第16話 新たな野望
本日4話目です。
マリアベルの問いにカミラは黙ってしまった。
『嘘をついたら死』という重いペナルティが課せられた現状、口を開くのは例え真実でも勇気が必要だろう。
ましてやさっきの話はほとんど嘘だろうしな。
そんなカミラにマリアベルは追撃した。
「あれ? どうされました? さあ先ほどの話をもう一度お願いできますか?」
「⋯⋯」
うーむ、容赦ない追撃だな。
カミラは悔しそうに顔を歪めている。
ただ、これはこれで埒が明かない。
それに、マリアベルばかりに任せる訳にもいかないだろう、本来は俺とカミラの問題なのだから。
「マリアベル、もういい。この沈黙が答えだ。そうだろ? カミラ。だから──一つだけ答えてくれればいい」
「何よ⋯⋯何を答えれば、いいの?」
不貞腐れたように聞いてくるカミラに、俺はけじめとなる質問をした。
「この十年──俺を愛している時期が⋯⋯少しでもあったか?」
聞くと同時に⋯⋯俺の頭の中を、この十年が駆け巡る。
王からパーティーのメンバーとして『これが噂に名高い聖女だ』と紹介された時の事。
よろしくお願いします、とはにかみながら頭を下げる彼女に見とれてしまい、しばらく返事が返せなかった事。
俺が深手を負って意識を失い、目覚めた時に、彼女が一晩中治癒魔法をかけてくれていたと知り、自分の気持ちを自覚した事。
彼女がプロポーズを受け入れてくれて、みなに祝福されながら式を挙げた日の事。
エミリアが産まれ、孤児だった俺に、やっと血の繋がった家族ができた、と喜んだ日の事──。
「⋯⋯ないわ、一日も」
「そうか、わかった」
ずっと俺一人が勘違いしてたわけだ。
愛し、愛され、時に喧嘩をしても、家族という絆で結ばれていると。
結局、俺はずっと──あの家で一人だったんだな。
「最後にありがとう、正直に答えてくれて。これで俺も、自分の気持ちにけじめをつけられる」
「はん、何が正直によ。約定で無理やり言わせたクセに」
「そうだな。でも黙っていてもよかったのに、答えてくれた」
「⋯⋯」
「それに免じて、この場でこれ以上なにかする気もない。血が繋ってないとはいえ、十年一緒にいたエミリアから親を奪う気はないからな。お前みたいな奴でも、彼女にとっては母親だ。あの娘をよろしく頼む」
「あなたにそんな事言われる筋合いはないわ」
「ああ、だからもう顔を見せないでくれ。お前も、エミリアも。次はないからな」
お互い沈黙したまま、視線を交わした。
しばらくしてカミラは席を立ち、去る気配を見せたが⋯⋯最後に俺を見下ろしながら、捨てぜりふのように言った。
「アナタのそういう偽善者っぷりが、本当にイヤだったわ。反吐が出そう」
パァン⋯⋯。
ほぼ同時に、マリアベルが立ち上がってカミラの頬を叩いた。
「アナタって人は⋯⋯! ヴァン様が許しても私が許さない! 殺してやる!」
「やめるんだ、マリアベル」
「だって、ヴァン様!」
「いいんだ、今日はこれで」
俺がマリアベルを取り押さえている間、カミラはこちらを冷ややかに見ていたが⋯⋯しばらくしてくるりと振り返り、無言で出て行った。
さて、まずは礼を言わなきゃな。
「ありがとうマリアベル。君の機転のおかげで上手くいったよ」
「いえ、それは良いんです、良いんです⋯⋯けど⋯⋯」
しばらく身体を震わせていた彼女は、ポロポロと涙を流し始めた。
「私、悔しいです。あんな人の為に、ヴァン様の十年が⋯⋯無為に⋯⋯」
「ああ俺だって悔しい、けど⋯⋯それで手に入った物もある、全てが無駄じゃないさ。しかも今は⋯⋯こうやって俺の為に怒ってくれるひとが側にいる」
「ヴァン様⋯⋯私、頑張ります、これから十年、二十年、ずっと⋯⋯」
マリアベルはそのまま、俺の胸に顔をうずめてきた。
その背中に──俺はそっと手を回した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
何よ、何よ、何よ、何よ!
