第2章 苦あれば、楽あり。楽あれば、苦あり
マロール山は、エンドリア王立兵士養成学校の北、30キロほどのところにそびえている。
魔法に頼れないとわかったオレ達は、それぞれ一度寮に戻った。必要と思われるだけ量の薬草や器材、食料などを持ち寄り、昼過ぎに学校を出発した。
予定では、急いで歩いて、日没前にマロール山に到着、夕食を食べた後、ドラゴンがいるという洞窟を探索、夜明け前までに卵を確保して脱出、学園への帰路につく、はずだった。
のろのろと山道を登ってくるムーを、オレとララはイライラしながら待っていた。
密集した草の間を、訓練されが人間にしかわからない細い獣道を通っている。
マロール山にいくには、道幅のひろい整備された山道もあるが、早くマロール山に着きたいオレ達は、もっとも行程の短い獣道を選択したのだ。
暗殺者のララも拳法家のオレも、通常の人間が走るスピードで山道を登ることなど苦でもない。
が、ムーは違った。
「もう少し、早く歩けないのか?」
遅い。とにかく、ムーは歩くのが遅いのだ。
陽は西にすでに傾いているのに、行程に半分にも達していない。
飛翔魔法を使える魔法使いをもつグループは、すでに洞窟に入っている頃だ。
オレのいらだちが声に出る。
「早く、歩け!」
「も…もう…だめでしゅ…」
よろよろとよろけたムーは、地面に座り込んだ。
「どうする?」
ララが聞いた。
ララのいいたいことはわかっていた。
もう、時間がない。
ムーが自力で動けないのだから、誰かがムーを背負っていくしかない。いくらチビでも、女のララには無理だ。となれば、オレが背負うしかない。
できることなら、マロール山の探索に備えて体力を残しておきたかったのだが。
坂道を駆け下りて、ムーに背中を向けた。
「乗れよ」
ムーは困った顔をして、首を横にふるふるとふった。
「いいでしゅ」
「いいから、乗れ!!」
怒鳴られたムーは、ぴょんとオレの背中に飛び乗った。
「しゅみましぇん」
疲れて判断力が低下したのか、それとも、これが地なのか、ムーの行動や言語が、どんどんと幼児化していた。
「しっかりつかまっていろよ」
細い獣道をオレは、早足で登った。
先に歩くララが、先導する。
遅れた分をとりもどそうと、足を速めたオレに、ムーが背中でつぶやいた。
「ウィルのお馬しゃんです」
一瞬、谷に放り投げようかと思ったが、ぎりぎりで思いとどまった。
「…馬は、こんな獣道、走れねえよ」
「そうでしゅね、こんなところを走れるのは……」
言葉をとめたムーは、次の瞬間叫んだ。
「あーーー、ウィルしゃん、とめてくだしゃい!」
「どうしたんだ?」
慌てて止まったオレの背中から、ムーはぴょんと飛び降りた。
「いま、この道を走れるモンスターを呼び出しましゅから」
「この道を走れるモンスター、って」
人が横になってぎりぎりの幅の獣道を、どんなモンスターなら走れるっていうんだ?
オレが首をかしげていると、前を歩いていたララが戻ってきた。
「どうしたの?」
「ムーがこの道を走れるモンスターを呼び出すというから……」
呼び出す呪文なのか、ムーが目をつぶり、何かつぶやきだした。
「ちょ、ちょっと、とめなさいよ!」
ララが青ざめて、オレをムーのほうに押した。
「なにするんだよ!」
「忘れたの!10回に9回は失敗なのよ!」
「あっ!」
「まだ、死にたくないわ!」
「縁起でもないことをいうなよ」
「9回は失敗なのよ!」
「残りの1回かもしれないだろ」
「バカなこといってないで、とめてよ!」
「どうやって、とめればいいんだよ」
「呪文をとめればいいのよ!」
「そ、そうだよな」
オレは急いで、ムーの口を手でふさごうとした。
その瞬間、ムーの目が開いた。
「我はムー、我が声にこたえよ、ディアムラムシア!!」
さっきまでの幼児語は、どこにいったんだという威厳に満ちた声。
両手を空に向かって掲げる。
「我はムー、我が声にこたえよ」
ドォーーンンという音がして、地面が波のようにうねった。
オレはとっさに、ムーを抱え込んで地面にふせた。
木がミシミシと音を立てて倒れ、草の切れ端と土煙が舞い上がった。
うねりがおさまったところで、オレはたちあがった。
先に起きたララが、呆然としている。
「大丈夫か?」
うつろな目のララが、音がした方を指した。
「はぁ???」
