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第四章_第二節



「人狼……――人狼人狼……っ! あなたがおばあちゃんを殺した、殺してやる……殺して……」


「ハハハ……可愛クテ哀れな……赤ずき……――レットさん、ナイフを降ろ……――くださ――……――ハハハ、いたぶって、苦シめて殺……――僕は君に何もしな――……殺シテやる」



 獰猛な人狼の姿に、ときどき美しいクラウス姿形がぶれて見えて、フロレットはナイフを持ちながら震えた。ああ、耳鳴りがする。頭が痛い、痛い痛い。人狼に、殺される。殺される殺される。殺さないと――。


 足を踏みしめたとき、フロレットの脳裏に様々な記憶がフラッシュバックした。人狼を刺した記憶。ああ、私がおばあちゃんを――私は、クラウスさんを! アルノルトさんを!! ――だめ、だめだだめだ。私は、以前も、私はそのとき――ああ、私はなんてことを。ああ、でも殺さないと、殺される。早く、殺さないと。人狼を、悪魔を殺さないと。――だめ、私は、もう嫌だ、こんなことしたくない。



「フロレット殿、いけない! だめだ……っ!」



 突然、後ろから両手をつかまれ、フロレットは身体の自由を奪われた。とっさに抵抗しようとするも、手首を強く握りしめられ身動きをすることができない。ぎりぎりと手首を締め上げられ、フロレットはとうとうナイフを落とした。



「あ、あ……アルノルト、さん……?」



 さきほどまでの衝動が嘘のように、フロレットは脱力し床にへたりこんだ。どこかほっとしたような表情で、アルノルトが背後から自分を見下ろしていた。どくどくと、心臓が脈打っている。――私は、一体何を。気だるげに頭をもたげて見上げた先にいたのは、人狼ではなくクラウスであった。人の姿をした――ルツィフェルのように美しい人間の男であった。



「あ、あ、あ……クラ、ウスさん……わ、私、私……」



 ――私は、なんてことをしてしまったのだろう。



「ごめんなさいっ、ごめんなさい……わ、私がおばあちゃんを……それなのに、私は……クラウスさんも、アルノルトさんも殺して……ごめんなさい……私が人狼なのに、私が、悪魔に呪われた悪い子なのに……私が、全部……ごめんなさい」


「フロレットさん、大丈夫です。僕たちはちゃんとわかっていますから。……本当に悪いのは……君ではなくて……。……アルノルトくん、ここは僕にまかせてどうか部屋を出ていってくれませんか」


「お一人で大丈夫ですか、私も……」


「いえ、ここは僕にまかせてください。ですから、どうか」



 アルノルトはとまどいながらも小さく首肯すると、静かに部屋を出ていった。



「わ、私、もう、おかしいんです。もう、普通じゃないんです。だから、だから……ごめんなさい、私は、たぶん、これからもひどいことをするかもしれない……私は、悪いことをしました。もう、私は、悪い子だから、私は……」



 ごめんなさい。私を、私をもう見ないで。罪人だから。人殺しだから。化け物だから。どうか、どうか罰をください。私に、罰を。私を――赦してください。



「大丈夫です。君は普通の子です。普通の女の子です。僕は、それをよく知っている。わかっている。さあ、あちらに掛けて。少し落ち着きましょう」



 クラウスに触れるのも、おこがましいと思った。その手に導かれるのも許されないほど、この手は血で汚れている。

 けれど、その手を振りほどく勇気もなかった。断罪を願っていながら、救済を願っていた。



「少し、気が高ぶっているみたいですね。大丈夫です。少し、目を閉じていてください。落ち着けるための薬を処方しますから」



 うながされるままに目を閉じても、まぶたが震えた。どくどくと、まだ心臓が脈打っている。椅子の背に深くもたれていると、かちかちと何かがぶつかり合う音が聞こえてきた。次いで、つんとした清涼感のある香りが伝わってきた。クラウスは一体何をしているのだろうか。ぼんやりとそう思っていると、腕に何か冷たい液体を塗られていく感触がして、思わず目を開けた。



「フロレットさん、まだ目を閉じていてください。少し痛いかもしれませんが我慢してくださいね……」



 ちくり、と右腕に小さな痛みが走った。何だろう、と思い首を動かすも、目を閉じたために見ることは叶わなかった。

 しばらく待っていても、クラウスは何も言葉を発さない。もう目を開けていいのだろうか。そう思うも、フロレットは聞くことができなかった。口を思うように動かすことができなかった。頭が、ぼんやりとしていく。まるで眠りにつく寸前のように、気持ちのいい微睡みに包まれていた。

 なんとかまぶたを薄く開けると、クラウスが立ち上がり部屋を出ていくのが見えた。――待ってください。そう言おうとするも、声を発することができなかった。


 必死で落ちていきそうになる意識を押さえつけていると、しばらくしてクラウスは部屋に戻ってきた。そのまま背と膝裏をすくうように抱きかかえられた。クラウスは、一体私をどこに運ぶつもりなのだろう。必死で目を開けるが、他の身体の部位にはまったく力が入らず、首がだらんと垂れてしまう。不安定な視界で、階段をくだり、台所に連れていかれていることを眺め続けた。

 だか、台所に入ったときに違和感を覚えたのは、絨毯が動いていたことと、以前敷かれていた位置に穴が開いていたことである。隠し通路なのだろうか。地下貯蔵庫なのだろうか。床板についた扉が開け放たれ、暗い穴をのぞかせていた。

 私をどうするつもりだろうか。お願い、やめて。私をどこに連れて行くの。必死で訴え抵抗しようとするも、身体はぴくりとも動かず、一言も発することができなかった。


 かつ、こつ、と不気味な音を立てながらクラウスは石畳でできた階段を下っていった。まるで、地獄に続く坂道のようである。私は、どこに連れて行かれるのだろう。私は、罰を受けるのだろうか。


 太陽の光がどんどん遠ざかっていく。薄暗い下り道を照らすのは、ランプの明かりだけである。暗くなっていくとともに、意識も沈んでいく。ああ、だめだ。ここで手放してはいけない。それなのに――。



「すみません、フロレットさん……こうするしかないんです」



 フロレットが最後に聞いたのは、クラウスの囁きと獣のうなり声であった。


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