第一夜 タナゴ、タンクトップに会う
田中豪、通称タナゴには一風変わった趣味がある。
親から継いだ小さな居酒屋を閉めた後、酒を飲みながら街を散策するのだ。
店の酒を妻にバレない様にこっそりと盗むのにも随分と慣れたこの頃。
今日もタナゴはここ有宝町の夜に、酒瓶片手に酒の肴を見つけに繰り出すのであった。
冬の有宝町には雪が降った。タナゴは雪の敷き詰められた歩道を滑らないようにしっかりと進んでいく。
きしきしと音を立ててその雪道に跡をつける。そんなことさえタナゴにはとっておきの酒の肴となった。故郷に帰って何度目かの冬にまた昔の頃を思い出すのだ。
……懐かしいね。
タナゴは街灯に照らされた有宝町の雪景色に遠い記憶を重ねながらどこへともなく進んでいく。ノスタルジーに酔うように足取りはふらふらと。タナゴの持つ酒瓶からつぎつぎとタナゴの胃の中に消える酒のように、それは沁みわたって消えていく。
そうして郷愁を覚えながらしばらくいくと、
「ありゃなんだ?」
雪の街にふさわしくないタンクトップ姿の男が見えた。
タナゴの息子の学校へと続く通学路の途中に公園がある。男はその公園で鉄棒にぶら下がっていた。
タナゴは手に持った酒を一口飲む。そして興味津々と男に近づいていった。
「おい、あんたこんな寒い夜にそんな格好で何してんだ?」
「……邪魔をしないでもらえますか」
話しかけると男は鉄棒から手を離しこちらを向いて立った。
「邪魔も何も、俺はこの辺りに住んでいるもんだ。……あんたみたいな不審者を放っておくわけにはいかないんでね」
事実タナゴは有宝町の自警団に参加をしている。真冬の深夜にタンクトップ姿の男などそれだけで不審者に思えた。
「こんな夜に酒瓶を片手に呑み歩いている人に言われたくないですね。……まあ警察など呼ばれても困るし、僕はここで人を待っているだけですよ」
「ほう?」
タナゴはまた一口飲んだ。
「ますます怪しいな。なんでこんな深夜に待ち合わせを?それに人を待っているだけというならその恰好はないだろう」
「それは……」
男が答えに窮していると、
「ようへいくん!」
タナゴの背後から声が聞こえた。
振り返るとそこには若く美しい女がいた。
「ごめんなさい待たせちゃって……こちらの人は?」
「いやそんな、俺も今着いたところだから。真冬にこの格好は怪しいと思われたみたいで、この人に不審者扱いされてた」
「ご、ごめんなさい。ようへいくんにそんな迷惑をかけるつもりはなかったんです。ようへいくんにこの格好をさせてしまったのは私です。どうか彼の事は責めないでください」
「ああいやあ、彼氏さんを不審者扱いしちゃって悪かった。ほんとに人を待ってたのなら何も言うことはないな」
酒瓶を軽く揺らしながらタナゴは続ける。
「でもどうして彼氏さんにそんな格好を?それこそ彼に迷惑じゃないか?」
ようへいと呼ばれた男が答える。
「俺が勝手にタンクトップを選んだだけだ。彼女の……その、約束を叶えるために」
「約束?」
「ようへいくんが懸垂世界記録を更新したら私たち結婚するんです!!」
女は満面に笑みを浮かばせそう答えた。
タナゴは酒を二口飲んだ。
「結婚するのにどうして懸垂なんだ?しかも聞く限りじゃあんたが彼氏さんにそうお願いしたように思えるが……」
「私たち親に結婚を反対されていて、それでようへいくんが凄い人だって思ってもらえれば結婚できるんじゃないかって思って」
「……彼女は俺がご両親に認められるには何か目に見える記録がいると考えているらしい」
「それで、明日……もう今日ですけど、期限なんです。親に彼が凄い人だって証拠を見せる期限」
「ほう……?」
タナゴは話を頭の中でまとめる。
つまりは結婚するために懸垂世界記録を出して親に認めてもらうしかないとこのお嬢さんは考えている。果たして親がほんとにそんなことで認めてくれるかいざ知らず。そして恐らく彼氏の方はそれに疑心暗鬼ながらも彼女からのお願いを叶える為に頑張っている。
「今日が期限ってことは今までにも何回か挑戦したんだろ?どうだったんだ?」
「ようへいくんは凄いんです!最初は一回しかできなかったのに今はもう世界記録に並ぶくらいなんです!!」
タナゴは少し酒瓶に口を付けた。足元が少しおぼつかない。
「へぇ、世界記録タイか!そりゃすごい。今からまた記録を取り始めるんだろ?おじさんも一緒に応援していいかい!?」
