第1話
誰にだって間違いはある、と言えるのは大間違いをしない者だけだ
誰も知らぬ場所、あらゆる座標から隔離された空間に、2つの黒椅子が向かい合って置かれている。
その片方に座っているのは、シンプルながらも白く煌めくドレスを身に纏った少女だ。
白磁の陶器にも似た滑らかな肌は、そのドレスと共に少女の儚い印象をより一層引き立立ている。
丁寧に編み込まれた長く艶やかな銀髪と宝石の如く透き通った翠色の瞳が、白い少女を繋ぎ止めるように際立っていた。
神々しさを無意識に放つ少女と殺風景に過ぎる空間の組み合わせは、只人が見ればその美貌も忘れて首を傾げてしまいそうになるだろう。
「よう、元気にしてるか?」
不意に響いた声と共に、虚空から青年が出現する。
渦を巻いた虹がプリントされたTシャツに青ジャケットを羽織った青年は、軽やかな足取りで少女の前に座った。
「……お久しぶりですね、ニジメ様」
「えっ何その名前」
神に世間話の如く語りかける青年に対して、リィンは努めて淑やかに返答する。
「俺そんな渾名付けられてんの?」と笑う青年は、旧知の友人と語らうように穏やかだった。
「それで、何の用でしょうか」
「あぁ、少し質問したいことがあってさ」
「質問、ですか?」
その単語を聞いた瞬間、リィンの可愛らしい表情が訝し気に歪む。
彼の眷属や現実世界ならいざ知らず、この領域における他者への問いかけは社交辞令にしかならない。
それなりに知れた仲ではあるが、眼前の青年がそのような持って回った言い回しをしたことは無い。
しかし、突如湧いた疑念を彼女が口にすることはなかった。
「こっちの世界樹から魂が1つ消えた」
「………!」
ひゅう、と喉が締め付けられるような感覚が、少女の身体を蛇のように縛った。
この世界における神とは、高次元の精霊のような存在である。
故に全知全能ではないし、過ちを犯すこともある。
自分達の不完全性を理解していた神々は、古の時代にその役割を分担することにした。
そして、自身を上回る超常存在が発する威圧感に晒され硬直している彼女に与えられた役割は、『転生』だった。
「どうやら、誰かが別の世界樹に無理矢理移動させたみたいなんだ」
「あ、あの、それは」
「それで延々と辿ってみたら、何故かここに流れついてな」
「─────何でだろうな?」
少女の身体が、椅子の上でガタガタと震えだす。
無機質な微笑みの中で、虹色の瞳が怯える女神の姿を捉えている。
流石に意地悪が過ぎたと反省したのか、青年の顔に困惑の色が浮かび上がる。
「え、何そのビビりよう。まさか泣かないよな?やめてね?」
「泣きません…女神なので……グスッ」
「いやホント悪かったよ。どうせまたあの爺だろ?君に当たるのは筋違いだったよな。だから泣くなってほら」
「わ、私はただいつも通りにやっただけで……」
「だからごめんて。頼むから泣かな…あーあ泣いちゃったよもう」
「泣いてませんっ!」
目尻に溜めた涙を拭き取った少女は、なおも奥底から湧き出るものを堪えながら懸命に言葉を紡ぐ。
「まさか別の世界樹からの子だったとは知らず…私は皆さまから頂いたこの役割を全うしようと…!」
「そう、それが君の役割だ!君は何も間違ってない!」
「……へ?」
正に我が意を得たりと湧き上がるニジメの声に、リィンの思考が再び硬直する。
この隙にとばかりに、青年はこれ以上泣かせて問題を起こしたくない一心で立て続けにまくし立てた。
「当然ながら、転生に限らずとも神的な存在が異世界に直接干渉するのは禁忌とされている」
「けど、双方の最高神にあたる存在が合意の上で用意した魂を転生させるのであれば問題は無い。そうだな?」
「は、はい。確かにそうですが…」
「よしじゃあ問題ないな!今からあいつに合意取り付けてくるから、この回収用のやつ持ってて」
「え、あっはい……はい!?」
ボールのように放り投げられた人魂を慌てて受け止めると、先程まで目の前で好き勝手に騒ぎ立てていた筈のニジメの姿は、虚空へと溶けていた。
「……何かもう、疲れたなぁ」
苦労人の女神が零した嘆きを聞いたのは、腕に抱えられた無垢な魂だけであった。