弟子にしてください‼
紅い鳥が滑空しながら近付いてくるのを見て人々は逃げまどっていた。悲鳴と怒号が飛び交うのを気にも留めず、鳥は指示された場所で自分の主を落とした。そのまま高度を上げ、森の方へ飛び去って行く。
鳥に落とされた人間が膝を付いて着地すると、衝撃で石畳にヒビが入り土埃が舞う。立ち上がりざまに手を払うと空中の土埃は消え、何事もなかったかのように石畳も綺麗になっていた。————否、何かはあったのだ。ローブのフードを目深にかぶり、禍々しいオーラを放つ人物がいる。その人を取り囲むように、冒険者が集まる。皆距離を取ったまま、未知の恐怖と得物を見つけた歓喜が入り混じった顔をしている。ぐるりとやじ馬たちを見渡すと、輪の中心の人物は徐に手を挙げた。
「死にてぇ奴は、全員まとめてかかってきな」
囁くように発せられた声は、不思議と冒険者達の耳に届いた。それは想像していたよりもずっと若い女の声だった。
「舐めたこと言ってんじゃねぇぇ!ぶち犯してやるクソアマァァ!」
一人の戦士が、女の背後から飛び出し、雄叫びを上げながら切りかかる。女はそれに気付いていながらも振り返ろうとはしない。その刃が女を捉える前に、何の前触れもないまま戦士が苦痛に顔を歪め、地にひれ伏す。目を見開いたままピクリとも動かない。
「こいつぁ、死んだままでも良い奴かい?」
誰に問うわけでもない言葉が紡がれる。それに答えるものはなく、冒険者達はそれぞれの得物に手を掛けて攻撃する隙を狙っている。
「——————ふうん。薄情なこったねぇ」
言葉に含まれる感情は嘲りだろうか。声を押し殺して笑っているのか、女の身体が小刻みに震えている。
「もういいや。全員死にな」
その言葉を聞いた瞬間、女に敵意を持つ者全員が、糸が切れた操り人形ように倒れた。響き渡る悲鳴は、その者達の仲間か家族か。それほど興味は湧かない。邪魔する者がいない中、女は悠々と歩みを進める。死者を踏み越え数歩進んだところで手を払うと、女の凶行により死んだ者達が先程と同じ体制で立っていた。唯一異なるのは、輪の中心にいた女がいないこと。斃れた者達も、それを目撃した者も死の記憶はある。お互いに顔を見合わせ、一方的な殺戮が事実であると確認し戦慄する。
—————あれは、手に負える存在ではない。
その場にいた全員の総意であった。
◇ ◇ ◇
門番のテベリスは避難する住民達の流れに逆らって走っていた。同僚のイパークは騎士団と連携して避難誘導や、被害状況の確認作業を行っている。本来ならば、テベリスもそちらに従事しなければならないのだが、強敵との戦闘という己の欲を優先した。単独行動がバレたら懲戒ものだが、首をとることが出来れば、街を救った英雄となることも夢ではない。
しかし、鈍間な一般市民の群れは邪魔くさい。戦争終結後は魔獣の襲撃もなく平和な日常を送っていたにも関わらず、突如未知の脅威にさらされた無力な民達はパニックに陥っている。
周りを見渡せば、着の身着のまま逃げている者は少ない。両手に荷物を抱えていたり、大きな包みを背負っていたりする。幼い子供ですら鶏を抱えさせられていた。各々が己の命の安全しか考えておらず、脇目もふらずに逃げているため、何度も身体や荷物をぶつけられている。
「ちっ!」
思わず舌打ちが漏れる。雑魚の集合体である冒険者共に倒されることはないだろうが、一刻も早く剣を交えたいという気が逸り、住民達を突き飛ばしながら前へ進む。テベリスもまた、強者のことしか考えていないのだ。
◇ ◇ ◇
瀧本はメイン通りにいた。先に飛び出していった冒険者達の姿は見えない。いつもは賑やかなエリアだが、奇妙な静けさに包まれている。闇雲に走っても無駄だろう。必死で目を凝らし、耳を澄ます。地響きと共に瀧本の左側、少し離れた場所で煙が上がった。風に乗って叫び声と焦げるような臭いを感じた。高級住宅街があるあたりだ。どういうわけか、瞬き1つしている間に煙は消えた。貴重な手掛かりなのだ。迷う暇なく、煙が見えていた場所に向かって駆け出した。
◇ ◇ ◇
~♪ ~♪
フードを目深に被った女が、音程のずれた鼻歌を歌っている。目指している場所があるのか、迷いのない足取りで歩き続ける。冒険者や金持ちが雇った傭兵が時折絡んできたが、攻撃をする暇もなく地に沈められていた。女は高級住宅街の奥へと進んでいく。
~♪ ~♪
女はとても気分が良かった。これで強者が現れて命懸けの戦いができれば尚良いのだが、果たしてどうか。
「止まれ!」
背後から数人の足音と叫び声。制止を求められたのは、この状況では女しかいないだろう。吊り上がった口角がさらに深く上げられる。フードの下の目は大きく見開かれ、異様な光を宿している。
制止を無視して変わらない歩調で進み続ける賞金首を見据え、テベリスは舌なめずりをする。ローブで体形は分からないが、テベリスよりも小柄だ。しかも女。情報によれば、賞金首は攻撃魔法を主に使う。魔導士は剣士と比べて膂力が格段に少ないため、近接戦になれば圧倒的に有利になる。目の前の背を向けたままの賞金首からは、強者が纏う闘気は全く感じられない。
—————案外、弱いんじゃないのか。
テベリスは抜剣し、一気に間合いを詰める。闘気を籠めて、剣を振りかぶった。
————やった!
