スティグマ~たんぽぽの子供たち~ 番外編⑦君と家族になれた日
所轄の警察署に呼び出された蒼崎玲子は茶の一杯も出す気のない刑事と会議用のテーブルを挟み、冷たく座り心地の悪いパイプ椅子に腰を下ろしていた。
この場所は、何度来ても最悪な場所だなと、思いながらタバコのヤニで黄ばんだ壁とさらにその壁を黄ばませる紫煙を吐き続ける刑事へと視線を向けた。
この部屋に通されてからもう20分は経過しただろう。
一向に口を開かずタバコをふかし続ける刑事の顔を見ながら、時間つぶしにこの男の人間観察をする事にした。
まずは外見から、身体の肉付きと雰囲気から年齢はおそらく40代後半から50代前半だろう。薄くなった頭部に白髪交じりの寝癖が出来上がり、脂ぎった顔から更に下に視線をズラすと、ネクタイを外した襟元は汗で黄ばんでいる。
先ほどから何度も頭を掻いたり、鼻をすすったりと同じ動作を繰り返している。よほどここにいたくないのだろう。
注意力も散漫な事から仮眠もとらずに夜勤明けをしたのは間違いない。シワだらけのYシャツ、胸ポケットにしまったタバコが空箱になっているのさえこの男は気付いていない。
―まったく。一体なんの我慢くらべをしているのだろう―
「…あの…」
何か先に話したほうが良いのではと思い蒼崎が口を開いた。
「いい加減何かおっしゃって下さい。亮くんは今どこにいるんですか?」
「ふぃ~ぅ、まあ待ちなよ蒼崎さんよ。あんた本当にただの女医なのか? 今時女医なんてもの珍しくもないけどよ、そんな若さで施設経営者なんだってなぁ。そんな施設開設の資金や運営資金なんてもんを一体どこから捻出してるのかねぇ? 俺はそっちが気になるな、そこんとこじっくり聞かせてもらいたいね」
じっくりと舐め回すような視線を蒼崎の胸に向ける。こんなにもゲス野郎という言葉が似合う男も珍しいな。と、呆れ返る蒼崎の顔に気付きもしない。
紫煙と一緒に吐き出す言葉に答える気なんて一切ないし。むしろそのくわえたタバコを取り上げ、胸元に向けている眼球に思いっきりねじ込んでやりたい衝動を押さえ込みながら口を開いた。
「あの…おっしゃってる意味がよく分かりません。ここに私が呼ばれたのは私の施設で預かってる亮くんの事で私は呼ばれたはずですけども。それがどうして私のプライベートな事に話が変わってしまっているんでしょうか? まずはあなたがどうして私にその質問をするのか、その理由は先に言ってください。それを言ってもらわなければお答えできませんし、言った所で私は答える気も義務もありませんけど」
お返しにゴミを見るかのような視線のまま、必死に込み上げる感情を抑え込んで答えた。若干の言葉に不快感が混ざってしまったが。
「そうかい。男の世間話は嫌いか。なら仕方ねぇーな。俺はこの町で刑事になって21年経つ。ここの管轄は俺たちが昔っから仕切ってんだ。ここじゃ旧首都と比べりゃあーそんなに犯罪も多くねぇーし、あったとしても喧嘩やひったくりが月に2~3件くらいだ。こんな事言ったら職務怠慢かもしんねぇーが他の町より事件が少ないのが自慢なんだよ」
話の折々で指で机をトントン叩く。
「亜民が絡む事件も無いわけじゃねぇよ。事件の大半が、亜民が被害者だ。少なくとも俺が扱ってきた事案はそうだった。…それも今日まではな」
そう言うと刑事はA4サイズに拡大した数枚の写真を机上に広げた。写真には被害者と思われる3人の青年が壁にもたれ掛け、救急隊員に手当てさている現場写真と。治療が終わった被害者3人の怪我の部位だけの治療写真が6枚。そして最後に目尻に痣ができたマナの顔写真が1枚あった。
マナの痛々しい顔を見た瞬間、蒼崎の胸がキツク締め付けられた。一体あの子が何をしたのか。こんな顔になるまで殴った相手に対して怒りがこみ上げてくる。
「ねぇ刑事さん。私にこの写真を見せてどうしろと?」
「あんたな、医者なのに頭の回転が鈍いのか? それとも一から十まで説明しねぇーとわかんねぇーのかよ。要するにだ、今回の傷害事件に関して言えばこれだけ相手に怪我を負わせたんだ。それ相応の事になるって事だよ。裁判になれば時間も金も掛かるぜ、下手したら相手から慰謝料だってくるかもしれねぇだろうな。だからココはあんた等が先に謝罪して上手く示談に収めちまえって事だよ。検事が起訴する前だったらこっちでどうとでもできるから」
「はぁッ?」
思わず呆れてしまった。謝罪? 示談? なぜこっちがそんな事をしなければいけないのか?
