ふたり
自分じゃない誰かを一心に見ている様子、その横顔って、美しくて魅力的ですよね。
ってことが言いたいなと思って書きました。
最近いつもボーッとしてるね。どうしたの。と聞いても、彼女は正確さを欠いた回答しかしない。生まれてから16年間、ずっと隣にいる彼女のことでわからなかったことはなかったのに、今ではそれすらも怪しく思えてしまうほど、彼女が掴めない。
「莉緒、授業終わったよ。塾行こう」
「あ、そう。帰ろっか」
彼女は机の上のものを机に詰める。1年生の時は英和辞書すらも学校に置いたままにしなかったのに、今では全教科引き出しかロッカーに詰めているみたいだった。中学の時から乗っているお揃いの自転車で駅に向かう。この頃、莉緒は放課後にすぐにいなくなることがある。探しても、部室のも、職員室にもいなくて、諦めて一人で帰ると、自転車が最寄駅の駐輪場に置かれているのだった。そして次の朝、莉緒は何食わぬ顔でいつものように私と登校する。正直、私は少し苛立っていた。
「ねえ莉緒、最近ひとりでどこに行ってるの。私、毎回結構探すんだけど」
「ごめん。次から先に帰るっていうね」
「どこに行ってるの?今年に入ってからだよね」
向こうの歩行者信号が点滅するのを見て、私は減速しかけていたのに彼女はペダルを踏み込んで加速した。慌てて私もスピードを上げる。そのまま一気に駅までペダルを漕いだ。彼女は私を待たずに駐輪場をでていく。遮断機が降りる時の音がして、私も急いだ。電車の中は学生がちらほらいるだけで、莉緒一緒に6人がけの隅に座った。
「私がどこに行ってるか気になるの」
「当たり前じゃない」
私は弾んだ息を整えながら、莉緒の横顔を睨んだ。莉緒はこちらを向くと、じっと私を見た。その時久しぶりに莉緒が私を見ていることに気がついた。
「ねえ晶ちゃん。今日、塾さぼっちゃおうか」
見たことないほど愛らしい顔で笑った莉緒は、なんだか不気味で、私はゴクリと唾を飲んだ。
「なんで」
「聞いて欲しいの。私のこと。パンケーキ奢るわ。ね、お願い」
莉緒が私を見ている。私は首を縦に振るしかなかった。
いつも降りている駅を過ぎて30分ほどした頃、莉緒は次で降りるわと言った。降りたこのないその駅は、人のいない無人駅というやつだった。莉緒は迷わずにズンズン進んでいく。改札がないのでそのまま駅から出てしまった。しばらく歩いて莉緒が立ち止まったのは、小さな喫茶店の前だった。
「ここ、紅茶が美味しいの。行こ」
木製の扉を押して入っていく莉緒に続くと、甘いお茶の香りに包まれた。いつの間にか私は莉緒と手を繋いでいて、彼女に引かれて店の奥に進んだ。私たちの座った席は入り口と違って、薄暗くて、植物や壁に囲まれてそこだけ区切られているようになっていた。他にお客さんはいないようだった。
口紅をべったり塗った人が、メニューを持ってきた。莉緒はそれを受け取らずに、いつもの二つお願い。晶ちゃんにはミルクティーにしてあげて。と注文した。
「私、紅茶飲めないよ」
「大丈夫。私もそうだったけど、ここのミルクティーはおいしいから。もし飲めなかったらオレンジジュース頼んであげる」
「わかった。あんた最近ここにきてるんでしょ」
「半分正解。晶ちゃんとも来れて嬉しい」
「ありがとう。あと半分はなんなの。それに、ここに何回も来るなんてお金どうしてるの」
「なんだと思う」
「バイトしてるの」
バイトは校則で禁止されている。でも、それよりもっと悪い何かに莉緒は夢中になっているような気がした。
「ねえ、晶ちゃん。私、恋してるの」
種明かしをされた時、私は脱力した。杞憂だった。この近くに高校があって、その人を見に行ってるのかもしれないし、もう付き合ってるのかもしれない。さっきまでのイライラはどこかに行ってしまい、代わりに好奇心がむくむくと大きくなった。
「早く言ってくれればよかったのに」
「晶ちゃんのことは大好きだけど、何でもかんでも言えるわけじゃないわ。ちょっと事情があってね、本当は誰にも言わないつもりだったけど、どうしても誰かに聞いてほしくなっちゃた。ねえ晶ちゃん、パンケーキが焼けるまで30分しかないわ。私の話、何も言わずに聞いてくれる」
