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第一章_第二節



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 激しい雨が、窓を打ちつけていた。闇を背景に、白糸のように水滴がガラスに垂れる。風が口笛のように音を立てて漆黒の中を吹き抜ける。窓枠がかたかたと小刻みに揺れていた。


 こんな日は、不思議と落ち着いた。普段は意思に反して絶えず物を考えてしまう頭が、ようやく静寂を取り戻し、自分の内側へと意識を集中できた。静寂でもなく、しっとりとした小雨の降るでもなく、いわゆる、普通と認識する天候ではない日には。


 特段、夜だということが、静かな喜びをもたらした。姿も影も飲み込んでくれる漆黒。

 一人だと、なお好ましかった。誰に気を使うでもなく、わずらわされるでもなく。


 それなのに、私は一人では生きられなかった。一人ではいられない。明るい日差しを嫌い、陰や闇を好むと自負しているのに、今、明るいランプの光が照らす室内に落ち着いていた。闇を好むのに、人の、生き物の本能ゆえか、暗闇の中に一人でいることが恐ろしかった。


 雨さえ降らなかったら一人でい続けられたのかというと、答えは否であろう。矛盾している自分に嫌気がさす。

 せめて規定通りの、自分の望む、本来そうあるべき自分に近づこうと――いいや、これは陰鬱で卑屈な心の習慣ゆえか――部屋の片隅にある椅子に腰掛けていた。


 一人でいることが耐えられぬくせに、他人と並ぶことがどうしても苦痛で、本を繰って一人に没入しようとしていた。



「……それにしてもあの子、よっぽど怖い目にあったんだろうね。混乱しているみたいだったから、くわしいことは聞けなかったけど……服に付いていたあの赤いしみ……」



 雨音と風の音だけが空虚に響いていた部屋で、男が言葉を落とした。条件反射のように、本から顔をあげる。

 髪をかきあげ額を出している男。たしか、フォルカーと呼ばれていた。彼自身もそう名乗っていた気がする。



「家を訪ねていったら祖母が血まみれになっていた、か。痛ましい話だね。よほど必死な思いでここまで走ってきたんだろうね」



 この場の雰囲気からいったら少し不謹慎に――おそらく故意ではなく地ではあろうが――笑いを混ぜた声を放った赤髪の青年に視線を移した。青年は、室内にある置物やら絵画を好奇心のまま触り、声から推測できる通りに笑みを浮かべていた。



「何かから逃げてきたのか、助けを求めにきたのか……扉をあんなに叩いて。……何があったにしても、そのおばあさんっていうのはもう手遅れだろうな」


「どうしてそう思うんだい? ……ええと、ルドルフくん、だったっけ」



 ルドルフは口の端を上げると、フォルカーに視線をやった。たった今、調度類に飽きたから目を移したのだというような動きだった。 


 猫のような男だと思った。三日月のように細められた目。気まぐれで、どこか本心のつかめない笑み。人の指図など受けない、自分が興味をもったら動き、つまらないと思ったらしっぽを向けて去っていく。そんな雰囲気が透けて見えた。



「名前を覚えていただけて光栄だね。なぜって、あの子一度もおばあさんを助けに行ってくれって言わなかっただろう。普通、っていうのはおばあさんが生きているとわかる状況、または生きる可能性があると思える状況だったのなら、助けに行ってくれの一言くらいあるんじゃないのか? ……まあ、それすら言えないほどショックを受けていたとも考えられるが。どっちにしろ、この雨と暗さじゃ確認しに行くことも困難だけどね」



 短い間に、そんなことを考えていたのかと感心をおぼえた。自分など、ただシアターを見ているようにぼんやりと眺めていただけであった。……いいや、考えていたことならある。もしや、という嫌な予感、憶測といった方がいいか。

 血まみれになっていたという、少女の祖母。もしや、と思った。もし、自分の考えている通りのことが起こっているのだとしたら。


 本当に、そうなのだろうか。生気を感じられないとまで言われてしまうほどの自身の肌から、さらに血の気が引いていくようであった。


 けれど、その反面、そんな馬鹿なという思いも抱いていた。それは、そうであってほしいというただの希望だったのかもしれないが。――ああ、でも。いや、そんな。



 頭の中で、不毛な憶測ばかりが渦を巻いていく。もしかしたら、「あれ」の犠牲になってしまったのか。おぞましい、あの。いや、けれど、もう大丈夫なはずだった。悪夢はもう終わったのだ。――本当に、終わったのか? 大丈夫だと思うなら、なぜ私はこんなにも怯えている?



 本当は、終わってなど、いないのだ。あのときからずっと――。



――罪は消えない。傷跡のように残ったまま。



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