婚約破棄の現場で~王子様の本音~
数多いる令嬢の中からカイルロッド王子の婚約者に選ばれた侯爵令嬢のプルーデンスは、ある日、カイルロッドの執務室に呼び出された。
そこにいたのはカイルロッドとその側近たち。そして、最近カイルロッドたちを侍らしている男爵令嬢の姿があった。
この男爵令嬢、礼儀も心得ぬ無作法者と多くの貴族にの顰蹙を買っているが、生憎、世継ぎの王子であるカイルロッドや彼を支えて国を動かすその側近たちの覚えがめでたいせいか王宮にも自由に出入りすることを許されていた。
そのことを知っているプルーデンスは、マリアの姿をここで見かけても驚きもせずに不快感から微かに眉を寄せる程度だった。
「スタインホルフ侯爵令嬢プルーデンス。ここに呼び出された理由はわかっておるな?」
傲岸に言い放つカイルロッドに対して、何の落ち度も自覚していないプルーデンスは一歩も引かなかった。
「恐れながら、わたくしには見当もつきませんわ」
「そうか。目下の者のことなど、そなたの目に入らぬか。だからといって、マリア・ノーバルト男爵令嬢に対する所業、到底容認できるものではないぞ!」
「お言葉ですが、カイルロッド殿下。マリア・ノーバルトは殿下のお名前やご愛称を呼ぶことを許されていない立場であることを認識していながら、無作法な振る舞いを続けた慮外者でございます。それを咎め立てすることのどこに非がありましょうや?」
「嫌がらせもしたと聞くが?」
「嫌がらせなどしておりませんわ。忠告にすら耳を傾けぬお方ですもの、大方、気に障ったことを大げさに騒いでいるとしか思えません」
「ノーバルト男爵令嬢が忠告されたことを根に持って逆恨みしたと申すのか?」
「その通りでございます」
「カイルロッド様・・・」
カイルロッドの目の端にウルウルとその大きな瞳に涙を溜める小柄な令嬢が映る。
「大丈夫ですよ、マリア嬢。カイルロッド殿下が悪いようにはなさりません」
と宰相の令息。
「殿下を信じようよ」
と公爵令息。カイルロッドの側近たちの中でも一番年若い彼だが、公爵家の名にふさわしい貫禄を持っている。
「・・・」
演技の苦手なカイルロッドの乳兄弟は無表情のまま、無言で頷いた。
事の発端であるマリアをカイルロッドの側近たちは慰める。
「では、ノーバルト男爵令嬢に対する仕打ちはその振る舞いに忠告したということで間違いないな?」
「はい。その通りでございます」
「その忠告した内容に注意以上のものはなかった、それに相違ないな」
「はい」
「――ノーバルト男爵令嬢に赤ワインをかけたり、そのドレスのスカートに切れ込みを入れたり、ブローチを盗んだりはしていないと?」
「勿論ですわ、殿下。そのような見え透いた真似を私がするとお思いになられていることすら心外でございます」
「あい、わかった。――スタインホルフ侯爵令嬢プルーデンス。やはり、そなたこそ我が后にふさわしい資質の持ち主だ。容姿もその頭脳も、手腕も、我が過ちに毅然と諫言してくるその気性も。ノーバルト男爵令嬢のような者を使って試したこと、赦せ」
ニッコリとはとても思えない、ニヤリとしか表現できないような笑顔で言うカイルロッドに、プルーデンスは艶やかな笑みを浮かべて目礼する。
「もったないお言葉ですわ、カイルロッド殿下。これからもよしなに」
男爵令嬢からさり気なく距離をおいた側近たちがそんな二人を口々に祝福する。
「正式な婚約者にスタインホルフ侯爵令嬢が決まりましたこと、お慶び申し上げます。カイルロッド殿下」
「殿下、おめでとうございます」
「おめでとうございます。殿下、スタインホルフ侯爵令嬢」
「うむ」
側近たちの言祝にカイルロッドは満足気に頷く。
「皆様、ありがとうございます」
プルーデンスは感謝の意を表す。
納得がいかないのはマリアだった。
「どうしてですか! どうして、プルーデンス様が褒められているのんですか! プルーデンス様は私を苛めたんですよ?! どうして、プルーデンス様がカイルロッド様にふさわしいんですか! どうして、みんな、カイルロッド様とプルーデンス様を祝福しているんですか!」
カイルロッドは興味なさげな表情で今回の立役者を見、説明してやる。
「ノーバルト男爵令嬢。ただでさえ、責任が重い高位貴族や王族の妻とはそなたのように自分で対処できない人物では務まらないものなのだ。夫君に守ってもらうために泣きつくことしかできなくても正妻が務まるのは下位貴族まで。高位貴族にでもなれば、そのように足を引っ張るような正妻は邸宅に引き篭もらせるしかできぬのだよ。さて、今回のことでは本当に役に立ってくれた。それ故に今までの無礼な振る舞いには目を瞑ろう。今後はあのような無礼な振る舞いは許さぬ故、肝に銘じておけ」
マリアはカイルロッドの態度の豹変に目を見開き、その側近たちに助けを求めた。
「フレイザー様」
カイルロッドの乳兄弟は不快げに目を細めた。
「・・・」
男爵令嬢はカイルロッドの乳兄弟では埒が明かないと公爵令息に目を向けた。
「ヒューゴー様」
虫ケラでも見るように冷たい目で若き公爵令息は男爵令嬢を見る。
「静かにしていられないの? もう、キミは用済みなんだよ」
男爵令嬢は宰相の令息に縋った。
「アレン様」
「カイルロッド殿下の仰るとおりでございます。嫌がらせをするなら、わからぬように。赤ワインではなく、一見してわからぬ白ワインを。苛められたからと無闇矢鱈に騒ぎ立てるのは高位貴族にふさわしいものではございません」
カイルロッドとその側近たちに見捨てられ、一人蚊帳の外にされてしまったマリアは先程までのしおらしさをかなぐり捨て、すさまじい剣幕で彼らに食ってかかった。
「何よ! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ! あんたたち、私のことをチヤホヤしていたじゃない! それを急に手のひらを返して、この仕打ちは何?!」
「今まで何を聞いていたんだい? これは仮の婚約者だったスタインホルフ侯爵令嬢が本当に殿下の后にふさわしいかを試す最終試験だったんだよ? そんなこともわからなかったの? そのために僕らがキミに最高の夢を見せて上げたんだから、感謝しておとなしく引き下がりなよ」
「夢? 夢って?! 人を馬鹿にしないでよ!」
侯爵令嬢は哀れみすら目に浮かべて、取り繕わない男爵令嬢を見る。
「無礼なこの娘に理解させるのは無理なことかしら?」
「主だった貴族の家では既にその素行に眉を顰められております。王宮にも立ち入りを禁ずれば困ったことにはならないでしょう」
言外に宰相の息子は言い聞かせるのではなく、切り捨てることを提案する。
アレンはこれまでのマリアとの付き合いから、彼女には理解させることができないことを悟っていた。
彼も初めからマリアを捨て駒にする気はなかった。
しかし、マリアという娘はアレンやヒューゴーがやんわりと窘めても、カイルロッドが許せば虎の威を借る狐とばかりに傍若無人な振る舞いを改めないのである。
次第にアレンもこの愚かな男爵令嬢との付き合いが終わることを願うようになってしまった。
「では、そのように」
カイルロッドは頷いた。
「お任せ下さい」
アレンはそう言ってお辞儀をする。
ようやく演技から解放されて安堵した表情のフレイザーが扉に近付き、外にいるカイルロッドの護衛騎士たちに男爵令嬢を連れ出させた。