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纏(まと)めて十音 単純な言霊(ことたま)の神を顕(あらわ)す

やさ・ゐ(い)し・ゆす・ゑ(え)せ・よその十音の両極を視て行く。

やさは飛ばして、ゐ(い)し。

ゐしと言えば、想い浮かぶのが意志、次に石。

両端を使って反対に行く為に石に対しての岩であるが、大幅(おおはば)解釈して、いわれある神。正当な理由がある神、潔白であり、罪犯さない神。まさに「聖書」の神である。

五十音図は二音欠いて四十八音に成っている。だから、最初に八音、五音、五音、十音の計二十八音と成っており、これを終わらせれば後、残り二十音である。

今までの十八音は、あいうえおはひふへほまみむめもわをん。

四十八音なのは、わ を んの間の音がないから。

優男等の優は、優と中が両極なので、中神、すなわち、中という言葉を好んで聖書は使っているので、「神はキリストを死人の中からよみがえらせた。」むしろ、中という言葉を重くとらえるべきである。

最も顕著なのは、アブラハム、イサク、ヤコブの神であろう。中と言いたい所だが、神殿を設けても、実際にそこに住まわれる訳でもないのだから、中というのは(はばか)られるのだろう。確かにキリストの御体として、教会はあり、そこに、神がおられるというのは、キリスト教徒一般的な考え方だ。だが、キリストの御体でもないのに、預言者とは言え、アブラハム、イサク、ヤコブの中に神が宿られるだろうか?という疑問があるのだろう。確かに、矮小(わいしょう)な人間では、中に宿る程、ヤハウェは矮小な神ではないのだろう。

つまり、神を特別視する余り、中という概念を置き忘れて、中神という概念を置いて来ているのだろう。しかし、中神というのもやはり、神であり、人々の中に神がおられるという用いられ方をする。

「神は死んだ」というのは、中神が軽んじられて、神の権威が死んだととらえる方法もあろう。しかし、私を通して日本語を通して、神は語りかけられている事からその心配もなかろう。


ゆす、というのは、濁音も含んで四十八音としているので、ゆずととらえられる。

ゆずの両端はゆずとみかんであり、みかんは冬の柑橘類(かんきつるい)であり、神は冬神である。万軍の神とかけて、冬将軍なので、天の法則として、季節や黄道に逆らうと必ず負けるという法則がある。天則ながら、中々面白い記録であり、我が国の古代史、神武天皇でさえ、信仰深く振る舞った為に、負ける事はなかった。

天則なる神は、天の神が味方をするという事で、ヨシヤ王を()ち死にさせた。

いわば、冬から天則へと、伝説的なナポレオンやヒトラーの敗退をもって、天則なる神を顕した。


ゑせ。つまり、偽という事である。まさに、信者は真者であり、何者かが成り代わっているのではない。両端を手繰(たぐ)ると、真者が出て来よう。神は真者でありながら、崇める神によっては、その人自身が偽者に成り下がる事もあろう。


よそ。両端の片端はうちである。うち神のうちこそ、安定した家の事である。安定した生活は家から成り、うちという意識がそれを強固足らしめている。

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