剣先が女を捉えようとした時、言いようもない違和感に包まれた。周りの景色がぐにゃりと歪む。嫌味なほどゆっくりと賞金首が振り返る。僅かに顔を上げ————目が合ったような気がした。その瞬間、賞金首から今まで感じたことが無いほどの闘気が噴き出した。突風のような闘気にローブがはためき、フードがずれる。賞金首はテドロスをまっすぐ見据えていた。禍々しいほどの金目であった。
テドロスは弾き返され、尻もちをついた。
「弱ぇくせにイキってんじゃねぇよ、クソガキ」
意地悪く吊り上げられた口角から冷たい声が吐き出される。
テドロスは吹き飛ばされた時に剣を手放してしまっていた。50cmほど離れた場所に転がっている愛剣を取ろうとすれば、手が届く前に女から無様に攻撃をくらうことになるだろう。そう思わせるほどに強い女の闘気に圧されて指先さえ動かすことが出来ない。冷や汗が頬を伝って流れ落ちるのを感じた。
「持てよ」
圧迫感が和らぎ、テドロスはほっと一息ついた。女のフードは再び目深に被られているが、口元は相も変わらず厭味ったらしい笑みを浮かべている。
「打ち合ってやる。さっさとしなぁ」
恐々と手を伸ばす。立ち上がれば膝は笑い、剣を持つ手も震えていた。女は何か考えるように小首を傾げていたが、左腕を大きく振るうと先程までは無かったはずのレイピアが握られていた。ただし、それは半透明の白い靄で形作られており、仄かに揺らめいていた。
————あれは何だ。
雰囲気といい、突如現れた剣といい、この女は不気味だ。舐めてかかっていた心を引き締める。
「めんどくせぇルールは抜きな。魔法はなし————っとぉ、この剣だけは見逃せ。一応魔法じゃねぇ。これには一切付与魔法はかけてないからな。他にあるか?」
テベリスは答える代わりに剣を中段に構えた。闘気も込め、身体の周りが淡く発光した。
「初手は譲ってやる。せいぜい楽しませな」
女は態と隙を作るように剣を持つ手を下ろした。
—————なめやがって!
