第七章第九節
「ふん、アルノルトを連れ戻せって命令のことか? ――居眠りしていてそんな命令聞いちゃいなかったな。俺はただ幼なじみがどうしているか心配になって見舞いに来ただけだ」
鼻であしらうヴォルフガングに、クラウスも思わず笑みを浮かべる。
アルノルト・フォン・ヴァイスバルツ。
ヴァイスバルツ家は有力貴族であり――人狼化計画を後押しした一族、軍の後ろ盾だ。
軍人を多く輩出していたヴァイスバルツ家にとって、アルノルトは“不出来”な嫡男であった。
大人しく病弱で、武芸よりも文芸に優れていた。対して弟は筋骨隆々とたくましく武芸に秀で、精神闊達であった。
当主であるアルノルトの父は、なぜ兄弟が逆に生まれなかったのかと嘆いた。弟が先に生まれてくれば迷わず次期当主にできたのに、なぜこのように貧弱な者が嫡男として生まれたのかと。
時期が悪かったのだ。いいや、時代が悪かったのか。どうして彼が生まれたときに、人狼化計画が持ち上がってしまったのか。
病気療養と称して研究所に押し込められ、実験体にされた。貴族の嫡子でありながら、人体実験の最初の被験者とされた。
彼の父は、あわよくばと思っていたのだろう。いいや、確実に殺すつもりで実の息子を実験所に送り込んだのだ。
……研究所が全焼したとき、たまたま本家に帰省していたアルノルトは、自分を見る父の目に絶望した。
生きていて、申し訳ありませんでした。あのとき、なぜ生き残ってしまったのか。父上が望んだ通りに、どうして生きることができないのか。あのとき自分は死んでしまえばよかったのに。投薬実験をしてさえ、なぜ病弱なこの身体が生きながらえるのか。
自分の居場所がない。生きる場所がない。だから死ぬために家を出たのだ。
「俺はお前をみすみす死なすつもりはねえぞ、アルノルト」
当たり前のことのように言う幼なじみに、アルノルトは喜びとともに罪悪感が胸に広がっていった。
自分が家から逃げ出したとき、ヴァイスバルツ家の近衛隊長であるヴォルフガングに命令が下ると、どうして予期することができなかったのだろう。
彼に下った命令はきっと自分を連れ戻すこと――ではなく、殺すことだ。自分を殺したがっていた父は、きっとそう命じたに違いない。
当主の命令を守らなければ、一体どうなるのか。彼が一番良くわかっているだろうに。それでも――。
「……私も、生きたい……」
はらはらと流れ落ちる涙が、きっと答えなのだ。これがまだ温かいうちは、生きよう。
「確実な治療法はまだ見つかっていませんが……人狼化で起こる症状は、薬物中毒が元になっている。だから、体内にたまった薬物を抜くことができれば症状を緩和させることができます」
「……そのために、あんな悪趣味の地下牢にアルノルトを閉じ込めようってか。もっとましな場所はねえのか。地下にいたあいつら……人間の扱いじゃねえだろう」
「……僕だって、できることなら彼らをもっとちゃんとした環境で治療したいと思っています。けれど、僕一人で、理性を失いいつ暴れるかわからない人間を一度に見ることはできない。
それに、症状が深刻化すると……彼らは極度に光を恐れるようになる。だから、暗闇で薬の禁断症状が消えるまで待つしかないんです」
「私は、かまわない。どんな場所だろうと……今度は死ぬためではなく、生きるためにそこを選ぼう」




