第10話 婚約破棄からのグイグイくる
「では、用向きを聞かせて貰おうか」
陛下に促され、俺は最近の事情を話した。
十年連れ添った妻が、どうやら結婚前から浮気していたこと。
その相手が、皇女様の婚約者であるアルベルトだ、と伝えた瞬間、陛下は眉をピクリと動かした。
ただ、当の本人であるマリアベル嬢の表情にはあまり変化がない──というか、ずっと俺を見てニコニコしている。
また、エミリアは俺の娘ではなく、どうやら実の父親はアルベルトである、ということ。
俺はアルベルト暗殺の罪を着せられ、国外追放処分を受けた事、など。
一通り話を聞いた陛下は、しばらく考えたあとで「はぁあああ⋯⋯」と深く溜め息をついた。
「なんという愚か者なのだ、あの王子は。もう少しマシな人物だと思っていたが、見込み違いだったようだな」
「アルベルトとお会いした事が?」
「うむ、顔見せでマリアベルを遣わせたのち、あちらからもアルベルト王子が来たことがある」
ああ、そう言えばそんな事もあったような気もする。
俺はその頃からガルフォーネを追っていたので、ワザワザ同行しなかったが。
皇帝陛下はさらに言葉を続けた。
「正直に言えば、単にアルベルト王子が多少女性を侍らせようが構わんと思っている。王族にとって、世継ぎを残すのは大切な仕事だ。義務とさえ言える」
「それは、俺もそう思います」
「ただその相手が、国に貢献し、また友人とも言えるお主の妻となれば話は別だ。またそれを誇るような行いは、私の娘を蔑ろにする行為なうえ、相手に言われなき罪科を背負わせるなど言語道断だ⋯⋯これはさすがに看過できん」
陛下は声を荒げるわけではないが、口調には怒りが伴っていた。
しばらくして──忌々しげに呟いた。
「アルベルトとマリアベルの婚約は、破棄するしかなかろう。その上で、ヴァン殿に対する冤罪に関してあちらの釈明を求めよう」
おお、もしそうなれば期待していた以上の成果だ。
まさかこんな事が皇帝陛下のお耳に直接入るとは、アルベルトも思っていなかっただろう。
王国は不安定な存在だ。
大陸中央部という立地から、東西を潜在的な敵国に囲まれている。
だからこそ西方を支配する帝国との縁談は、実質的な同盟として、後顧の憂いが絶てる貴重な良縁だったハズ。
「あとは帝国における、ヴァン殿の処遇についてだな」
「処遇ですか? 私としては此度の事に御尽力いただけるだけで大変ありがたいのですが⋯⋯」
「いや、ヴィルドレフト帝から受けた恩誼から考えれば、こんなものは尽力でもなんでもない」
「御父様。ヴァン様の処遇について、わたくしに良い考えがあります」
ニコニコと話しを聞いていたマリアベル嬢が、小さく手を上げて割り込んできた。
「ほう。マリアベル、申してみよ」
「まず、ヴァン様には『儀式』を受けていただく必要があります」
「それに関しては言うまでもない。まあ、私は確信しているが」
二人の中では言うまでもない事でも、俺にはサッパリわからない。
ちょっと聞いてみよう。
「あの⋯⋯儀式、とは?」
「おっと、そうだ説明しておかないとな。皇帝には代々受け継ぐ『聖杯』という神具がある。これは初代皇帝陛下が神から与えられたものとされていてな」
「はい」
「この聖杯には特徴がある。まず、皇帝は代々即位した時点でその血を保存する。もちろん、ヴィルドレフト帝の血も保存してある。そしてその血と、皇帝を受け継ぐ子の血を聖杯に注げば、光を放つのだ。血の繋がりが濃ければ濃いほど、器は強く光を放つ」
「なるほど。ちゃんと血が繋がっているかどうか確認後できる道具、と?」
「そういう事だな」
便利だな。
そんな道具を俺が持っていて、エミリアが生まれてきた時点で試せばこんな事にはならなかったろうなぁ⋯⋯。
「つまり、まずは俺がヴィルドレフト帝の血を継いでるかどうか確認が必要、という事ですね?」
「そうなるな。先ほども申したとおり、余はヴァン殿が先帝の息子であると確信しておる。ただ、余人を納得させるのには必須だろう」
まあ完璧な物証となるのなら、それはありがたい。
俺に異論はないな。
皇帝陛下の解説が終わり、皇女様は次の話を切り出した。
「そして、ヴァン様が間違いなくヴィルドレフト帝の御子息だと証明された暁には、私と婚約していただきます!」
「なるほど! それは良い考えだ!」
「でしょう、御父様!」
「うむ! もし謀叛など起こらず通常通りにヴァン殿が皇帝を継いでいたら、是非にともお願いしただろう! 順序がちょっと入れ替わっただけだ!」
いや、この親子。
勝手に何を言ってるんだ⋯⋯?
