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あれ?師匠の金貨おかしいですか?

 私は————世界を呪う力が欲しかった。



 その言葉の意味を問うことができないまま、《転移》で街の門の近くまで送ってもらった。その後すぐに師匠はどこかに消えてしまったのだけれど。


 門は開いていたものの、門番を務める兵士達の間には張り詰めた空気が漂っており、待機中の商人達も落ち着き無かった。最後尾に静かに並ぶ。いつもより念を入れて確認しているのか、亀の歩みのようにしか列は進まない。


 15分ほど待って瀧本の順番が来た。いつもは冒険者カードの確認だけですんなり通れるのだが、「街へ来た目的は何か」「クエストで外へ出たのではないのか、なぜ依頼の品がないのか」等、入国審査のように尋ねられた。まさか❝災厄の賢者❞と悪名高い師匠と修行していましたと素直に答えるわけにはいかず、旅をしながら冒険者をしていると苦し紛れに答えた。軽装であることを怪しまれたが、空間魔法のことを言うと納得されたようで通してもらえた。門を越えてたっぷり30歩は歩いたところでほっと一息ついた。


 街の中はまだ混乱しているようであった。避難した住民達は徐々に戻ってきており、営業を再開している商店もあるが活気はいつもより少なく、ピリピリした空気も漂っていた。


 取り敢えず足早に宿屋に戻ってみる。すれ違う人々の中には大きな荷物を抱えて疲れた表情をしている人もいた。皆口々に師匠の噂をしている。中には紅い鳥が冒険者を食っていたという根も葉もないものもあったけれど。


 宿屋兼食堂に着いた。表に人気はなく、店主が帰ってきていない可能性を失念していたことに気付く。祈るような気持ちでドアノブに手を掛けると、あっさりと抵抗なく開いた。小気味良いベルの音と共に足を踏み入れる。


「————あら、お客さん。無事だったのね?良かったわあ」


 来客に気付いたウエイトレスが奥からひょっこり顔を覗かせた。食堂に客はおらず、しんとしている。


「丁度良かった。私たちもついさっき帰ってきたばかりなのよ。ほら、さっきの騒ぎでねえ」


 本当に嫌だわと小さく溜息をついた後は、営業スマイルを瀧本に向ける。


「お客さんは?例のアレのとこに行っていたの?」


「…えぇ。遠目には見ました」


 あらそうなのとしたり顔で相槌を打っている。このままでは長くなりそうだと、話を聞こうとうずうずしているウェイトレスに画材屋の場所を尋ねる。2ブロック先にあるという情報を聞き、「またお話聞かせてくださいね」と愛想笑いを浮かべる彼女に気のない返事をして一先ず部屋に上がった。


 ぼすっと音を立ててベッドに仰向けに倒れる。やっと緊張の糸が切れたのか、意図せず大きな溜息が漏れた。このままひと眠りしたいところだが、師匠から言い渡された指示がある。この世界では商店が閉まる時間が早い。電気等のインフラが十分整備されているとは言い難いため、飲み屋以外は日没後早々に店仕舞いしてしまう。


 足を上げ、反動をつけて起き上がる。両頬をパチンと叩いて眠気を追い払う。

 絵を描くための道具を一式揃えるとして、どのくらいの金額が必要なのだろうか。この世界でも画家という職業は存在するが、その多くは貴族のお抱えだ。平民が趣味で絵を描いたり、家や店のインテリアとして絵画を飾ったりといったことはない。あくまで芸術は贅沢品だ。最も一般市民に身近にある芸術は音楽であろう。夜が更ければ酒場には流しの吟遊詩人が詩曲を歌う。プロにはならなくとも歌が得意な者もおり、ヴァイオリンやリュート、竪琴を奏でられる市民も少なからずいる。


 閑話休題。少しの間逡巡して、師匠から渡されたずた袋の中身を確認していないことに気付いた。画材は金貨30枚程度と仮定するとして、瀧本の手持ちはほとんど前パーティーに渡してきたので、師匠の心遣いは非常にありがたい。


 試しに予備動作なしに取り出そうとしたが叶わず、大人しく部屋の外に出て、ドアノブに手を掛けた。


 ————師匠から貰った袋を取りたい。


 そう念じながらドアを開けると、見慣れた室内ではなく、一面の漆黒が広がっていた。木箱の比にならないほど不気味な光景であった。恐々と手を入れると、革の感触と共にずしりとした重さが伝わってきた。そのまま手を引き抜くと、闇の中から目当てのずた袋が出てきた。


