしまったかも知れない。
もう、バーンズ老をガッカリさせたくない。
だから二度と父とは呼ぶまいと思った。
◇◆◇◆◇◆
鼻をつく、すえた匂いで目が覚めた。
気を失う直前の事を思い出し、匂いの正体が分かった。
まさか自分が吐いた汚物の中に顔を埋めるハメにるとは。
まあ、戦闘中はモンスターの臓物にまみれる事もある。
そう考えれば、大したことでもない。
しかし『場所の記憶を覗く魔法』の思わぬ副作用だ。
情報が一気に流れ込んでくるため、感情の処理が追い付かない。
今まで何度か凄惨な現場を調査した事があるが、こんなショックを受けたのは初めてだ。
人の生き死にに慣れ過ぎてしまっていた、と思う。
とはいえ気を失ったのは僥倖だったかも知れない。
もしあのまま意識を保っていたら──俺はたぶんあの場で二人を殺しただろう。
周囲を確認すると、どうやら牢に入れられているようだ。
鉄格子の前に見張りの兵がいる。
冷たい床に転がされていたせいか身体が痛い。
こんな所はいつでも抜け出せるが、しばらくは大人しくしておこう。
取りあえず身体を起こすと、その気配を察したのか兵士が振り向き、声を掛けてきた。
「目覚められましたか、ヴァン様」
「ああ。あまり良い寝起きとは言えないが」
「その⋯⋯身体を拭いたりできず申し訳ありません。殿下からそのままにしておけとキツく命じられておりまして、その」
「ああ、構わない。あと俺に変に丁寧に接するな、君の立場が悪くなるかもしれない。他の囚人と同様に扱ってくれ」
「わかりま⋯⋯いや、わかった。そのようにしよう。目覚めたら殿下に報告する手筈になっている、今しばらく待て」
看守はそのまま牢の前を離れた。
報告するという事は、奴がここに来るのだろう。
まずはこの間に顔を洗うか。
手を器のようにして、水の魔法で満たそうとするが⋯⋯魔法は発動しなかった。
いまさらだが天井を見上げると、魔法陣が刻まれていた。
「ああ、魔力を抑える仕組みになっているな」
魔法使い専用の牢獄だな。
まあ、解錠の魔法を使用されたら脱獄し放題だし。
ただ魔法陣の内容を見るに、どうやら魔法自体を封じる訳ではなく、あくまでも魔力の出力を一定量抑える仕組みのようだ。
再度魔法を準備し、今度はより出力を上げる。
魔法は問題なく発動し、手の器を満たした──タイミングで待ち人が来た。
アルベルトはまず俺の手を見て、次に天井を見上げた。
そのまま天井を指差しながら看守に尋ねる。
「あれは機能しているのか?」
「はい、ここに入れる前に別の魔法使いが確認しています」
「なら、あいつが手にしている水はお前が?」
「いえ! 何も与えていません!」
「ちっ⋯⋯相変わらずの化け物か。ここはいい、ヴァンと二人で話す」
「⋯⋯はい」
二人のやり取りを聞きながら、俺はせっかく用意した水が零れる前に顔にかけ、袖で拭う。
兵士がいなくなったタイミングで、俺から声を掛けた。
「王子様に会うんだ、おめかししとかないとな」
「ふん、心にも無い事を」
「当たり前だ、裏切り者が」
俺が睨み付けると⋯⋯アルベルトは愉快そうに笑みを浮かべた。
「裏切り者はお前だろ? 魔王軍の残党と内通するとはなぁ?」
「⋯⋯何の話だ?」
「お前の罪の話だよ」
「はっ?」
俺の罪?
王族への居住区への侵入⋯⋯大したことないとまでは言わないが、いままでの俺の功績を考えれば、陛下なら不問にする可能性もある、その程度の認識だが⋯⋯。
アルベルトの笑みはさらに口角を上げ、皮肉げに言った。
「ガルフォーネ⋯⋯に籠絡され、俺を暗殺に来た。王子暗殺と国家転覆の画策、それがお前の罪だよ、ヴァン」