(1)安楽死宅配便
車のフロントミラーで前髪を留めているヘアピンの位置を調整していると、助手席に置いた鞄からメールの着信音が聞こえてきた。
昨日通販サイトで注文した荷物が家を出た直後に届いたらしい。
そのことを知らせる不在届のメールが私の携帯に届いていた。
最近の宅配は早くて正確で感心する。
昨日寝る前に頼んだはずだから、多分注文してからまだ半日程度しか経っていない。
そういえば最近の宅急便はトラックやバイクだけではなく、ヘリコプターまで使っていると聞くから恐れ入る。
道路に縛られないルートで配送が行えるのだから、それはもう早いのだろう。
技術だけで言えば、ヘリコプターもそこまで高度なものではないと思うけど、ただの宅急便にヘリコプターを使うという発想に思わず唸ってしまう。
そのために各地にヘリポートを設置するというのも大胆だ。
陸空海と縦横無尽に荷物が飛び交っていたら、何かの拍子で間違った荷物が届きそうだ。
一年間あたりの誤配達の量は、一体全体どのくらいになるのだろうか。
とんでもない量の荷物が飛び交っているのだから結構な量にもなりそうなものだが。
そういえば最初に宅配にヘリコプターを使おうと言い出したのは誰なんだろうか。
その人が思いつきもしなかったら、今もトラックや海運を中心とした宅配が盛んであったのだろうか。
アイデア一つで世の中が変わっていくなんて、なんとも面白い。
こんな奇天烈なことを考える人がいるから、私達がすむ社会が少しずつ良くなっていくのだろう。
私は今日の出張で必要な書類をもう一度だけ確認した。
私がもっとも信頼している助手の葵がすることだ。万に一つも不手際など無いだろうと思うが、念の為の確認だ。
……うん、問題なし。仕事道具の方も何も異常は無いようだ。
私は書類をファイルに戻し、仕事道具と一緒にビジネス鞄にしまうと、愛車のカローラから降りた。
サイドミラーで服装に乱れがないかを確認する。
薄手の黒いジャケットや白いワイシャツにホコリは埃一つ付いていない。短めのスカートにもシワ1つ無い。完璧だ。
ずっとエアコンの効いた車内にいたため、外の気温とのギャップで軽くめまいがする。太陽は高く、空は青く、今日も暑い。
このまま突っ立ってたら熱中症で倒れてしまいそうだ。そうならないためにも、私は目的地へ急いだ。
目的地は駐車場から数分の距離もなく、土地勘のない場所だったけどすぐに到着できた。
私は手元の情報端末で目の前の物件が出張先に間違いないか確認する。
さらに書類に書かれている住所に間違いないか確認した。
こうも確認作業が多いのは、私の仕事も宅配業と同じでミスが許されないからだ。
私は目的地の一軒家のインターホンを押した。
ピンポーンという間延びした長い音。
今から出会う彼からしたら、死神の来客かもしれないな。
そんな馬鹿なことを考えながら家も見た。随分と立派な日本家屋だ。
外装は古めかしいが、決してボロボロではなく、威厳と歴史が感じられる。
庭も手入れが行き届いているようだ。
短く整えられた芝生、無骨だが愛嬌があるようにも見える庭石、素朴ながら堂々としている松。
どれも調和が素晴らしく、素人目にもこの家の主人のセンスが優れていることがわかった。
私は、いつかはこんな純和風の家で暮らしたいな、なんてことを考えながら応対を待つ。
少しして
「どちらさまでしょうか?」
と暗い感じの声インターホンのスピーカーから聞こえてきた。
私よりいくらか年上の女性の声に思えた。
庭で和んだ胸中が、仕事の緊張に切り替わる。私は少しだけ深く息を吸い込み、
「こんにちは。国営安楽死センターの茅原千春です」
と落ち着いて答えた。
「いま出ます」
扉が開き、中から中年の女性と、その旦那と思われる中年の男性が玄関から出てきた。私は軽く会釈をした。そこでようやく、二人が目を丸くしていることに気がついた。
「何か、ございましたか?」
私はなるべく失礼のないように尋ねた。
私の言葉で我に返ったかのように、中年の女性のほうが、
「い、いえ。想像していた方より随分と若かったので驚いて。失礼しました」
