第15話 『元!』奥様
本日3話目です
皇帝陛下の別宅に滞在すること三週間。
陛下は政務の合間を縫って、今後の打ち合わせと称して何度か顔を出してくださった。
「ヴァン殿の出自については、大々的に発表しようと考えている。逆に言えば、それまではあまり周囲に洩れないようにしなければな」
「政治的な駆け引きについては門外漢なので、委細を陛下にお任せいたします」
「うむ。ひと月後の、マリアベル二十歳の誕生パーティーあたりを考えている。そこで新たな婚約者としてそなたを紹介するつもりだ」
ひと月後か⋯⋯。
意外とすぐだな。
「そこでヴァン殿の出自を証明するため、聖杯による儀式も行おう。まあ、それまではここでゆるりと滞在してくれ」
「ご厚意感謝致します」
「よい。そなたの帰還は我が夢でもあるからな。ヴィルドレフト帝から受けた恩は、この程度で返せると思っておらん」
「父はそれほど、ジャミラット様を厚遇した、と?」
「いや、馬車馬のように働かされたな。お前ならできる、と。はっはっは」
「それが、恩ですか?」
「いや⋯⋯少し昔話をしても良いか?」
「はい、是非」
◆◇◆◇◆◇
話によれば、ジャミラット帝が将軍の頃、東国の奇襲により率いる部隊ごと砦に孤立したという。
その報せを聞いた父は周囲の制止を振り切り、転移陣で僅かな手勢を率いて救援に駆けつけ、ジャミラット様を救出したという。
そんな無謀をジャミラット様はもちろん諫めたが、父は笑って反論したという。
「はっはっは。私は命を捨てる気は無いが、命を懸けるべきもののために、惜しむつもりもない」
「それほど、私の能力を買って頂いてる、と?」
「違う。私が命を懸けるべきだと思うのは、お前との友情だ。能力など二の次だ」
◆◇◆◇◆◇
「あの時の笑顔は忘れられん。そして、守れなかった事を今でも悔やんでいる。だから、忘れ形見のそなたにはこのくらいさせて欲しい」
「⋯⋯はい」
ジャミラット様が良くしてくれるのは、父のおかげだ。
思えば、バーンズ老は俺が養女の子だから、という事みたいだが⋯⋯カルナックはあれほどの剣の使い手、帝国に残れば栄達の道もあっただろう。
それを投げ出してまで俺を育ててくれた。
俺も、彼らから受けた恩を返さなければ。
皇帝陛下がお帰りになるのと入れ替わるように、俺に来客がある、と門番から連絡があった。
「来客? ここに居るのを知るのは、屋敷の関係者かカルナックくらいのはずだが⋯⋯」
「はい、陛下以外の者はみな、ここにずっといます。第三者に所在が伝わるハズはないのですが」
「で、来客ってのは?」
「それが、ヴァン様の奥方様、と名乗っておいでで⋯⋯」
「カミラが?」
「はい。いかがいたしましょう」
そう報告する門番の顔には、徒労感が窺えた。
おそらく彼は「ここにいない」と言ったのに、「そんなハズはない」と押し問答になったのだろう。
このまま居留守を使ってもいいのだが、彼に嫌な役目を押し付ける訳にもいかないな。
「うん、会おう。初日に陛下と面会した場所を貸してもらえるかい?」
「はい、御用意します」
門番は露骨にホッとした表情を浮かべた。
やはり、カミラはかなり屋敷の前で食い下がったみたいだな。
門番が俺の前から去り、しばらくしてマリアベルがやってきた。
「ヴァン様、カミラ様がいらしたとか」
「うん、どこから聞いてきたのか⋯⋯?」
「まあ、来たものは仕方ありません。私も同席致します」
「えっ? いや⋯⋯」
「同席致します」
「何か理由が?」
「失礼ですが、ヴァン様はお優しいので。『元!』奥様に変に丸めこまれたりしないか、第三者視点でしっかり見届けます」
今、元奥様の『元』の部分めちゃくちゃ強調したな⋯⋯。
そんな話をしていると、足音が聞こえて来た。
振り向くと、いたのはもちろんカミラだ。
「ああ、ヴァン! 会いたかったわ! 私、あなたに色々伝えなきゃいけない事があるの! ねぇ、聞いて!」
彼女は俺の姿を見ると、両手を広げながら駆け出した。
その勢いで、俺に飛び込んでくる気か!? と俺が身構えていると⋯⋯。
ガンッ!
