序章
「…ルールー、知ってるか? 今度来る新入りの話をよ」
「んぁ? …知らねえ…」
見渡す限り続く広大な砂漠の縁に、ビーチパラソルと折り畳みチェアの組み合わせで寛ぎながら、一組の男女が話をしている。
ルールー、と呼ばれた方はタンクトップと作業用ズボンのラフな服装で傍らのテーブルにクーラータンク入りのドリンクを置き、相方の男も同じ組み合わせで氷入りのジョッキを持っていた。
「…何でも、生粋の日本人だとさ。それで自分から志願してここに来るってよ」
「…ふーん、それじゃあ執行猶予を稼ぐ難民上がりかなぁ…私らと同じで…」
各々が一口づつ飲んで話が途切れると、砂漠に沈黙が訪れる。それから暫く後、地平線の向こうから飛行機が現れるとみるみるうちに大きくなり、やがて彼等の頭上を飛び越して背後の飛行場の上空を旋回し、ゆっくりと垂直降下し始める。
「…あれかもな、定期便にしちゃあ早過ぎるし、もっと緊急だったら数が少ねぇし…」
「そんじゃ、新入りの顔を拝みに行くか?」
「ああ、そうするか…ルールー、くれぐれも新入りをぶっ壊すなよ?」
「…知るかボケ…勝手にぶっ壊れるんだから仕方ねぇじゃん」
剣呑な会話をしながら二人はパラソルと椅子を畳み、傍に停めてある四輪駆動車の荷台に放り込むと、運転席と助手席に分乗し車を走らせた。
新任のオペレーターの葉山が垂直離着陸機から降りて飛行場を歩き始めると、飛行機は追い立てられるように舞い上がり、視界の中から消えてしまった。
「…はあぁ、オールド・トーキョー砂漠…かぁ。ホントに何も無いなぁ…」
彼はそう言いながら荷物を担ぎ直し、再び飛行場を歩き始める。風に舞い上げられた砂塵がアスファルトの上を覆い、ジャリジャリと靴の裏で音を立てる。
と、彼の背後から一台の四輪駆動車が近付き、横に並ぶように停まった。
「…ヘイ!! 新任のオペレーターかい?」
運転席に座った男性が声を掛けると、葉山は少しだけ驚いたが直ぐに気を取り直し、
「…ああ、今着いたばかりなので助かります。葉山といいます」
「そうか! なら俺達の仲間だな! 宜しく!!」
そう言いながら、握手を促すように右手を差し出す。彼の手は銀色に光る義手だったが、まるで生身の腕のようにしなやかに動いた。
「俺はダンカン! で、こっちはルールーだ」
「初めまして、葉山です」
助手席に収まるルールーにも会釈しながら声を掛けるが、彼女は品定めするように視線を動かしてから、
「…ふーん、生身か。で、あんたネット端子はあるのかい」
そう言って顎を上げて何かを待つ。葉山は彼女の意図を察し、背中を向けると後ろ髪を掻き上げて後頭部を見せた。
「勿論付けてますよ、最近変えたばかりですし」
「おっ、エギル社の非接触ポートじゃん! じゃあ心配ねぇな…基地に着いたら直ぐに遊ぼうぜ!!」
彼のポートを確認したルールーはそう言うと、満足そうに微笑んだが、
「…おい、ハヤマ…ルールーには気を付けろよ? 今まで何人もあんたの先輩を、病院送りにしてきたからな…」
ダンカンがこっそり教えるものの、葉山はその忠告がいまいち理解出来なかった。ネット端子と彼女の言う遊び、という何かとどんな関係があるのか。病院送りとは、痛覚付与タイプのアクションゲームでもするのだろうか。そう思いながら四輪駆動車のドアを開け、後部座席に乗り込んだ。
葉山はよーく、よーく判らせられた。そして横になっていたキャンバス地のベッドから身を起こし、トイレの清掃用バケツの中に向かって盛大に吐いた。胃の中が空になり、胃液も尽きて喉から血が滲むまで吐いた。
【…まぁまぁだったなぁ~♪ あ、次からは有料だから一回五千だぜ?】
別れ際にルールーからそう言われ、二度と頼むかとバケツに向かって呟きながら、葉山は漸く吐き気から解放された。
オールド・トーキョー砂漠駐屯所に到着した彼は、自分の直属の上司から、担当する幾つかのグループを管理監督し、必要なサポートや物資の供給を手配するのが割り当てられる職務だと説明を受けた後、部屋の外で彼を待っていたルールーの個室(女性は個室で男性はルームシェア)に招かれたのだ。
【…なあ、ハヤマ。これから長い付き合いになるかもしれねぇからさ…お互いをよーく理解してみねぇか?】
ルールーは全身義体の上、前線に出て戦闘を行うポイントマンとしての役割を担う。だから後方での待機時や、ローテーションで一時的に滞在する時はアタッチメント装着だけで即応出来るよう戦闘用義体のまま過ごす。その為、無骨で柔和さとは皆無のルールーがそう言って葉山の肩に触れた時、何をするつもりなのか理解出来なかった。
彼女の手が肩に触れ、そのまま非接触ポート付近を指先で撫でるように擦りながら、ルールーは葉山の耳元に唇を寄せて囁く。
【ほら…こんな身体だからさ、男と女がする事が簡単に出来なくてね…ちょっと、手伝って欲しくて…】
彼女が自分に向かって電脳ファックを求めていると理解した葉山は、深く考えずにコミュニケーションの一環かと思いながら承諾した。
…その瞬間、彼は編集された女性の快感をルールーに疑似体験させられた。人類創成期から培われ子孫繁栄の為繰り返されてきた、崇高な行為がデジタル編集技術に依り変換され、手軽で強烈至極な情報と快感の奔流で葉山の精神は汚染されて…今に至る。
結局、マトリクス上で葉山はルールーに好き勝手に弄ばれ、精神崩壊寸前の状態のまま彼女の玩具にさせられたのだ。
(…女は見た目で判断しちゃダメだな…特に全身義体の奴は…)
ショートカットで小柄な部類のルールーだったが、その正体はライオンも恐れぬ獰猛なクズリ(雑食性の哺乳類・その性格は極めて狂暴)だと思い知らされた。
【まー、最初は慣れねぇだろうが、そのうち同期しながらじゃねーとイケなくなるぜ? そーなるまで付き合ってやるから…気軽に声かけてくれや……ッ!!】
ルールーは感覚器の存在しない違和感で脳がパニック状態の葉山の上に跨がり、自分だけ好き勝手に楽しんだ後、そう言い残してマトリクスから居なくなった。