と手を胸の間で左右に振った。
「たしかにセンターの職員は年配の方々の方が多いのですが、最近は法改正もあって私のような者でも、資格を取ることが出来るようになったので」
「なるほど。でも資格を取るのは随分と難しいのでしょう」
と中年の女性が訪ねてくる。
「おい」
見かねたのか、苛立っている様子の旦那さんの方が、
「その辺にしておけ。この炎天下に立ち話ってのも失礼だろう。ささ、茅原先生。早く中へ」と招き入れてくれた。
「暑い中ご苦労さまです。よかったらお飲みください」
私が玄関で靴を脱いでいると奥さんがペットボトルのお茶を手渡してくれた。
「ありがとうございます。後で頂きますね」
そう言って私は鞄にお茶をしまった。
「では、こちらにどうぞ」
と、奥さんが私を患者の元へ先導した。患者は廊下を渡ってすぐの和室に寝かされていた。
和室からは庭がよく見えていて、縁側には花やお酒が幾つも並べられていた。
眠っている老人に視線を落とす。
きっと今日に合わせて病院から移動させたのだろう。彼が身につけている和服が随分と新しく見える。
多くの患者の家族は、自分の家に一度移動させた後に私たちを呼ぶ。
それはきっと黄泉へ渡る船の出発港を自分の家にしたいからだろう。
「彼は伊藤正太郎さんで間違いありませんね」
私は夫婦に尋ねた。彼らは首肯で返した。
書類の内容を実際に照らし合わせてみる。
伊藤正太郎、八十歳。二月ほど前に脳梗塞で倒れ、その後遺症でいわゆる植物状態になったという。
現代の医療技術をもっても回復の見込みは殆ど無いという。
安楽死は病気で倒れる前からの望みであったらしく、何年も前から、治療の目処が立たないような病気になったら安楽死をするように息子夫婦に頼んでいたという。
そういった旨の書類もしっかりと作ってあった。
私は患者の脇に座り、老人の左腕を布団から出した。
鞄から仕事道具のケースを取り出した。
ケースの中の消毒液に浸したガーゼと、一本の注射器を取り出した。
注射器と言っても、金槌の様な形をした無針注射器だ。
医療機器というよりは玩具と言ったほうがしっくり来る造形だ。
患者になるべく恐怖を与えないようなデザインらしいが、相手が意識不明のこの場合は無意味だろう。
「もうお別れは済ませましたか?」
と私は尋ねた。
人によっては、この段階で、身内が死ぬ、という事実に耐え切れなくなった家族が大泣きを始めたり、暴れだしたりと 手がつけられなくなってしまう場合もまれにあるが、息子夫婦は一度頷いただけで無言でいた。
「では、安楽死の方、幇助させていただきます」
私はガーゼで患者の肘の裏辺りを消毒した。
注射器の安全装置を外し、消毒した部分に注射器の先端を押し当てる。
……。もう慣れた行為ではあるが、緊張で心拍数が上がるのがわかる。
安楽死といっても人ひとりを殺めていることには違いがないのだ。
この植物人間となった老人が何を思うのだろうか。私には検討もつかない。
もしかしたら、なにかの奇跡が起きて彼が起きる未来があったのかもしれない。
私は本人と息子夫婦の願いという大義名分のもとに、その未来の芽を積むのだ。
夫婦の視線が集中するのがわかる。彼らが何を思っているのかわからない。
それがたまらなく怖いが、ゆっくりと呼吸を落ち着けていく。
「これがきっと最善だから」なんて都合のいい言葉でうまく心を整理して、唇を噛む。じんわりとした痛みで頭を真っ白にする。
どくん、どくん、と心臓の音がやかましい。私が生きている実感を与える音が煩くて敵わない。私は生きて、そして彼を殺すのだ。
私は鼓動から耳をふさぐように、注射器の後端を押し込んだ。親指にかかるこの圧力が、人を殺す重みだろうか。
圧力で皮膚下に染み込んだ薬物は、彼に一切の苦痛を与えることなく、彼の生命を終わらせにかかるだろう。
私は注射器の安全装置を戻し、ケースに入れる。その後ケースの鍵をかけた。
薬が十分にまわり、彼の生命を終わらせるまでおよそ十五分。
嵐のような静寂の元、私は時間が流れるのを待った。息子夫婦の視線が私の背中を貫通する。
