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第一章_第五節


◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夕食の時間は、どことなくぎこちない空気が流れた。誰もが普通を演じようとしているからこそ、不自然さが余計に目立っていた。フォークやスプーンが皿とぶつかり合う微かな音さえもが、ひどく大きな不協和音のように響いた。テーブルの上を飛び交う会話が、余計にこの建物の中を空虚で満たしていくようであった。


 食事の時間が終わり、各々が居心地の良い場所を求めて動き始めたときであった。突然、扉を叩く激しい音がした。蝶番が跳ね上がる音が、楽器のように後を追って鳴り響く。

 大雨と強風が吹き荒れている宵闇を遮る扉の向こうから、くぐもった男の声が響いてきた。



「今日はまた、来客が多いですね。一度にこうも人が集まるのも珍しいことです」



 扉へ向かうクラウスを制止するように、ルドルフは腕をつかんだ。



「おい、開けるのか」


「君たちと同じく、一晩雨をしのぎにきたお客人かもしれませんから」



 クラウスが扉を開けに行くと、その先に一人の男が立っていた。長く黒いコートに、厚底のブーツ。全身ずぶ濡れのその男は、まるで闇から抜け出てきたようであった。


 男は、早々に室内へと招き入れられた。扉を開けたままでは雨が中に入ってしまう、という配慮のもとだったのかもしれない。



「悪いな、いきなりこんな夜中に。今晩だけでいいから雨宿りさせてくれ」



 彼の発した、たった一言が空気を飲み込んでいくようであった。その場にいる誰をも引きつける魅力をもっている男であった。その表情や喋りのためか、それとも本質的にもっているものがそうさせるのか、その場にいた者の警戒心を一瞬で溶かした。



「ええ、こんな所でよければ、どうぞ。あちらに暖炉がありますから、暖まってください。

服もそこで乾かすと良いでしょう。すぐに着替えを持ってきますから」


「ああ、悪いな。頼む」



 男はヴォルフガングと名乗るとともに、町へ向かうのに森を通っていたおり迷ってしまった、というここまで至ったいきさつを話した。



「……あんたたち、人狼って知っているか?」



 それは、着替えをすまし一息ついたところで発した、ヴォルフガングの言葉であった。



「人狼……? 普段は人の姿をしているが、夜だか満月になると狼に変身するっていう? 子ども向けの物語に出てくる」



 脈絡のない話に受け答えをするフォルカーに、ヴォルフガングは何を思ったのか小さな一瞥を投げかけた。



「物語、か。……新聞で見なかったか? 最近、この近辺で人が襲われている事件。

のど元をやられたり、背中に傷を負って道ばたに投げ捨てられていたり」


「そういえばあったね。新聞には野犬や狼、獣の仕業だろうと……。まさかその事件、人狼が起こしているなんて言うんじゃないだろうね」


「断定はできない。……だが、そうじゃねえと言えるだけの証拠もないよな」


「ははは……小説の読みすぎじゃないかな。普通に考えたら、野盗か獣の仕業だと考えるでしょう? 医師の鑑定では、獣の仕業と結論づけられたらしいけど……それを人狼なんていう……」



「人、狼……?」


 

 かぼそい声が、会話を中断させた。視線がフロレットに集まる。ゆらりと、ソファから立ち上がったその姿は、まるで幽霊のようであった。



「人狼、あ、あ……」


「どうしたの?」



 気遣わし気に伸ばされたレアの手を振りほどくように、フロレットは顔を覆って崩れ落ちた。



「っ人狼、じん、ろ、う……ごめんなさい、私、わたしっ……」


「大丈夫? 本当に、どうし……」


「っごめんなさいごめんなさい、私、ずっと……信じてもらえないって思って、それで……」


 

 レアの腕の中で震えながら、言葉を吐き出すその姿は、一種の神懸かりか、気が触れてしまった人間のようであった。



「おばあちゃんの家で見たんですっ。人狼っ、人狼が……血まみれになったおばあちゃんの横に、人狼……人、なのか、狼なのか、よくわからない生き物がいて……。……私にも襲いかかってきて、腕の傷……逃げて、逃げて逃げて、私、ああ、私……!」


「あんた、その話本当かっ?」


「っ嘘じゃない嘘じゃない! 私は、あのとき……わたし、は……おばあちゃん、が……ちがうちがうちがう!」



 ぎらぎらと目を光らせながら金切り声を上げるフロレットの姿に、ヴォルフガングはのけぞった。目を見開き、口から歯をのぞかせわめくその姿は、まるで――。



「大丈夫よ、落ち着いて。もう大丈夫だから」



 レアに抱きすくめられてもなお、フロレットは声を発していた。口の中で唱えられ続けたその訴えは、くぐもっていて言葉として耳に届かない。まるでうなされているように、小さなあえぎにしか聞こえないその声は、時々「私のせいじゃない」と音を連ねていた。


 その後、ぐったりとした様子でソファに崩れ落ちたフロレットは、二階の寝室へと運ばれていった。まるで気を失ってしまったかのように、虚ろになり憔悴してしまった彼女は死人のようであった。




「一体どうしたっていうんだ。さっきの女……」



 シャンデリアが薄暗く照らす大広間で、ヴォルフガングは不審そうに階段のその先を見上げた。



「フロレットさんも、君と同じようにこの雨の中を抜けてこの館まで来たのですよ。……全身ずぶ濡れで、服に血をつけた姿でね」


「……この家の住人じゃなかったのか」


「俺たちみんな、この家の住人じゃないぜ。今日たまたまここに集まった流れ者たちばかりだよ」


「そうなのか?」



 ヴォルフガングはルドルフに視線をやったが、その不謹慎ともとれる笑みに眉をひそめた。ルドルフはただ一人この場の空気を楽しんでいるかのようであった。先ほどのことがあったにも関わらず。



「ええ。ここに住んでいるのは、僕一人だけです。皆さんは雨宿りのためにここにいらっしゃったのですよ」


「そうか……それにしても、あの女……フロレット……人狼を見たって言ってたな」


「……見間違いじゃないの? 混乱していて、本物の人か狼をそうだと思いこんで……。それか君のさっきの話を聞いて、そのときの記憶の犯人を人狼にすり替えてしまったか……」


「フォルカー……って言ったか? お前……疑り深いな、見たって人間が現にいるっていうのに」


「普通に考えて人狼がいるなんて信じられる訳がないでしょう。そういった話は、見間違えだとか空想から、恐怖心が広がってできていくものだよ」


「……本当にいるとしたらどうする」


「またまた~。そんな人狼なんて化け物、いるわけが……」



 フォルカーが言い終わるか終わらぬとき、椅子の倒れる音が響いた。そのすぐそばには、真っ赤な血色の絨毯に手をついたアルノルトがいた。



「大丈夫ですか? アルノルトくん」


「すみません……」



 クラウスを制するように手を上げ立ち上がったアルノルトの顔色は、死人のように青みがかった白であった。足下もおぼつかないその様子は、とても健全な人間とは思えない。まるで、何かに怯えているように、恐れているように唇が震えていた。



「顔色が悪いね……ほら、ソファに掛けた方がいいよ」


「二階には客人用の寝室が複数ありますから、よかったらそこで休んでください。もうこんな時間ですから……僕らもそろそろ寝についた方がいいかもしれませんね」



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