第1話 パパ臭い!
「もー。パパ邪魔! そんな所でゴロゴロしてないで、外行ってよ!」
数週間ぶりの休日。
疲れ果て、リビングのソファーでうたた寝していると、娘のエミリアに叩き起こされた。
今年十歳を迎えた娘の口調は、まるで妻の生き写しだ。
日常生活で一番接する事が多い母親に似るのは仕方ないが⋯⋯同じ事を言うにせよ、もう少し、言葉を選んで欲しい、なんて思うのは贅沢だろうか?
ここ数日重ねた無理により、疲労に軋む身体を起こしながら⋯⋯俺は娘に言い訳をした。
「ごめんな、父さんちょっと疲れてて⋯⋯」
「だったら寝室で寝ればいいじゃん」
「寝室はね、今ママが掃除してて」
「はっ? なら宿屋でも何でもいけば? 普段ろくに家に居ないんだし。とにかくそこに居られると邪魔なの!」
「⋯⋯ごめんな」
中途半端な睡眠のせいであまり働かない頭と、身体に残る疲れの二重苦。
そこに浴びせられた娘の舌鋒に、抵抗する気力も湧かない。
不当な要求だと理解しているが、情けなく屈する事を選び立ち上がる。
俺が自らの陣地をあっさり放棄すると、戦勝者の権利だと言わんばかりに、娘は「ドカッ」とソファーに寝転んだ。
が、すぐに顔をしかめた。
「あー。なんかパパの匂いがする、最悪」
エミリアはすぐに起き上がり、生活魔法の一つ「消臭」をソファーにかけると、再度そこへ寝転んだ。
エミリアは親バカ発言になってしまうが、魔法に関する技術はとても十歳のレベルではない。
同世代の平均から大きく突出した──どころか、現在王国一の魔法使いとなった俺から見ても、天才と称するしかない存在だ。
小さな頃から魔法を学ぶのが好きな子だった。
俺の親代わりだった師が存命中は、良く一緒に遊びに行って魔法を習っていたし、昔から俺が家にいると「パパ、魔法教えて!」とせがまれたもんだ。
⋯⋯だからこそ、その素晴らしい才能をこんな使われ方すると、ちょっと悲しい。
自分の匂いを娘が嫌がっている。
男親なら誰しもが心抉られるであろう光景を黙って見ていると⋯⋯俺の視線に気付いた娘はこちらを睨み付けながら言った。
「何見てるの? なんか文句あるの?」
文句はない。
ただ悲しいだけだが、それを上手く言葉にする自信もなく、俺は手っ取り早い方法を選ぶ事にした。
「いや、ごめん」
とりあえず謝罪する。
なぜ親が娘を見て謝罪する必要があるのかわからないが、とりあえずそうする。
疲れている今は、それが楽だからだ。
「ごめんごめん言わないでよ、っていうか、ごめんって言うくらいならしないで」
「ご⋯⋯ああ、じゃあ父さんちょっと出てくる」
「そうして。家にいても邪魔だから」
エミリアは犬でも追い払うような仕草で手を振った。
⋯⋯。
本当は注意するべきだろう。
だが思春期近い子供に正論を言っても、頑なになるだけだ。
時間が経てばこの態度が改まる事もあるだろう。
諦観に似た思いを抱えながら、俺は外に出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇
昼間から酒を飲むなんて、普段はあまりやらない。
しかし今日は特別だ。
心に溜まったうさを晴らす方法を他に思いつかなかった。
まあ、特別といっても全然嬉しくはない。
十代の頃なら、昼間から酒場に入り浸る人間を見かけたら『あんな大人にはならないようにしよう』なんて思ったものだ。
だが、現実から逃避する人間の気持ちが今ならわかる。
モンスターからは逃げない俺が、まさか娘相手に敗走する大人になるなんて、それこそ想像もしていなかった。
馴染みの酒場でチビチビと酒を舐めながら、思わずマスターへと愚痴る。
「⋯⋯変わらないものってのは、無いのかねぇ」
言った自分でも情けなくなるような、敗者の弁だ。
カウンターへとツマミを置くマスターの顔に、苦笑いが浮かぶ。
「『救国の勇者』らしい、随分と哲学的な問いですね? ヴァンさん」
マスターが出してくれた乾物のナッツをボリボリと噛み砕き、再び酒を舐めると、自然と溜め息とともに愚痴が漏れた。
