第3話
「あ……おかえりなさいませニジメ様…」
「…何か増えてるんだが?」
再び白の空間へと現れたニジメの前には、か細い体を椅子に任せた黒い影があった。
身に纏った黒い布の間から覗く瞳には、この場の主である筈の少女への強い威圧が感じられる。
闖入者に気付いた黒い神は、手に持った杖の先端を向けて応える。
「……余は死を司る者…異界の神が介在するより不思議はなかろう」
「ええと…こちらはテルス様です。テルス様、こちらは…」
「ニジメ、というのだろう?此処に来るということは…アルエギが何ぞしたか」
「ご名答、またアイツだ」
重々しくかぶりを振ると、黒神は少女に向き直った。
本来、転生に関しては彼女に任せて極力関与しないように振る舞っているが、今回ばかりはそうもいかない。
何せ、その転生者によって多くの死すべき魂が救われてしまっているからだ。
死者の魂を管理する手する神からすれば、それは定められた運命を不当に歪められているということだ。
加えてその転生を司るのが直属の部下とも呼べる神であるとなれば、さしもの冥府神といえど出向かざるを得なかった。
「あ奴の奔放は今に始まったことではない。だが、お主がその片棒を担いでおるというのは由々しき事態である」
「ほんとそれな!転生させるかどうかはお前さんの匙加減ひとつなんだからさ。わざわざ耄碌ジジイの言うこと聞く必要なんてないだろ?」
「で、ですがアルエギ様ですよ?最高神からの勅命に背くなど…」
上司と来訪者のニジメに見つめられた幼い転生神は、深い緑の瞳を揺らしながら抵抗する。
だが、目の前にいる神々はそれだけで納得する程に素直ではない。
「大丈夫だって!アイツ女神には甘いし」
「余からの言伝と加えておけば、さしもの奴も無視できまい」
「て、テルス様の名を出してまで不満を言いたいわけでは…」
「いや爺さんだって魂の管理とかで迷惑してんじゃねぇの?」
「ウム、あ奴の気紛れで生じた転生者がどれ程の命を救ったことか…」
冥府神らしい冒涜的な発言であった。
ニジメや彼らが管理する世界樹というものは、世界樹ごとの摂理に基づいて様々な平行世界を構築していく性質がある。
必然、それの中で生まれ出でた魂もまた、その世界樹ごとの摂理に従って構成される。
しかし、その魂が別の世界樹に移されると、両者とは全く異なる摂理を持ってしまうことがある。
他の世界樹に転生させる場合に、双方の最高神が合意する必要があるのはこのためだ。
「予め転生先の理と合わせた調整を施さねば、此度のような無用な混乱を招くということだ」
「存じ上げてます…」
「ならばリィン、お主の成すべきことは何だ」
「それは……」
なおも揺れ続ける少女を、冥府神は何も言わずに見つめている。
咎を責めるのではなく、あくまでも転生を司る者としての在り方を説く神に、彼女は申し訳なさそうに俯いた。
己の至らなさに言葉が出ない彼女に、能天気なニジメの声がかけられる。
「化身送って回収することだろ?早くやろうぜ」
「………何だと?」
思わぬ茶々を入れられたテルス神の動きがピタリと静止する。
今しがた世界の理に反した転生者の危険性を語ったばかりだというのに、この来訪者は己の化身を送りこもうと言う。
そこいらの凡人ならば面倒事で収まり、英雄の魂であれば非常に厄介な存在で済む。
だが、神の化身ともなれば世界樹そのものにすら多大な影響を及ぼしかねない。
正に劇薬と形容されるに相応しい物を、よりにもよって魂を司る自身の前で解き放とうとしているのだ。
「正気か、異界の神よ」
「何だよ…いいだろ別に」
「余がそのような狼藉を見過ごすと思うか」
「先に手ェ出したのはそっちだろうが」
沈黙が流れる。
見えない筈の重力が周囲を包み込み、視界を薄暗く染めていく。
しかし、一触即発の均衡を崩したのは、睨み合う2柱ではなかった。
「───もう、やだ」
「お?」
「ム…」
我が物顔で振るまう不埒者達に、少女の怒りが爆発した。
「…なんっっで私ばっかなんですかあああ!!!」
「おい、ちょっとま」
「けんかするならよそでやってくださいよ!!何でここでやるんですか!!!」
「そりゃ、成り行きでそうなっただけで別に」
「いつもいつもわたしには謝らないくせにでかい顔して!何様のつもりですかぁ!!!」
慌てて宥めすかすニジメの奮闘も虚しく、感情を爆発させた彼女は止まらない。
ぼこぼこと胸を叩いて抗議するものの、ニジメの動揺を加速させるだけだった。
混沌が極まりかけたその瞬間、リィンの脳天を枯れ木の杖による衝撃が襲った。
「いっ!?たぁ…!」
「おいジジイ、パワハラだぞ」
「貴様の世界の常識なぞ知るか……頭は冷えたか転生神リィンよ」
「うう、痛いです…」
老練にも見える姿とは裏腹な手段で事態を収めたテルスに、ニジメが眉間を寄せた。