千尋と有栖川父
◆千尋視点◆
初日の夜、風呂上がりに一息ついて俺は小林にメールする。
〈無事、学生寮にいます。同室の先輩も良い人でよかった!〉
小林からすぐに返信がきた。
〈よかった。今日は疲れたでしょ。ゆっくり休んでね。〉
あの日ーーー俺が有栖川邸を抜け出して、小林んちに行ったときに小林の連絡先を貰っていた。
ボロボロ泣いてた俺が余程気がかりだったのか「何かあったら連絡しておいで」と、メモを渡された。
小林らしからぬ行動だけど、俺は嬉しい。
山田太郎だった証と繋がっていられて。
それ以来、小林とはメールや電話のやり取りをしてる。
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ーーーー抜け出した日、有栖川邸に戻ってから一波乱あった訳だけど。
黙っていなくなった俺に、有栖川父は・・・パニック状態だった。
また事故にあったら、と生きた心地がしなかったと。
さすがに俺が悪かったと、素直に反省した。
でも、俺だっていっぱいいっぱいだったんだよな。
ーーーーで、俺はこの日から有栖川邸に軟禁状態になった。
しかも足首にGPS機能の輪っかを嵌められて。
俺は海外の性犯罪者かよっ! どんだけ心配性なんだよ!
一歩も外に出られず、俺はもうノイローゼ寸前だった。
有栖川邸で有栖川父を見たらキャンキャン吠えかかって、ちょっと険悪なムードになってしまってた。
・・・そんなある夜のことだった。
自分の部屋で眠ってたら、なんか息苦しい。
というか、口が塞がってる。
ーーーーてゆうか、なんか、ヌルっと入ってきた!?
「・・・ッッ!?」
バチっと目を開けたら男が俺に乗っかってる!
「んんッ!!」
ーーーーつーか、これっ!キスされてんじゃねぇか!?
必死で押し返そうとしても、この華奢な体は非力で、のしかかられた相手を退かせない。
舌が吸われ、ちゅ、とやらしい音がした。
「・・・ふ、ぅ・・んむぅ・・・!!」
ーーーーちくしょッ!!
ガリっと思いっ切りベロに噛み付いてやった。
相手が驚いて体を引いた隙に男を蹴って、俺はベッドから転げ落ちるように逃げた。
「このやろッ!てめぇ、なに・・・あ、有栖川父??」
ドアまで逃げて振り返れば、唖然とした有栖川父だった。
ーーーー俺にキスしてたの、有栖川父!?
「・・・千尋っ。違うんだ・・・」
「なにが違うんじゃ!!このど変態ヤロー!!死ねッ!」
俺は咄嗟に机の上に置いてたスマホを持って部屋を飛び出した。
とにかく必死に走って有栖川邸の外へ脱出成功した。
走りながらパニックになって、唯一俺が連絡できる相手に電話をかけた。
「小林!!助けてくれっ!!」
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◆有栖川父視点◆
千尋のことが心配すぎて、過干渉気味だとは分かっている。
だが、二度と失う訳にはいかない。
ーーー体は千尋だが、中身は違う人間なんだが・・・
千尋は大人しい、物静かな子だった。
対して、今の「千尋」はよく笑い、よく喋る。
使用人にも「ありがとう」と、いつも礼を言うし、世間話もする。
植物状態から奇跡的に目覚めて、後遺症で記憶障害になり性格が変わったと伝えている。
使用人達は今の千尋にも好意を持ち、あれやこれやと世話を焼き、気遣っていた。
私も「3年ぶりに目覚めた我が子が、ちょっと性格が変わったけれど、愛しい我が子だ」と思うようになってきた。
ーーーーあんな手術など無かったのだと。まるで現実逃避するみたいに。
そっと寝室に入り千尋の寝顔を見つめる。
ーーーーひどい親だとは、分かっている。
本当の千尋は、もういない。
でも無邪気な顔で眠っているのは、間違いなく千尋だ。
妻にそっくりの顔をして。
最愛の妻だった。
もう二度とあんなにも誰かを愛せないだろう。
だからこそ、妻と同じ顔をした忘れ形見である千尋を失う訳にはいかなかった。
・・・本当に、千幸に似ている。
事故に合う前よりも、最愛の妻に似てきた。
「・・・千幸・・・。」
愛しい妻の名を呼び、気付けば無意識に眠る千尋に口付けていた。