オレの目の前にあるものを、オレの脳が理解することを拒否していた。
「たすけてくれて、ありがとでしゅ」
起きあがったムーが、自分の服をぱたぱたと叩く。
「なあ、ムー」
「はい、でしゅ」
「あれを呼んだのか?」
オレの指先の方向にいる、そいつを見たムーは、あははっと無邪気に笑った。
「ちがいましゅ、まちがいでしゅ」
「そうだよな」
「そうでしゅ」
ムーが、にこにこと否定した。
地響きで舞い上がっていた草の切れ端が、ひらひらととそいつの背中に落ちる。
そいつが、もぞりと動いた。
「ヒイィーーーーーーーー!」
ララが大絶叫を放った。
そいつが、もぞもぞと動く。
「バ、バカ!刺激するヤツがあるか!」
「ダメ、あたし、こういうのダメ」
ララは青ざめた顔で、後ずさりをした
「ごめんねーー!」
と、叫ぶと、くるりと背中を向けて、逃げ出した。
動くものに反応したのか、そいつは、ずりずりと動き始めた。
召喚は、別の地点に空間をつなぎ、そこに住むモンスターを出現させる。上位の召喚師になると砂漠のヒドラや氷大陸の冬狼なども召喚できるらしい。
俺たちの前に現れたのは、ヒドラでも冬狼でもなかった。
一目でわかる、異次元生物。
だが、そいつは、ある生き物に酷似していた。
イモムシ。
「ギャーーー!」
高さ5メートル、体長は30メートルの巨大イモムシが、黄色と黒のマダラの身体をうねらせて、オレ達のほうに這ってくる
必死でオレは逃げた。
「こっちに、こないでーーー!」
前を走るララが、叫ぶ。
「仲間だろうがーーー!」
「仲間だったら、犠牲になってーーー!」
「なに、いってるんだ!」
「ダメなのよーーー、骨のないのって、ダメなのよーーー!」
泣き声で訴える。
「ごめんでしゅ」
ムーの謝る声がした。
いつの間にか、オレの腰にしがみついている。
身体がやけに重かったのは、こいつのせいか。
引きはがしたい気持ちを抑えて、聞いた。
「元の世界に戻せないのか?」
「戻せましゅ」
「なら、さっさと戻せ」
「できましぇん」
「いま、戻せるといっただろうが!」
「印を結ぶのに、両手がいりましゅ」
ムーの手は、オレの腰にしがみついている。
「放して、すぐに結べがいいだろう!」
「だいじょうぶだと思うんでしゅけれど……」と、いったあと、小声で、
「失敗しゅると、開いた穴から、別のモンスターがきちゃうこともあるんでしゅけど、いいでしゅか?」
「やめてぇーーーー!」
ララが絶叫する。
「もうイヤよ、イヤ!」
「ララしゃん、あーいってますけど」
ムーが、成功する。
巨大イモムシが消え、オレ達は助かる。
ムーが、失敗する。
モンスター召喚。
2匹のモンスターで逃げられず、パクリ。
こっちだな、絶対。
「戻さなくていい!」
「はぁ~ぃ」
せっかく登った山道を駆け下りた。
途中、学園に帰るのには右に曲がらなければならなかったが、ララもオレも直進した。
曲がる余裕がなかったのだ。
「あと5メートルくらいでしゅ」
オレにぶるさがっているムーが、巨大イモムシとの距離を教えてくれる。
スタート時点では10メートルはあった差は、じりじりと詰められていた。
「もう、ダメェーー!」
ララが悲痛な声をあげる。
道が切れていた。
湖につきだした崖っぷちで、いきどまりだ。
「よし、湖に飛びこむぞ」
「ダメよ、ウィル。潮が引いているわーーー!」
迫ってくる崖っぷち。
かなり、高い。
飛び降りれば、命はない。
しかたなく、オレ達は崖っぷちギリギリで止まった。
身体の向きを変え、突進してくるイモムシと向かい合った。
イモムシの突進をかわせれば、崖下に転落してくてくれる。
迫りくる巨大芋虫。
避けようとしたオレ達のすぐ前で、巨大イモムシはぴたりと止まった。
ぶよぶよとした黄色と黒の肉塊。真っ赤な複眼。
ヨダレを垂らした丸い口からは、ギザギザの歯がのぞいている。
「イモムシって、肉食だったけ?」
「草食よ!」
オレの問いに、イライラした声のララが答えた。
「でも、歯があるぜ」
「なら、肉食でしょ!」
口がバッカリと開いた。
「食べないでーー!」
ララが叫んだ。
開いた口はどんどん広がり、喉の奥から何かがブワァと吹き出した。
避けようと地面に伏せた。
シューシューと不気味な音が続いている。
オレの腰にしがみついているムーが怒鳴った。
「いとでしゅ」
「糸?」
「まゆをつくってましゅ」