カミラは俺の前で、バタンと倒れた。
顔面から床に倒れたみたいで、「フゴッ」と声を上げる。
倒れた衝撃で、片足の靴が脱げたみたいだが──ふと見ると、何やらおかしな様子だ。
靴に、細い何かが刺さっている。
あれは──かんざし、か?
しかも、踵の厚い部分を床に縫い止めるような感じだ。
仮に靴を履いている時でも、あれなら足に傷をつけたりしないだろう。
「あら、大丈夫ですか! ヴァン様の『元!』奥様のカミラ様!」
隣にいたマリアベルが、カミラを心配したように駆け寄り、床にしゃがみながら──靴に刺さったかんざしを回収した。
⋯⋯見なかった事にしよう、うん。
「だ、大丈夫です⋯⋯すみません、久しぶりに『夫』の顔を見て、少し興奮してしまいました」
カミラが起き上がりながら、顔をさする。
なぜか俺の事を『夫』と呼んでいるな⋯⋯。
あと、鼻血が出ていた。
「あら、カミラ様⋯⋯お顔からちょっと血が⋯⋯よろしければこちらを」
マリアベルが懐からハンカチを差し出す。
カミラは受け取りながら頭を下げ、ハンカチで顔を拭いた。
「申し訳ありません、お気遣い⋯⋯ひっ、ひいぃ!」
「ど、どうなさいました! 『元!』奥様!」
「目が、目がぁ!」
「あらいけない! 先ほど南方より届いたスパイスをこぼしてしまい、とりあえずハンカチで拭ったのでしたわ! 大変申し訳ありません、『元!』奥様!」
「痛い、痛いぃいいっ!」
「すぐに洗い流しましょう! えい!」
マリアベルが魔法を詠唱する。
じゃばばばばばばっ!
カミラの頭上から、絶対そんなにいらないよね? ってくらい大量の水が降り注いだ。
水圧により、ふたたび『ガンッ!』と音を立て、顔面を床に打ちつけたのち、ずぶ濡れになったカミラはしばらく動かなかった。
俺の知るカミラなら、こんな事されたら大暴れしかねない、と戦々恐々としていると──意外な事に、彼女はニッコリ笑いながら顔を上げた。
カミラが手を振ると、あっと言う間に鼻からの出血が止まる。
また、『恒常性維持の魔法』により、ずぶ濡れの髪や服を乾かした。
相変わらず見事な腕前だ。
そのままカミラは立ち上がり、マリアベルと向かい合った。
「皇女様ですよね?」
「はい、マリアベルと申します」
「『夫』がお世話になっております、カミラと申します。おかげさまで目の痛みが取れましたわ、感謝申し上げます」
「いえいえ、ヴァン様の『元!』奥様だと思えば、これくらいは」
「ふふふふふ」
「ふふふふふ」
「ふふふふふ」
「ふふふふふ」
⋯⋯なんか、怖い。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ずっとつっ立ってても埒が明かないので、とりあえず話し合うための部屋へと移動した。
まず俺が椅子に座る。
するとなぜかカミラが横の席に座ったので、俺はあえて何も言わず対面へと移動した。
カミラが腰を浮かせたころには、俺の隣にマリアベルが座る。
元妻はたいそう不服そうだった。
「なぜ夫婦で離れて座るの?」
「話し合いなんだから普通だろ? あと、さっきから気になってたが、もう夫婦じゃない」
「えっ? なんでそんな事言うの?」
はっ?
何コイツ、ボケてんのかオイ。
という勇者らしからぬ暴言を飲み込み、努めて冷静に言葉を返した。
「なんでって⋯⋯離縁状はもう出しただろ?」
そう、俺が投獄されている間にカミラの代理人を通して書類が届いたはずだ。
実際、俺は金貨二十枚の手切れ金で放逐されたのだ。
「あー、もしかしてこれの事?」
カミラは懐から書類を出した。
それはまさしく、獄中で俺がサインしたものだった。
「えっ? 出してなかったのか?」
「いえ、出した──ううん正確に言えば、勝手に出されてたの」
「⋯⋯?」
「あのね、ヴァン。そこから誤解なのよ⋯⋯」
「俺が何を誤解しているというんだ?」
「あなたが投獄中に面会に行った男は、私の許可なく勝手に事を進めたの。以前から彼は私に、その⋯⋯どうやら好意を持ってたみたいで、あなたが投獄されたと噂で聞いて⋯⋯暴走したみたいなの」
「暴走?」
「ええ。私とアナタが離婚すれば、自分に振り向いて貰えるはずだ! って。だから私は慌てて教会に掛け合って、この書類を回収したのよ」
「そうか、じゃあまた出しといてくれ。話は終わりだな」
「嫌よ」
「なぜ?」
「分かってるでしょ? ヴァン。愛してるの」
カミラはまるで、悲劇のヒロインを気取るように縋るような表情を見せた。
コイツ、アルベルトのあれをナニした口で、いけしゃーしゃーとほざきやがって⋯⋯。
復讐する気だったけど、なんならこの場で締め上げてやろうか?
