第一章_第一節
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「――それで、君のおばあちゃんがどうしていたのですか?」
男は、目の前で顔を覆っている少女に優しく語りかけた。
「……血が、おばあちゃんが血まみれになってて……おばあちゃんが、おばあちゃんが……」
「もうそのくらいでやめた方が。その子もきっと思い出すのがつらいでしょう。雨に濡れて、それにその……早く着替えさせてあげないと」
「そうですね。君……少しは落ち着きましたか? ほら、背もたれに身体を預けて、ゆっくり大きく呼吸をしてください。もう大丈夫ですよ」
男は、身体を縮めておびえている少女にむかって優しく微笑んだ。憔悴しきった少女の顔には、乱れた髪が絡みつき水滴を垂らしている。全身ずぶ濡れで、体の線に沿って服が張り付いていた。水を吸って深く沈んだ色となっていたものの、胸元や袖に花のようにひろがっている真っ赤なしみは鮮やかに存在を主張していた。
「着替えの服お借りできるかしら。女同士の方が気も許せるでしょうし、後のことは私が……。それで、その、私、今着ているもののほかに一枚のワンピースしか持っていなくて、それも先ほどの雨で濡らしてしまったから……」
「わかりました、少し待っていてくださいね。大きさが合うかはわかりませんが、たしかあったはずです。部屋は先ほど君が入ったところを使ってかまいません。すぐに持ってきます」
奥の扉へと姿を消していった男を見送ると、彼と会話していた少女――レアは、ソファで震えている少女のそばに座りその手をとった。
「……さあ、あちらの部屋にいきましょう? そのままの格好でいたら風邪を引いてしまうわ」
「私……おばあちゃん……おばあちゃん、が」
「もう大丈夫よ、大丈夫だから。私は……ここにいる人たちはあなたに悪いことをしないわ。だから安心して」
優しく微笑みかけても虚ろに見返してくる少女に、レアは困惑した。けれど辛抱強く待った。しばらくして、そばでその様子を見ていた赤髪の青年が近づいてきた。
「動けないなら、俺たちが移動するよ。こんな広間で着替えるのも、普通だったらあれかもしれないが、その子……その様子じゃな。安心しなよ、女性の着替えをのぞく野郎なんてここには、少なくとも俺はそんなことしないさ。のぞこうとするやつがいたら俺が止めるさ」
「やだな、俺はそんなことしないよ!」
「誰もあんたのこと名指ししちゃいねえよ。激しく否定するってことはやましい気持ちがあったってか」
「そんな俺は何もやましいことは……ま、まあ、とりあえずみんな移動しようか」
「じゃあ、またあとでね」
部屋の隅にある椅子に、影に紛れるように腰掛けていた青年は、分厚い本を閉じると立ち上がった。
「おや、皆さんはどちらに?」
ぞろぞろと男たちが広間から姿を消した後、クラウスが衣類を片手に戻ってきた。
「はい、これが着替えになります。タオルも二、三枚用意しておきました。湯は今そこの暖炉で沸かしていますが、まだ時間がかかると思うので……」
「ありがとうございます。ほかの方々は別室……あちらの部屋にいきました。その、この子の着替えはこちらで……」
目配り一つで、クラウスは事の詳細を汲み取ったようだった。
「わかりました。では、僕は台所にいますので、終わったら呼んでください」
「ええ。すみません、ありがとうございます」
レアは、虚ろな目でうつむいている少女の隣に腰かけた。少女は、幽鬼のようにゆらりと面を上げた。次いで、ばつが悪そうにうつむいた。
「……ごめんなさい、私……」
「いいのよ。悲しいことがあったのだもの。ただ、濡れたままでいては冷えてしまうわ。それに、その服……」
レアは、服に沁み込んでいる赤黒いシミを見て言葉を濁した。独特の、錆びついた臭いが湿気を交えて漂ってくる。
「……いいんです」
「え……?」
「このままでいいです、私」
頑なに拒むように頬を強張らせている少女の横顔を、レアは困惑したまま見つめた。少女の震えは寒さによるものなのか、怯えによるものなのか。
「……わかったわ。……私はレア。レア・ブラウンよ。あなたの名前は?」
「…………フロレット。フロレット・ローテ・ブルーメンシュトラオスです……」
「そう、フロレット。よろしくね。それじゃあ――……あら」
フロレットの真っ赤なワンピースに隠れていた一つの違和感にレアはようやく気がつき、思わず声を上げた。