顔を地面から、少しだけあげた。
細い糸が無数に吹き出され、巨大イモムシの体を覆っていく。
もの凄い勢いで吹き出される白い糸は、あっという間に巨大イモムシの体を覆った。驚いているオレ達の目の前で、巨大イモムシは巨大な繭に変化した。
「た、助かったぁ~」
ララがペタリと地面に座り込んだ。
「今のうちに、逃げるぞ」
立ち上がったオレの腰で、ムーが聞いた。
「どうやってでしゅ?」
「どうやって、って…」
オレ達のいるのは崖っぷち。
下には降りられない。
前には、巨大な繭。
高さ5メートル、長さ30メートルの繭は、道を完全に塞いでいる。
「あのまゆしゃんを、のぼるんでしゅか?」
白い糸の塊。
繭の厚さは、それほど厚くは見えない。
登ったときに、繭を踏み抜けば、そこにいるのは、巨大イモムシ。
「登るわ」
毅然とララが言った。
「もし、間違って繭を破いても、今はサナギだから、動かないはずよ」
鼻息も荒く、ララが繭に近づいた。
軽く手をついて繭の感触を確かめると、ひらりと飛び上がった。
「大丈夫そうよ」
「わかった」
腰にしがみついていたムーを、背中に移動させた。繭の糸に指をかけ、ジャンプして飛び乗った。ふわふわして歩きづらいが、糸はしっかり絡み合っているらしく、破れる心配はなさそうだ。
「いけそうだな」
踏み出そうとしたオレの前で、ララがキャッと小さく叫んだ。
繭の表面が動いていた。
さざ波のように細かい震動が、繭の表面に走っている。
ぐらりと左右に大きな揺れがきたかあと、繭の表面が割れた。
「イヤァーーー!」
ララがオレの足にしがみついた。
裂け目から、にょっきりと触角が現れた。
「なんで、もう孵化するのよーーー!」
「オレに聞くなーー!」
「あはは、異次元の生き物でしゅから」
毛の密生した触角は、蛾の触角にそっくりだ。長さは2メートルくらいあるけど。
続いて、黒い目玉、丸く開いた口、毛の密生した黒い胸と腹、巨大な羽。
たたまれて出てきた羽は、広げると黄色と黒のマダラの羽になった。元巨大イモムシもどき、現在巨大蛾もどきは、見あげているオレ達には目もくれず、バタバタと羽ばたいて、大空に舞い上がった。オレ達の真上でぐるりと旋回すると、西の方に飛んでいった。
数秒後、我に返ったオレはムーに聞いた。
「おい、大丈夫なのか」
「なにがでしゅ?」
「元の世界に戻さないと、まずいんじゃないのか?」
「だいじょうぶでしゅ、時間がたてば元の世界にもどりましゅ」
「どのくらいで戻るんだ?」
「そうでしゅねえ。大きさにもよるんでしゅけれど、蛾しゃんくらいでしゅたら、明日の朝にはおかえりでしゅ」
「朝までは、この世界にいるってことじゃないか?」
「もちろんでしゅ」
「それって、まずくないか?」
ムーは、ちょっと黙ったあと「そうでしゅか?」と聞いた。
あの蛾が村や町、いや、王都にでもいったら…。
オレはそこで考えるのをやめた。
それよりも、いまは試験だ、試験。
「なによ、これ」
ララが手のひらに何かを乗せている。
細かい黄色と黒の粉。
飛んでいった巨大蛾に気とられていて気づかなかったが、細かい粉がオレ達に降り注いでいる。
「鱗粉だな」
「あの蛾の?」
「他にあるか?」
ウッと、ララが手で口を押さえた。
「毒か?!」
「わからないから押さえているの」
「いまさら、遅いんじゃないか?」
「やらないより、ましよ」
身体にも降り積もってくる鱗粉を、ララが振り払おうと身体をよじった。
「ヒィ!」
また、ララの悲鳴。
「どうかしたかぁ?」
聞くオレの返事も、投げやりだ。
「身体が…」
宙に浮いていた。
ララの足先が、繭から数センチ、浮かび上がっている。
「どうやったんだ」
「この鱗粉を払おうとして…」
ララが身体をよじると、鱗粉がキラキラと光り、さらに上昇する。
ララに真似て身体をよじると、ふわりと宙に浮いた。
体重には関係ないらしい。
「いけるぞ」
「なにが?」
「空を飛べれば、マロール山の洞窟に、すぐに着く」
ララの眼がきらりと光る。
「いい手だわ」
「あとは、方向さえ定まれば…」
ララとオレは、身体をひねったり、手先を動かしたりして、方向と上昇下降の方法をなんとか会得した。
数分後、オレ達はマロール山に向かって、飛び始めた。
ララとオレは並んで。
ムーはオレの背中に貼りついて。