蒼崎はこの男の言葉を理解すようとしたが、しようとすればするだけ得体の知れない黒い感情が湧き上がってくる。強いて言うならこれは「憤怒」の感情に近いかもしれないが、もっと言うなら「軽い殺意」とも言える。
「そう驚くなって。大概の傷害事件なんざ殆ど示談が当たり前なんだよ。何だったら俺が相手と話をつけてやってもいいぞ。これまでも何件も厄介な相手を示談にしてきたんだ。俺に任せとよ。なあ。なあ」
「…お断りします!!」
膝の上でキッと拳を握る。
「怪我をされた3人には同情はします。ですが、このマナの顔をよく見て下さい。まだ14歳の子の顔にこんなひどい痣をつくるなんて、男3人がそろってマナに何をしようとしたのか、女の私だって直ぐ分かります。それなのに何故こちら側が謝罪を? 賠償を? ふざけないで下さい。それは全部こっちのセリフです。貴方はそれでも警察官ですか!? 人を馬鹿にするのも大概にして下さい!!」
「ちっ、これだから女は使えねぇーな!!」
「使えなくて結構です。こっちも言わせてもらえば、貴方はもしこの写真の娘が自分の子だったらなんて考えた事もないのかしら? ああそうね、あなた程のクズならその黄ばんだシャツを洗濯してくれる奥さんなんていらっしゃらないでしょうね。だったら失礼しました。結婚できない哀れな独身中年に何言っても分からないでしょうからね。」
「テメェー、言わせておけば調子に乗りやがって!! テメェーだって自分の腹痛めて生んだガキがなんか一人もいねぇだろうが!!子供を生めねぇ生産性の無い奴が偉そうに講釈たれるんじゃねぇ!!」
―パァーン!!―
その瞬間、乾いた音と共に刑事の横顔に強烈なビンタが打ち込まれた。
思わず手が出しまった。だがここまでの侮辱を受けて何もしないなんてありえない。もう一発打ち込もうとしたが、すでに刑事の身体が椅子からズレ落ち床に尻餅をついている。
チッ、と内心で舌打ちをする。
「てっ、テメー…公妨(公務執行妨害)だ。公妨だ。公妨の現行犯だぁ!!このクソアマぁ!!」
―上等よ。こっちは逃げも隠れもしないわ。ちゃんと出る所に出てあげるわよ。その前にもう一発食らいなさいよ―
気迫に臆さず蒼崎が一歩前に出ると、部屋のドアノブがゆっくりと回り開いた。
二人が同じ方向に視線を向けると、外からスーツを着たメガネの男が入って来て、その後ろにはラフなTシャツ姿にサングラスをした男が続いた。
「蒼崎さん、私の部下が大変失礼しました。」
ゆっくりとメガネを外し折りたたむと、胸ポケットにしまいながら淡々と答えた。
「本来なら私がココで貴方の対応をしなければならなかったのですが、どうしても外せぬ要件がありまして、不本意ながら信頼のおける部下に任せたつもりでしたが、お気を悪くさせてしまったようで大変申し訳ありませんでした。先ほどの部下の非礼、上司として謝罪いたします」
言葉にまったく誠意がないまま軽く頭を垂れる。まるで言動と本心は別であることを具現化したような男だ。
だが、蒼崎はその後ろにいるサングラスの男の方がむしろ気になっていた。年端50代位だろうか、彫り深い顔に白髪のオールバックが渋さを醸し出す。
黒無地のTシャツに白のジーパン姿を印象つけるかのように背筋が伸び、その服の上からでもわかる引き締まった筋肉の体躯に自然と目が向いてしまう。
しかし、蒼崎は彼から漂う雰囲気にどことなく懐かしさを感じていた。
「何か?」
「…どこかでお会いしまたか?」
「いいえ、あなたとは初対面ですが」
「警察の方? ではないようですね。失礼ですがとてもそうには見えないので」
「ええ、そうです」
無理に頬角を緩め笑って見せる。
そのぎこちない彼の笑みを見て、どこかで見たような感じを受けながら記憶を巡らしても思いつかない。誰かに似ている気もするが、誰に似ているのかさえも思いつかない。しかし、胸の奥で感じる既視感は確かなのだ。
