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シグマホワイト  作者: 東雲 静葉(きゃきゃお)
第一章
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第6話 チェイサー

 今度はその姿を捉えていたために外すことはなかった。

 割れたリアガラスから飛び出し、銃弾を逃れるために車の屋根へ素早く移動したソイツに向け放たれた二発の銃弾は鋭い音を引き裂きながらソイツの胴体に着弾する。

 一瞬の沈黙。

 しかし、予想された反応はそこにはなかった。


「クソッ!なんなんだコイツはァ!?」


 銃弾が確かに命中し、ソイツの体は一瞬仰け反り薄い振動が伝わるかのように車の屋根が僅かに揺れた。

 しかし、ソレ以上の反応はなかった。

 痛みどころか、血液すら流れる気配はなくまるで撃たれたこと自体が無意味であるかのようにソイツは静かにその場に立っていた。

 走り続けるパトカーの屋根を挟み二人の視線が鋭く交錯する。

 ソイツの包帯に覆われた顔から覗く深紅の瞳。その瞳には何か禍々しい光が宿り、冷徹な意思が読み取れる。対してソラの瞳は苛立ちと戸惑いが入り混じった赤い輝きを放っている。

 睨み合いの中で、ソイツの瞳がゆっくりと動いた。

 その動きにソラはすぐさま身構えるが、攻撃の気配はなかった。

 ソイツはただ、自らに撃ち込まれた弾丸が当たった箇所へと視線を落とし、その部分をじっくりと観察しているようだった。

 やがて、その視線の先で起こる異様な現象にソラの呼吸は浅くなる。

 弾丸が命中した箇所からまるで体内からにじみ出る様に、黒い泥のような液体はじくじくと染み出しながら弾丸を押し出すように傷口から溢れ出る。

 鈍い音をたてて体外に排出された弾丸はすっかりその泥と同じ黒に染まっていた。

 その黒く濡れた弾丸を包帯に覆われた手が拾い上げる。

 まるで―


「私は……私の血を初めて見た。いつの間にか、こんなに黒く汚れていたのか」


 その声は奇妙だった。

 掠れた低音と高音が入り混じり、まるで複数の存在が同時に話しているかのような合成音声のようだった。

 そして、ソレは間違いなく僕らの知る言語である。

 理解できる言葉で、意志を持って話している。敵意だけでなく、明確な意思がそこに宿っているのだ。

 僕は思わず息を呑んだ。


「上で何が起こっている!?」

「アレンさん、絶対に車を止めないでくれ!」


 悪魔と呼ばれ人を超えた身体能力を持ち、人ならざる容姿からソイツは完全なるバケモノであった方が戦いやすかった。

 包帯から覗かせる黒く乾燥した肌、その表面はまるで干からびた樹皮のように皺だらけで生気というものが一切感じられない。腐敗した黒さを帯びたその肌は過去に生きた痕跡すらも拒絶するかのようでった。


「今日だけで何度この質問をするのか……お前は何者だ。なぜ彼女を狙う」


 走り続けるパトカーの上で次第に強く打ちつけ始めた雨を浴びながら銃を向け問いかけた。

 体に対してオーバーサイズとも思える黒いローブを身に纏ったソイツは血に染まった手から僕へ視線を移し口を開く。


「私が私であると—―誰が証明する」


 その言葉は問いかけのようでもあり、嘆きのようでもあった。

 包帯の隙間から覗く黒く腐った肌が不気味に雨で濡れて光る。

 ソイツはわずかに顔を持ち上げるが、その深紅に染まる不気味な瞳は見えなかった。ただ何か深い闇のようなものがこちらを見つめている感覚だけが伝わってくる。


「証明などいらない……そうだったな。存在すること、ソレがすべてだ」


 黒く染まった包帯はやがて形状を変化させ、槍となりソイツの手中に収まっていた。

 似た力である。


「鍵を渡せ。そうすれば殺さないでやる」

「鍵とか何だとか……何の話だよ」

「この状況で拒むのか?」

「所詮、バケモノが言語を覚えたってソレが会話(・・)になるかどうかは別の話だったな……」


 やはり目的は鍵なんだ。だが、僕も鍵の存在とやらを今さっき知ったばかりで差し出せる物は何もない。しかし、彼女を差し出せば僕は依頼を放棄することとなってしまう。

 不明瞭な状況に振り回されることは慣れているつもりであったが、依頼の内容、現状、鍵の存在と少女の重要性など何ひとつ自分が納得することのできる説明がなされていないことに対する苛立ちは限界を迎え始めていた。


「少年よ……貴様は何のためにあの少女を助けた」

「理由は必要か?」

「理由なき善意ほど薄っぺらなモノはない」


 ローブがふわりと揺れた――そんな刹那の動きにソラの意識が引き寄せられる。


ズバァ!


