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第二夜 タナゴ、白紋付に会う

 田中豪、通称タナゴには一風変わった趣味がある。

 親から継いだ小さな居酒屋を閉めた後、酒を飲みながら街を散策するのだ。

 妻に内緒で買った日本酒をクーラーボックスにこっそりと仕舞うのにも慣れたこの頃。

 今日もタナゴはここ有宝町の夏の夜に、クーラーボックスを手に酒の肴を見つけに繰り出すのであった。



 夏の有宝町には蝉が鳴くことが無い。タナゴが都会にいた時には夜でも蝉の声がうるさいと驚いたものだった。普通、蝉は昼にのみ鳴く。

 夏の夜の静かで涼やかな空気を一身に感じながら、タナゴはクーラーボックスを肩にひっさげて歩いていた。時折クーラーボックスから今日の一瓶『会津中将』を取り出しては口に運んでいる。

 今年の夏はとても酒が進む。なぜなら今年は冷夏だからだ。タナゴは深い夜に酒を飲む。人々が寝静まり、そして涼やかな夏の夜などタナゴにとってはそれだけでも良い酒の肴に成り得た。

 そうして夏の夜を歩き川沿いを伸びるあぜ道までたどり着くと、

「おやぁ、蝉が鳴いてる」

 先の方から聞こえないはずの蝉の声が聞こえてきた。


 

「こんな田舎にも夜に蝉が鳴くかね」

 タナゴはクーラーボックスから『会津中将』を取り出して喉に通した。『会津中将』は後に残らないスッキリとした味で、まさに夏に飲みたい純米吟醸だ。

 その清涼な日本酒を取り出したままでタナゴは蝉の鳴き声の方へと歩いていく。良い肴が見つかりそうな予感をつかみ取ったのだ。

 蝉の声に近づくにつれ自然とその届く音も大きくなる。

 そしてその蝉の声の元には、

「……おいおい白紋付たぁ今どき珍しい」

 上から下まで真っ白の衣装を着た若い男がそこにいた。



 男もタナゴに気付いたようで、少し驚いた表情を見せると妙におどおどとした様子でタナゴに返事をする。彼を怯ませてしまうほど声がぶっきらぼうに過ぎただろうか。

 そもそも誰もいないような深夜に酒瓶を持った男に話しかけられるなど、驚愕しないわけがないのだが、タナゴはそれを考えつかなかった。

「あ、ど、どうも」

「どうもこんばんは。誰かの結婚式の後かい?」

 この河川の近くにはこの辺りでは有名な飲み屋が軒を連ねている。タナゴはそこで結婚式の二次会もしくは三次会をやったその帰りなのではないかとあたりを付けた。

「あっ、いや。……この格好だとやはりそう思われてしまうんですね」

「……ほう?」

 タナゴは酒を一口飲んだ。

「するとあんた、和服でも着る趣味でもあるのか?」

 タナゴにはもう一つ思い当たる節があったが敢えてそちらを口に出さなかった。

「あ、いいえ……ええと、実はこれ、喪服でして」



 タナゴは酒を一つ仰いだ。堅い音を立てて喉を通り胃の中に行き渡る。

 今は喪服といえば黒のイメージだが、古く日本では喪服は白だった。いまでも女性が白い喪服を着ている所を見ることがあるだろう。

「へぇ、そりゃまた珍しい」

「え、ええ、みたいですね。特に自分のような若い男が白喪服で葬儀に挑むなど近頃ありえないことのようで……」

「喪主にでもぶち切れられたかい?」

「……」

 男はどこか遠い目をして暗い夜の川の流れを見ている。

「いいえ」

「おっあら?」

 はっきりと否定されてタナゴは面食らった。このどこか人に慣れていない雰囲気の男にこうも断言されるとは思っていなかったのだ。そして何より、否定されるとは思っていなかった。

