手向け
「ふふ、絶好のお出かけ日和ですね!」
日が暮れて月が夜空に上り始めた頃、僕とメルザは皇都へと繰り出す。
本当は夜になれば物騒ではあるけど、少なくとも僕もメルザもそこいらの連中なんて相手にならないし、何より、メルザに危害が加えられるようなこと、この僕が絶対にさせないから。
「ええ、今日はオペラを楽しんで、そのあとはレストランで舌鼓を打つことにしましょう」
「はい!」
実は、今日のために今話題のオペラを鑑賞するための特等席を用意しているし、皇都一と評判のレストランも予約してある。
要は、僕とメルザの夜のデートなのだ。
「メルザ……どうぞ」
「ふふ……ありがとうございます」
僕はメルザの手を取り、馬車へと乗せる。
その後に続いて僕も馬車に乗り込むと、一路劇場へと向かう。
「それにしても……ヒューが観劇に興味があるとは思いませんでした」
「あはは……本当のことを言うと、僕もオペラはよく分からないんです。ですが、学院の生徒達がかなり話題にしていたのを小耳に挟みましたので、是非ともメルザと鑑賞してみたいと思った次第でして……」
そう言って、僕は苦笑する。
だって女性はオペラが大好きで、デートにはピッタリだという話だし……。
「ヒュー……私、あなたと一緒にこうやってデートを楽しめるなんて、すごく幸せです……」
「僕もですよ……メルザと一緒にいるだけで、どれだけ満たされるか……」
馬車の中で見つめ合い、その手を取る。
メルザの、華奢で、白くて、柔らかな手。
僕を優しく撫でてくれる、大好きな手だ。
「あ……ふふ、どうやら着いたようですよ?」
「本当ですね」
車窓から覗くと、暗がりの中明々と照らされた立派な建物が目の前にあった。
これこそが、皇都にある最大の劇場、“サウザンクレイン皇立劇場”だ。
「さあ、行きましょう」
「はい」
馬車から降り、僕とメルザは劇場の中へと入る。
既にホールには開演を心待ちにしている観客で溢れていた。
「メルザ、こちらです」
「ふふ……はい」
メルザをエスコートしながら二階にある貴賓席へやって来ると、僕達は椅子に座った。
そして。
「あ、始まりました!」
「ええ!」
今日のオペラの内容は、主人公の王子とヒロインである敵国の王女が、偶然に立ち寄った湖のほとりで出逢い、お互いが一目惚れするものの、争いの中で引き離され、主人公は自国を出奔してでも王女に逢いにいくが、敵と勘違いした兵士に殺され、王女は争いが終わった後も永遠に王子を待ち続けるといったストーリーだった。
「ぐす……」
隣で、メルザのすすり泣く声が聞こえる。
なので僕は、ハンカチを取り出してメルザの涙を優しく拭ってあげた。
「あ……ありがとうございます……」
「あはは、いえ……」
幕が閉じ、観客達は満足げな表情を浮かべて帰っていく。
「ヒュー……素晴らしい劇でしたね……」
「そうですね……」
メルザには悪いけど、僕はそうは思っていない。
だって、これじゃ主人公は大切な女性をいつまでも待たせるだけの、ただの無責任な男に過ぎないから。
「……ヒューはあの劇のどこが不満だったのですか?」
「あ、あはは……」
そうだった。メルザには嘘が分かるんだった……。
僕は苦笑いを浮かべながら、口を尖らせるメルザと馬車に乗り込む。
「……僕はあの主人公とは違い、絶対にあなたを待たせるような真似はしませんから」
「あ……も、もう……これではヒューを怒れないじゃないですか……」
僕の答えを聞き、メルザが口元を緩めた。
「ですが、もうこんな時間ですから、お腹がペコペコですね」
「ふふ……本当にヒューは食いしん坊ですね。でも、私は美味しそうに食事をするヒューが大好きです」
そう言って、メルザがクスクスと笑う。
まあ、僕に食事の楽しさを教えてくれたのは、メルザと大公殿下なんだけど。
ということで、馬車を走らせてレストランにやって来た。
「さあ、どうぞ」
「ありがとうございます」
メルザの手を取り、ゆっくりと馬車から降りる。
入口では、背広を着た男性や料理人、従業員などが一堂に並んでいた。
