おとぎ話との遭遇
「“影縫いアビゲイル”じゃとっ!?」
僕がかつての師の名を告げると、大公殿下が目を見開き、驚きの声を上げた。
でも、その反応も同然だ。
“影縫いアビゲイル”というのは、大陸の歴史において、変事が起きた際には必ず一度はその名が出てくる伝説の暗殺者。
それは、もはやおとぎ話として語り継がれている。
「じゃ、じゃが、“影縫いアビゲイル”というのはそれこそ創作じゃろう!? 私が物心ついた頃から物語があったのじゃぞ!?」
「え、ええ……お爺様の言うとおり、ですが……嘘ではないのですね……」
困惑する大公殿下とは裏腹に、メルザはヴァンパイアとしての能力で僕の言葉の真偽を見分け、それを真実として受け止める。
「はい……そもそも、“影縫いアビゲイル”という名は、代々受け継がれていくものなんです……」
そう……僕の師も、その名を継いで十七代目と言っていた。
そもそも“影縫いアビゲイル”は、見どころのある子どもを大勢集め、自身の後継者として暗殺術の全てを叩き込む。
その修行は過酷を極め、その最中に命を落としてしまうことも決して珍しいことじゃない。
……といっても、同じ候補者同士で命を奪い合ったりするんだけどね。
そして、最後に残った者を後継者としてさらに暗殺経験を積ませ、正式に“影縫いアビゲイル”を継承するんだ。
「……僕は、一回目の人生で第十八代の“影縫いアビゲイル”となる予定でした」
「予定、ということは、ヒューは“影縫いアビゲイル”にはなれなかったということですか?」
「はい……その前に、僕はグレンヴィルに騙され、捕えられて処刑されましたから……」
「あ……」
そう……“影縫いアビゲイル”の後継者として、グレンヴィルのみの依頼ばかりを受けて数々の暗殺をこなしてきたけど、結局は洗脳によって家族への愛を求め、それを利用されて殺された……。
処刑の日、師匠が群集に紛れて僕の死を見届けていたっけ……。
まあ、馬鹿な後継者が家族の愛情に焦がれて騙されて死んだんだ。さぞや怒りに震えていただろうな。
「……とにかく、後継者だった僕なら、“影縫いアビゲイル”の思考も行動パターンも、全部把握しています。どうすれば、僕達に協力してもらえるかも含めて」
「なるほど……夢物語の暗殺者の協力を得られるのであれば、我々にとってはかなり有利ではあるの……」
そんな僕の提案に、大公殿下が頷いた。
「分かった。では、“影縫いアビゲイル”に関しては婿殿に任せるとしよう。メル、お主も婿殿を支えてやるのじゃ」
「もちろんです。ヒューの傍にいることこそ、私の使命……いえ、権利なのですから」
「メルザ……ありがとうございます……」
そっと寄り添うメルザの黒髪を優しく撫でる。
僕の、たった一人の愛する人の髪を。
「それと、行動に移す前に、大公殿下にもう一つお願いが」
「? なんじゃ?」
「はい、皇室や皇立学院には、僕はまだ危篤状態であることにしておいてください」
「ほう……?」
うん、そのほうが僕も動きやすいし、何より犯人も警戒しないだろうしね。
それに……ひょっとしたら犯人が何かしらの行動を起こすかもしれないから。
ここぞとばかりに僕を狙ってくるのか、それとも次の標的……メルザを狙うのか。
いずれにせよ、僕の存在が明らかでないほうが敵の裏をかくことができるし、メルザを守りやすい。
「分かった。婿殿の言うとおりにしようぞ。それと併せて、怪しげな行動をしている者をあぶり出すことにしようかの」
「大公殿下、よろしくお願いします」
「うむ!」
僕は口の端を持ち上げる大公殿下と、コツン、と拳を合わせた。
◇
「ヒュー……つらくはありませんか?」
目を覚ました次の日、僕はメルザと一緒に王都の中央にある大通りを馬車で進む。
メルザが心配するように、僕の体力はまだ回復していないけど、そんな悠長なことは言っていられない。
早く犯人を特定しないとメルザが危険にさらされることになってしまうのだから、時間を無駄にしている暇はないからね。
「僕は大丈夫です。何より、メルザがこうやって傍にいてくださるだけで、それだけで僕は元気になってしまいますから」
「それなら、いいのですが……」
いつもだったらここで照れてしまうメルザだけど、さすがに今回ばかりはそういう気分にはなれないみたいだ。
それだけ、僕のことを心から心配してくれているということなんだけど、ね……。
本当に、早く身体を治してメルザを安心させないと。
すると、多くの商店が立ち並ぶ区画で、馬車が止まった。
どうやら目的の場所に到着したようだ。
「ほ、本当にこんな人目の多いところに、あの“影縫いアビゲイル”がいるのでしょうか……」
「間違いありません。こここそが、あの人のたった一つの住処ですから」
車窓から薬屋と鍛冶屋の間に建つこじんまりとした雑貨屋を見ながら、僕はそう答えた。
本当に……久しぶり、だな……。
「さあ、行きましょう」
「は、はい……」
僕は先に降りて彼女の手を取り、ゆっくりと馬車から降ろす。
そして、一緒に店の中へと入ると。
「いらっしゃいませ」
眼鏡を掛けた物腰の柔らかい、優しそうな綺麗な女性がにこやかに声をかけてきた。
「ヒュー……」
「はい……」
そう……この女性こそが、かつての人生で師と仰いだ方。
“影縫いアビゲイル”、その人だった。
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