稽古
「んう……」
ほんの少しの息苦しさと、すごく良い匂いが鼻をくすぐり、僕は目を覚ます。
……どうやら僕は、あのまま眠ってしまったみたいだ。
でも、この僕の顔に押し付けられているものは……って!?
「う、うわああああああああああああ!?」
その正体を知り、僕は思わず大声を上げてしまった。
だ、だって、まさかメルザの、そ、その、胸だなんて!?
「あ……ふふ、おはようございます」
まどろんだ表情のメルザが、ゆっくりと目を開け、ニコリ、と微笑んだ。
「そ、その! すいませんでした!」
とにかく僕は、ただひたすらに頭を下げて謝った。
まさかメルザと同衾するばかりか、その……胸に顔を押し付けるだなんて……!
「謝らないでください。それよりも、このようなベッドで狭い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「そそ、そんな! 僕のほうこそ!」
頭を下げるメルザに、僕はそれ以上に頭を下げる……って。
「……ふふふ!」
「……あはは!」
そんなお互いの姿がおかしくなって、僕達は笑ってしまった。
「ふふ、昨日は食事を摂られておられませんから、お腹が空きましたでしょう? すぐに朝食にいたしましょう」
「あ、は、はい……」
ベッドから起き上がり、メルザはベルを鳴らした。
「おはようございます、お嬢様」
「これから彼と食事をいたしますので、用意をしてちょうだい」
「お部屋で食事をなさいますか?」
「いいえ、食堂に行くわ」
「かしこまりました」
恭しく一礼した後、メイドは部屋を出た。
「で、ではその……大変申し訳ないのですが……」
「?」
恥ずかしそうにしながらモジモジするメルザ。
ええと……どうしたんだろう……?
「あう……き、着替えをしないといけませんので……ほんの少しの間、別の部屋にお移りいただけると……」
「ああ! そそ、そうでしたね!」
「あっ……」
ようやく思い至った僕は、慌てて部屋を飛び出した。
何かを言おうとしたメルザに、気づかないまま。
「ふう……それで、ここはどこだろう……」
どうやら僕は、この広い屋敷の中で迷子になってしまったみたいだ。
……とにかく、誰か探すか。
そう思いながら廊下を歩いていると。
「はっは、よく眠れたかの?」
声を掛けてきたのは、まさかの大公殿下だった。
「大公殿下、おはようございます」
僕は慌てて首を垂れる。
「うむ、おはよう。それにしても、このような場所でどうしたのじゃ? メルもおらぬようじゃが……」
そう言うと、大公殿下はキョロキョロと辺りを見回した。
「はは……実は、メルザ……いえ、メルトレーザ様が着替えをされるので慌てて部屋を飛び出したところ、迷子になってしまいまして……」
「はっは、なるほどのう。なら、少々私に付き合わぬか?」
「? は、はあ……」
大公殿下の意図が分からないまま、僕は曖昧に返事をした。
「うむ。では、ついてまいれ」
ということで、僕は大公殿下に連れられて屋敷の外に出ると。
「ここは……訓練場、ですか?」
「そうじゃ。ええと……ヒューゴ君の身体の大きさじゃと……おう、これなんて良いじゃろう」
大公殿下は立てかけてある訓練用の木剣を手に取り、僕に手渡した。
「ええと……」
「はっは。なに、せっかくじゃから一緒に一汗かこうと思っての」
「そ、そうですか……」
どうやら、大公殿下の訓練に付き合え、ということらしい。
だけど、ウッドストック大公といえば、このサウザンクレイン皇国の武を司っており、既にかなりのお年を召しておられるのに、今も皇国最強の武人と謳われている御方だ。
こ、光栄ではあるけど、僕は暗殺の技術しか身につけていない。
そんなものを見せたら、大公殿下は幻滅されるだろうな……。
「さあ! 遠慮せずにかかってくるがよい!」
両腕を広げ、笑顔でそう告げる大公殿下。
やるしかない、か……。
僕は体勢を低く構え、柄頭に右手を添える。
「ほう……なかなか堂に入っておるわい」
大公殿下は、僕を見て感心する様子を見せた。
でも……はは、全然隙がないや。
こうして正面に向かい合っているだけでも、僕が殺した騎士団長やケネスなんかとは圧倒的に格が違うことが分かる。
「いきます!」
僕は突進し、大公殿下との距離を詰める。
「シッ!」
身体を左右に揺らしながら的を絞らせないようにして、虚を突いて脛を斬りつけ……っ!?
「ふむ……これは暗殺術、じゃな」
僕の攻撃を、まるで小枝を振り払うかのように弾くと。
「がっ!?」
柄で背中を叩かれ、僕は地面に突っ伏した。
「あ……」
「はっは。動きは良いが、それはヒューゴ君には相応しくない。これからはこの私が、本当の武というものを教えてやろうぞ。さあ、立つんじゃ」
ス、と差し出された手を、僕はおずおずと握る。
その手は、大きくて、ごつごつとしていて、そして力強かった。
「さあ……来るのじゃ!」
「はい!」
それから、幾度となく挑んでは、大公殿下に叩きのめされ、何度も地面に転がる。
その一撃一撃が強く、厳しく、痛みで身体が軋んだ。
……でも。
「む!? ど、どうしたんじゃ!?」
「うう……っ!」
僕は、膝をついてぽろぽろと涙を零す。
そんな姿を見て、大公殿下が心配して思わず駆け寄ってきた。
「っ! ヒュー!」
は、はは……メルザにまで見つかっちゃった……。
「お爺様! 一体ヒューに何をしたんですか!」
「わ、分からん……私はただ、ヒューゴ君に稽古をつけておっただけじゃ……」
怒るメルザと、困惑する大公殿下。
でも……こんなの、泣いてしまうに決まってる。
大公殿下は本当に僕を鍛えようと、こんなに厳しくて、鋭くて……そして、思いのこもった、温かい一撃をくださったんだから……。
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