「えっ?いやそれは……」
「えっ?いいんですか?」
「袖すり合うもって言うだろ?おじさんにも二人の結婚を応援させてくれよ」
「もちろんです!やった、ようへいくん私たちを応援してくれる人なんて初めてだよ!今までは話をしても二度と来るなって言われるだけだったのにね」
どうやら今までは見つかったら出禁になっていたようだった。今日初めてこの男を見かけたのはその度に場所を変えていたからだろうとタナゴは推測した。
「……いいんですか?」
男はタナゴにこっそりと尋ねてきた。
「嘘をついてるわけじゃないだろ?それに、世界記録とやらを直に見てみたい」
ようへいは順手で鉄棒を持ち、それに全体重を預ける。
ふっふっと小気味よいリズムを刻みながらようへいが懸垂をしている。
その様子を鉄棒前のベンチに座ってタナゴと女が見ていた。
「いい感じ。今日ならきっといけるよ!がんばれようへいくん!!」
女は手に持ったカウンターでそれを数えながら男を応援している。
声を受け雪の積もった公園でタンクトップの男が白い息を吐きながら懸垂の速度を上げた。
「……なんとも奇妙な」
「えっ?おじさんいまなんて?」
「いやあ何でもないよ」
タナゴは仕切り直すように大きく酒を喉に通した。
「……二人のなりそめとか聞かせてもらっちゃっていいかい?」
「あっ、気になります?やっぱり気になりますよね!ようへいくんとは中学生の時に知り合ったんです――」
中学生の時の私は気弱で、何をするにも自分からは言い出せないような女の子でした。
「うわ、なんか臭いと思ったらとしこいるじゃん!通りで臭いわけだわあ」
「まじ?としこ居んの?ほんとだくっさ。古臭い臭いがプンプンするわ。こんなとこにいたら私たちもダサくなっちゃうよ、ほらいこいこ」
加えて『としこ』という名前からか、古いとかダサいとか言われ続けていました。
もちろん嫌でした。親に貰った名前をバカにされたっていうのもありますけど、何より、そんないじめっこに言い返せない自分が情けなくて。
だんだん私は口だけのいじめじゃなくて、手が出るようないじめの対象にもなりました。
それが結構ひどくて、その……言いづらいなら言わなくていい?……はい、じゃあこれは言わないでおきます。
その、それで私いよいよ学校に行けなくなっちゃって。家の中でずっと引きこもってたんです。
外に出たくても体が震えちゃって……はい、今はもう、ようへいくんがいるから大丈夫ですけど。それで家の中でずっとネトゲしてたんです。
はい、ネットゲームです。そこでようへいくんと知り合ったんです。
ようへいくんは私たちのやっていたゲームの中では古参の一人ですごく強いんです。ゲームをやり始めてすぐに入ったギルドの中にようへいくんがいて、つきっきりで私に教えてくれて。あっ、ギルドっていうのはゲームの中のグループの事です。
それで仲良くなって、ギルドでオフ会をしようって話になったんですけど……。
聞いているうちにタナゴの酔いは少しさめてしまった。
「それで事情を話したら、じゃあいい俺も行かないって言い始めちゃって、私なんかの為にようへいくんの楽しみを奪っちゃうのは忍びないから私頑張って外に出るって宣言して――」
「……そうやってとしこと二人でいろいろ頑張ったんだ。俺はとしこの話をほとんど聞いてるだけだったけど」
気付けばようへいが小休憩を取っていた。
「そんなことないよ!ようへいくんがちゃんと私を見てくれたから、今こうやって元気に外に出れるようになったんだから」
タナゴはまた一口飲んで、
「いやーいい話だ!!二人の出会いはまさに奇跡だな」
「そうなんです。私、ようへいくんと出会えていなかったらきっと引きこもりのまま……だから私にとってようへいくんは一番大事な人なんです!」
「としこ、俺もおまえがいなかったらきっと……うおおおおお!としこ俺はやるぞ!」
「がんばってようへいくん!!」
ようへいは再び懸垂を始めた。
「愛だな。涙が出てきた」
タナゴは酒瓶を大きく傾けた。もう残り少ない。
「……そういや、途中で休憩挟んでもいいものなのかい?」
「はい、1時間で何回懸垂できたかだけを数えるんです。途中で休憩をはさんでも大丈夫です」
「なるほど。あと何分?」
「あと10分です。このペースならきっと……」
「あと1分!お願い!」
「ふんっ!ぐっ!」
