父だった男
エイヴァと結婚してからの私は、毎日が幸せだった。
彼女の笑顔を見るために、私はありとあらゆることをしてきた。
そのために、彼女が欲しいものは金に糸目をつけず与えたし、お茶会やパーティーに参加するのも自由にさせた。
事実、エイヴァは社交界においても光り輝いていた。
そんな彼女を連れてパーティーに出席するたび、私は誇らしい気持ちになったものだ。
どうだ、これが私の妻だ、とな。
そんな幸せな日々を過ごしていたある日、私が領内の視察に数日間屋敷を離れなければならないことがあった。
断腸の思いではあるが、侯爵として領内のことを疎かにするわけにもいかない。
私はエイヴァに屋敷の留守を頼み、視察へ向かう。
当初の予定では二週間だったが、早くエイヴァに逢いたい一心で、仕事を繰り上げて十日で戻れることとなった。
すると……彼女は、屋敷にいなかった。
執事長に確認すると、エイヴァは毎日のようにパーティーやお茶会に出席しているので、ほとんど不在にしているとのこと。
元々、この私がそれを許可したのだから、何も言うことはない。
とはいえ、だからといって彼女の行動が気にならないわけがない。
私は別の御者を捕まえ、エイヴァがどこに行ったのか確認した。
そうしたら、行先は皇宮だというではないか。
気がつけば、私は皇宮へと向かっていた。
エイヴァが皇宮に、一体何の用がある?
この時の私の脳裏には、あの皇立学園で見かけた、皇太子とエイヴァの仲睦まじい姿ばかりが浮かんでいた。
そして……私は声を失った。
皇宮の中を、仲睦まじく歩く二人の姿を見て。
嬉しそうな、エイヴァの笑顔を見て。
この時、私は悟ったのだ。
エイヴァの心は……私ではなく、皇太子を選んでいたのだと。
彼女が屋敷に戻るなり、私は問い質した。
私が留守の間、皇太子と逢引きをしていた事実を。
すると、彼女はすぐに認めた。
しかもあろうことか、彼女のお腹の中にはあの男の子どもがいたのだ。
エイヴァは必死に私との子どもだと訴えるが、どうしてそれが信じられようか。
私は、危うくあの男の子どもを、我が子として育てさせられるところだったのだ。
当たり前だが、私はエイヴァに離縁を突き付けた。
だが、それを聞いたノーフォーク辺境伯が理由について問い質しに来た。
それだけじゃない。
どこから聞きつけたか知らないが、私とエイヴァの問題に皇室が介入してきたのだ。
後に聞いた話では、この時はまだ事情を知らなかったノーフォーク辺境伯が、万が一のために働きかけたとのことだった。
そのせいで、私はエイヴァと離縁することができなくなってしまった。
だから私は、エイヴァを屋敷の北にある塔へ幽閉した。
愛していたエイヴァを、殺す勇気すら持ち合わせぬままな……。
だから私は、ただ皇太子……エドワード=フォン=サウザンクレインへの憎しみに縋るほかなかった……。
「ハハハ……そうしたらどうだ? エイヴァは、貴様を産んで死んでしまいおったわ……」
乾いた笑みを浮かべながら、グレンヴィルはこの僕を見る。
周りにいる者……大公殿下も、宰相も、大臣も、騎士達も、そして皇帝も……誰一人としてグレンヴィルを止める者はなく、ただこの男の言葉に聞き入ってしまっていた。
でも、僕にはこの男が見えていなくて……。
「……ならば聞くが、なぜ婿殿をここまで育てたのじゃ? 実の子でないのであれば、孤児院なりなんなり、手放せばよかったじゃろう」
「面白いことを聞く。そんなもの、決まっているだろう。コイツは、忌々しい目の前の男の子どもなのだ。僅かな希望だけを見せ、最後に絶望を与えて殺すためだ!」
は、はは……そうか……。
結局は、この男も僕も、お互いがお互いに絶望を味わわせたかっただなんて、本当になんて皮肉なんだ……。
僕は……僕は……。
気づけば、僕は腰にあるサーベルを抜き、鞘を勢いよく放り投げていた。
さらにそのまま、跪いているグレンヴィルに……この哀れな男に一瞥もくれずに通り過ぎ、ただ真っ直ぐ歩を進め……。
「……大公殿下、どいてください」
「それはできん。私はサウザンクレイン皇国の武を司る、シリル=オブ=ウッドストックじゃ。皇国を……皇帝陛下を守るのが、この私の使命」
僕の動きを察し、皇帝陛下の前で仁王立ちする大公殿下。
そんな僕の恩人に、目標に、憧れに……僕は、サーベルの切っ先を向けた。
「もう一度言います……どいてください」
「…………………………」
大公殿下は、無言でかぶりを振る。
でも、大公殿下はその手に剣も、ましてやハルバードも持っていなくて。
僕に……斬られる覚悟で……っ!