 ソイツの構えた槍が空間を切り裂いて迫りくる。黒い泥で形作られた鋭利なソレは音すらも置き去りにする速度で突き出された。反射的に身を捻るもその一瞬は人間の反応速度を遥かに上回っていて、槍の先端はソラの脇腹を掠めていた。

 まさに紙一重であった。

 痛みが走り、鮮血が滲む。冷たい雨が傷口に染みる中、ソラは不安定なトランクの上で体制を崩しながらも振り落とされないようにしがみつく。


「どうした……見えなかったのか?」


 完全に貫かれなかったことはただの幸運である。

 ソイツの言うとおり、僕は完全に今の一撃を捉えることができなかった。あんな速い矛先を追いかけることなんて不可能だ。


「もう一度聞こうか……なぜ彼女を助けた。私の邪魔をする理由が貴様にあるのか?」


 今度は確実に仕留める。そう宣言するように槍を向けるソイツは問いかけてきた。


「馬鹿言うなよ。こっちは生きるために金が必要なんだよ」

「ならば退け。私の雇い主にその金額払わせる」

「同業者ってわけか……なら理由は簡単だな。プライドだよ」

「安いプライドだ」


 態勢を立て直す間もなく、鋭い音をたてて闇を切り裂くようにその槍はソラの目の前に迫る。もう警告の余地を与えるつもりはないようで脅迫するように執拗な動きを見せ、何度もソラの体を掠めていく。

 速いが当たらない、何とか目で追うことのできる速度に体が対応を始める。ただ、鋭利な槍の先端が衣服の端を切り裂き、肌に冷たい空気が触れる度に死神が微笑んでいるようだった。


「ぐッ……!」


 ギリギリの回避を繰り返し、態勢を整える余裕すら与えられない状況に追い込まれ歯を食いしばった口から息が漏れる。

 ただの脅しか?否、違う――ヤツの瞳が物語っていた。


 包帯の隙間から覗く深紅の瞳、その中にはまぎれもない殺意が宿っている。ソイツの動きは迷いなく、そして容赦もなく一撃一撃が正確でもし掠めるどころか直撃を許せばソレで終わると確信させるモノがあった。


「終わりだ!」


 そう宣言し放たれたソイツの一撃であったがソレは空を切り僕を外した。


「あ!?マズッ…………!」


 ソイツが狙い定めていたのはソラ本人ではなく、彼の立つトランクの蓋であった。最後の一撃で蓋が完全に外れると、ソラはバランスを崩しそのまま蓋ごと宙へと放り出される。

 重力に従い走行する車から落下した蓋と少年の姿を見届けるソイツ、その表情は無機質で勝利の喜びや感情の揺れは一切見られなかった。ただ、彼が邪魔者を排除したという事実だけがそこにあった。

 トランクの蓋が地面にぶつかり、金属音が鋭く響き渡る。その音すらも意に介さずソイツは今や目の前にいる唯一の目標——少女にゆっくりと向き直る。


「キミ、耳を塞いで!」


 アレンがバックミラー越しにソイツの異常な挙動を目の当たりにし、車内で拳銃を抜いた。迷うことなくソイツの頭部を正確に狙い引き金を引く。一発、二発と次々に放たれる銃弾。しかし、ソレらはすべて命中しながらもソイツに一切の傷を負わせることはできなかった。

 銃弾が肉を貫く音は確かに聞こえた。

 それでもソイツの動きに変化はない。

 血液ではなく黒く粘りついた液体が弾痕から滲み出て、車内に不気味な染みを作るばかりであった。

 次の瞬間、ソイツの大きな手が車内で小さく蹲っていた少女の首を掴み上げた。その動きには無駄がなく躊躇いない力強さで少女の小さな体を宙に引き上げる。

 再びソイツに向け拳銃を抜いたアレンであったが、ソイツも二度同じ過ちを繰り返すつもりはなかった。

 引き金を引く動作よりも速く、その人間離れしたバケモノ染みた速度でもう片方の腕が振り上げられる。刹那、ソイツの腕がまるで鞭のようにしなり、アレンの肩口に激しい衝撃が走る。