帝国からの帰路、カミラの頭を支配していたのは、怒りだった。
ヴァンに対しての怒りもあったが──皇女に対しての怒りは、それを遥かに凌駕した。
高貴な家に生まれ、ぬくぬくと育ち、自分が欲してやまないものを無条件に、努力することもなく受け継ぐ。
そんな小娘に手玉に取られ、惨めな敗走。
このままでは気が治まらない、何とかしなければ。
とりあえず、ヴァンはもう無理だろう。
約定の効果はあの場だけとはいえ、もう自分の所に戻っては来ない。
ならば仕方ない、当初の計画通りにするしかない。
皇帝の后という肩書きには敵わないが、王妃だって充分だ。
王国と帝国では国力に差があるが、それでも国と国。
いつかアルベルトをそそのかし、帝国と諍いを起こし、あの小娘に頭を下げさせてやる。
今はまだ方法など一切思い付かないが、何とかしてみせる。
だからまずは王に会い、アルベルトとの結婚話を進めて貰わないといけない。
帰国したカミラはすぐに王城を訪ね、王への面会を願い出た。
王はすぐに会ってくれた。
そして、開口一番に言った。
「カミラ、先日の話だが」
「はい、お受けしようかと──」
「いや、あれは無しだ」
「⋯⋯えっ?」
「えっ? じゃなくてだね⋯⋯君とアルベルトを結婚させる訳にはいかない」
先日とは違う王の冷ややかな対応に狼狽しながらも、カミラは食い下がった。
「あの、どうしてでしょうか? 王の決定とあれば致し方ありませんが⋯⋯せめて理由を」
癇癪を起こさないように気持ちを抑えながら、理由を問う。
理由次第では巻き返しもできるはずだ。
いや、巻き返さなければならない、何としても王を翻意させなければ。
もうヴァンとよりを戻すのが不可能な以上、何としてもアルベルトとの婚姻に漕ぎ着けなければならない。
そんなカミラの決意を、王は初手でへし折ってきた。
「あの日から君の行動を監視させた」
「えっ⋯⋯」
監視?
監視員の存在など一切感じなかった。
現役時代なら、仮に隠蔽されたとしても何かしらの違和感を覚えただろう。
十年の専業主婦生活が、気配を察知する能力を奪ったのだろう。
マズい、とすぐに気付いたが、王はそのまま話し続ける。
「先日の聞き取り、当たり前だが私は全てを信じるほど楽天家ではないのでね。まず君はあのあと、教会に掛け合って転移陣で帝国に赴いた。間違いないね?」
「⋯⋯はい」
「その後、こともあろうに皇帝陛下の別宅に向かった。中のやり取りの様子はわからないが、監視員はその後屋敷の庭で鍛錬するヴァンを見かけたそうだ。つまり、君は先日の話を聞いて、ヴァンが高貴な出自ならば許してもらい、あわよくば⋯⋯と考えたのだろう?」
「ち、違います、陛下!」
「そうか。まあいい次だ」
推測を交えながらも、こちらの言い分は一切聞かない。
とりつく島がない。
王は次に紙の束を机の上に置いた。
表紙には『調査報告書』と書かれていた。
「それと、君の過去の素行を調査させてもらった。君が帝国に赴いていたおかげでスムーズに済んだよ」
あっ、と声が漏れそうになるのをぐっとこらえた。
王家が婚姻するなら、素行調査など当然だ。
もし前回の話で、アルベルトとの結婚だけを言われていれば、教会関係者に釘を指しただろう。
過去に関係を持った相手にとっても醜聞だからだ。
ただ、もしカミラ不在の間に調査され、罪を不問にする事を条件とされたら?