「からかわないでくれよ。最近娘に冷たくされちまってね」
「ははは。さては英雄と言えども、普通の家庭と変わらない悩みはあるんだよ、ってアピールして、親近感を抱かせる作戦ですね?」
「ちぇっ、言ってろ」
マスターの軽口に不貞腐れた振りをする。
もちろん本当に怒ったりはしていないが。
深刻にならないようにしながらも、俺の話を聞いてくれる。
それがマスターの心遣いだと分かっているからだ。
グラスを拭きながら、マスターは茶目っ気のある口調で言ってきた。
「まあ、変わらないものなんてないんじゃないですか? もし見つかったら教えて下さい、一杯奢りますよ」
「約束だぞ? あーあ。昔は『私のパパは世界一なの!』って周りに言ってくれてたんだけどなぁ」
「戦えば世界一なのは、今も変わらないでしょう?」
「その自負はあるが、娘にとっちゃあダメな親父だよ」
「ヴァンさんは家を空ける事が多いでしょうし、年頃の娘さんが多少よそよそしくなるのも仕方ないと思いますよ?」
「そんなもんかねぇ⋯⋯」
俺は冒険者という職業柄、家を数日離れて仕事する事が多い。
ありがたい事に、国の上層部から俺を指名する依頼がひっきりなしに舞い込む。
なのでマスターの言う通り、家で過ごすのは通年で考えれば約三分の一、といった所だ。
仕事があるのは嬉しいが、もちろん俺としても、家を長期間空けるのはあまり良いことだとは思っていない。
だから今回も、家族との時間を作るために結構無理したのだが⋯⋯。
以前は俺の帰りを心待ちにしてくれていた娘が、俺が家にいるとうっとおしそうにし始めたのが約一年前。
楽しみにしていた娘の笑顔が、俺が帰ると迷惑そうな表情に変貌したのは、結構心に来る。
まあ娘も思春期だし、マスターの言い分も分からないでもないが⋯⋯。
「生意気な態度を含め、娘さんの成長でしょう? 世界一の父親なら、それも喜ぶ度量を見せないと」
マスターの、俺の心境を見抜いたかのような一言。
「マスターには敵わないな。一杯奢るよ」
素直に降参のセリフを吐き出し、白旗を上げる代わりにグラスの酒を飲み干す。
マスターは心得たもので、次の酒を俺のグラスに注いだのち、自らのグラスを用意した。
「しかし、もう少しゆっくり休みたかったな⋯⋯明日からの依頼を考えると憂鬱だよ」
「また遠くに?」
「いや、距離はそれほどでもないんだが⋯⋯相手が魔王軍の残党、その中でも厄介な奴でね」
「へぇ⋯⋯って、そんな話を私にしても良いんですか?」
「いいよ、マスターは口が固いから。相手は魔王軍四天王のひとりと呼ばれたガルフォーネさ」
「『不死身の魔女』ですか⋯⋯そりゃあ厄介ですね」
「ああ。だが今回でトドメを刺す。その算段は付けてある」
ガルフォーネ。
魔王軍四天王筆頭とも、魔王の片腕とも呼ばれた魔女。
魔王が封印されて以降も、幾度となく出没し、そのたびに犠牲者を出している。
この国では有名な犯罪者だ。
これまで六回ほど殺したが、その都度復活し、逃亡している。
「たしか最近、村の住人が消えた事件がありましたね。それも⋯⋯?」
「ああ、間違いなくヤツの仕業だ」
「わかるもんなんですか? そんな事が」
「『場所の記憶を覗く魔法』で、奴の犯行を確認したからな」
「おお、噂には聞いてますが⋯⋯凄い魔法ですね」
「うん、そこからさらに調査して潜伏先を特定した。今回で決める」
復活のたびに各地で何やらコソコソ動いてるが、今回こそ完全に抹殺する。
「期待してますよ、『救国の勇者』に」
その言葉とともに、マスターがグラスを差し出してくる。
「ああ。任せてくれ」
奴の足取りを追うため、最近は働きづめだった。
今回の事が終われば多少長く休暇を取れるだろうし、家族で旅行、なんてのも良いかもしれない。
旅慣れた姿を見せれば、娘に「パパ頼りになる! 格好いい!」なんて言って貰えるかもしれない⋯⋯なんて思うのは流石に望み過ぎかな。
──てな事を夢想しながら、マスターとグラスを合わせた。