 その一撃は金属の天井を切り裂き、アレンの腕は骨が砕かれ意識が遠のくとやがてそのままぐったりと動かなくなった。


「愚かなことを……」


 運転手を失った車は緩やかに減速し始め、ハンドルの制御を失ったことで歩道へとゆっくり傾きながら遂に完全に停止した。

 車内は静寂に包まれ、唯一聞こえるのはエンジンの低い唸りと雨がボディを叩く音だけであった。


「ようやく会えたな……」


 その声は低く、冷たく響いた。

 少女の体が空中で虚しく揺れ、彼女の足は助けを求める様に空を掻いていた。


「鍵を返してもらう」


 その言葉に込められた執念のようなものが、その場の空気を更に冷え込ませる。少女は喉を圧迫され、口元から漏れる唾液が糸を引きながら滴り落ち声を出すことさえ困難な状況ですべての力を振り絞りわずかに震える声をあげる。


「ダメ……彼女はアナタたちに渡せない!」


 その声は掠れていながらも強い意志を宿していた。しかし、強い意志、強い言葉であってもそんなモノが通じる相手ではない。ソイツの反応は冷酷そのもので、ただ無言のまま彼女の細い首を強く締め付けるだけだった。

 しかし、そのときソイツの表情が微かに動いた。顔に張り付いていた仮面が剥がれ落ちるように、乾いたパキッビチビチッという音がなる。


「鍵は本来、この世に在ってはならないモノだ」


 低く抑えられた声が場の静寂を切り裂くように続けられる。


「過去……世界の動乱には必ずソレが存在していた。鍵の存在、そして得られる力によって多くの魂が散っていった。不完全なるモノは曖昧だ……その存在意義すらも霧に閉ざす」


 彼の言葉には重みがあり、ただの脅しではない真実が含まれているように思えた。

 けれども、首を締め上げられた少女の瞳は涙で潤みながらもその赤い瞳に宿る意志が消えることはない。呻きのような息を漏らしながら、それでも彼女は必死に抗おうとしていた。しかし、ソイツの圧倒的な力の前ではそんな小さな抵抗も虚しく見えるばかりであった。


 力を失った少女の体はやがてぐったりと宙に垂れ下がり、意識が完全に途切れる寸前だった。

 そんな少女にソイツはトドメを刺そうとしたその瞬間——

 ソイツの腕が突如として硬直する。高く掲げた腕がまるで見えない鎖に縛られたかのように動きを止めた。

 ソイツの瞳に初めて動揺が走る。


「…………これは……?」


 まるで自らの行動が何者かに干渉されているような感覚。

 ソイツは直ぐにソレが鍵の抵抗によるモノだと直感的に理解していた。


「最後の抵抗か……くだらない」


 そう呟いた刹那、今度は彼の顎に重く鈍い衝撃が走り思わず体がよろけ、視界が一瞬揺らめく。

 驚愕に目を見開きながら振り返るとそこに立っていたのは、血まみれで息も荒い少年だった。

 全身はボロボロで、顔には血が滴り、服は裂け、無数の傷が痛々しく刻まれている。それでも彼の眼光は消えていないどころか、燃え盛る炎のように赤く輝き、その瞳が放つ戦意はかつてないほど強烈にソイツへ向けられていた。

 生きた復讐。

 そんな言葉が似合う表情だ。


「まだ生きていたのか……」


 動揺や驚愕のような感情がようやく表に出始めたソイツの声には苛立ちが混じっていた。

 走行中の車から落下し無事であるなど可笑しな話である。確実に始末していたと思っていた少年が再び立ちはだかるなんて予想外であった。

 少女を掴んでいた手が緩み落下した彼女をソラの足元から伸びる影が受け止めると、その影は意思を持ってパトカーの中へと運び込んだ。


「アレンさん!」


 ソラの叫びに応じるように、車のエンジンが轟音をあげる。意識が半分戻ったアレンが、ハンドルを握りしめ震える足でアクセルを踏み込むとパトカーは急発進しソイツの背後から猛スピードで離れていった。


