涙の泉(プリメラ)
「ここには平民は入れないはず、なぜ貴女はいらっしゃるの」
大きな声を出しているわけではないのに、不思議と場を鎮めてしまう声が、感情を滲ますことなくこの場に静かに落とし込まれた。
ここは、学園のティールーム。ただし、貴族専用となっているので平民は足を踏み入れることができない。
それも仕方ないことで、席や飲食に至る全てのものが平民には到底払えない高額なものになる。王族や貴族の彼らは身を守るためにもこの特別ルームを使用することが多い。
声とこちらを見据える瞳に、反射のように肩がはねてしまった。
それを諌めるかのように置かれた熱を少し煩わしく思ってしまう。
入ってはいけないと知った上なのだから、言われてしまっても仕方のないことなのに。
「申し訳ありません」
立ち上がり深く頭を下げる。
「なぜ、貴女が謝らなくてはならない」
「……いえ、私が決まりを守っていないのです」
肩に添えられた手のひらが、慰めるように背をたどる。
それに視線が追従しているようで、さらに身が竦んでしまう。
こんな無様な姿を見せたいわけじゃないのに、震える手をごまかすことすらできない。
「あら、殿下がご一緒ですのね。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません、メディオ殿下。ご機嫌は……麗しくないようですわね」
「見れば分かるだろう。君のせいで彼女が怯えている」
敵同士のような棘のある応酬に、思わず顔を上げたくなるけれど、許しを得ていないためそれもかなわない。
私が原因でお二人を厭わせているのなら、なんて恐ろしいことなのだろう。ますます身を縮こませていると、呆れたようなため息が聞こえた。
「顔をお上げになってプリメラ様、分かっているのならお気をつけなさい、たとえ殿下がご一緒だとは言え、決まりを破って良いという理由にはならないわ」
言われた通りに顔を上げると、とても静かな瞳で叱責された。
ミレーレ・アルラーニ・インフィニーテ公爵令嬢。
王族の血を引く公爵家のご令嬢で、王太子であるメディオ殿下の婚約者。
陽を集めたような金糸の髪に紫水晶の瞳。数多の芸術家達がこぞって賛美し捧げる美貌。高貴なふるまいや才高き様は国内のみならず各国に響き渡る。
対する私は、少し勉強ができるだけのどこにでもいる平民。
王族で世継ぎの君たる殿下と話ができるのも、お忍びで城下町にいらしゃった殿下をほんの少しだけお手伝いしたことがあるからだ。
距離が少し近すぎるのかしら? と思うものの、殿下のご友人であるアインス様やイスナーン様とのやり取りを見ていれば、特におかしくないような気もする。
今日もアインス様から頼まれたものを殿下に渡した後、誘われるままにお茶を頂いてしまった。
平民には手が届かない、お菓子やお茶につられて甘えてしまった私がいけない。
せり上がる雫を、目に力を込めこぼさないようにする。
なぜ、私はこの方の前でうまくできないのだろう……。
唇を噛み締め、きつく握りしめたスカートのひだは見る影もない。
誰もが声を潜める中、殿下が背に私をかばうように立つ。
「わたしが彼女を誘ったのだ、なぜ君に言われなくてはならない。――プリメラ、貴女が謝ることはないのだよ」
いくら殿下が優しく言ってくれても、首を横に振ることしかできない。
なぜなら。
私は、ミレーレ様……いいえ、インフィニーテ様をお慕いしている。
城下の民は、貴族として、王族に連なる者としての責務を果たそうとしているインフィニーテ様を知っているから、幼いものまで慕っていると言っても大げさじゃないと思う。
たぶん、貴族や王族の方々よりも平民である私達のほうが、その有り様を甘受し身に沁みているからだろう。慕わしくひどく憧れてしまう。
だから、この方の前ではおかしな所を見せたくないのに、いつも失敗をしてしまう自分が嫌い。
恐れ多くもかばってくださるであろう殿下を、余計なことをしないで! などと思う性格の悪い自分も、ほとほと嫌になってしまう。
「いえ、いいえ殿下、私が悪いのです。インフィニーテ様、申し訳ありませんでした。今後、このようなことないようにいたします」
決壊する涙を見せられるわけもないので、もう一度深く頭を垂れその足で逃走を図った。
不躾で淑女たるには程遠いけど、私は貴族ではないから許して欲しい。
そうしては私は今日も逃走を図る。
神様、明日こそはあの方に良いところを見せたいの。
お願いです。友達なんて恐れ多いことは言わないけれど、同じ学園に通うものとして、そっと後ろを。
影を踏まない場所に立てる私でありたいと、今日も願ってしまうの。