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第六章_第十節



 一発の大きな銃声が響き渡る。どん、とアルノルトの身体が大きく後ろに投げ出された。部屋に散る大きな鮮血。

 どさり、と鈍く人が倒れる音がする。フロレットは口元を手で押さえた。悲鳴すら上がらなかった。アルノルトの左胸から真っ赤なしみが広がっていた。



「アルノルトくんっ!」


「おい動くんじゃねえっ言っただろうが! ええ? お前も死にてえか、ああそうかよっ!!」



 やめて、と口だけが動いた。声は出なかった。ふたたび響いた大きな銃声と部屋に飛び散った赤い鮮血に、フロレットはただただ立ちすくんでいるしかなかった。



「あ、あ、あ……クラ、ウスさ……」



 どさり、と目の前で男の身体が床に倒れ込んだ。フロレットは何もすることができず、ただただ凝視していることしかできなかった。

 男は血に興奮したのか、人を殺した高揚感でおかしくなってしまったのか、げらげらと高笑いをした。



「は、はは、ははハはっ――! まったく、まったく馬鹿な野郎どもだぜ! ええおい? はははハハっ! ああ、そうだろうよ! 火にあぶられて死ぬのはつらいだろうからな! 一発で死なせてやったのはせめてものお情けだぜっ! ハハハハッ!」


「お、おい、そろそろ俺たちも危ねえ、早く逃げようぜ」



 もう一人の背の高い男が、狂ったように笑う仲間を不気味そうにのぞき込みながら言った。



「はは、ハ。おう、そうだな。――おいそこの赤い嬢ちゃん」



 男はぎらぎらとした目でフロレットを見つめると、口を大きく歪めて笑った。そして、ランプを入り口近くの床に叩きつけた。初めは小さな火であった。けれど、それが音を立てて大きくなっていく。



「はは、昔から魔女は火あぶりって決まっているからな。――じゃあな、小さな赤ずきんの嬢ちゃん。真っ赤な炎で焼かれてあんたの罪を浄化させるこったな」


 

 男たちは台所の入り口が完全に火でふさがれるのを見届けると、急ぎ足で去っていった。

 フロレットは、ただただ立ちすくんでいることしかできなかった。ああ、熱い、熱い。どこかに逃げないと。――でも、どこに? ……どこにもない。逃げられる場所はどこにもない。もう死ぬしか――。


 そのとき、床からうめき声が聞こえてフロレットははっとした。仰向けに倒れていたクラウスが、わずかにみじろぎをした。



「ク、クラウスさん……っ」



 あわてて駆け寄ると、クラウスはうめきながらまぶたを上げた。まだ、生きている。



「あ、あ……フロレットさん……よかった、君はまだ無事ですね……」



 声を出すのも苦しいのだろう。不自然な呼吸を繰り返しながら、クラウスは言葉を紡いだ。額には脂汗がにじんでいた。



「ク、クラウスさん、傷が……血、血が……」


「だめ、ですね……この傷ではおそらく……」



 血を止めようと傷口に触れようとしたフロレットの手を、クラウスがやんわりとつかむ。その手は、小刻みに震えており力がなかった。



「まだ、地下への入り口は……火で覆われていないでしょう……。君だけでも、助かるかもしれない。地下までは……火の手は広がらないでしょう、から」



「ク、クラウスさんも一緒に行きましょうっ……」



 未練がましく、フロレットは倒れ伏したクラウスの肩に触れた。だが、大の男一人をフロレット一人で移動させるのは無理な話であった。運んでいる間に炎に包まれてしまうだろう。



「僕は、もうだめですよ。君もわかるでしょう」


「で、でも……」



 まだ助かるかもしれない。そんな思いを否定する光景が目の前に広がっている。勢いの止まらない血。あきらめきれなくて傷口に触れた手が、赤く染まっていくばかりであった。



「聞かん坊さん、ですね……そういう子の扱いには、慣れていたはずなんだけどな。……ね、お願いです。君だけでも、どうか……」



 無理に笑みをつくろうとするクラウスに、心がえぐられた。ああ、この人はやはり私の天使。私のルツィフェル。どこまでも優しくて、残酷な人だ。



「フロレットさん……」



 あやすように呼びかけられ、フロレットは首を振った。……もう、地下への入り口はとっくのとうに火で覆われていた。……きっと地下へ逃げても助からないだろうことは、クラウスもわかっていたはずだ。石畳で閉ざされたあの地下牢に逃げても、熱で蒸されていずれにしろ死ぬだろう。鎮火を待たずして死ぬはずだ。


 フロレットはクラウスの手を握りしめた。お互いの手が、真っ赤に染まっている。笑みを浮かべていたクラウスの表情も、徐々に無に変わっていく。



「クラウスさん……」



 呼びかけても、返事はない。それが悲しくて、手をさらに握りしめた。涙が、止まらなかった。もう泣いても意味はないというのに、あふれて止まらなかった。


 ああ、熱い。熱くて、苦しい。目が痛い。苦しくて苦しくて、だんだんと意識が遠のいていく。ああ、熱い熱い。目が痛い。もう目を開けることすら叶わない。



 ――ふいに、祖母の顔を思い出して、フロレットは思わず笑ってしまった。


 これはきっと罰だ。神様はすべて見ていたのだ。地上の者たちの行いを見ていたのだ。私は、罰される。煉獄の炎に焼かれて死ぬのだ。

 焼け焦げた臭いが胸を覆い尽くし、気持ち悪くなる。だんだん意識が遠ざかっていく。――おばあちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。私は、悪い子でした。悪い子だったから、罰を受けなくちゃいけないんだよね。


 ……でも、おばあちゃん。私は悪い子だったけれど、許してくれますか――?


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