怒りが沸き上がるが、感情に任せたまま剣を振るうのは女の思う壷だ。呼吸を整えて気を静める。
「参る!」
剣を振り上げ一気に近付き、そのまま右上から斜めに振り下ろす。闘気を込めていたにも関わらず、女はその場から一歩も動くことなく軽く受け流した。次は右下から振り上げるが、これはひらりと躱される。間合いを詰め正面から斬りつける。
「お手本みてぇだな。……つまらん」
女は底冷えするような声で呟くと、テベリスの剣を弾き、刀身に一撃を入れた。
「————なっ⁉」
レイピアが叩き込まれた瞬間、鋭い音を立てて愛剣が真っ二つに折れた。大金を叩いて購入し、実践での出番は無かったものの、欠かさず手入れを行っていたにも関わらずだ。
「ミスリル製だぞ!—————化け物め!」
女はレイピアをテベリスの鼻先に突き付け、鼻で笑った。
「はン!そんな鈍らがミスリルなわけねぇだろ。掴まされたんだよ、お前」
柄ばかりの剣を両手で持ったままテベリスはへたり込んでしまった。すっかり放心してしまっており、攻撃してくる意思は全く感じられない。
「一応聞いておくが、お前も踏んづけていたあいつらは死んだままで大丈夫か」
女はテベリスが来る前に倒していた者たちをレイピアで指した。それにテベリスが反応することはなく、未だに虚空を見つめている。
「まァ、いいが。—————で、次はてめぇが遊んでくれんの?」
女の視線の先には、息を切らせた瀧本がいた。
◇ ◇ ◇
瀧本が賞金首の姿を捉えた時、その人は見覚えのある兵士と戦っていた。身にまとっている魔導師らしいローブが、ひらりひらりと動きに合わせて舞う。
一方的な戦いであった。いつもやる気がなさそうに冒険者カードの確認をしている兵士だが、魔獣の襲撃をいつ受けるか分からない門番を任されているのだから、それなりの腕をしているに違いない。その彼の攻撃を細身の片手剣で往なしてしまうのだ。賞金首は魔導師だと書かれていたが、剣の腕も立つらしい。
賞金首が兵士の剣を破壊し、決闘は終わった。瀧本はただただその強さに圧倒され、畏れと憧れが入り混じったような思いを感じた。
「で、次はてめぇが遊んでくれんの?」
兵士が戦闘不能になった事を確認した賞金首が瀧本の方を見ていた。フードのせいで口元しか見ることは出来ないが、弧を描くように吊り上がった笑い顔が印象的だった。
「でっ…」
言葉が喉元でつっかっかる。引きずるように右足を前に出す。ざりっとした感触が足元に伝わった。
「弟子にしてください‼」
瀧本は額を地面に擦り付けるように土下座した。
「悪ィけど、足手纏いはいらねぇんだ」
突き放すような声が、頭上から浴びせられる。リグレットにクビを告げられた時のような、ヒヤリとした感触が胸のあたりを伝う。
「僕はっ…、強く…なりたいんです‼あなたみたいに!」
「やめとけよ。犬死したかぁねぇだろう」
声音は相変わらず冷たいままだった。
「てめぇ、落ちた国が悪かったんだよ」
溜息交じりに呟かれた言葉の意味はよく分からなった。
「もう、僕は何処にも行くところがありません。パーティーも首になりました。一人で冒険者を続けていく力が必要なんです」
「てめぇ、転移者だろうが。可愛くおねだりすりゃあ、わざわざ冒険者なんざしなくても、どうにでもなるだろう」
面倒くさそうな態度を隠そうともしていない。ここまで瀧本が殺されずに済んでいるのは奇跡かもしれない。
「この街には…、僕の味方なんていないと思います」
「王サマのトコ行きゃあ良いだろうが」
呆れと苛立ちを含んだ声と共に、怒気を含んだオーラが飛んできた。ビクッと身体が震える。
「街の領主様ですら、お会いしたこともありません。王様なんて…」
「あん?」
賞金首が放つオーラが消えた。
「お前顔を上げろ」
言われるがまま顔を賞金首のほうへ向けると、探るような視線を感じた。
「……嘘は言ってないようだな」
口元からは笑みが消えていた。
「こっちに来てからの事、詳しく話せ」
瀧本は、転移先の廃村のこと、リグレット達のこと、ギルドでサポート職を勧められたこと、付与術師として活動していること、回復魔法が覚えられなかったこと、パーティーをクビになったことをつらつらと話した。記憶を辿りながら話をしたため、途中で話が前後したり、途切れ途切れになることもあったが、特に遮られることもなく静かに聞いてくれていた。
いくつか質問した後、賞金首は瀧本から目を逸らし、遠くの方を見ながら考え事をしているようだった。瀧本も何も言葉を発さずに賞金首の様子を窺う。
「弟子…にするかはともかくとして、てめぇの当面の面倒は見てやる」
思いがけない賞金首の言葉に瀧本の思考が追い付かず、一拍の間を置いて嬉しさが込み上げてきた。
「ただし、私と関わったことがバレれば、てめぇも追われる身となる。覚悟しろ。いいな?」
「はい!師匠、よろしくお願いします!」
瀧本は深く頭を下げた。
「ひとまず場所を変えるぞ。—————ああ、その前に、そいつら死んだままで良いか?」
そう言って、師匠は倒れている冒険者達を指さした。
◇ ◇ ◇
瀧本と災厄の魔女が人知れず消えた後には、訝しそうに周囲を見渡す複数名の冒険者と、折れた剣を握りしめて呆然としている門番が残されていた。