上書き
「ふふ! 早くこちらに来てください!」
庭園に着くなり、メルザは僕から降りてはしゃぐ。
そんな彼女を、小さな池の水面に映る月の光が反射して照らしていた。
うん……やっぱりメルザは、朝や昼も綺麗だけど、夜が一番似合う。
「もう……何をしているのですか?」
メルザが口を尖らせ、腕を絡ませて僕を引っ張った。
「はは……すいません。メルザに見とれていて、つい……」
「あう……も、もう、そんなことを言われてしまっては、せっかく怒ったふりをしたのに台無しです……」
そんなことを言いながら、口元を緩めるメルザ。
どうしよう……可愛すぎて尊すぎて、息が止まりそうなんだけど……。
とりあえず気を取り直し、庭園に備え付けられているテラスの椅子に座る。
「おお……!」
「ふふ、美味しそうですね」
バスケットから取り出した中身は、生ハムやオムレツ、それに野菜をパンで挟んだものにグリルしたチキン、マリネ、そして……。
「鴨のテリーヌまで入ってますね!」
「当然です。ヒューの一番人気は外せませんから」
そう言って、自慢げに頷くメルザ。
メルザと初めて出逢った次の日に、僕の歓迎会として用意してくれた鴨のテリーヌ。
それ以来、この料理は僕の一番のご馳走になっている。
「では、お茶を淹れますね」
メルザは慣れた手つきでバスケットから取り出したポットに水筒から水を注ぎ、火魔法でお湯を沸かす。
お茶を布の袋で包み、ポットの中に入れてしばらく待つと。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
お茶を注いだティーカップを受け取り、僕は口に含んだ。
「はああ……やはりメルザが淹れてくれたお茶が、一番心が安らいで美味しいですね……」
「ふふ、ありがとうございます」
本当に、メルザと一緒だと癒されるなあ……。
こんな幸せな時間を味わってしまったら、あの六回の人生に戻ることなんて絶対に不可能だ。
「うん、このパンで具を挟んだものも美味しい……って」
すると、メルザが鴨のテリーヌを一口サイズに切り分け、それを僕の口元に近づけた。
「ふふ……召し上がれ」
「はい……はむ」
差し出されたテリーヌを口に含み、ゆっくりと咀嚼する。
「うん……美味しすぎて、口の中で蕩けてしまいましたよ……」
「ならよかったです」
僕の食べる姿を嬉しそうに眺めながら、メルザが満足そうに頷いた。
だったら僕も、ちゃんとお返しをしないとね。
「メルザ、どうぞ」
「あ……ふふ、いただきます。はむ……」
メルザは可愛らしい桜色の口で差し出したテリーヌを口に含む。
「やはり、ヒューに食べさせていただくのは最高の気分です……」
「本当ですか? だったらこれも……」
それから僕は、メルザの笑顔が見たくて何度も料理を食べさせた。
◇
「月が綺麗ですね……」
食事を終え、僕とメルザは地面に座りながら肩を寄せ合っている。
メルザの体温が、少し冷たい夜の空気と相まってすごく心地よい。
本当に、あのエレンに触れられた時とは大違いだ……って、そういえばそのことをメルザに話さないと。
メルザにそんなことを言う必要はないのかもしれないけど、言わないことは僕からすればメルザに対する裏切り行為でしかないから。
何より……メルザは僕と出逢うまで、悪意と嘘を受け続けてきたんだから。
僕は、メルザには愛情と真心だけを与え続けたいから……。
「あの、メルザ……実は……」
気持ちよさそうに目を細めているメルザに、僕はおずおずとあの時の状況について説明した。
エレンが僕の背中にしなだれかかり、何度も精神魔法をかけたこと。
洗脳されたふりをすると、僕にジーンを殺害するように命令したこと。
そして……アイツが、僕の頬を舐めたこと。
「……絶対に、許せません」
険しい表情でポツリ、と呟くメルザ。
当然だ。婚約者であるこの僕に手を出したんだから。
「……このことを理由に、この家から追い出しますか?」
「いえ、まだその時ではありません……違いますね、そんな程度で済ませたくはありません」
僕の提案にゆっくりかぶりを振り、メルザは低い声で静かにそう告げた。
メルザのことを慮ってそう言ったけど、もちろん僕も、本当はそんな程度で済ませるつもりはなかった。
だって……エレンも、僕の復讐対象の一人だから。
すると。
「ヒュー……あの女に舐められたのは、どちらの頬ですか……?」
「え……? それは、こちらの左頬ですが……」
質問の意図が分からず、僕はおずおずとそう答えると。
――ちろ。
「っ!? メ、メルザ……」
「……あの女の舐めた跡なんて、私が塗り替えるんですから……! ヒューは、全部私だけのものなんですから……!」
ぽろぽろと涙を零しながら、メルザが僕の頬を何度も舐める。
上書きするように……穢れを祓うように……。
僕は……。
「……ヒュー……?」
「メルザ……申し訳ありません……たとえアイツの目的を探るためとはいえ、僕はあなたを傷つけてしまいました……っ」
メルザを抱きしめ、僕は謝罪する。
僕は、もっと上手くやりようがあったはずなのに……防げたはずなのに……!
「……ヒューは何も悪くありません。悪いのはあの女です」
「でも……っ!」
「でしたら……あなたの血を、いただいてもいいですか……?」
メルザが濡れた頬を僕の顔にすり寄せながら、そう尋ねた。
「はい……好きなだけ、僕の血を飲んでください……」
「ありがとう、ございます……」
僕は、少しでもメルザの心が癒されるようにと願いながら、血を捧げた。
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