「どけえええええええええッッッ!」
サーベルを振りかぶり、その刃を大公殿下の肩口に勢いよく降ろそうとして。
でも。
――カラン。
「……ふざけないでください……僕に……僕に、あなたが斬れるわけがないじゃないですか……っ!」
「婿殿……」
僕の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。
僕は……この目の前にいる男と、死んだ母親との不貞によって生まれた子どもで、父だと思っていた男に恨まれ、憎まれ続けて……。
誰からも、望まれてなくて……。
「僕は……僕は、生まれてきたらいけなかったんですか……? 僕は、生きていたらいけないんですか……?」
「婿殿……っ!」
サーベルを床に落としてたたずむ僕を、大公殿下が力強く抱きしめた。
「そんなわけがなかろう! 我が孫娘、メルにとって……一人息子を戦で亡くした私にとって、婿殿がいてくれることが、どれほど嬉しいか……どれほど救われたか……っ!」
僕は、大公殿下の胸にただ悲しみをぶつける。
それを、大公殿下がただ受け止めてくれて……。
その時。
「……ヒューゴよ。そして、グレンヴィルよ。余の話を聞いてはくれぬか……?」
大公殿下の後ろで、皇帝が僕と、グレンヴィルにそう語りかけた、
今さら……今さら僕に、この男に、何の話があるって言うんだ!
「女神グレーネに誓って言おう……余は……いや、エイヴァは、決して契りを交わしてなどおらん」
「「っ!?」」
皇帝の独白に、僕も……そしてグレンヴィルも、息を飲んだ。
「ふ、ふざけるな! そんな馬鹿な話があるか! 私は見たのだ! 貴様と、エイヴァが仲睦まじくいるその姿を!」
「そうだな……それこそ、余の過ちであろう……」
何を言ってるんだよ、この皇帝は……。
もう、何がなんだか、さっぱり分からないよ……。
「グレンヴィルよ……確かに余は、エイヴァに懸想しておった。お主と婚約していることも、ましてや結婚したことも承知の上で」
「ほら見ろ! やはり、エイヴァに手を出したのではないか!」
「いいや、それだけは彼女の名誉を守るためにも、全力で否定させてもらう。彼女は……エイヴァは、一度たりとも余になびくことなく、お主に操を立てておったよ……口惜しいがな……」
そう言うと、皇帝陛下は乾いた笑みを浮かべた、
「だから、余が我儘を言ってただ一度、お主が見たというその時に、皇宮で逢ってもらったのだ……余は、ただ同じ学院に通っていた生徒同士として、彼女に逢うだけの存在にしかなれなかったのだ……」
「い、いい加減にしろっ! だったら何か!? 私は、ただの勘違いで彼女を……エイヴァを恨んで、ヒューゴを憎んで、貴様を殺しにここまで来たとでもいうのかッッッ!」
グレンヴィルは今にも泣き崩れてしまいそうな表情で、縋るように叫ぶ。
だって……皇帝の独白を認めてしまったら、グレンヴィルは僕が生まれてから……いや、僕の母と出逢ってから今までの人生の全てを否定することになってしまうから。
でも。
「……お主にこのような思いをさせてしまったこと、誠にすまぬと思っている。だが、エイヴァの名誉に懸けて、何度でも言おう。あの日、彼女が余に向けてくれた微笑みも、言葉も、全ては友人としてのものでしかなかったと。彼女が嬉しそうに話すのは、全てグレンヴィルとお腹の子のことであったと」
「あ……あああああ……っ!」
グレンヴィルは、絶望の表情を浮かべて呆然とする。
なら……僕はやっぱり、このグレンヴィルの子どもだった、ということか……。
そして、逆恨みで六回も殺され続けてきたということか……。
「は、はは……」
「婿殿……」
皇帝が本当のことを言っているのか、それは僕には分からない。
でも……少なくとも、グレンヴィルを奈落の底に突き落とすには充分だった。
「な、なら皇帝陛下……後日改めて、同じことを言えますか……?」
「……うむ、いつでも尋ねるがいい。その時は一言一句、答えよう。余が恋焦がれた女性の子、ヒューゴよ」
僕は……。
「婿殿……帰ろう。メルがお主の帰りを待っておる……」
「大公殿下……はい」
大公殿下に背中を押され、僕はメルザがくれた房飾りのついた、大公殿下がくれたサーベルと鞘を拾う。
そして、大公殿下と共に、皇宮を後にした。
床に突っ伏して母上の名を何度も叫びながら慟哭する、父だった男、グレンヴィルを置き去りにして。
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