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シグマホワイト  作者: 東雲 静葉(きゃきゃお)
第一章
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第7話 赤い瞳を持つ者たち

 走り去るパトカーを静かに見送るソイツ、その視線は追跡を諦めたわけではない。

 目標が逃げたことよりも優先すべき存在が、目の前に立ちはだかる少年だった。

 全身に刻まれた無数の傷、血に染まった服、まともに立つのがやっとの状態であるにもかかわらずその瞳にはいまだ強い光が宿っている。

 その瞳が伝えるモノはただ一つ、依頼の遂行。

 少女を守る為に目の前の敵を決して逃がさないという揺るぎない決意であった。

 その視線を受け止めソイツは冷笑を浮かべながら小さく息をついた。


「どうやら……今後の障害となる存在は、ここで始末しておく必要があるようだな」


 その言葉は冷たく、まさに死刑宣告であった。

 再び槍を手に取り、ゆっくりと構えを取った。しかし、先ほどとは違う――今度は遊びではないといった確実に仕留める意志がその動作から伝わってくる。

 深く腰を落とし、槍の先が雨の中で鋭く光を放ち空気は緊張で張り詰めていた。

 ソイツは今、死そのものを体現している。


「第2ラウンドだな……」


 ソラの低い声が雨音にかき消されることなく響く。彼は血にまみれた手をわずかに動かし、指にはめた指輪に触れた刹那、再びあの激しい光が弾け影が荒れ狂うように伸び広がった。

 その光が消えるよりも速く――ソイツの姿は消えた。いや、正確には一息の間にソラの背後に移動していた。

 光速とでも呼べる動きが空間を裂き、その槍は空気を切り裂く音さえ追いつかない。


「ッ…………!」


 咄嗟に身を捻り攻撃を回避した。

 しかし、その背後で建物は悲鳴をあげる。触れていないはずの槍の一閃が道路の表面、そして壁面を削り取り巨大な穴を穿った。

 轟音とともに崩れゆく建物。その向こう側から混乱した人々の悲鳴が聞こえてくる。しかし、今の二人にとってソレは意味を持たず、ただの背景音に過ぎなかった。

 目の前に立つ敵への殺意。

 相手を倒すためだけの執念。

 それがすべてを支配している。


「借り物の力か……」


 ソイツは静かに呟き、槍を肩に担ぐ。その声には軽蔑が含まれていた。


「自らの意思で戦うこともできぬ未熟者が」


 ソイツの言葉は単なる挑発ではなかった。彼は既に気づいていた――ソラが頼る力である影は彼自身の意思ではなく、影そのものに依存しているのだと。

 その事実はソイツにとって好機であり、同時に彼を苛立たせる要因でもあった。


 足元に広がる闇が形を成し、無数の刃や巨大な腕のような構造物が現れソラの思考に呼応して動き、形状を変え戦う。

 しかし、その能力には言外が当然存在する。影が一定の距離を空から離れればその形を保つことはできなくなり、再び元ある影——無へと戻ってしまう。

 暗殺任務において、この特性は大きな利点となる。影で生成された凶器は犯行後に跡形も残らず消えるため一切の証拠を残さない。さらに影にはある程度の思考が存在しソラの指示で自ら行動することができる。障害物を挟んだ複雑な状況でもターゲットを正確に狙うことが可能だった。

 この力こそ、彼を『優秀な人物』として評価させる所以であった。

 しかし、その力を対面した相手に見破られたとき、その優位性は失われる。


「影を操る力、ソレには限界があるようだな。影そのものに依存しなければならないとは」


 ソラの戦いの本質は『影』を利用する力にある。しかし、この力には決定的な弱点が潜んでいた。

 影がなければこの力は発揮できない――最大の弱点である。

 濃い影ほど強力な力を生み出すことができるが、現在のように薄暗くなり始めた時間帯に影は急速にその力を失う。さらに影を操作するには物理的な接触と距離が必要となる。地面や建物、自らの影であってもそこに繋がりがなければ力を引き出すことはできない。そして、影を酷使し過ぎれば自分の影さえも薄れ最悪の場合、再び影が現れない限りその力を使用できないという致命的な状況に追い込まれる。