誰もが利害──カミラは貴重な文献や助力、相手はカミラの身体──で繋がった関係でしかない。
王に睨まれてもその庇護に入れるならば、カミラの事など庇う事はないだろう。
王は調査報告書を取り上げ、ペラペラと捲りながら言った。
「君はアルベルトに純潔を奪われたと言ったが、とんだ虚偽申告だな。しかも直近では、投獄されたヴァンと交渉した若い男さえ咥え込んでるみたいじゃないか。全く酷い女だ」
結局、王にしてやられた、ということだ。
同情するように耳を傾けながら味方のように振る舞い、こちらを疑う姿勢など微塵も見せず、裏ではしっかり調査する。
ヴァンの事を伝えてきたのも、おそらくそうすればカミラは国を離れる──結果として調査しやすくなる、と考えたのだろう。
「君とアルベルトを結婚させない理由は以上だが、何か言いたい事はあるかね?」
「いえ⋯⋯ありません、ただ、エミリアは、娘は間違いなくアルベルトの子供です!」
そう、もうこれしかない。
王妃になれなくてもいい。
娘を利用して、王家に食い込む。
もう、それしか──。
「それを信用しろと?」
「はい。お望みなら約定を使って頂いても構いません! 偽りであれば、私の死を条件にしていだいても!」
「ふむ⋯⋯まあ、やめておこう」
「陛下!」
「いいかいカミラ、今から話すのはちょっとした寓話だ」
王は手にした調査報告書を机に投げ出し、カミラへと語り始めた。
「ある王が、城を抜け出し娼婦を買った。一年後、娼婦が赤子を抱いて城を訪ねきて、門の前で騒いだ。『これは王の子供です!』と。王はどうしたと思う?」
「⋯⋯わかりません」
「娼婦と赤子、両方を処断したそうだ。嘘だろうが本当だろうが厄介ごとでしかないからな」
「⋯⋯」
「だからさっきの話は聞かなかった事にしよう。なんせ君は、国を救ってくれた英雄だからね。ただ、今後君が吹聴するなら、門の前で騒ぐ娼婦と同じ運命を辿るやもしれんな。それに私も、できれば孫かも知れない子に不幸になって欲しくない⋯⋯程度の情は持ち合わせている。話は以上だ」
万策尽きたとはこの事だろう。
王は暗に『エミリアの存在は、切り札どころか、カミラの命を脅かす鬼札である』と伝えてきたのだ。
黙っていれば見逃すが、吹聴するなら⋯⋯と。
カミラは「失礼しました」と絞り出すようにいい、頭を下げて退出しようとした。
その背に、王から言葉が飛んできた。
「エミリアを連れて故郷にでも戻った方が良いのではないか? 君の両親は『聖人』と謚される立派な人たちだったみたいじゃないか。君も聖女と呼ばれる人間なんだ、お二人を見習うと良い」
王の言葉で、頭に血が上りそうになる。
自分の目の前で、少しずつ弱り、最後に動かなくなった両親。
取り残され、不安に震えていた自分。
それを知らず、聖人などと讃える、無責任な奴ら。
強い殺意が、身体を支配するが──カミラはある事に気が付いた。
それは『天啓』とも言える気づきだ。
強い殺意なのに、それが王に向いている訳ではない。
野望が潰え、もう残りの人生に何の希望も無くなった、今だからその『天啓』が降りてきたのかも知れない。
カミラは振り返り、王に深々と頭を下げながら礼を述べた。
「陛下、御言葉ありがとうございます。おかげさまで大事な事に気付かせていただきました」
「そうか、なら良かったよ」
それは負け惜しみではなく、心からの言葉だった。
もしかしたら王は、エミリアの事について礼を言ってると思っているのかも知れない。
違う。
城の外に向かいながら、カミラは晴れ晴れとした気持ちだった。
そして、頬を涙が伝わる。
なぜ、自分が高い身分を求めていたのか。
それがやっとわかった。
私は──両親が大好きだったのだ。
その気持ちを誤魔化すために、今まで二人は愚か者だと自分に言い聞かせた。
何年も、何年も、自分に嘘をつきつづけた。
だから、憎らしかったのだ。
『信仰』などというまやかしの言葉で、自分からあの優しい両親を奪った、この世界が。
だから偉くなって、台無しにしたかったのだ。
この狂った世界を。
そして──その方法ならもうとっくに知っている。
バーンズ老が、あの時使った『封印の呪文』。
余人には無理だろう。
ただ、他ならぬ聖女なら。
聖魔法を極めた自分なら、チラッと聞いたあの神の名前から、封印を解除する手段を探せる。
神にアクセスする手段を。
(そうか、私はその為に、この身体を利用して、知識と力を蓄えたのだ)
内心で呟きながら、あの男の事を思い出した。
対峙して震えながらも、カミラはあの時に思ったのだ。
何と禍々しくも、美しい男なのだろう、と。
──あの男の妻になれるなら、それが私の運命ならば⋯⋯それほど悪くない。
それに気付くまで、とんだ周り道をしてしまった。
だからカミラは──城から出たあと、真っ直ぐと目的地に向かった。