「私は一人、ここで悲しみに暮れていたのです。誰にも会わず、一人じっと川の流れに心を委ね――」

「ちょ、ちょいまち。あんたそんな上質そうな紋付着ときながらその人の葬儀にも出てないのか」

「あ、はい。その通りです」



 タナゴは酒瓶を口に付けるとゆっくりと酒を流し込んでいく。これはまた一風変わった人物に出会えたようだ。

「っふう。そりゃまたなんで?」

「……未亡人の白喪服には意味があるそうですね」

「……ああ。らしいな。たしか――」

「再婚をしないという決意表明だとか」

「そうだ。旦那が死んでもなお、あなただけの妻であり続けるという意味がある。まあ、相手の親族に対しての礼儀立てもあらぁな」

「つまりはそういうことです」

「はあ?」

「つ、つまりですね、私も白い喪服を着ることであなた以外をもう愛さないという決意表明をしているんです」

「あんたそりゃ、いや、なんだもしかしてあんたの嫁さん……いや奥さんが亡くなったのかい?」

 言いながらタナゴは自分の発言のおかしさに気付いた。それならこの男が葬儀に出席していないのはおかしい。

 我ながら頓珍漢な事を口走ってしまった。と、タナゴは反省した。

「はい……その通りです。最愛の嫁でした」



 タナゴは酒瓶を手のひらから滑り落としそうになった。男の返事はタナゴにとってあまりに想定外だった。

「あ、あんた冗談はいけない。いくら何でも人の生き死ににそんな悪い冗談ついちゃあいけない」

「ほ、ほんとなんです。本当に……今も心から愛している人なんです」

「ならなんで」

 タナゴは男を強く責めた。

「わ、私はしばらく海外に出ていて、チリの奥地にいたんです。彼女の話を聞いた時にはもう……だから、今こうして川を眺めていたんです」

「……」

 タナゴは手元の酒瓶に目線を落とした。最愛の伴侶を亡くした男に自分はなんて酷く稚拙な事を言ってしまったのか。そしてそれとは知らず男を酒の肴にしようとした自分に腹が立った。

「この川は、いいですね。私はきっと、この流れに心を委ねて自分を安らかに鎮めようとしているのです」

 男の心のうちなど知らず変わらずゆったりと、川は流れを運んでいる。

 男はその流れに目を細める。

「私の心の不純物を何もかも、洗い流してくれるといい」



 タナゴは酒瓶から男に視線を戻した。

 そうして一つ大きく酒を仰ぐと、男にそれを差し出した。

「……飲め」

「えっ?」

「いいから飲め」

「は、はあ?」

 男はタナゴからそれ――『会津中将』を受け取った。

「あの、私あまり人が口を付けた物を飲みたくはないのですが」

「いいから」

「あ、はい。では……」

 男が少し逡巡しながら『会津中将』を一口入れる。

「あ、これとてもいいですね。スッキリしている」

「うまいだろう」

「はい、とても」

「川の流れに心を乗せるのもいいが……どうだ?酒も心を洗ってくれるぞ」

 タナゴはクーラーボックスをあぜ道に置いて中身を取り出していく。

「す、すごいですね。それを今まで肩に持っていたんですか」

「こんくらいなら屁でもねぇよ。……俺と朝まで飲み明かさないか、ここで」

「……いいですよ。丁度、私も飲みたくなってきたところです」

 そしてタナゴと男は朝日に瞳を焼かれても、悠々と目の前を流れる川を肴に飲み明かし続けた。



 祝日の朝に二人の酔っぱらいの笑い声が響いた。

「あはは!ひぃっひ、そりゃ滑稽だ」

「ふふふ、でしょう!わたしの取って置きのネタですからね!」

 二人の周りには空の酒瓶がいくつか転がっていた。

 祝日の朝という事もあってあぜ道をジョギングしている若い女性が二人に気付いた。女性はすぐさまタナゴの家に電話を入れる。街の人にとってタナゴの酔っぱらった姿は見慣れたものになっていた。

