芥川賞や直木賞に
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一体何の意味があるというのか?あれは散々言われているように、文藝春秋が儲かるだけで、後は何もないのである。別に獲ったからと言って、いくらか名が出るだけで、売れる保証など全くない。単なる大手出版社のマッチポンプだ。
ずっと前から思っていた。ここ十年ぐらい、大型の文学賞を受賞した書き手で、骨がある人間ってあまりいないと。そういった文学賞を獲っても、後が続かない。一時的に著作が売れるにしても、愚直に書き続けることが出来ない人がかなり多い。
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確かに獲ったことで売れるようになった方もおられる。だが、極わずかだ。最初からリターンを求めることをしない方がいいのは、どこの世界も同じ。文壇でも力関係があり、どうしても中堅・ベテラン・長老作家の方が名があって、それで著書も売れていく。新米は厳しいのである。
ただ文学賞の一つや二つ獲っておけば、著作の売れ行きがいくらかよくなるのは間違いないだろう。新人でも稀に死線を超えて成功する書き手がいるのである。まあ、幾分成り上がり的で、あまり好まれないとは思うのだが……。
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要はあの手の賞は獲らせろ詐欺なのである。次はアイツに獲らせろ、その次はコイツに獲らせろと。別に権威などない。いや、むしろ権威を求める方が無理なのである。それぐらい失墜しきってしまっている。現に受賞後、書き続けてる人間はわずかだ。出版で儲けたい人は喉から手が出るぐらい欲しいのかもしれないが、そうじゃない人はまるで価値を見出し得ない代物だろう。
ボク自身、そういったものにまるで関心がない。以前はあったが、今はない。本職の作家の大変さを知っているからである。プロの書き手は一度コケたら、次はない。それに出版で儲けるには執筆活動以外のいろんなことをする必要性がある。サイン会やトークショー、講演など。人気作家として、リップサービスのため、そんなものに時間を使う羽目になるのだ。人生の貴重な時間をそういったことに使いたくない。まあ、それでもプロ作家を目指すなら、それはそれで勝手だが、要は馬糞のように汚らしいものに魂を売り渡したくはないのである。
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十年ほど文学・文芸の世界にいて、いろんなことを知った。そしてネット作家程度で十分だと思うようになったのである。前述したように、賞など欲しいとも何とも思ってない。そんなものよりも、今後の生活の安定の方を望んでいるのである。別に誰が芥川賞なり、直木賞なりを獲ろうが「ああ、そう?」といった程度に受け流したい。もちろん、最近の受賞者の本も読んでみたいが、だいぶ先になると思う。それでいいのだ。今は今で読むべき本がある。今はそっちの方に専心したい。
ひとまず一筆書かせていただきました。
ではまた。
(了)