承諾しようと決心した時にはすでに私の口は、いいよ。と言っていた。莉緒はにっこり笑って話し始めた。
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私が秀治さんと初めて出会ったのは去年の11月。晶ちゃんが風邪ひいて学校休んだ日あったでしょう。あの日、秀治さんは財布を忘れて電車に乗れなくて困ってたから、私貸してあげたの。今度お礼するって言われて、連絡先交換して別れたら、次の日学校に迎えに来てくれてここでミルクティーをご馳走になったの。
「まだ名前聞いてなかったね。俺は高橋秀治。これ、借りてたお金」
「皆川莉緒と言います。こんな素敵なところに連れてきていただいてありがとうございます」
「あの時、皆川さんに電車代貸してもらわなかったら大変だったよ。お客さんを待たせるところだった」
「それは、お力になれてよかったです」
その時、私はよく知らない男の人の車に乗って、こんな所に来てドキドキしていたわ。秀治さん、30過ぎてるけど素敵なのよ。優しそうで、笑うと可愛いの。紅茶なんて好きじゃないのに、勧められるままミルクティーを頼んだわ。とても美味しくてびっくりした。秀治さんとの時間はあっという間に過ぎて、家まで送ってもらったの。お礼を言ったら、またお茶しよう。あの店はひとりで行くのもいいけど、皆川さんと紅茶を飲みながらお喋りするのも楽しかった。もしよかったらだけど。って言われて、2週間おきにふたりでここに来るようになったわ。彼と会っている時間以外は、はやく過ぎればいいのにって、それだけ思ってるの。他のことはどうでも良くて、高橋さんと私のことだけずっと考えてるの。この感じ、晶ちゃんにわかるかしら。とってももどかしくて辛いんだけど、秀治さんから連絡があった時や一緒にお話ししている時は、これ以上ないくらい幸せなのよ。
私、5回目にここにきた時、告白したの。
「私、高橋さんのこと好き。もっと会いたいです」
「ありがとう。俺も皆川さんのこと可愛いなって思うよ。でも、俺、結婚してるんだ」
その時、私は心臓を引きちぎられたんじゃないかと思ったわ。でも、どこかでやっぱりねって冷静な自分もいたわ。小説にもよくあるもの。若い女とそれを騙す既婚者男性。こんなに素敵な人、奥さんがいないわけないものね。でもね、秀治さん、家ではあまりうまく行ってなくて、私といると癒されるからつい何度もデートに誘っちゃったって打ち明けてくれたの。私思ったわ、うまくやったら秀治さんの心は私のものにできるんじゃないかって。私は、秀治さんの辛い気持ちが癒されるなら、完全に迷惑ってわけじゃないなら、しばらく彼に奥さんがいたっていいと思ったわ。そんなことより、もう会えない方が嫌だった。家の前で別れる時に、ハンドルに乗ってる秀治さんの手を握って言ったわ。
「じゃあ、また可愛い姪っ子に癒されに来るつもりで会いにきてください」
「姪っ子…そうだね。皆川さんは僕の姪っ子だ」
「莉緒って呼んでください。他人じゃないんですから」
「じゃあ、莉緒も敬語をやめて名前で呼んでよ。ほら、僕の胸に飛び込んでおいで」
私は迷わずに秀治さんの首に抱きついたわ。お腹にシフトレバーが食い込むのも気にならないくらい、とても幸せだった。高橋さんも抱き返してくれたわ。しばらくして頬にキスをしてから体を離したわ。
「まさか本当に飛び込んでくるなんて、莉緒は大胆だな」
「大好きな秀治おじさんの胸に飛び込んで何か問題でもあるの」
「ないよ。いつでも大歓迎。そうだ、姪っ子といえばお小遣いだな。ちょっと待って」
「待てない。お金なんていらないわ」
「可愛い姪っ子が可愛くなるために、おじさんが少しお小遣いをやるのに何か問題でもあるのか」
「どういう意味」
「今度は私服が見てみたいなってこと」
「そう。ありがと。楽しみにしててね」
その日から1ヶ月、新しいワンピースを買って毎日彼の連絡を待ったわ。檸檬色の襟がついたやつ。晶ちゃんが選んでくれた春物の可愛いやつね。全然連絡が来なくて生きた心地がしなかったわ。今度は私服が見てみたいって言ってた秀治さんの言葉だけを頼りに生きてたわ。