 そうしてすぐにタナゴの息子の辰巳が迎えにやってきた。

「はい、親父帰るぞ!母ちゃんがまってる。今日もカンカンだぜ」

「なにぃ!何でだ。俺は何もしてねぇぞ」

「何言ってんだよ。そこの空き瓶うちの店のやつだろ?母さんクーラーボックスが一つないことに気付いてたぜ」

「いや、それは俺が……小遣いで買ったやつで店のじゃない」

「小遣いじゃなくてヘソクリな」

「……それもバレてんのか」

「それもバレてるよ」

 タナゴは足元がおぼつかない様子でふらふらと立ち上がった。

「てわけで兄ちゃん。すまんが俺はもう帰るわ。……頭いてぇ」

「おお、タナゴさんもう行っちゃうのか」

「すまん。俺の店の場所教えたろ?いつでも来てくれや」

「いくよーいくいくぅ!……そうだ!最後に俺の嫁さんの写真見てってくれよ。ほんとカワイイんだ」

「えっ?いやあいいのか?」

「もちろん!ぜひ見てってくれ!」

 そう言って男は裾からスマートフォンを取り出し操作する。

「ほらこれだ」

「どれどれ……ほう!こりゃ別嬪さんだ!」

 そこにはキメ顔をしたカワイイ女が写っていた。少し幼いような印象を受けるがそれは自分がおっさんだからだろうとタナゴは解釈した。

「……親父、あんまり待たせると母ちゃんが」

「そうだな。じゃあまたな!絶対店に来いよ!」



 男と別れタナゴと辰巳はあぜ道を抜け舗装された道までたどり着いた。

「親父、さっきのやつといつから知り合い?」

「んん?そりゃいつもの通りよ。さっっき!」

 タナゴはとても上機嫌にそう答えた。

 辰巳はポケットからスマートフォンを取り出しタナゴに画面を見せる。

「これだーれだ」

「……へぇ?」

 タナゴの口から間の抜けた声が出てきた。そこにはあの男の嫁がサングラスを掛け別の男と腕を組んでいる写真だった。腕を組まれている男はタナゴもテレビで見たことがあるほど有名な俳優だ。

「へっ?はぁ?」

「この女の子さ、アイドルやってんの。一週間くらい前にこの俳優さんとスキャンダル報じられて話題になってるの親父知らなかったでしょ」

「……全然知らんかった」

「だろうね。芸能ニュースとかほとんど興味ないもんな」

「まあな……」

「で、このアイドルの子の方がファンに凄い叩かれてんの。マジヤバイくらい。アイドルとしてはもう死んだも同然だとか何とか……。でも同じくらい擁護する声もあったりしてさ」

「つまり……」

「うん、多分さっきの人、そのアイドルのただのファン。ネットじゃよく好きなアニメのキャラとかを『嫁』呼ばわりしてる人がいてその延長線上なんだろうねきっと。……つかなんであんな真っ白な紋付着てたの?」

 その時、タナゴの怒りは沸騰した。顔面がタコのように真っ赤に茹で上がっている。頭頂からは湯気でも立ちそうだ。

「……ちょっと戻るわ」

「えっ?」

「あいつぶん殴ってくる」

 元来た道を駆けだそうとするタナゴを辰巳は必死になって止める。

「いやいや何言ってんの?つかもうすぐ家なんだから大人しく帰って来てくれよ」

「あああああ!ちくしょう、諸々腹がたつ!あのヤロウ店に来たらまずはぶん殴ってやるからな!」

「そんなことしたらアタシがアンタをぶん殴るよ」

 タナゴはエビのように身を反らせ硬直した。先ほどまでの赤い顔はどこへやら、酔いすら醒めて今は冷えた水でも掛けられたかのように青ざめて見える。



 タナゴはさび付いた機械のような動きで頭だけを声のした方へ動かすと、そこには嫁の鈴の姿があった。両手を組み仁王立ちのポーズだ。

「せっかく来てくれた客にいきなりぶん殴ろうとする店主がいるかい?どうやら教育が必要のようだね……」

「い、いや鈴、違うんだ。これには理由が……」

「理由、理由ね。ならアンタがヘソクリをした納得できる理由をアタシに教えてくれるなら教育について考えてやるよ。しっかり連れてきな辰巳!」

「へい!」

「……誰かあ!助けてくれぇ!……頭がいてぇ」

 二日酔いの頭に響くほどの大声で助けを求めた。しかし帰ってくる言葉はない。

 タナゴは自分がまるで白装束を着て死刑を待っているような気分で、自宅に連れられて行くのであった。


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