「すみませんが。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「残念ですがお答えすることはできません。だた、私はアイツの…失礼、月宮亮の身内のものです。亮がお世話になっています。今回の件で先に話をつけときましたので、後はこちら側の弁護士が残りの手続きを済ませます。先生にはわざわざご足労かけてしまいましたが、今日のところはお引き取り願います」
亮の身内? 言われてみれば確かに顔立ちに面影が見て取れる。父親かもしくはそれに近い近親者だろうと思いながら頭を傾げる。
「心遣い感謝します。ですが私が帰るときは亮君も一緒に連れて帰ります。亮君はどこですか? 今すぐ会わせて下さい!!」
「失礼っ!!」
二人の会話に割って入るように、スーツの男が蒼崎の前に入ってきた。
「彼ならすでに一階受付窓口にいますよ。それと、先ほど病院から連絡がありまして、もう一人の亜民で確か星村と言う子だったかな、彼女は別の方が引き取りにこらえて戻られたそうです。彼をそちらで連れて帰ってもらえるならばそれで構いません。出来るだけ早くお願い致します」
蒼崎は一瞬サングラスの男の顔を睨むと、すぐに部屋を後にした。ここに来た目的は亮を迎えに来たことであって、これ以上時間を無駄にしたくなかった。
背後でスーツの男が発した『ご足労ありがとうございました』の言葉など耳にせずまま。
言われた通り窓口まで降りると、黒のベンチシートに一人俯き座る亮を見つけた。
俯いたままの亮に近づきなら、ここに来るまで思っていた彼の行動にいくつもの『何故?』という疑問が頭を巡っていた。
「亮…くん」
その声に亮はゆっくり顔を上げると、冷たい虚無のような二つの瞳が蒼崎に向けられた。
それはまるで感情を持たずただ命令を待っている犬のように、真っ直ぐ蒼崎を見つめている。
「亮くん。帰るわよ」
それは彼女が言いたかった言葉ではなかった。しかし先ほどまで頭を巡っていた疑問よりも、この言葉が今の彼にとって最善な言葉だと思ったからだ。
亮は小さく『はい』と頷くと、ゆっくり立ち上がった。
そのまま蒼崎は亮の腕を引きながら警察署を後にした。
帰宅の車内は終始無言だった。運転に集中したかったのもあったが、横目で見る亮の姿に蒼崎は本当に彼があの事件を起こしたのか信じられずにいた。
今まで『|たんぽぽ<家>』で彼が怒りを爆発した事はおろか、感情の起伏さえ見せた事がない。そんな彼がどうして簡単に人を傷つける行動が起こせるのか、まったく思いつかなかったからだ。
「先生」
車内の沈黙を破ったのは亮の方だった。
「何? 亮くん!?」
「マナって子はどうしてますか?」
「マナちゃんなら設楽さんが先に連れて帰ったわよ。病院で治療が終わって…ごめんなさいね。本当はマナちゃんの様子を確認したかったんだけど、亮くんの方が心配で」
「俺なんかを心配してどうする? 先生は他の3人の事だけを心配すればいい」
「亮くん!!」
ハンドルを強く握った蒼崎は車を停止させた。
「君は間違ってるわ。私にとって、いいえ。私達にとって君はマナちゃんや、彩音、楓ちゃんと一緒の家族なのよ。生まれた親は違えど、生い立ちは違えども皆家族なの!!」
「血の繋がりの無い家族が家族か? それは家族ゴッコだろ」
「いいえそうじゃないわ!!」
語尾を強め、今度は亮の肩を掴みこっちに向きなおす。
お互い目線が合う。
「血の繋がりだけが家族じゃないわ。始めは赤の他人でも一緒に暮らしいくなかで、お互いに積み重ねていく時間が、他人を家族にしていくのよ。血の繋がりじゃない『絆』って言う精神の血縁関係が生まれていくものよ。それは亮君も例外じゃないわ!!」
