最終章 卒業まで、あと何歩
真っ赤な実が、散っていった。
オレはそれを綺麗だと思った。
気が遠くなって、次に気がついたとき、オレの身体はただよっていた。
上下もわからずに、ふわふわと液体に浮いていた。
いくつもの球が、オレの側を流れていった。
この世界は息が苦しいと思ったとき、何かがオレの武道着の襟をつかんで引っ張った。
「シューー」
水から引き上げられたオレが最初に見たのは、舌をチロチロさせている蛇の顔。
ライオンと山羊の頭を持ち尻尾が蛇の、身長2メートルほどのキマイラだった。
尻尾の蛇の頭がオレの襟をくわえて、水から引き上げてくれたらしい。
オレは水を吐いたあと、キマイラに礼を言った。
「ありがとう…な…」
「どういたしまして」
キマイラの後ろから現れたのは、ニューマン先生。
「先生がいるってことは、ここは学校なのか?」
「そうだよ。ここは校舎の北側にある池だよ。
このキマイラは、私のペットの”リリアン”だよ」
ライオンのたてがみを、愛おしそうに指ですいた。
さすが、モンスター担当教師。
「卵の配達ごくろうさま。ウィル・バーカーくん」
校長が丸めた紙をもって立っていた。
その隣には、ララとムー。
考える前に、身体が動いた。
「ララ、てめぇーーーー!」
オレの渾身の力を込めた拳を、ララは校長で受けた。
「ぐぇ!」
校長は、拳を受けた腹を苦しそうに押さえると、胃液を吐いた。
「まあ、なんてひどいことを」
ララが、オレを非難の眼差しをむける。
「お前が盾にしたんだろうが!」
「ウィルがいきなり殴ろうとするからよ」
「オレにしたことを、忘れたって言うのか!」
ララが「えっ?」と、素っ頓狂な声を出した。
「あたし、なにかした?」
「オレをスイカの口に、放り込んだろうが!」
ララが「なんだ、あれのこと」と、つまらなそうに言った。
「あれで脱出できたんだから、
ウィルもあたしの素晴らしい作戦をほめてほしいものだわ」
蹴りをいれようしたオレの前に、ムーがドンと置かれた。
「さあ、蹴れるものなら、蹴ってみなさいよ」
勝ち誇ったララ。
ムーは涙目で、首を横に振る。
「この卑怯者!正々堂々と戦え!」
「ふん!なにいっているのよ。
暗殺者って言うのはね、卑怯で姑息って決まっているのよ」
「てめぇーー…」
「やる気」
ララの手に、短い針が数本あらわれた。
「ちょっと、君たち」
ニューマン先生が、オレとララの間に入った。
「学校内での私闘は禁じられているのんだよ。
もし、いまやったら、卒業がなくなるよ」
卒業…。
ニューマン先生に言われて、これが卒業試験だったことをオレは思い出した。
オレは、素早く直立不動の姿勢を取る。。
「とんでもない、オレは私闘なんてしませんよ」
「あたしも、していませーん」
ララの手の針も消えている。
「うんうん、それでいいよ。
君たちは、卵配達の追試があったから遅くなったけど、
いま、校長先生が卒業証書を渡してくださるから」
オレとララの眼が合った。
卒業証書さえもらえば、オレ達は自由だ。
仕事にも就けるし、ララとの戦いも可能だ。。
オレとララは、校長に駆け寄り、左右から抱き起こした。
「大丈夫ですか、校長先生」
「あたしたちの卒業式、とりおこなってくださいますよね」
ローブの袖で胃液をぬぐった校長は、重々しく言った。
「…残念だ…非常に残念なことだが…」
まさかとおびえるオレ達に、
「…卒業証書を渡すことはできなくなった」
断罪を言い渡した。
「な、なんでですかぁー、卵を届けたのに」
ララは、またしても、しつこく校長にせまった。
「私だって、できれば、渡してあげたい」
「それならば…」
校長は悲しそうに、首を振った。
「卒業証書が、なくなってしまったんだよ」
言われてみれば、さっきまで、校長が持っていた丸めた紙がない。
どこだと、キョロキョロと眼で探すオレとララに
「だから、なくなってしまったんだよ」
校長は、もう一度言った。
そして、ムーを指した。
「美味しいでしゅか?」
キマイラの山羊の頭が、もぐもぐと食べているのは。
「オレ達の卒業証書?」
校長は、こっくりとうなずいた。
ララがうつむいた。
フフフッと、不気味に笑ったあと、手に十数本の針を出現させた。
「…ムー、覚悟はいいわね」
「イヤッしゅ!」
「いやなんて、いわせないーー!」
ニューマン先生が、ララの腕をつかんだ。
「やめなさい、ララ・ファーンズワース!
それを投げると卒業できなくなってしまう」
ララは身をよじって、ニューマン先生をふりほどこうとした。
「先生、放してーー!
卒業がなによ、退学がなによ!
こいつだけは、許せないのよーーー!」
「ララ・ファーンズワース」
校長が小さな子供にいいきかせるような優しい口調で話しかけた。
「まあ、落ち着きなさい。
卒業証書は、また、用意すればいい」
「で、でも…」
ララの黒い瞳にたたえた涙が、いまにもあふそうだ。
校長は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とララをなだめると、
「なに、すぐにでも、卒業証書は作れる」
晴れやかな笑顔をオレ達に向けた。
「卒業証書の紙を作るのに必要な、
ホワイト・マンドラゴラさえ、手に入れてきてくれれば」
ホワイト・マンドラゴラ。
その声をきくものすべてを殺す、マンドラゴラ科の植物モンスター。
首は護符となり、身体は魔法書の材料となる。
秘境、セレザ砂漠の熱砂より、夏にのみ産まれる希少価値の高い人型植物。
キマイラが、空に舞い上がった。
オリーブ色の羽が、風を切って、ゆうゆうと飛んでいく。
青い空に、白い雲。
オレ達の卒業は、もう少し先になりそうだ。