 そのリスクを補うようにソラの手には指輪があった。

 その指輪は戦闘のたびに淡い光を放ち続け、彼の影を再び濃くするのだ。


「その指輪……まるでお前の力を補っているようだな」


 ソイツの槍が空を切りながら言葉が冷たく響いた。鋭い洞察力は戦いの中で冷静にソラの戦闘スタイルに潜む弱点の一端を既に掴んでいた。


「……なんのことか」


 虚勢を張るようにソラも影を武器へ変化させる。

 当然その表情の裏には焦りがあった。しかし、決して相手に悟られぬようポーカーフェイスを意識する。


「お前の言うとおり影は僕の力だ。だけど、ソレ以外に何がある?」


 余裕はないが挑発するように笑みを浮かべる。

 どういう原理かは知らない、自らの血に触れることによって光を放つ両親が遺した指輪。その力の本質は未だ現在の所有者であるソラ自身にも完全には理解できていなかったが、ソラの持つ力とその指輪の相性はよかった。

 光には限界があるのか、もしそうならこの光がなくなったとき僕の敗北は決定する。


「フン……試しているつもりか」


 影で形成した武器もソイツが手に握るモノに比べれば脆い付け焼刃の単なる物質でしかなかった。

 鋭い一撃が繰り出されソレを反射的に受け止めれば、鋼鉄のぶつかり合う金属音とともに砕け散る。急いで飛び下がり地面に触れまた構えるも再び同じことで埒が明かない。

 眼前のソイツは余裕を見せながらその圧倒的な力—―ソレだけではない、技術、経験、そして殺気とすべてが完全に調和している。

 ソラはこんな怪物じみた存在を前に全力で押されていることを実感する。

 しかし、その胸の奥、心のどこかで自分の心が高揚していることに気がついた。


 ソラにとってこれほどの強者に出会うのは実に8年ぶりのことだった。最近ではかつて自分を追い詰めたような存在などどこにも見当たらず、力を使用しなくても大抵の相手は蹴散らせる。

 そんなところに自分よりも遥かに強い存在——否、バケモノとでも呼ぶべき相手。命の機器が目の前に迫るなかでソラはどこかワクワクしている自分を感じ取っていた。

 初めて報酬に見合った相手に出会えたのだ。


 内心の高揚感を隠しつつソラは再び地面に手をつき影を操る。

 これまでの武器とは違う形、もっと強度を高めなくては……!


「ほう……同じか」


 ソイツが感心したように現れたのは同じ槍であった。なぜ、これが選ばれたのかは僕自身理解はしていないが、影が最適だと判断したのが槍であっただけだ。

 そんな槍を構えようやく対等に戦えるのかと思ったそのときだった。


「そこまでだ」


 轟く声とともに燃え上がった灼熱の炎が二人の間に巨大な火柱となって立ちふさがる。刹那、巨大な火柱は壁となり路面や建物を分断し二人の動きを一瞬のうちに封じ込める。

 その炎はまさに烈火そのもので、触れれば一瞬で焼き尽くされる、燃え盛る様相は圧倒的な威圧感さえも感じさせた。


「興奮を醒まさせるモノがまさか(ほむら)とは……」


 ソイツは苦笑を浮かべながら燃え盛る炎の壁を一瞥する。

 バケモノじみたと評価できるソイツすらもその炎の壁を前にしては足を止めソレをを眺めることしかできなかった。しかし、その瞳には依然として冷徹な光が宿っていてむしろ、厄介な障害が増えたという程度の興味を示すだけであった。

 そして壁の裏側、この壁を生み出した者はその熱い炎とは裏腹に冷たい瞳でソラを見据えていた。

 炎を生み出し続ける腕に干渉しないよう作られたタンクトップの刺繍、金色の獅子を見ればその男が何者であるのかは一目瞭然である。

 この状況を唯一打開できる男であり、力を持つ者(エルフィノ)がもっとも恐れる男。


「特科が……なぜここに」


 ソラの声には驚きと焦りが混じっていたが、冷静に状況を把握すれば彼らがこの騒ぎに現れるのは当然のことであった。


「話はいらない……両者その場から動くな。既に包囲されていることはわかるだろう?」


 そのとき、今まで感じることのできなかった気配が次々に現れ初めて自分が包囲されていることに気が付いた。勘の鋭いソラであっても、戦いの中で相手が訓練されたプロなら意図的に隠された気配を見つけることは困難である。


 特科、正式には『東大陸公共安全維持組織特別異能科』と呼ばれる組織で、彼らは異能を持つ種族(エルフィノ)を監視し取り締まることを専門とする組織だ。王の直接指導のもと動き、彼らが存在する理由はシンプルで「エルフィノの監視と排除」とされる。