一気に上昇したオレ達の眼下には、マロール山につながる風景がミニチュアとなって広がっていた。
青々とした森に囲まれた、デール湖。
夕日を浴びた湖面が、赤くきらめている。
苦労して登った獣道は、イモムシの巨体でえぐられ、土の露出した太い筋となって湖まで続いていた。
「イモムシしゃん、自然破壊をしちゃいましたねぇ」
オレの肩から下をのぞいているムーがいう。
「そのイモムシを呼び出したのは、お前だけどな」
「ちがいましゅ、ボクが呼んだのは、ディアムラムシアでしゅ!」
ディアムラムシアが何かオレは知らないが、まともな生物じゃないことは間違いない。
土の露出した場所から先は、濃い緑の木々と夏草が覆う斜面がしばらく続き、その先に岩肌でできた山裾が現れた。
「もう少しで、マロール山よ」
ララの声が弾んでいる。
山頂まで続く急角度の斜面はレッド・ドラゴンの洞窟までの行程の最大の難所で、草木の一本も生えていない山肌に、ゴマをまぶしたように試験生たちが張りついている。
オレ達は山肌に吹く上昇気流にのって、一気に洞窟近くまであがった。
「わぁあーー!」
「えぇーー!」
オレとララが、同時にバランスを崩した。
うまく空気に乗れない。
左右の浮力崩れている。
「どうしたんだ!」
バランスをとろうと苦労しているオレに、振り落とされまいとムーがしがみついた。
「ウィルしゃん、たいへんでしゅ」
「なんだぁ!」
「粉でしゅ」
顔をさらに突き出たムーは、オレの耳元で怒鳴った。
「蛾しゃんの粉が、風に飛んじゃいましゅた!!!」
「なにーーー!」
強い上昇気流で身体についていた鱗粉が、剥がれてしまったらしい。
「あたしもぉー?」
身体をくるくると回転させているララが、聞いてきた。
「そうでしゅーーー、右のほうの粉がありましぇーーーん」
「それで回っちゃうのねぇーー」
ララもオレも、墜落はまぬがれているが、浮くのが限界。
移動できずに、ふわふわと浮いているだけだ。
「くっそー!」
ドラゴンの洞窟は、すぐそこにあるのに、そのわずかな距離が移動できない。
このままだといつかは鱗粉がとれて、崖下に落下。
うれしくない未来を予想しながら崖をみていたオレは、斜面をあがってくる、土煙をみつけた。
「風だ!」
ララは、すぐ反応した。
吹き上がってきた風を利用して、オレとララは洞窟に向かってジャンプした。
残っていた鱗粉も、風でとれてしまったらしい。
浮く力は働かず、オレは背中から地面に激突した。
受け身の姿勢をとっていたので怪我はしなかったが、打ち身のダメージは少なくない。「怖かったでしゅ」
オレの腹にしがみついたムーがいった。
「……背中にいなかったか?」
「さっき、移動しましゅた」
素早い。
これだけ速く動けるのに、なぜ足は遅いんだ?
「ようやく、洞窟についたわね」
ララはオレより上手に着地した。
暗殺者の訓練を受けているだけある。
「ほぼ予定通りだな。時間は」
洞窟に到着予定は、日没。
陽はまだ落ちきっていない。
予定より、わずかに早い。
「休憩してから、洞窟に入りましょう」
疲れた声で、ララがいった。
「いいぜ」
オレの声も疲れていた。
身体はほとんど疲れていない。
まともに動いたのは、獣道を登ったと、走って下りた、だけだ。
「はぁ、つかれたでしゅ」
ムーは、登っただけ。
それなのに、全身、ぼろぼろのような気がする。
崖を登ってきたグループのひとりが、オレ達に気がついて足早に近づいてきた。
「よ、ウィル」
近づいてきたのは、ビルだった。
「よ…」
「元気ないじゃないか。お前達だろ、空を飛んでいたの」
「ああ」
「すげぇよなあ。あれ、飛翔系魔法って、やつだろ?」
「いや」
「すると魔法薬か?」
オレは、軽くうなずいた。
蛾の鱗粉だから、魔法薬といっても嘘にはならないだろう。
「それ、いまも持っている?」
オレは首を横に振った。
ビルが声をひそめた。
「特別な秘薬なのか?」
秘薬=材料や作り方が秘密の薬。
オレは大きくうなずいた。
必要材料、異次元の巨大蛾。って、誰に話せるっていうんだ。
「それなら、しゃあないか」
ビルは片手をあげて「またな」と挨拶をして、仲間達の方に駆けていった。
ビルの2人の仲間は、大きな笑い声でビルを迎えている。
元気なビルと仲間達を見て、オレは思った。
地道に山を登ったビル達と、蛾の鱗粉でひとっ飛びしたオレ達。
どっちが、楽だったんだろう?