 流石に共有スペースで開くわけにはいかないので、再び室内に戻った。ベッドに腰かけ、恐る恐る袋の口を広げると、中には金貨がぎっしりと詰まっていたのだが————。


「?」


 金貨であるのは間違いないのだが、デザインが少々違う気がした。念のため手持ちのものと見比べてみる。瀧本が持っていた金貨は、表はアウラリーディア王国の紋章、裏は王都と見られる街並が刻まれていた。対して師匠から渡されたものは、表のデザインは同じだが、裏面は中央に男性の横顔があり、その周囲に名前らしき文字が刻印されていた。


 だが、王国の紋章が入っているのだから、偽造貨幣ということはないだろう。おそらく少し古いデザインなのだろう。そういえば、日本でも500円玉のデザインが変わった時に自動販売機で使えなかったということがあったではないか。きっとそうだ。


 余裕を持たせるつもりで40枚抜き取り、袋の口をきゅっと閉める。財布代わりの小袋に入れ、ズボンのベルトにぶら下げるように着けた。これならばローブで隠すことができ、スリに合う危険も減るだろう。何せ瀧本の装備は貧相なものであり、金持ちには見えない。

 準備ができた所で部屋から出てずた袋を収納し、意気揚々と街に繰り出した。


◇ ◇ ◇


 空は橙色が混じっており、昼間の騒動が無かったかのように街は日常を取り戻していた。日中に商売ができなかった分を取り戻そうとしているかのようにも見える。


 瀧本は足早にウェイトレスに教えられた店に向かう。八百屋、小麦屋、果物屋、香辛料屋、肉屋といった店には目もくれず、アクセサリー屋や鍛冶屋、武器屋、革小物屋が並ぶ職人街に足を踏み入れた。


 職人街は商人街と違い、冒険者ではない一般市民はほとんど足を踏み入れることは無い。目に見えて活気があるわけではないが、ハンマーを打ち付ける音が聞こえてきたり、煙の臭いが漂っていたりと確かな人の息吹を感じることはできる。


 画材屋は高級住宅街近くにあった。需要的にもそちら側の方が高いからだろう。中に入ると、ツンと油っぽい匂いが鼻についた。三面の壁が薬棚を思わせる無数の引き出しがある棚に占められている。引き出し一つ一つにラベルが貼られており、絵具や絵筆等が入っていることが分かる。店中央には形の異なるイーゼルが並んでいた。


「…いらっしゃいませ」


 身なりの良い老人に声を掛けられた。言葉遣いは丁寧だが、目は歓迎の色を浮かべていない。明らかに富裕層ではない瀧本にとって場違いであることは確かだ。ここは素直に用件を話しておくこととする。


「絵の練習をしたいのですが、初心者に向いている道具はどれでしょうか」


 あくまで丁寧かつ下手に出る。ここで顰蹙を買ってしまえば目的が果たせなくなってしまう。


「様々なものの用意がございます」


 要するに、先立つ物があるのかと言外に問われているのだろう。


「金貨40枚あります」


 老人は無言で鷹揚に頷いた。


「絵と一口に申しましても、油彩画、水彩画、パステル、デッサンと種類があります。それぞれ必要なものが異なりますがいかがでしょうか」


 瀧本は師匠の顔を思い浮かべる。イーゼルに立てかけたキャンバスを前に、優雅に筆を走らせる様は想像できなかった。


「…デッサンにします」


 素人考えで一番手が掛からなさそうに思ったのが理由だ。


 店主は再び頷くと、軽やかな足取りで瀧本をある引き出しの前まで案内した。


「デッサンには金属尖筆、チョーク、木炭といったものを用います。それぞれ単独で使うこともあれば、チョークや木炭は陰影や着色に使われることもあります」


 そう説明しながら、いくつかの引き出しを開けていく。ボールペンのような形の木の先に細い金属が刺さっているものはインクを浸して使うらしい。紙も地塗りという作業が必要であり、そうでなくとも厚紙を用いることを勧める旨の説明を受けた。取り敢えず安い銀筆と褐色インク、厚紙のスケッチブックを買うことにした。


 老人は丁寧に一礼した後、指定の品物を引き出しから選び取ると店の奥に向かった。キャンバスや紙といった嵩張る物はこちらに収納されている。長期的な顧客とならないであろう者に対して上質なものを渡すつもりはない。棚の中から一冊手に持ち、客が待つ店内へ足早に戻った。


 カウンターの前で待つ瀧本に、老人は丁寧に一礼した。購入する品物の確認を1つずつ行っていく。老人が用意したスケッチブックは画用紙が10枚ほど綴じられたものだ。ただ、そのまま銀筆でデッサンをすれば穴が開いてしまうかもしれない。