「お待ちしておりました。ヒューゴ様、メルトレーザ様」
背広を着た男性が、恭しく一礼した。
どうやらこの人が、レストランのオーナーのようだ。
「今日はぜひ楽しませていただきます」
「ふふ、本当に楽しみです」
「では、こちらへ」
店の中へと案内され、他の客が食事をしているホールではなく、僕達は階段を上がって二階の部屋へと通された。
要は、特別な客をもてなすための特別な席というわけだ。
「ありがとう」
タキシードを着た給仕が椅子を引き、僕とメルザは一言礼を言って座る。
「では、すぐに料理をお持ちいたします」
給仕は頭を下げると、部屋を出て行った。
「ふふ、楽しみですね」
「はい! 一度、メルザと一緒に来てみたかったので、本当に嬉しいです!」
そう……このレストランは、僕が一回目の人生でグレンヴィルの指示で暗殺ばかりしていた頃、ターゲットの殺害のために訪れたことがある。
はは……あの時は、こんな宝石みたいな食べ物があるんだって、目を輝かせていたっけ……。
でも、僕にはこの店の料理を食べる資格はなくて、ただ眺めて、ターゲットを殺して、それだけ……。
そんな、ただ憧れだけを残した場所だ……。
僕は感慨にふけり、そっと目を閉じていると。
「お待たせいたしました」
僕達の料理を運んできた給仕が、テーブルの上に皿を置いていく。
「ふふ……さあ、いただきましょう」
「はい!」
メルザの言葉を受け、僕はナイフとフォークを手にした。
で、早速前菜をフォークに刺して口へと運ぶと。
「! お、美味しい!」
「ええ! これは、うちの料理長にも教えて差し上げませんと!」
そのあまりの美味しさに、僕はメルザとは見合わせて顔を綻ばせた。
その後も、次々と料理が運ばれてきて、僕達はその美味しさに頬を緩める。
「学院を卒業したら、その時はメルザと一緒にお酒も飲んでみたいですね」
「ふふ……ヒューったら、私を酔わせるおつもりですか?」
「あはは……酔ったあなたを見てみたいのも確かにあります。お酒で頬を染めるメルザは、さぞ綺麗なんでしょうね……」
「あう……も、もう……」
僕の言葉に、メルザがお酒を飲んでいないのに頬が赤くなった。
ああ……やっぱり僕の婚約者は世界一可愛い……。
「ヒュ、ヒューのせいで火照ってしまったのですから、その……責任、とってくださいね……?」
「もちろんです……今夜の思い出と共に、僕の血を堪能してください……」
「はい……」
その後も、僕とメルザは美味しい料理に舌鼓を打ちながら、楽しいひと時を過ごした。
◇
「さあ、今日の締めくくり、ですね」
「ええ」
レストランを出た僕とメルザは、馬車に乗って皇都の外れへと向かう。
そこは人気もなく、野犬の鳴き声が響いていた。
「……今にも幽霊が出てきそうな場所、ですね……」
メルザが僕の腕をギュ、と抱きしめる。
そう……僕達は、墓地へと来ていた。
「ここですね……」
ポツン、と寂しくたたずむ、小さな墓の前で立ち止まる。
墓石には、エレンの名前と、誕生日と、亡くなった日付が刻まれていた。
馬車から持ってきた、使用人があらかじめ用意してくれた花を墓前に供える。
「エレン……お前の望む結果にはならなかったけど、ダリル=グローバーは失脚した。もう、貴族として死んだも同然だ」
僕は、墓に向かって静かに語りかける。
「こうなることは覚悟していたんだろう? エレンは、弟には逢えない」
何故なら、エレンは弟のいる場所には行けないから……。
「ヒュー……そろそろ」
「はい……」
メルザに促され、僕は踵を返す。
「じゃあ、いつかまた……」
最後にその一言だけ告げ、僕とメルザは主のいない墓から去った。
お読みいただき、ありがとうございました!
少しでも面白い! 続きが読みたい! と思っていただけたら、
『ブックマーク』と広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると幸いです!
評価ボタンは、モチベーションに繋がりますので、何卒応援よろしくお願いします!