強い意志と信念を宿した瞳で亮を見る。
亮は一時も蒼崎の視線をズラさずに見据えている。しかしその虚無な瞳に反応はないまま、後方から響くクラクション音によって二人の世界は中断された。
車を発信させ車内はまた同じになった。
警察署を出たときは夕暮れ時だったが、今は外灯がともる夜になっていた。
「先生…俺はこの先、今日みたいな事を起こすかもしれません。早く俺をどこか別の場所に追い出し方がいい。正直俺は先生の事はどうでもいいと思ってる。どんな理想を言っても人間と人食い虎は一緒に住めないのと同じです。住む世界が違うモノ同士が合わされば結果は火を見るよりあきらかでしょう。俺に家族は要りません。守るものなんて俺にはないんだから」
「じゃあなんでマナちゃんを助けの?」
蒼崎の質問に、亮の口が止まった。何故? そう、何故自分はあの娘を助けたのか、それは自分でも理解できない行動だったからだ。
その質問に返答はできない。答えが無いからだ。
「………わかりません」
それが答えだった。それしか答えようが出来ないからだ。
「そう」
「本当にわからないんです。あんな奴どうでもいいって思ってた筈なのに、どうしてあんな事したのか、俺にはわからないんです」
「そう」
蒼崎は軽い返事で返す。
「それでいいのよ。それが家族なんだから」
「それ、答えになってない。全っ然わかりません」
「わからなくていいのよ。だって―」
そういって蒼崎は亮の胸元に手を当てた。
「今日亮くんは、頭じゃなくここで答えを出したんだから。それが正しいかどうかじゃなくて、私はそれが嬉しいのよ」
布一枚に伝わる鼓動が一瞬早くなった気がするが、大事な事を頭で決めるよりも感情でも感じて欲しい意図は伝わったはずだ。
蒼崎は独り感慨にふけたが、それ以降亮は一言も発せないまま『たんぽぽ』に到着した。
エンジンを切ると、今度は蒼崎が口を開いた。
「さて我が家のお兄ちゃんのご到着よ~!!」
「俺は兄じゃない。それに姉妹なんていないし」
「あら、まだそんなに意地張っちゃって連れないんだから」
亮は軽く溜め息を漏らした。そのままドアを開けようとした時、蒼崎に止められた。
「今日はこんなに亮くんと話が出来て嬉しかったわ。でもね、私が本当に言いたかった事がちゃんと伝わっていなかったようだからちゃんと言うわね」
亮の首に腕を回して自分の方に引き寄せ抱きしめる。
「亮くん。マナちゃんを助けてくれてありがとう。本当にありがとうね」
蒼崎の胸の中で亮は微動だにしなかった。彼がどんな表情をしているのかわからないが、少なくともすぐに離れない事は本人にとって悪いことでないのだろう。
「もし今日の事を亮くんが気にしているなら一つ約束して。これから皆のお兄ちゃんになるんだから、どんな事があっても妹達をあの娘達を守ってあげて、それがお兄ちゃんとしての勤めだら」
「すごく迷惑な話だ」
「それが迷惑って思ったのならこう思って、お兄ちゃんに迷惑を掛けるのは妹の特権だって。ねぇ、私からのお願いね」
「迷惑な話だけど、今日先生に迷惑を掛けたから出来るだけ善処する」
「うん。約束ね」
言葉には出さないけども、亮が目的を持ってくれた事に大きな意味を見出していた。今まで指示がなければ動かなかった彼が、自分で考えて目的意識を示してくれたのだ。
この子はもう大丈夫。自分の足で歩く事を選択した。後は歩き続けられるようにゴールを作って上げるだけ。
ここからが本当に大変でそして幸せな時間の始まり。
―やっと、君と家族になれたわね―
蒼崎は内心でそう思いながらも、亮の頭をやさしく撫で続けた。それはまるで子をあやす母のように。
本当に久しぶりの投稿です。本当に久しぶりです。ここまで読んでくれて本当に有り難うございます。