ようへいは必至の形相で懸垂を続けている。着ているタンクトップからは真っ白な湯気が立ち上っていた。
「あと何回で記録を超えるんだ嬢ちゃん!?」
「あ、あと51回です!!が、がんばれー!!」
「そんなにか!?いや、ギリギリいけるか!?頑張れ!あと少しだぞ!!」
「うおおおおおお!!」
タナゴもとしこも自然と大きく声を掛ける。世界記録が今まさに目の前で達成されようとしているのだ。タナゴもこれには酒を飲む手を休めて、ようへいの動きを食い入るように見つめている。
「ラ、ラスト10秒!」
「っ!!」
「うあああああ!!」
あと10秒、タナゴは固唾をのんだ。
「9、8、7、6、5、―-」
あと何回で記録達成なのだろうか?タナゴは目の前の光景を眺めることしかできなかった。
「4、3、2、1、っやったぁーー!!!更新だよようへいくん!世界記録だよ!!」
「……お、よっしゃああああああ!!」
「お、おおお!!すげぇ!すげぇよあんた!よくやった!!」
公園に三人の歓喜の声が響く。としこは一目散にようへいの元へ駆けより抱きついた。
「やった!やった!やったよぉ……。これで、やっと結婚できるね」
「ああ!ああ!あぁ……。ああ……あとはご両親に認めてもらうだけだな」
「うん!絶対大丈夫だよ!なんたってようへいくんは世界記録保持者なんだよ!ねっおじさん!」
タナゴは祝いとばかりに残りの酒を一気に飲み干した。
「おおぅその通りよぉ!世界記録保持者なら認めざるをえねぇわな」
「ねっ?じゃあ早速いこう!」
「ちょ、ちょっとまってくれ。流石に疲れた。少し休憩させてくれ」
「……そうだね。お疲れさまようへいくん。……ちょっと休もっか」
そう言ってとしこはようへいに口づけた。そして二人でタナゴの座っているベンチにやってくる。
「ひゅー。見せつけてくれるねぇお二方!……邪魔になるだろうしそろそろ俺は帰りますかねぇ」
タナゴはのそりと立ち上がり二人に背を向けて歩き出した。
「……一緒に応援してくださってありがとうございました!!もしよかったらお名前を教えてくれませんか?」
「かしこまっちゃってぇ……田中豪、この辺りじゃあタナゴって呼ばれてる。……おっと、ありゃ、酒の回りが早えなあ。はしゃぎ過ぎたか?」
さっき興奮したせいか、それとも一気に飲んだせいか。
「ありゃあ?」
タナゴはそのまま足をもつらせて地面に倒れこんだ。
「おーいおやじ!起きろ!もう俺学校行かなきゃいけないんだよ!!」
「ぅう、いたた、おう辰巳、おはよう……くそ、頭がいてぇ」
タナゴは自宅の玄関に寝転がされていた。自宅への入口はタナゴの居酒屋の裏手にある。
「まったく、今日も飲み歩いてたのかよ。……親父が二日酔いになってるってことは相当いい肴を見つけたんだな」
「おうよ。ありゃ?あの二人はどうした?」
「あの二人って?……ああ親父を送って来てくれた親子ね。ぶっ倒れた親父の面倒をさっきまで見てくれてたんだぜ。あのお姉さんめちゃくちゃ可愛かったなぁ……しっかり感謝しなよ」
「……ちがうぞ辰巳」
「何が?」
「親子じゃない、夫婦だ」
辰巳は驚きに目を見開いている。
「は?いやいや何言ってんの明らかに30年は歳の差が……」
「いや、これが夫婦なんだよ。正確にはこれからなる予定だがな」
「……まじか」
辰巳はどこかうなだれている。
「あんな可愛い人とおっさんが……不公平だ」
「世界記録保持者のおっさんだがな」
「すげぇな。……いやでもあの歳で結婚ってどうよ」
タナゴはようへいの禿げた後頭部とそれに抱き着くとしこを思い出しつつ、薄くなりつつある自分の後頭部を触りながら答える。
「……バカ野郎。恋愛に歳なんざ関係ないんだよ」
「いうて限度があるだろ」
その時奥からタナゴの嫁の鈴の声が聞こえてきた。
「そんな話はどうでもいいから辰巳はさっさと学校に行きな!そして豪!アンタまた店から酒盗んだね!話があるからさっさとこっちに来な!」
「じゃ、親父おたっしゃで!」
辰巳が足早に玄関から出て行く。こういう時に逃げ足が速いのは親に似なかった証拠だろうか。
タナゴは立ち上がり鬼嫁鈴の元へ向かう。その時玄関に今日持ち出した酒瓶とその下にメモがあることに気付いた。メモにはとしこの電話番号と結婚式にはぜひきてくださいとある。
「やれやれ、うらやましいこって……頭がいてぇ」
タナゴはそっとメモを戻し、怒れる妻の元へ向かうのであった。