新学期が始まってすぐ、彼から連絡があったわ。迎えに行くって。私は鞄にワンピースと服だけ詰めて学校が早く終わるのを待った。本当は新入生の勧誘会があったけど、最後のチャイムが鳴ったら、駅に急いだ。その日よ。初めて秀治さんとホテルに行ったのは。ええ、そうよ。することなんて決まってるじゃない。私は秀治さんの顔を見上げながら、この日のために私は生きてきたんだと思った。生まれてから今までの辛いことや悲しいことが全部報われた気がしたわ。
「莉緒、ワンピース似合ってる」
「似合ってた。でしょ。もう脱いだ後じゃない」
「莉緒は何を着てても似合うよ。髪の毛の先まで全部綺麗だ」
それからも度々秀治さんに会っては、ホテルに行ったわ。その日は遅くなるから、塾で自習をしたフリをして家に帰ってた。彼ね、毎回私の身体中にキスするの、でも、絶対唇にはしてくれない。どうしてか聞いたけど、いつもはぐらかして答えてくれないの。私達、キス以外のことはなんでもしてるのに、どうしてなんだろう。あ、ごめんね。晶ちゃんには少し刺激が強すぎるかな。それで、まあとにかくお互いがお互いに夢中な時間が過ぎていったの。思えばこの頃から会うのが不定期になったから、晶ちゃんに随分迷惑かけてたのね。ごめんね。私はしばらくこのままでもいいかなって思ってた。幸せだし。でも、だんだん会う頻度が少なくなってきたの。会いたいっていうと断られるようになったの。毎日がすごく辛くて、たまに秀治さんに会えても全然満たされないの。最近、ひとりになると泣いてばかりいるの。よく考えたら、私、秀治さんの仕事すら知らないのよ。だからこの前会った時、彼がシャワーをあびているうちに、鞄の中を見たの。いろんなことが分かったわ。消防士をやっていることとか、奥さんの名前…あとで検索したら産休で休んでる弟の担任の先生だったわ。住んでる場所も、私の前にも彼と付き合ってる子がいたこともわかった。その後は彼にバレないように荷物を元通りにして、いつものようにふたりの時間を楽しんだわ。私、どうして今までそうしようとしなかったんでしょうね。晶ちゃんはどうしてだと思う。私は、奥さんのことを知ったら、殺したくなっちゃうからだと思うわ。秀治さんを縛りつける女を、私は殺したい。今、計画してるのよ。秀治さんは優しいから、なんとなくうまくいってないだけじゃ離婚できないと思うの。だから私が、家族をめちゃくちゃにして秀治さんを自由にするの。そしたら、もう一度恋愛できるでしょ。あーすっきりした。聞いてくれてありがとね晶ちゃん。
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飲み物とパンケーキが来た。莉緒オススメのミルクティーをすする。熱い。私は彼女に何を言うべきなんだろうか。さっきまでのことを忘れてしまったように、晶ちゃんおいしいねと笑う莉緒。
「ミルクティーもパンケーキもおいしいよ」
「でしょ。私の紅茶も飲んでみる?アールグレイっていうお茶なの。晶ちゃんのと違ってちょっとスパイシーな香りがするでしょ」
「本当。全然苦くないね。おいしい」
私は、久しぶりに、いつものふたりに戻ったような気がした。嬉しくて楽しかった。つい長居してしまって、喫茶店の外に出るともう薄暗かった。
「ねえ晶ちゃん。手繋いで帰ろ」
私は莉緒の右手を握って、ゆっくり駅の方に歩き出した。私は否定して欲しいと思いながら、彼女に聞かなくてはいけない質問をした。
「莉緒、奥さんを殺すって本気」
「どうだと思う」
私は莉緒の表情から彼女の考えを読み取ろうとした。彼女の横顔は美しく、彼女は私を見ていなかった。今は私と手を繋いでいるのに、また、あの不倫男のことだけ考える彼女に戻ってしまったのだろうか。私は返事をせずに、ズンズン歩いて、彼女を駅の階段の裏に連れて行った。
「行き止まりだね。戻らないと」
「ねえ莉緒、私の気持ち考えたことある」
私は莉緒に無理やり口付けた。私だって、心臓を握り潰されたように胸が痛い。辛い。両目が熱くなってきた。ずっと隣にいたのは私なのに、彼女と私の目と目が合うことはない。
「晶ちゃん。電車来ちゃうよ。行こう」
それでも、私を見ていない彼女は美しい。