「あの、婚約とか、そういう話はまだちょっと早いのでは⋯⋯?」
俺を差し置いて盛り上がる二人に聞いてみる。
すると、マリアベルはちょっと不機嫌そうに眉をひそめた。
「何か問題がございますか?」
「いや、その、問題しかないと思うのですが」
「わかりました。では一つずつ解決いたしましょう! ヴァン様、私との婚約に懸念な点を遠慮なく仰ってください」
彼女は手を胸の前で合わせながら、表情を改め、にこやかに言ってくる。
にこやか、なのだが。
何となく『かかってこい!』と挑発されているような、圧を感じる。
まあ、気のせいだとは思うが⋯⋯。
「えっと⋯⋯まず、年齢差もありますし」
「あら。元々の婚約者であるアルベルト様とも年齢差はありましたわ。それに政略的な結婚において、年齢差などはあまり考慮されないものだと思いますが?」
「まあ、そうかも知れませんが⋯⋯」
「では、年齢差についてはこれで解決ですね。他に何かございますか?」
彼女がにこやかに次を促してくる。
⋯⋯なんだろう、この感じ。
剣の練習で、上級者が下級者に対して『ほら、もっと打ち込んで来い!』という感じに似ている。
あるいは友人の家に招かれての食事中、相手の母親が『ほらヴァンちゃん遠慮しないの、もっと食べなさい』と世話を焼いてくる感じというか。
考え過ぎかも知れないが、まあ、とにかく次かな⋯⋯。
「その、仮に皇帝陛下が承認してくださったとしても、周囲からは反発が生まれるかと。特に皇位継承権上位の方々などからすれば、急に出てきた人間が皇女様と婚約、となれば警戒するでしょう⋯⋯私としては、宮廷に無用な騒乱が生じるのは本意ではありません」
「確かに、多少の混乱は避けられないでしょう」
「そうですよね!」
「ただ⋯⋯ヴァン様は御自身の持つ『背景』に、些か無頓着でいらっしゃいますね」
「そうですか⋯⋯?」
「はい。名君と名高い先帝の遺児が、宮廷の騒乱を避けて雌伏し、魔王封印の手柄を携えて国に凱旋し、出自を明かし、自身の正統性を主張される⋯⋯聞くだけでも心躍る物語ではありませんか」
「そう⋯⋯ですかね?」
実際は長年連れ添った嫁さんに散々浮気されてた挙げ句、友人にも騙されていて、子供も自分の娘じゃなく、国を追い出されたってだけなんだが⋯⋯。
「人は物語を求めます。それが劇的であればあるほど、ヴァン様への好意や同情心へと繋がるでしょう。しかも御父様は常々『帝位は預かっているだけだ、相応しい者が現れれば喜んで譲る』と表明しております。ヴァン様より相応しい者などこの世におりません」
「うむ、その通りだ。余の意向に背く者こそ、反逆者の謗りを免れる事はできん」
マリアベルの言葉に、陛下はウンウンと頷く。
皇帝陛下その人に同意されてしまっては、これ以上、騒乱について主張するのはしつこいだけだろう。
⋯⋯いや、しかし。
「そもそも、の話なのですが」
「はい」
「マリアベル様は」
「マリアベルとお呼びください。あと敬語も不要です」
「いや、しかし⋯⋯」
「夫婦となるのですから、今からでも慣れていただかないと」
早い早い!
気が早い!
でも、また不機嫌になられても困るし。
仕方ないな⋯⋯。
「いや、マリアベルは⋯⋯俺なんかでいいのかい? アルベルトとの婚約を破棄するにしても、もっと、君に相応しい良縁があると思うけど⋯⋯」
「いえ、ないですね」
「いやいや、例えば東国の⋯⋯」
「ヴァン様」
「はい」
「ないんです」
「⋯⋯えっと」
「ないんです」
ないのか⋯⋯ないなら、仕方ない⋯⋯のか?
「むしろお聞きしたいのですが」
「はい」
「ヴァン様の妻としてわたしでは不足、と思われているならばハッキリそう仰ってください」
「⋯⋯正直、考えたこともなかったので戸惑ってます⋯⋯いや、戸惑っているんだ」
「なるほど」
「理解してくれたかい?」
「はい、理解しました。じゃあ、今、この場でしっかり考えましょう。まずわたくしの容姿はヴァン様から見てどうでしょうか?」
「⋯⋯その、とても」
「とても?」
「とても──お美しい、と」
「ぬふっ」
「ぬふ?」
「──失礼しました。では、カミラ様と比較して、何か不足はありますか?」
「不足というか⋯⋯新たな懸念が」
「はい、遠慮なく仰ってください」
ちょっと言葉を選ばないと誤解されそうだな。
ただ、俺は話上手じゃないし、うーん。
「あの、今、なんかすっごいペース握られてるな、と感じてる」
「はい。ヴァン様に早く決断していただこうかと」
「それで⋯⋯カミラとの結婚生活では、常にペースを握られているな、と感じていた。尻に敷かれているというか」
「ヴァン殿」
それまで、横で話を聞いていた陛下が神妙な面持ちで、ボソッと呟いた。
「⋯⋯安心してくれ、余も敷かれておる」
「御父様は少しお静かに。話がややこしくなりますので」
「うむ⋯⋯」
陛下の態度に、これはたっぷりと敷かれているな、と感じた。
皇帝と皇女。
帝国でも最高位の身分でも、家族として、父娘として会話を交わす二人を見ていると⋯⋯。
「ヴァン様」
「はい?」
「良かったです──笑ってくださって」
「こ、これは失礼」
「いえ。ずっと張り詰めていらっしゃったみたいですので。安心いたしました」
「お二人の仲睦まじさが、微笑ましくて思わず⋯⋯」
「嬉しいです。私は父が大好きですから」
そう言って微笑みかけてくれたマリアベルの笑顔はとても魅力的で──自分が失った父娘の絆がそこにあるのを、心から羨ましく思った。
──結局、婚約については押し切られた。




