甘露を目指して三千里(プリメラ)
私の朝は朝食準備の手伝いから始まる。
子どもたちを起こし身支度をさせ、幼い子らの食事の手助けをした後、登校の準備をバタバタとすませる毎日。王都に住んでる者は家から学園に通っているから、手伝いを済ませてから行く私は特に慌ただしい。
私はプリメラ・ピエルヴィ。ここピエルヴィ孤児院に住んでいる。
プリメーロが色づく季節に、この孤児院に捨てられたからプリメラ。
単純なんだけど、それでも私はこの名前がとても好き。
その日から私の家はここで、みんなは家族。
本来なら、私の年齢で孤児院にいることはない。上の兄さん姉さんたちはとっくに働いていて、時たま顔を出しに帰ってくるだけ。だけど、私は奨学金で学園に通っているからまだ残れている。本音は心苦しいんだけどね。
そんな私の苦さでさえ「あんたが偉くなってくれればここは安泰よ!」なんて言って背を押してくれるんだもん。ほんと姉さんや兄さんにはかなわない。
今日は学園が始まってから初めてのお休みで、マザーのお手伝いを目一杯できるの。
掃除や大物の洗濯、昼食を終えた後のひと時、マザーとお茶をするのがなによりの私の楽しみ。マザーは勉強は良いの? なんて言いつつ私の好きにやらせてくれる。
大好きよ、マザー。
「……そう言えば、学園にインフィニーテ公爵令嬢様が通ってらっしゃるのよね」
緩やかに昇る香茶の香りを楽しみながら、ふと思い出したようにマザーが話すのは、私の大好きなインフィニーテ様の話。
不思議に思いながらも頷くと、あの今でも思い出すと震える夜の話を教えてくれた。
それは私が6歳ぐらいの話。
この孤児院は一度閉鎖されるところだった。
なんでも、住むのに困難なほど老朽化しているが改修するような予算は降りないと言われたらしい。
それはおかしいのではないかと、話し合いを求めたマザーが憲兵に連れて行かれた時の恐怖を幼いながらに覚えている。
その時の私は詳しい理由なんて知らない、家を失う怖さより、母を失う怖さに震えて追いすがった。
「マザーを連れて行かないでー!!」
憲兵に体を押さえられつまみ上げられ、小さい体は止めることができなかった。
その日の夜、子どもたち全員で身を寄せ合って震えていた。
汗だくになりながらそれでも誰一人離れなかった。
私は唇を噛み締めて腕の中の熱にすがりついた。離すまいと力の限り。
あの暑いのに寒い夜の血の味を、私は忘れられない。
マザーが帰って来るまでの記憶があやふやな私に、3日ほどで帰ってこれたと笑っていうから、口をポカリと開けてしまった。
だって、横領の疑いで連れて行かれたのでしょ?
今なら連れて行かれた理由や日数の短さの異様さに気づける。これも学園に通ってるから分かることだと思う。
内緒よっと悪戯げに笑って、インフィニーテ様の話教えてくれる。
「……なんでも、拾った書類の計算がおかしいと気づいて、調べてくださったそうよ」
「え! でもあの頃のインフィニーテ様は」
「そうなの、貴方と同じ年の6歳ぐらいかしら? 私のところにも自ら来てくださって、安心するようにと微笑まれた時に、不覚にもときめいてしまったわ」
そう頬を染めるマザーに、もう! なんて言いつつちょっと分かってしまう。だって、すごく綺麗で凛々しくて優しいもの!!
「で!! その後はどうなったのマザー、焦らさないで教えて?」
「ふふふ、ほんとにインフィニーテ様が好きなのね」
「マザー!!」
すぐにからかうんだから! 熱くなる顔をごまかすように、マザーの腕をパスパス叩く。
「はいはい。それで私の話を聞いてすぐに、孤児院の帳簿と書類を照らし合わせて公爵様に言ってくださったらしいの。公爵様もすぐに陛下に話をしていただいて不正をしていた貴族が捕まったの」
ほぅ……。と感嘆のため息を吐き出して、お互い香茶で喉を潤す。
あの日の夜を思えば、沈み込むような気持ちだけど、6歳のインフィニーテ様の活躍を聞けば暖かくすくい上げられる心地がする。
そして、私はハッと気づく。
「もしかして、私はインフィニーテ様にお会いしていたのかしら?」
「そうね、ことづけをこっそり私に書かせてそれを持っていったから、ミラあたりと話はしたかもしれないわね」
「ミラ姉さんずるい!!」
「あらあら、プリメラも会っているかもしれないからミラに聞いてみたら?」
「私、ミラ姉さんの所に行ってくる!!」
慌ててカップを流しに置き、エプロンを背もたれにかける。軽く髪を手ぐしですいてから飛び出した。
後ろから笑いを含んだ声で「帰りにお塩を買ってきてね〜」と呼びかけられる。
「うん、行ってきますマザー!!」
同じように笑いながら手をふって、後は一目散にミラ姉さんのところまでかけて行く。
これって運命かしら?
ちょっと乙女な自分の思考を恥じらいながら、傾きかけた日に微笑んで。