「坊主……お前はエルフィノか?」


 そう問いかける男の瞳もまた深紅に染まっていた。

 エルフィノがエルフィノを狩る。

 力を持つエルフィノは、民間人にとって潜在的な脅威である。その異能により社会の均衡が崩れることを恐れた大陸政府は力を持つエルフィノに地位を与え、同時に同胞を抑えつけるための組織である特科を設立した。

 特科に所属する者たちは例外なくエルフィノでありその異能をもって異能を抑え込む。

 目の前の男もその例に漏れず、深紅の瞳、やや尖った耳で彼がエルフィノであることを示していた。


 その問いの意味もシンプルで、力を使用したことで瞳の色が変わった僕を見てそう判断した。

 間違っていないが、正解とも言えぬ複雑な問題である。

 どんなに理由があろうと力を使っているところを見られ、実際に赤い瞳を確認されれば言い逃れはできない。言い訳をすれば余計面倒になることも目に見えていた。


 もし、自分が冷静で万全な状態であった場合このような行動はおこさなかっただろう。


 男が視線をソイツの方へ向けた瞬間を見計らい、炎の壁により濃くなった男と僕の足元の影が蠢きその力を発動させる。これは一種の防衛反応であり、影がこの状況を判断しおこなった為に僕が制御できるモノではなかった。

 影が僕を包み隠し男の伸びる影の中を移動するように暗闇の中に紛れる。


『ホムラ隊長、少年が逃げ出しましたよ!?』

「そうだな……逃げられてしまった」

『なら早く次の命令を……!今ならまだ探知できます』

「…………いや、話は変わった。少年はもう少し泳がせるんだ」


 ホムラは無線越しに部下を制し、腕から放出していた炎を徐々に収束させていった。その腕が人の形へと戻る頃には、少年の気配は遠ざかっていて完全に追跡が困難になるほどの距離をとられていた。しかし、ホムラはその背中を追うという選択肢をあえて捨てていた。

 少年の気配が遠ざかっていようと男の意識は眼前に佇むソレにのみ意識を集中させる。この異様な存在感を前にしては、無闇に追跡することがただの愚行であると本能的に理解していた。

 炎の熱気で乾燥しひび割れた路面の上、立ち尽くすソイツは微動だにしなかった。

 しかし、その無表情に見える外見とは裏腹に圧倒的な威圧感が空間全体を支配している。これは周囲を取り囲む部下にもヒシヒシと伝わっていることだろう。

 だからこそ、部下たちは次の指示を求めている。

 けれどもホムラはソレを一瞬だけ無視する形で深く息を吸い込み吐き出した。

 姿は人間の形状を保ちながらも人間らしい生命の気配は一切感じられない。むしろ、そこにあるのは暗闇そのもので深淵をその身に封じているかのような漆黒の気配。

 かつて見たこともない異質さにホムラは息を呑んだ。

 それが恐れなのか驚愕なのか自身でも判断がつかなかった。


「クロエ……お前は少年を追ってくれ」

『わかりました』


 感情のこもっていない静かな声が返答する。


「他は絶対にヤツから目を離すなよ。一瞬でも気を緩めればヤツに食われると思え」


 視線を少し動かし、周囲の様子を確認する。少年との戦闘の余波で破壊された建物や車両、その瓦礫の一部が異常な形状に変わっているのが見て取れた。まるで時間や物理法則が歪められたかのように捻じれ、砕けている。

 何者であれ、これを野放しにするわけにはいかない。この存在がどれほどの力を秘めているか未知数であるが、ただ一つ確かなことはここで食い止めなければ更なる被害がもたらされる。

 この場を制圧するためにどれほどの犠牲が必要になるか――その計算すらこの相手には無意味だと理解する。


 ここで逃がしてはならない。

 コイツこそが災厄そのものだ。

《特科》

正式名称:東大陸公共安全維持組織特殊異能科


東大陸における公共の秩序を維持し、エルフィノの力に由来する異能を利用した犯罪や脅威を取り締まるために設立された専門組織である。

『異能を取り締まるには異能が必要』そのため純血のエルフィノ、またはその血を引く者たちによって構成されている。しかし、ソレがエルフィノ狩りと揶揄され同族のエルフィノからは嫌われている。


特科の構成員には任務の危険性やその重要性に見合った特別な待遇が用意されている。主に王都での居住権や若年層の場合、学費の免除や高品質な教育が無償提供など教育の優遇を受けることができるなど。

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