「以上で金貨38枚頂きます」


 瀧本は腰に下げたずた袋から1枚金貨を取り出す。


「あの…これは使えるでしょうか」


 遠慮がちに差し出された金貨を、拝見いたしますと一言添えて受け取る。王国の紋章は摩耗や腐食などは見られず、美しく輝いている。それほと古いものではなさそうだ。勿体をつけた割には変わったところはない。すっかり気がそがれてしまった。


「裏も見て頂きたいのですが…」


 客の催促にしぶしぶコインをひっくり返し、図柄が目に入った途端、店主は驚愕の表情を浮かべた。


「…こちらはどこで手に入れられたものでしょうか」


 先程までと打って変わって、固い声で話す老人に気付いていない様子の瀧本は、特に偽ることもせずに答える。


「知り合いから貰ったものですが?」


 老人は金貨から目を離すことができない。加齢によるものではない手の震えによって、落として傷をつけぬよう気を付けながらカウンターの上に置く。


「————少々お待ちください」


 ことわりの言葉を入れて、老人は店の奥に急ぐ。先程瀧本に差し出したものとは別のスケッチブックを手に取って踵を返す。


「品物を間違えておりました。こちらでお間違いないでしょうか」


 広げて見せられても瀧本にはあまり違いが無いように見えた。しかし、紙質は上等なものになり、インクの滲みが少ない上に破れにくい。この店にあるものの中でも最高級のスケッチブックだ。


 困惑の表情を浮かべつつも瀧本が頷いたのを確認し、老人は品物を持ち手付きの麻袋に入れていく。————普段は行っていないサービスだ。


「こちらの金貨でしたら、3枚……いえ、2枚で結構でございます」


 老人の言葉に思うところが無いわけではないが、瀧本は1枚取り出しカウンターの上の金貨の横に置いた。————裏面を上にして。


「…本当にこれだけで大丈夫ですか?」


 不審そうに訊く瀧本に老人は深々と一礼した。


「問題ございません。————またのご来店、お待ちしております」


◇ ◇ ◇


 老人は客が店の外に出たのを確認してから顔を上げた。カウンターの上に残されたままの2枚の金貨をしげしげと眺める。あの男は気付いていないようであったが、これは200年以上前に流通していたものだ。その後に勇者による魔王討伐の記念や国王の指示等でデザイン変更は度々行われていたが、先の戦争の折りに国の命令で全て回収された————はずだった。


 国王命令に逆らえば逆賊となり、一族郎党もろとも悲惨な目に合う。あの男は少なくとも40枚は持っていると言っていた。どこかの恐れ知らずの貴族か豪商の隠し財産なのか。それにしても、長い時を経ているとは信じがたいほど保存状態が良い。古銭集めが趣味の好事家に見せれば、この店が買えるほどの値になるやもしれぬ。とんだ藪蛇に、老人は様々な思いを込めて深く長い溜息をついた。


◇ ◇ ◇


 老人の憂いなど露知らず、瀧本は意気揚々と冒険者ギルドに向かった。昼間に壊されたドアは未だに傾いたままだ。夜が近づいているが良いのだろうか。


 まっすぐクエスト掲示板に向かう。他の依頼に埋もれるようにして、アルフコーギという薬草の採取依頼があった。初心者向けの常設依頼だ。それをもぎ取り、受付に向かおうとすると後ろから声が聞こえた。


「見ろよ、役立たずの転移者が草毟りに行くんだってよ」


「ハッハー、雑草取りか。農民の手伝いでも行くんでちゅかー?」


 腕の筋肉を見せびらかすような装備を身に付けた冒険者が瀧本を指さして笑い転げている。周りにいる者も特に咎めることもなく、気まずそうに視線を逸らしたり、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたりしている。


 言い方は悪いが事実であるため、特に反論せずに通り過ぎることにする。瀧本はCランクパーティーに所属していたとはいえ、個人としてはDランクであり、戦闘技術もない。憂さ晴らしには丁度良い的なのだろう。


「何も言えずに、逃げていくぜぇー。僕ー、お股に一物ついてるのかなー?」


 尚も囃し立てて来るので、実害はないものの正直鬱陶しい。——黙って欲しいと念じた。瀧本にとってはただそれだけだった。昼間の特訓によって、瀧本の魔力は容易に流れるようになっている。少しの感情の昂ぶりによって、魔力は体内を目まぐるしく循環し、体外に溢れ出す。魔力操作を極めた者ならば、眩いほどどの光が瀧本を包み、それが鋭く変化して冒険者達を捉えようとうねっているのが見えたであろう。しかし、そのような者はこの場にいなかった。ほんの一瞬、刺すような冷気が騒ぎ続ける冒険者達の間を通り抜けていったように感じただけであった。


「なんでぇ?今の…」


 ある種異様なものを感じた冒険者達は水を打ったように静かになった。


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