患者の首筋に手を当てて、脈を確認。……。脈は無し。瞳孔の確認。生体反応なし。死亡の確認。
私は腕時計を一度確認した。死亡時刻は二時四十二分。電子カルテにメモをする。
「ご臨終なさいました。ご愁傷さまです」
どっと緊張から開放されるのが自分でも分かった。
そういって私は頭を深々と下げた。そうすることで、この涙を目にためた夫婦から目を逸らすことができた。
「あの、ありがとうございました」
奥さんが深く私にお辞儀をした。
「先日病院で意識がなくなり、家で引き取ったんです。お義父さん、常々、最後は自宅の松が見えるところで死にたい、とおっしゃっていたので」
そういうと、奥さんが庭のほうを指さした。
指の先には、凛とした松が太陽を背負っていた。
「ええ、わかります。随分とご立派な松ですから。私もいつかこういった家に住んでみたいものです」
私も本心から言う。
そういえば旦那さんの方は先程からずっと黙ったままだった。私は少しだけ気になってそちらの方に視線をやる。
旦那さんはただじっと、息をするのをやめた父親の頬を見つめていた。微かに方を震わせ、嗚咽をこらえているのがわかった。
おそらく彼の実の父親なのだろう。
これ以上なく気まずくなった私は視線をそらし、
「それでは私はこれで失礼させてもらいます。お父様のご冥福をお祈りしております」
奥さんに言って、逃げるように和室後にした。ドタドタと二人が慌てて私の後を追ってくるのがわかった。
靴を素早く履いて、玄関の扉に手をかけた時、
「あの!」
と太い声。振り返ると旦那さんが
「辛い役目を押し付けてすいません。父も、人間らしく死ねたと大変感謝していると思います」
と深々と頭を下げていた。
目尻に溜まった涙が、床に落ちるのがはっきりとわかった。
私は会釈をして家を後にした。
早足で愛車に向かう。不思議と暑さは感じず、空が少し褪せて見えた。
私は滑りこむように愛車に乗り込み、シートに深く腰を下ろした。
深くため息をつく。
もうこの仕事を初めて四年になるが、未だにあの注射器を押す感覚がどうにもなれない。安楽死を行った後の遺族の視線が恐ろしい。
だが、それもだいぶ慣れてきたような気がする。
今更ながら、随分と狂気じみた仕事だ。
法律的には問題がなくとも、人を殺めて、挙句の果てにはその息子夫婦に感謝されるなんて。
一体誰が「安楽死を選ぶ権利は、生存権にも匹敵する」なんて奇天烈なことを言い出したのだろうか。 アイデア一つで世の中が変わっていくなんて、なんとも恐ろしい。
そのアイデアで、この社会が少しずつ幸せになっていくのだろうか。
ただの公務員の私には判断がつかないな。
「まあ、それはさておき」
とは言うものの自分の仕事には誇りがある。
自分で、自分の意志で選んだ仕事だ。後悔なんてない。
それにしても最近は出張がほんとうに多い。
予定を見る限り、明後日も出張だ。全国的に、自らの命を絶とうと考える人よりも、安楽死を幇助する人間、すなわち幇助師の仕事につく人の方がずっと少ないからだ。
おまけで労働基準法もびっくりのフル稼働。
うら若き……、いや、そこまで若くもない私のようなペーペーでもこうして重宝される世の中になっている。
それに世間の目も厳しい仕事だ。
やりがい以上に罪悪感があるし、なり手が少ないのは、本職である私も納得する。待遇云々ではないのだ。神経の問題だ。
労働カロリーこそ最低の部類に入るこの仕事の離職率は、堂々の日本一位。それどころか、幇助師自ら 安楽死センターに患者として訪れることも最近は増えているという。
なんとまあ悲惨な業界だ。私たちが忙しくならないよう世界が住みよいものになるにはきっとヘリポートでは足りないな。
まるで安楽死の宅急便だ。辛いことや嫌なことも多い。だけどそれでも
「まあ、誤配達だけは決して無いようにしなくっちゃね」
誰に言うわけでもなく呟いて、私はお茶を一口飲んだ。
明後日までには更新したい(2014/07/03)
いろいろ書き直しながら良くしていきたい。連作短編の形を予定している。
今回は文章が堅いが、次は柔らかい感じをイメージしたい。