「本当に……しぶといヤツだよ」


 その言葉はどちらに向けられたモノか、或いは両者に向けて――ソイツは振り返るも遠ざかる車の背中を追うことはなかった。

 そして、視線は再びソラに向けられる。


「優先順位は変わった……今後、私の障害になるモノは早いうちに始末しなければいけない」

「へへッ第2ラウンドだ……!」

《東大陸》

 大陸が4つに分裂してから間もなく独自に発展した東に位置する大陸。別名:ヴァルネス


〈大陸の特徴〉

 主な特徴として大陸南部と東部にかけて続く山脈や大陸中央に存在する巨大な湖は東大陸を象徴する自然である。大陸北部、西部のような他大陸と海を隔て隣接する土地は開発が進められ反対側の自然に対し高層ビルや塔が立ち並び現代的な建造物が目立つ。

 大陸を構成するのは王都を含め主に8地区。

 すべての中心である【王都】、隣接するようにソラなどが住む一般都市【リアナ】、他大陸との貿易の要であり商業都市【セリシアナ】、王都の次に発展した都会【アステリアナ】の3大地区が存在し、王都から離れた東部最大の土地でありエルフィノが拠点とする治安の最悪な【ハルベイド】、後は別に大したモノもない【ハインランド】や【ローマニアナ】【オアイランド】が主な8地区である。

 すべての中心とされる王都もまた現代的な景観であるが、ひと際目立つ建物がその景観に違和感を覚えさせる。その建物こそ、この大陸を統治する王家の宮殿『ファルテオン宮殿』である。

 大陸を統治するのが王族であるようにこの大陸の体制は王政だ。


〈王族と統治体制〉

 東大陸を統治する王家アルナート一族は『神の声を聞く者』として大陸の民から慕われている。強い宗教的なカリスマ性を持ち国の精神的支柱として大陸が分裂した時代から現代にまでその影響力を保持している。

 権力構造としては最終決定権や権力をすべて王家であるアルナート家が握っているが、日常の行政や政策決定には議会や大臣が関与している。

 そんな議会は東大陸の各地区の代表者や有力者などによって構成され、そこでは日々大陸の政策や法律の提案をおこない王家に助言を与える役割を担っている。

 簡単に言えば議会は民意を反映する機関だ。

 なお、議会とは別に大臣クラスで構成された組織も存在し、大臣とは王家に直接仕える者たちで行政、軍事、財政、外交とそれぞれに複数名の大臣が任命されこちらは王家の意向を具体的な行動に移す責任を負っている。

 この大臣クラスの世界は世襲制が今も根強く残っているため過去から受け継がれる対立が激しく大陸成立から王家を支えるロズボーン家が率いる〈保守派〉、派閥としては新しいエルフィノとのつながりが強い〈純血派〉が主な派閥。どちらとも距離を置いている大臣も少なくないが、政戦に巻き込まれることで最終的にどちらかに寄ってしまう。


〈大陸内の問題〉

 東大陸が抱える問題の一つとして真っ先にエルフィノが挙げられる。

 エルフィノは特殊な力、そして重労働にも耐えることのできる肉体を持っていた。そのため一般人から見れば脅威であり、ソレは王家だけでなく他大陸からも危険な存在として認識されている。過去には大戦で悪魔に加担したとされ『悪魔の末裔』という不名誉な称号を与えられ迫害を受けてきた。

 東大陸はそんなエルフィノが一番多く居住している大陸であったために、他の大陸同様の扱いを受けてきた彼らが団結し暴動を起こす事件など度々発生していた。そのたびにエルフィノを取り締まる特科によって鎮圧することができたが13年前、エルフィノの労働力によって栄えたハルベイドにて決起が発生。

 内戦状態に突入しやがてハルベイドは彼らによって占拠され独立を宣言される。『ハルベイド占領事件』である。

 しかし、エルフィノのみでハルベイドを統治することは困難であり、やがて内需や内政の崩壊からその勢力は傾き混乱が発生。その混乱に乗じ参入したのがマフィアやギャング、そして現在ハルベイドの実権を握っている薔薇の傭兵のような反社会勢力であった。

 治安が大陸一危険な土地は反社会勢力の巣窟となり、大陸によって力を抑えつけられたエルフィノ達の土地は再び失われることとなる。

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