と思うが、まさか皇帝陛下の別宅で暴れる訳にもいかない。
もう少し話し合いを続けよう。
「俺はもう君を愛していない」
「そんな⋯⋯」
「あのさ、俺が王子の部屋で何やってたか見当ついてるだろ? 『場所の記憶を覗く魔法』で、お前とアルベルトがヤ⋯⋯」
っと。
隣にマリアベルがいるんだった。
あまりにイラついて忘れてしまいそうになってた。
「君と、アルベルトが俺を裏切り、楽しんでいた姿を確認してるんだ」
「ごめんなさい、そうよね、そう思われるよね、でも、それも誤解なの⋯⋯」
「いや、あんなノリノリの姿見せられて誤解の余地なんて⋯⋯」
「脅されてたの! あんな風に、楽しんでいるように振る舞わないとヴァン、アナタにバラすって! 私、ずっと、辛かった⋯⋯」
コイツ⋯⋯。
間違いなく嘘だ、と思う。
ただここで問い質したところで、どうせこの調子でとぼけ続けるだろう。
もう、俺の我慢も限界に近い。
──と。
それまで黙っていたマリアベルが、卓上の鈴をチリンと鳴らした。
「まあまあ、お二方とも。あまり興奮なさらず⋯⋯お茶でも用意させますね?」
「あ、ああ⋯⋯」
「ところでカミラ様。先ほどまでの話、まさか嘘が混ざってたりしませんよね?」
「あたりまえです」
「ではこのあとも、この場の話し合いで嘘は一切つかないと、聖女の名をかけて、神に誓うことはできますか?」
「ええ、もちろん。わたくし聖女カミラは、この場の話し合いで、嘘偽りなく話す事を誓いましょう」
「もし、嘘をついたらどうされます?」
「この命を捧げますわ」
うーん、気のせいかな?
カミラが宣誓した瞬間、マリアベルが『ニタリ』と笑ったような気がしたが⋯⋯うん、目を擦ってみたら、あの愛らしい笑顔だ。
うん、気のせいだ。
「では、これを使っても問題ありませんよね?」
マリアベルは⋯⋯机の引き出しから、『誓約書』を取り出した。
「そ、それは⋯⋯約定の?」
「はい。嘘をつかない、ついたら死ぬ⋯⋯この誓約で、特に問題ありませんよね?」
「いえ、あの⋯⋯そのような高価な品を、夫婦間の諍いに使うのは非常識では?」
これはカミラが正しい。
約定の神への誓約書は、現代では作れない『失われた魔法技術』の産物で、迷宮などでたまに発見され、高値で取引される代物だ。
通常は外交の、それも特別な席で使用されるらしい。
アルベルトにしたって、俺と約定を結ぶ為にずいぶん奮発したのだろう。
まあ、国庫からくすねたのかも知れないが。
「ご心配なく。帝国では多数の誓約書を確保しております。一枚二枚でどうという事はありませんから、ご遠慮なさらずとも大丈夫ですよ」
「で、でも」
逡巡するカミラに、マリアベルは嬉しそうに言い放った。
「それに──もう、使ってしまいましたもの」
「えっ?」
そのタイミングで、隣の部屋から使用人がお茶と──灰になった誓約書を持ってきた。
「差し出がましい真似をして申し訳ありませんが、隣の部屋に待機していた者を仲介役として、約定を使わせていただきました。カミラ様も先ほど、キッチリ宣誓してましたよね?」
「あ⋯⋯」
そうか、さっきの鈴は誓約書を使う合図だったのか。
事前に示し合わせて隣の部屋で準備させ、マリアベルが誘導してカミラに『宣誓』させた──って事だな。
額に汗を滲ませるカミラと対照的に、マリアベルは涼しげな顔をして茶を啜り、優雅な仕草でカップを置きながら言った。
「では⋯⋯まずはお茶でも飲んで落ち着いていただいて、そのあとで──先ほどまでのお話、もう一度よろしいでしょうか? 『元!』奥様?」




