更なる問題への予兆
「……そうか、アーキン家がの……」
屋敷に戻り、僕とメルザはアビゲイルの調査結果を報告すると、大公殿下は顎鬚を撫でながら唸った。
「はい……おそらく、今頃アーキン伯爵家の屋敷はもぬけの殻でしょうね」
「うむう……これは、“影縫いアビゲイル”を捕まえるべきなのか……」
「いえ、彼女は僕達と協同して“カンタレラ”を入手した者の排除に当たると申し出てくれました。確かに危険な人物ですが、彼女は、決して契約者を裏切らない」
そう……一回目の人生で、僕を後継者として選んだ時に教えてくれた。
『信頼には信頼を。裏切りには制裁を』
この言葉こそが脈々と受け継がれる、“影縫いアビゲイル”という名に掲げられた矜持だ。
それは今も、後継者だった僕の心にも刻み込まれている……。
「“影縫いアビゲイル”を最もよく知っている婿殿がそう言うのなら、間違いないのじゃろう……分かった、これからも“影縫いアビゲイル”については、婿殿とメルに任せる」
「「はい」」
そう告げると、大公殿下は席を立つ。
「お爺様、どちらへ?」
「決まっておる。今のアーキン伯爵家の話をオリバー達にも共有し、すぐさま調査に当たる。誰もおらぬならば、すぐに手掛かりも見つかるじゃろうしの」
「はい……」
僕とメルザは大公殿下を見送った後、部屋へと戻った。
「ヒュー……一つ、我儘を言ってもよろしいでしょうか……?」
ベッドに腰かけるメルザが、そんなことを言った。
「はい、なんでしょう?」
「その……私を、強く抱きしめてほしいのです……」
「喜んで」
僕はメルザの隣に座ると、メルザを抱きしめた。
「あはは……ですがどうしたんですか? わざわざそうやってお願いするだなんて」
「……私は、自分でも気づかなかったほどに、心が狭いみたいです……」
そう言って、メルザが悲しそうな表情を見せた。
「まさか。メルザほど優しさに溢れた女性はいませんよ」
「そんなことはありません。だって……私は、ヒューが“影縫いアビゲイル”と長年連れ添ったかのように自然に話す姿に……お爺様におっしゃったように、全幅の信頼を置いている姿にただただ嫉妬する、そんな卑しさで私の心が支配されてしまっているのですから……」
なるほど……僕とアビゲイルの関係が、彼女の心にこんなに影を落としてしまったなんて……。
「あ……ヒュー……」
「メルザ……僕は、確かにアビゲイルと師弟関係でした。ですが、何度も言いますが僕の宝物はあなたです。もし、あなたとアビゲイル、どちらを選べと問われれば、即座にあなたを選びます」
「……はい、それは分かっているのです……分かっているのですが……!」
メルザが、今にも泣き出しそうな表情で目を伏せる。
「僕は、メルザが抱えているその感情が決して悪いものではないと思っています。僕だって、もし僕以外の男と親しそうに会話している姿を見たら、絶対に嫉妬します。それこそ、メルザ以上に」
「…………………………」
「だから僕は、あなたのその嫉妬の感情がとても好ましくて、嬉しくて、幸せに感じています。ああ、こんなにも僕は、愛する女性に想われているのだと」
「ヒュー……ヒュー……!」
メルザが真紅の瞳から涙を零し、僕の首に縋りついた。
「メルザ……そんなあなたに血を飲んでほしいという、僕の我儘を叶えてくださいませんでしょうか……」
「はい……はい……!」
メルザは僕の首筋に顔を近づけ、牙を突き立てた。
「ん……んく……んく……」
「メルザ……僕は、幸せです……」
彼女の黒髪を優しく撫でながら、僕はこの満たされた心に酔いしれた。
◇
「あ、大公殿下がお戻りになられたようです」
次の日の午後、僕はメルザと一緒に部屋でお茶を飲みながら談笑していると、窓から大公殿下の馬車が玄関につけられたのが確認できた。
「早速、お爺様の元へ行きましょう」
「はい」
僕はメルザの手を取り、部屋を出て玄関へと向かう。
「お爺様、おかえりなさいませ」
「大公殿下、おかえりなさいませ」
「うむ……二人共、このまま執務室へ」
苦虫を噛み潰したような表情の大公殿下の後に続き、執務室へと向かう。
「それで……いかがでしたか?」
「……残念ながら、“カンタレラ”に関するものは何も見つからなんだ。じゃが、その代わりにとんでもない事実が分かっての……」
「とんでもない事実、ですか……?」
大公殿下の言葉に、僕は思わず同じ言葉を繰り返して尋ねた。
「そうじゃ。アーキンの奴め、裏で色々と悪事に手を染めておったわ……」
そう言って大公殿下はかぶりを振る。
聞くところによると、どうやらアーキン伯爵は人身売買や麻薬密売など、色々と後ろ暗いことをしていたようだ。
「しかも、アーキンと取引しておった貴族も結構いそうでの……このままじゃと、グレンヴィルのクーデターの時と同じように、かなりの家を取り潰さねばならんかもしれん……」
「ああ……」
クーデターの傷も癒えていないのに、そこにきてまた追い打ちをかけるように……って。
「ところでそのアーキン伯爵は、今回の皇位継承争いにおいてはどの派閥に属しているのですか?」
「? た、たしか、中立派じゃったはず……それがどうかしたのか?」
大公殿下の答えを聞き、僕の中で違和感が生まれる。
というのも、僕の毒殺未遂に関してもそうだけど、普通に考えればこの皇位継承争いの真っ只中で起こった事件にしては、肝心のその問題に結び付けられていない気がする。
でも、そんなことってあり得るのか?
明らかに事件が繋がっているように感じるのに、まるでそれを無理やり無関係であると装っている……いや、本質である一本の木が、森の中に隠されているような、そんな……。
「……大公殿下。今回のことは、かなり大きなナニカが隠されているような気がします……」
そう呟き、僕はこれから起こるであろう更なる厄介事を思い、天井を仰いだ。
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